漂雲記   作:古本

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修行・Ⅱ

 

 その日、録嗚未は訓練の監督をしていた。

 いつもと同じ日常の風景。しかし、彼の視線の先には普段とは違うものが一つだけ映っていた。それは屈強な兵士たちに混ざって訓練に励む年若い少年。

 

 遡るのは数か月前、殿がこの少年を訓練に入れるように言ってきたのだ。

 言いたいことがないではなかったが殿が言うことに異論は挟むまいと何も言わなかった。しかし、殿が直接指導をつける条件を聞いた時には思わず苦笑してしまったものだ。

 

 曰く、精強で知られている王騎兵の百人抜き。

 しかもその前に熟練の兵士ですら連日は勘弁してくれと泣きついてくる走行訓練といつまでたっても終わらないと評判の重剣の素振りをしてからだというから何の嫌がらせかと思ってしまうのも無理はない。

 

 実際、訓練を始めて間もない頃、漂は立ち合い稽古どころでないほど疲れ切っており動きも精彩を欠いていた。当然、そんな状態では多くの兵士を相手取ることなどできるはずもない。

 しかし、やがて風向きが変わってきた。

 

 漂はどんどんと兵らを倒し始めたのだ。

 それは単に体力が付いただけというのでは説明できないほどに劇的な変化だった。修行が始まって三か月程が経った今、漂の動きは見違えるほどになっていた。

 

 録嗚未が前方に目をやるとまさに今漂が兵士たちに囲まれた真ん中で一人の兵と相対していた。

 得物はお互いに訓練用の長剣。漂は今までの訓練により衣服は泥と汗にまみれており肩が若干上下しているもののまだまだ余裕を感じさせる立ち姿。

 一方兵のほうはまだ激しい訓練は行っていないため未だ身綺麗にしていて体力面も汗一つかいていない万全の状態。それでも彼の表情に油断は全くない。なにせ目の前の少年は今日だけでも多くの戦友に土をつけているのだから。

 

 お互いに構えを取るのを見て録嗚未は手を振り下ろし号令をかけた。

 

「始めッ!」

 

 号令と共に駆け出したのは兵士。

 一足に距離を詰めると漂に袈裟斬りを仕掛ける。

 

 しかし漂はその斬撃を剣を合わせることなくひらりと身を翻すと剣は漂の身体の紙一重のところをすり抜けていった。

 剣を使うことなく攻撃を避けるというのは一対一で相手と相対している状態では非常に難しいとされている。何せ剣筋を完璧に見切っていないと出来ない、謂わば達人芸のようなものだからだ。漂はそれをやってのけた。

 

 しかし漂の相手をする兵士に驚きはない。

 漂はこの数か月共に訓練してきた仲であり、彼がこの動きを披露したことは初めてではない。なんならこの動きを体得する過程すらも見ているのだ。

 

 だからこそ、兵士は漂が躱し様に放った横薙ぎを後方に飛ぶことで避けることができた。

 漂の動きは攻防一体。回避行動は攻撃につなげるためのものだと知っていたから漂の攻撃を避けられた。逆に言うと知っていなければこの斬撃を避けることは出来なかっただろう。それほどに鋭い剣筋。

 

 たらりと冷や汗を流す。

 それを手で拭う暇もないうちに漂が肉薄してくる。慌てて上段からの振り下ろしを何とか剣で受けるが、重い。

 筋肉量にすぐれない漂から繰り出されたと思えぬほど強力な攻撃。

 

 このままではまずいと剣を押し込み距離を取ろうとするが、ーー外れない。

 自分が力を籠める方向と瞬間が分かっているかのように漂は巧みに剣を動かし鍔迫り合いという状況から逃れることができない。

 

 ーー完璧に自分の動きが読まれている!

 

 思わず漂の絶技に意識を奪われた一瞬の空白。

 漂が素早く剣の切っ先を回転させるように動かしたように見えた次の瞬間、兵士の剣が手の内から弾き飛ばされる。

 

 兵士が驚愕に目を見開く中、漂は剣の切っ先を兵士の首に突き付けた。

 誰から見ても明らかな決着であった。

 

「……参った」

 

 兵士が足取り重く輪の中に戻っていくのを見届けぬうちに漂は口を開く。

 

「ーー次!」

 

 その声と共に次の兵が前に歩み出てくる。

 両手に持つのは槍。

 

 録嗚未は彼の顔に見覚えがあるのに気付く。確か槍を得意として王騎兵の中でも上位の実力者だったはずだ。

 彼が槍をしごいて漂の前に立つのを見て録嗚未は今日何度目か分からない号令をかける。

 

「始め!」

 

 号令と共に動き出したのは漂。

 漂は剣をだらりと下げたまま槍兵に駆け寄る。

 

 槍兵は距離を詰められるのを嫌って僅かに下がりつつ鋭い突きを繰り出す。並みの兵士ならば切っ先がぶれたようにしか見えない高速のそれを二度三度と突き込む、が、漂はそれをひらりひらりと体捌きのみで交わしながら着実に前に進む。

 剣の間合いに入った瞬間漂は剣を跳ね上げる。鋭い斬撃。

 

 しかし槍兵の実力も伊達ではない。槍が懐に入られると弱いのは周知の事実、対策していないはずがなかった。

 間合いに入られたと理解した瞬間、槍を持つ手の位置を工夫して漂の剣を槍の柄で受け、それと同時に漂の腹に蹴りを叩き込む。

 

 その蹴りによって漂が後方に吹っ飛ぶが、漂もその攻撃にしっかりと対応しており、蹴りを咄嗟に引き戻した剣の腹で受けていた。

 それでも槍の有利な間合いに持ち込んだのは事実。この好機を逃すまいと槍兵は槍を繰り出す。

 まずは上半身に向けて突き。これは漂が身をひねって軽くかわしたが本命は次。残った下半身に向けて槍を繰り出す。

 

 漂はこれを交わしきれないと判断し剣で払う。

 槍兵の連撃は止まらない。突きを止められた瞬間槍を引き返しつつその勢いのまま横殴りにするように槍を振る。

 

 漂はこれも剣で受けたが、この攻撃に耐えられなかったものがあった。

 訓練用の長剣である。

 元々数打ちの物であるうえ、今まで幾人もの兵と文字通り鎬を削っていた剣が半ばからぽっきりと折れてしまったのだ。

 槍兵にとってまたとない好機。しかしだからこそ槍兵に一瞬の油断が生まれる。

 

 そして漂にとってその一瞬は十分すぎた。

 漂は躊躇いなく折れた剣を捨てると身体を沈み込ませつつ重心を流れるように移動させ、思い切りよく踏み込み。

 

 爆発的な加速。

 ただでさえ今日の試合で見せたどの動きよりも速いその動きは、それまでの動きに目が慣れておりかつ剣の破損に意識を取られていた槍兵にとって凄まじいまでの体感速度となって彼に襲い掛かる。

 

 それでも日々の鍛錬にて鍛えぬいた身体は反射的に繰り返された動きを繰り出す。雑念の入ることなく放たれたからか、渾身の一撃。むしろ普段のそれより素早く、鋭い。

 しかし、その突きも漂を止める事は能わなかった。

 

 漂は速度を緩めることなく、否、むしろ加速しながら槍の軌道を完璧に見切る。穂先をやり過ごすと無手の左手で槍の柄を払いのけ、その勢いのまま槍兵の懐に入りこんだ。

 そして槍兵の手首と襟を掴み、一気に投げ飛ばす!

 

 投げ飛ばされたと理解し、なんとか体勢を立て直そうとする槍兵の顔の横にドンっと漂の足が振り落とされた。直撃していれば首の骨を折られていただろう。

 槍兵は自分の負けを認め両の掌を漂に向ける。手に握られていた槍がからりと地面に転がった。

 

 録嗚未は槍兵を助け起こす漂を見ながら傍らの兵士に声をかける。

 

「おい、これで何人目だ」

「……八十人目です」

 

 問いかけられた兵士は淡々と、だが驚嘆の念を隠しきれない声色で答える。

 

「正直、信じられませんよ。凄まじい結果です。しかも彼は今日、未だ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 兵士の声を聴きながら録嗚未は漂に一旦休憩を挟ませるべく声を上げようとした。

 訓練用の剣が折れてしまった上、漂は今まで休憩らしい休憩を取らずに戦い続けていた。新たな剣も用意する間、休ませてやるべきだった。

 

 しかし、声をかけようとした録嗚未の前で漂が動く。

 槍兵が退場したのを見届けると、先ほどの位置に戻ったのだ。そして口を開く。

 

「ーー次」

 

 その言葉が響き渡りその場が沈黙に包まれる。やがて唖然とした兵の一人が声を発する。

 

「おいおい、漂。次って言ったってお前武器折れちまったじゃねぇか。どうするんだよ」

 

 その言葉に漂はそんなことかとばかりに肩をすくめると、借りるぞ、と先ほどの槍兵に向かって一言呼びかけると足元に転がる槍を蹴り上げぱしりと手に取った。

 そしてその槍をくるりと手のひらで返してからやけに堂に入った構えを取り、録嗚未に顔を向けた。

 

 録嗚未はそれを受けてふっと笑うと手を振り、次の兵士に漂の相手をするよう指示を出した。

 

 ーーあの目だ。

 

 録嗚未は思う。

 歴戦の戦士である録嗚未が見るに、漂という少年の強さの秘訣は並外れた動体視力、そしてそれを十全に活かしきる見事なまでの肉体操作にある。漂自身もそれに気づきこの数か月間それを磨き続け、今その努力は結実しつつあった。

 

 しかし、それはあくまで彼の少年の一部分に過ぎない。

 特筆すべきは彼の精神性だった。

 

 目を見れば分かる。

 いつまでも折れぬ闘志。研ぎ澄まされ、曇ることを知らぬ戦意。

 

 ほかでもない王騎兵の前で天下の大将軍になるといって憚らない漂は当然、初め兵たちに笑われた。馬鹿にするものもあれば何を世迷言をと怒りを露わにする者もいた。

 それがどうだ、今や、兵たちの中に漂を笑うものなど一人としてなく、その目には敬意すら浮かんでいる。皆、いつしか敵意は消え、漂の言いようのない魅力にからめとられていた。

 

 

 ーー殿とはかなり毛色が違うがあれも一種の将器なのやもしれんな。

 

 

 録嗚未の頭に数か月前ならば思いもよらなかった考えが浮かぶ。

 

「この調子ならば今日にでも百人抜きを達成してしまうかもしれませんね」

 

 録嗚未が打ち交わされる打擲の音を聞きながら思索にふけっていると傍らの兵が話しかけてきた。

 確かに漂は慣れないはずの槍を使っているのにも関わらず、長年扱いなれた武器かのように槍を操り、優位に試合を進めていた。そもそも先ほど漂が打倒した槍兵はこの場にいる兵の中でもっとも強い男であり、この先、百人抜きが失敗するのは漂の体力が尽きるかなにか明確な隙でも見せたときであろうが、今日の動きを見る限りそんな失態を犯すことはなさそうだった。

 

「……百人抜きをすれば殿が直接稽古をつけるという話だったか?」

「ええ、そのように聞いております」

「ふむ、そうか。……しかしな、小僧には悪いが、王騎将軍の名はそこまで軽くないのだ」

「えっ?」

 

 そうだ。確かに漂が才気あふれる少年であることは認めよう。

 だからといって軽々に直接王騎将軍と相まみえさせるわけにはいかない。

 

 

 要するに、だ。殿の前に立ちたくばこの録嗚未に一太刀入れられるくらいになってみせろーー。

 

 

 まじか、この人。大人げねぇ……思わず呟かれた兵士の声を聞かなかったふりをして録嗚未はどこまでも獰猛な笑みを浮かべたーー。

 

 

 

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