漂雲隊
王騎軍の元で修行を始めて約四か月が経ったころ、漂は馬上にあった。まだ王騎将軍の指導を受けられていないのに修行を切り上げることになったのには当然理由がある。
戦争である。
この年の春、秦は隣国「韓」に向けて侵攻を開始した。
堅実で外連味のない戦法を得意とする蒙驁将軍に率いられた大軍勢は破竹の勢いで韓の城や拠点を制圧していき、このまま快進撃が続くかに思われた。
しかし、事態は一変する。
なんと「趙」が秦に対し逆に侵攻を始めたのである。意表を突かれた秦は馬央をはじめとする前線地域一帯に趙軍の侵入を許した。そして趙は攻略した一帯の住人を虐殺して回っているという情報が入ってくることとなる。略奪は戦争につきものとはいえ、老若男女問わず虐殺して回るというのはこの時代であってもとてつもない暴挙である。
秦軍首脳部とて、韓の侵攻に際して第三国から侵攻されることを考えていなかったわけではない。
秦は西の大国と言え、その国土も広大である。それゆえ、秦は多くの国と国境を接している。具体的には韓、楚、魏、趙の四国である。
韓を攻めている状況下で警戒すべきは、楚、魏、趙の三国。
先の戦争でお互いに多大な損害を出した魏はその戦争でも活躍した麃公将軍が睨みを利かせており、楚は最も強力な敵国として元より守備が厚いうえ、韓侵攻のために守備軍が増強されている。残るは趙だがこの国は、兵はいても大軍勢を率いる将がいないと言われていて、侵攻を仕掛けてくるとは思われていなかったのだ。
しかし、事実として趙は侵攻を開始した。
その役を担うものはいないと思われていた総大将の名は龐煖。秦では全く無名の男だが新しく三大天ーー趙軍の最高位の称号ーーに任命された男だという。
その報を聞き、顔色を変えたのが王騎将軍だった。
龐煖は、王騎将軍が六大将軍ーー昭王の時代に名を轟かせた六人の大将軍に与えられた称号ーーであった時代に、共に六大将軍であった摎を殺した男でもあったからだ。
それはさておき、秦国上層部は距離が離れすぎているために呼び戻すことの叶わない韓侵攻軍の他に、趙軍に対応する兵力をかき集めるため咸陽周辺地域に緊急徴兵を発し、俄作りの十万人の軍隊を編成した。
そしてその軍の総大将に任命されたのは、龐煖と因縁浅はかならぬ王騎将軍その人であった。
そういう訳で、秦は否応なしに新たな戦争を始めることとなり、王騎将軍のもとにいた漂もまたこの戦争に参加しない選択肢はなかった。そういうわけで漂は訓練を切り上げ一路、戦場である馬陽に向かっているのだった。
♢
「漂様、あれ!」
「ああ、俺にも見える」
漂は前方に秦軍の大兵力が集まっているのを確認して、逸る気持ちをそのままに馬の腹を強く蹴った。
速度を上げた漂に追従するのは蓮荷と紅炎である。
蓮荷は数か月間顔を合わせる事こそ少なかったが、漂と同じように王騎将軍の城で過ごしており、漂が聞いたところ王騎将軍の副官である騰に剣を教えてもらっていたのだという。残念ながらその腕前を事前に披露してもらう暇はなかったが彼女の自信に満ちた顔を見るに期待してよさそうだ。
王宮での大王暗殺の騒ぎ以降、漂は紅炎の母と弟を自身の家に住まわせていて彼女たちは漂個人の使用人のようになっている。紅炎自身はどうやらあちこちに顔を出していたようだが、隙の見当たらない立ち振る舞いからサボっていたわけでないことは確かだ。彼女はどこからか戦争の話を聞きつけており、連絡を遣るよりも早く漂のもとにやってきたのでこうして共に戦場に向かっているのだった。
そんな彼らが速度を緩めず馬を走らせているとすぐに秦軍に追いついた。その兵らをかきわけるようにして進んでいくとやがて見知った顔が見つかる。
その男は初め驚いたような顔をしていたが、漂の顔を見て口元をほころばせた。
「よぅ、漂百人将殿! 遅かったじゃねぇか!」
「東石、久しぶりだな」
「みんなお前を待ってたんだぜ」
その言葉の通り東石の周りには、魏国戦で共に戦った歩兵たちが多くいて漂に気付いたのか皆が集まってきた。
「やぁ、漂君。もしかしたら来ないんじゃないかと思ってひやひやしたよ」
「そうだぜ、大将。俺らは皆あんたの隊で戦働きしたいと思ってたんだ」
「玄、雷田! お前たちも元気そうで何よりだ」
皆と言葉を交わしていると辺りに声が響き渡る。
「これより軍編成を開始する!!」
本当にぎりぎりの到着だったらしい。
ここで百人隊まで決めてしまうからこの軍編成に間に合わなければ面倒なことになるところだった。
「よし、いよいよだな! 漂、俺たちはどうすりゃいい?」
「心配しなくてもみんなあんたの活躍は知ってるからな、俺らが声かけりゃ百人位直ぐ集まるぜ」
「いや、集めるのは六十人でいい」
漂がそういうと東石たちはぽかんとした顔になった。
「は? なんでだよ、漂は百人将になったんだろ。まさか数数えられなくなったってこたぁねぇよな」
「安心しろ、数くらい数えれる」
「じゃあどういうことなんだよ?」
「それは……」
漂が説明しようとしたその時、遠くの方から漂に呼びかける者があった。
「漂さーん!!」
そんな声が聞こえ、皆が振り返った先にあるのは数十の馬影。
兵たちが自ずと分かれて出来た道の真ん中を進んで近づいてくるのはやはり漂の知っている顔だった。
「漂さん、ここにいたんすか! 探したっすよ」
「漂、久シイナ」
そう言いながら馬を降りるのは、鯉郭とハジムである。
そして彼らは単騎で来たのではなかった。
「漂さんの頼み通り、貴士族出身の兵二十人、連れてきたっす!」
「コッチモ、二十人ノ同胞タチダ」
「ありがとう、鯉郭、ハジム」
そう、彼らはそれぞれ二十人の騎兵を連れてこの戦場に駆けつけてくれたのだ。
着々と戦友たちが集うのを見て仮面の下の目を細めながら、漂は東石たちに向き直って茶目っ気たっぷりに言い放つ。
「そういうわけで、必要なのはあと六十人だ」
「は、はは……、あんた、本当に何者だよ……」
♢
こうして、農民兵中心の歩兵六十人、貴士族出身の騎兵二十人、山の民の騎兵二十人の計百人が漂率いる兵士として集まった。
彼らを十人の什長が率いることになる。
第一什長 鯉郭(貴士族出身)
第二什長 義風(貴士族出身)
第三什長 ハジム(山の民)
第四什長 サシャム(山の民)
第五什長 東石(農民出身)
第六什長 雷田(農民出身)
第七什長 玄(農民出身)
第八什長 仙河(農民出身)
第九什長 有黒(農民出身)
第十什長 紅炎(元朱凶)
漂は什長たち殆どと繋がりがあった。
義風は王宮の脱出の際に共にいたうちの一人であるし、仙河も、雷田たちと同じく蛇甘平原で共に戦った戦友の一人で彼は魏国戦でいい動きをしていたので漂の記憶に残っていた人物でもある。有黒は腕のいい男ということで雷田が連れてきた男であり、彼に認められているということは相当な実力者なのだろう。
サシャムは初対面だがハジムと近しい間柄らしく漂には好意的なようだった。サシャムは今回ハジムが連れてきた山の民の中で唯一の女性で平原の言葉を話すこともできるので山の民と秦人との橋渡しになってくれそうな人材でもあった。
漂はそんな面々の前に立って彼らの顔を見渡す。
軍の中では多い数ではないがやはり百人の兵が並ぶ姿は圧巻だった。漂は自分が命を預かり率いることとなる部下たちに感慨深いものを抱きながら、これから何よりも頼りになるだろう彼らに向かって口を開く。
「皆、よく集まってくれた! これより諸君らは特殊百人隊の一員となる!」
「特殊百人隊?」
「そうだ、この百人隊は他の部隊から独立した王騎将軍直属の部隊となる! 隊長は俺で、副将は蓮荷が務める!! そして……」
漂はそこで言葉を切り、蓮荷を見やる。
蓮荷はその視線を受けてこくりと頷くと、傍らに立たせていた長い旗竿に手をやり、それに巻かれていた紐を解く。
その瞬間、辺りに強い風が吹いた。
風に煽られ蓮荷の手からひもが吹き飛ばされ、ばさりと旗が広がった。
その場にいた全員の視線がはためく旗に集中する。
そこに大きく書かれているのは「漂」の文字。
漂は旗竿に近づき、しっかと掴むと百人の兵卒を率いるのに十二分な覇気を漲らせながら声を張り上げる。
「この隊の名は漂雲隊!! 王騎将軍から直接貰った名だ!!」
自らが属する隊の名が全員の頭に浸透してゆくのを見ながら漂は続ける。
「この名はいずれ中華全土に響き渡るだろう!! そして誰もが憧憬と畏怖と共にこの名を呼ぶこととなる!!」
「よく聞け!! 俺はいずれ天下の大将軍に至る!! そしてこの漂雲隊こそが大将軍率いる最強の部隊だ!!」
「この隊は様々な出自の者が集まっている! 生まれから馬鹿にされたものもあるだろう、生まれが枷となり自由な生き方ができないとあきらめていたものもいるだろう。だがそんなものは最早関係ない!! 馬鹿にしてきたやつを見返したいか!? 使いきれぬほどの財宝と誰もがうらやむ栄誉が欲しいか!? ならば俺についてこい!! 俺がお前たちをどこまでも高みに連れて行ってやる!!! まずはこの戦争だ、ここででかい武功を掴み取るぞ!!!」
一瞬の停滞の後空間が爆発する。
「「「「「ウオオオオオオオオオォォォォォッッッ!!!!!」」」」」
漂の檄に興奮して隊員のだれもが顔を紅潮させながら声を嗄らさんばかりに鬨の声を上げているのを聞きながら蓮荷は漂のことをちらりと見やる。
蓮荷は漂雲隊の前に立って檄を飛ばす漂の全身から燃え滾るような炎が吹き出しているような錯覚に襲われる。何よりも熱いそれは隊員に降りかかり彼らを燃え上がらせるのだ。漂が放つ圧倒的な熱と引力、そして言いようのない魅力に彼らが絡めとられていくのが傍目にもよく分かった。
それは狂気の伝播にも似ていた。
漂はよく兵を狂奔させ、よく兵を死なせ、そしてその倍する敵兵の首を上げるだろう。
漂という人物は未だ少年の身でありながら既に恐るべき将であった。
その何よりも残酷な事実に蓮荷は口端を吊り上げる。
そうでなくば自分が仕える甲斐などないというものだ。蓮荷もまた、喜んで漂の炎に焼かれる一人であった。
己の主は今日、天へと向かうための翼を得た。
ああ、この人はどこまで高みへ上るのだろうか……。そしてその覇業を最も近くで見ることになるのは自分だ……、想像するだけで陶酔してしまいそうな考えだった。