漂が秦軍と合流してから一週間ほどで目的の地が見えてきた。馬陽である。
ここは趙に対する前線に位置する場所で、守備軍はこの城で圧倒的な劣勢の中、趙軍の攻撃に耐えていた。
そんな趙軍を叩き潰すべく送られたのが漂雲隊属する秦軍である。
秦軍は途中で王騎将軍も追いつき、伝説的な将軍が率いられるとあって通常戦意の低い農民兵中心の軍も士気高く馬陽に辿り着くことができた。
王騎将軍は、到着と同時に馬陽を攻囲する趙軍に攻撃を仕掛けるのではなく馬陽の南に軍を動かした。そこは乾原と呼ばれる騎馬の機動力の活かしにくい荒地であり、王騎将軍はそこを決戦の地として選んだのだ。
秦軍のこの動きに趙軍も呼応した。抵抗力のほとんど失われた馬陽への包囲を解き、乾原にて陣を引いたのだ。こうして両軍は相対することとなった。
秦軍の陣容
中央後方……王騎将軍(秦軍大将) 兵一万
中央前方……蒙武軍 兵二万
第一軍 兵二万
左翼…………第二・第三・第三軍 兵四万
右翼…………第四軍 兵一万
計……十万
趙軍の陣容
中央後方……龐煖(趙軍大将) 兵二万
中央前方……李白軍 兵二万
左翼…………渉孟・万極・公孫龍軍 兵六万
右翼…………馮忌軍 兵二万
計……十二万
両軍の陣容が整って間もなく、戦端が開かれた。
まずは秦軍中央の蒙武が歩兵を率いて突撃を開始。すさまじい破壊力を見せるが趙軍の守備も固く戦況は膠着。続き、つられるように右翼、左翼も動き出し、ゆっくりと戦局は動き始めた。
そんな両軍合わせて実に二十万もの兵士たちが戦う中、漂雲隊が配属されたのは王騎将軍率いる本陣の左方であった。はっきりと言ってしまえば、そこは戦果を得るどころか主要な戦場に出ることができるかどうかすら怪しい位置。
一方、先ほどまで同じ場所にいた信率いる特殊百人隊、飛信隊は王騎将軍から直接命令を受け、敵右翼の将馮忌の首を取って来いというこれ以上ないほど重要な任務のため出陣していった。
「くそっ、信たちは将軍を討ちに行ったってのに俺たちはお留守番かよ」
「まぁまぁ。俺たちも同じ特殊百人隊っす。飛信隊と同じようにいつ重要な任務が来るかわかんないすから」
そういう状況ということもあり、東石の飛信隊をうらやむ発言を鯉郭がなだめていた。
血気盛んな様子に漂は苦笑するが、怖気づいているより良いと思うべきだろう。
漂たちがしばらく待機していると、紅炎が漂のほうに向かってきていた。
紅炎は偵察という名目で左翼の戦場を見に行っていた。名目とはいってもただの建前という訳ではなく、紅炎の什の面子は動きが軽やかで単独でも戦闘が可能な斥候、偵察に向いた人員を紅炎が自ら選んで自分の隊にいれていた。
「漂」
「紅炎か、左翼はどうだった」
「初め、秦軍は善戦しててかなり趙軍を押し込んでた」
紅炎の言葉を聞き、漂雲隊の面々が歓喜のどよめきを上げるが漂は紅炎のなにか言いたげな様子に気づく。
「……それで?」
「でも多分あれは趙軍の罠。秦軍の動きが完全に止められて包囲されたのを見て私たちは引き返してきたけどもしかしたら今頃はかなりやられてるかも」
「そうか、ありがとう紅炎」
紅炎の言葉を聞いて漂は考え込んでいたがそんな彼のもとに王騎将軍の使者が来た。曰く、左翼から敗走してくる秦兵を追撃してくる趙兵を撃退せよ、とのことだった。
この指令が意味するのは左翼の味方はかなり手酷くやられているらしいということだ。この指令を聞いてざわざわとしだす漂雲隊をよそに漂は出撃の準備をさせる。
「お前たちも聞いたな? 俺たちはこれから味方のケツを追ってくる敵兵を叩く。待機は終わりだ、さっさと重い腰上げろ!」
「で、でもよ漂。今左翼で味方が沢山やられちまってるんだろ? こんなことじゃなくて向こうに助けに行かなくていいのかな」
そんな言葉が聞こえ、漂がちらりと隊員達のほうに視線をやると彼らはうっと怯んだ。言葉を発したのは東石だったが他の面々も同じような考えらしい。はぁ、と漂は一つ溜息をつくと口を開く。
「救援に向かうかどうかは王騎将軍が決めることだ」
「そ、それはそうなんだろうけどよ……」
「向こうは信たちが何とかするさ。王騎将軍もそう思っているから俺たちに別の命令が来るんだ」
漂がきっぱりとした口調でそう断言すると東石たちは黙り込むが、やはりまだ納得がいっていない様子。
「それからな、お前たちはこの命令が詰まらないものだと思ってるかもしれないが正直言って俺はこの命令をくれた王騎将軍に感謝している」
「な、なんでだよ。飛信隊の任務と比べたらこんな仕事……」
「俺たちは飛信隊とは違うからだよ。はっきりいって飛信隊が受けたあの任務は今の漂雲隊には向いていない。俺たちは歩兵だけの部隊じゃないんだ。隠密には向かない騎兵もいるし、出自はばらばら。まだ寄せ集めの部隊でしかない」
この状況は漂の檄により漂雲隊の士気が上がりすぎたせいとも言えた。それゆえ、功を焦る気持ちがあって、飛信隊のような大きな役目を与えられなかったことに腐っているらしい。
隊としては悪い傾向ではないのだが、この任務を雑にやられても困る。そう思いながら漂は言葉を続ける。
「飛信隊は歩兵主体の隊で、隠れて進んでそこからは敵将目掛けて一直線に走るだけ、っていう至極簡単な動きしかしないからこそ王騎将軍はあの任務を託したんだ。まぁ言うは易く行うは難しの典型であるのは間違いないけどな。それはともかく、そんな条件で敵将の首を取れる状況なんてそうそうない。絶対にお互いの能力を知り、隊の連携や高度な作戦を遂行できるだけの組織力が必要となる場面がくる。そして俺はそれをここで少しでも身に着けるつもりだ。つまりこの作戦がこれから先、俺たち漂雲隊が武功を上げれるかに直結すると考えている」
漂の言葉にハッとした面々を見やる。
直接言葉にせずともやはり不満に思っていた隊員は多かったらしい。しかし漂の考えを聞いた今、やる気のない顔をしたものは一人もいない。
そんな面々を見渡して漂は満足する。
「よし、分かったならさっさと剣を取れ!! 遅れる奴は置いていくぞ!!」
「「「「「応!!!」」」」」」
♢
そういうわけで、漂たちは漂雲隊として初めての任務にでた。
左翼の戦闘により敗走してきた味方を助けつつ、それを追ってきた趙兵を叩く仕事だったが漂たちが苦戦することはなかった。
確かに左翼ではかなり秦軍の劣勢で、それゆえに多くの兵が逃げて来ているのだがまだ決着がついているわけではなく、包囲されているらしい秦軍も抵抗を続けているのだ。そのため、趙軍としては逃げている兵を追っている暇などなく、まとまった兵力のまま秦軍左翼を叩くのが最適解であって敵将である馮忌が逃げる秦兵の追撃部隊など命じるはずがない。
つまり、秦軍の本陣近くまで来ている趙兵は上の命令がないのにもかかわらず目の前の手柄に飛びつき何も考えぬままどこまでも追ってくる、はっきりと言ってしまえば練度の低い連中というわけだった。
そんなわけだから連中は連携もあったものではなくただ散発的に襲って来るだけなので、一定の兵力があり、隊長である漂のもと一個の軍事組織として動く漂雲隊の敵ではなかった。
しかし、漂の考えを知った漂雲隊の面々に油断はなく、漂の指示のもと着実に仕事を進める。
数の有利を利用して正面から叩き潰し、味方の兵を囲んでいる敵兵に横から襲い掛かり、逃げる敵には騎兵の機動力を活かして回り込んで殲滅する……。
漂は素早く状況判断を行い、その状況に即した的確な指示を矢継ぎ早に飛ばしていく。そして、漂雲隊もそれによく答えた。
そんな中、漂の目は敵だけではなく味方にも向けられていた。実際に戦闘を行っている所を観察していると平時と比較にならないほどの情報が目に入ってくる。
誰に何ができて何ができないのか、得意なことと苦手なことは何か、どんな戦場に送り込めばよく働くのか、極限状態にあって逃げ腰になるかむしろ闘志を燃やすのか等々、知るべきことは多くあった。
目を皿にして観察しているとやはり目を引く者も多くいた。
例えば、仙河と有黒。仙河は剣を得意として躊躇いなく敵兵に突っ込んでいっては危なげなく戦果を手に戻ってくる。有黒は槍を得意としていて同じく槍を手に持つ什の面々とともに槍衾を形成、その槍衾を前に顔色を悪くさせない敵兵はいなかった。
サシャムは山の民らしく馬術を得意としていて、メインウェポンは曲刀だが短弓の扱いも巧みだ。一方、義風は馬上で槍を振り回すのに長けた男で、この短い間にもその槍で幾人もの敵の胸を穿っていた。
古顔のメンツーー鯉郭、ハジム、東石、玄、雷田ーーはやはり漂との付き合いが長いこともあって最も漂の意図に沿った行動をとってくれていた。個々の実力はもちろんの事、戦場慣れして視野が広いので危ない什があれば助けに入ったり逆にあと一つ押しが足りない所に援護に向かってくれたりと痒い所に手が届くような渋い活躍をしてくれている。彼らは歩兵と騎兵で兵科が分かれていながらうまく連携をしていることも相まって総合的に見て最も安定感があった。
そんな頼りになる隊員たちの中でも異彩を放つ人物が二人いた。紅炎と蓮荷である。
紅炎は敵の発見や周囲の状況を探ることに注力してもらっているので直接戦闘を行うことは少なかったのだが、そのわずかな間でも彼女の異常なまでに冴えた戦闘技術は敵味方問わず唖然とさせるのに十分だった。
そして蓮荷ーー。
彼女の動きは漂を最も驚かせた。
以前の彼女を知っている漂でも、否、知っているからこそ蓮荷の働きに驚く。
蓮荷が騰のもとで稽古をつけてもらっていたのは知っていたが、これほどまでに劇的に動きが変わっているとまでは思っていなかったのだ。
彼女の得物は今までの直剣ではなく刀身が緩やかにカーブを描く曲刀を握っていて、彼女がそれを螺旋を描くように動かすたびに趙兵の命が刈り取られていく。
馬上の彼女が通った後に五体満足の敵兵は一人もいなかった。圧倒的なまでの戦闘能力。明らかに王騎軍の元で修行を始める前の漂よりも強い。
今までも蓮荷は弱兵とは程遠かったが、今や立派な強者の一角であった。
彼らを見て漂は密かに笑みを深める。
勿論まだ拙い部分も多くあるとはいえ、百人隊の構成する兵として豪華すぎるほどの人材達であった。
そんな兵たちは、老獪さすら感じさせる指揮を見せる彼らの指揮官にこそ舌を巻いていたのだが……。
そうこうしていると漂のもとに一人の兵が近づいてきた。
確か紅炎の部下だったはずだ。
「隊長。紅炎さんより伝言です」
「どうした」
「付近の木立に敵兵を発見。規模は百人程度だと思われます」
話を詳しく聞くと、今までの敵のように散発的に襲ってくるのではなくきっちりと連携が取れている部隊が接近中だという。
紅炎だから見つけられたが並の見張りならば見つけられなかったかもしれないレベルで隠密行動もとれていたらしくかなり練度の高い部隊のようだ。
「兵種は?」
「歩兵ばかりです。かなり木々の深い所を通ってきているので騎兵はまずいないかと」
「分かった。ありがとう」
情報を伝えてくれた男を下がらせ蓮荷を呼び寄せ、情報を共有する。
「百人規模の部隊ですか……。目的は何なんでしょう」
「飛信隊のように将軍の首を取りに来た可能性もないではないが、左翼が崩れているとはいえ本陣が無傷で残っている現状では考え辛い」
「となると考えられるのは、混乱に乗じた嫌がらせ兼威力偵察、というところでしょうか」
「ああ、俺もそう思う」
漂が辺りを見渡すと、少数の趙兵を追いまわしている鯉郭の部隊が見えた。見ているうちに鯉郭たちは次々と敵兵を討ち追い散らしてしまった。
いつの間にか漂の視界に映る趙兵の数は激減していた。
「どうしますか?」
蓮荷の問いに漂はにやりと口角を吊り上げることで答える。
「決まってるだろう? みんなを呼んできてくれ」