漂雲記   作:古本

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鯉郭

 俺たちは束達の丘を抜け、近くの森に入った。

 傷は負った者はいてもなんとか離脱者は出さずに三十二騎全員が残っている。

 森に入ったことで追跡者の足は落ち、少し余裕の持てた俺たちはひとまず休憩をとっていた。

 

「大丈夫ですか、漂様」

「ああ、ありがとう。おかげで出血もおさまってきたみたいだ」

「それはよかったです。しかし、あくまで応急処置なので激しく動くとまた傷口が開くかもしれません」

 

 俺のわき腹の傷は清潔な布で縛られており、僅かに血は滲んでいるものの先ほどと比べたら遥かに良くなっている。興奮状態が解けたのか動くたびに痛みが走るが動きにそこまで支障は出ないはずだ。

 休憩を命じてからすぐに蓮荷が慣れた手つきで処置してくれたのだ。

 そんな蓮荷は恐縮する他の負傷兵の治療をしながら話しかけてくる。

 

「漂様、これからどうするのですか? 合流地からは若干逸れた進路を進んでいるようですが」

 

 追手を撒くために森に入ったが、今の進路は蓮荷の言う通り政と合流するはずの地点とは少しずれている。

 

「ああ、この状況では少しでも戦力が欲しいからな。先に腕の立つ奴と合流して大王の護衛をやってもらおうと思ってる。そいつがいるところを今は目指している」

「本当ですか!? 援軍に心当たりが!?」

 

 途端に目を輝かせ始める蓮荷を見て苦笑する。

 

「援軍というほど大したものじゃないぞ。一人しかいないし」

「ひ、一人だけですか?」

「そうだ。だがあいつはなかなか頼りになるぞ」

「あ、まさか殿の言っていた漂様の兄弟分の方ですか?」

 

 蓮荷が知っていたことに少し驚いたが昌文君から聞いたのなら不思議はない。

 

「ああ、そうだ。俺と共に育った友だ」

「あー、漂さん。本当に頼りになるんですか? そのご友人とやらは」

 

 横から声をかけてきたのは鯉郭(りかく)だ。

 相変わらず直截な物言いをする男だ。

 

「鯉郭!」

「ですがお嬢様、漂さんの兄弟分てことはその方も下僕なんでしょう? 漂さんの実力は疑うまでもないですけどこんな人は例外中の例外っす。はっきり言ってただの下僕が戦力になるとは思えないっすよ」

「ん、それは……」

 

 というかお嬢様と呼ばないでください……などとぶつぶつと呟きながら口ごもる蓮荷の姿を見て鯉郭の言も最もだなと思う。

 俺は信の実力を知っているが、彼らにとってはただの下僕。そのような者に助力を乞うためだけにそこまで時間はかからないとはいえ一分一秒が貴重なこの状況で最短ルートから逸れているとなれば不安にも思うだろう。

 それでも俺は信に助力を乞うべきだと思う。単純に戦力としてあいつがいてくれたほうがいい。この隊は精鋭ではあるものの正直俺が苦戦しそうだなと思うのは鯉郭と蓮荷の二人のみ。

 その二人にしても勝てないとは思えないのだ。大王に強力な刺客が複数人差し向けられたらと思うと愉快な気分にはならない。

 

「安心しろ、鯉郭。信は俺と互角の実力を持っている。バカだが身体能力はずば抜けているからな。護衛にはちょうどいいだろう。まぁ、手負いの俺と比べたらあいつのほうがよほど頼りになる」

「そこまでですか…」

「ああ、潜在能力的には俺より高いかもしれない。まぁ簡単に負けてやる気もないけどな。どうだ鯉郭、まだ不満か?」

「まさか、漂さんがそこまでいうんなら俺たちも信じるっすよ。兵たちも戦力になるかも不確定なもののために命を賭けたくはないでしょうから聞いたまでっす」

「そうか」

 

 そこで会話は打ち切って、腰を上げる。

 そろそろ休憩は終わりだ。森に入ることで一旦は敵を撒けたとはいえまだまだ諦めてくれてはいないだろう。森に入ったせいで馬を全力で走らせられない以上距離を稼ぐためにも立ち止まっている暇はない。

 蓮荷が号令をかけ、再び俺たちは移動を始めた。

 

 

 

 動き始めてしばらく、斥候として先行させていた兵が戻ってきた。

 

「前方に敵部隊を見つけました」

「そうか、ご苦労。迂回するぞ」

「ハッ」

 

 報告を受けて俺たちは進路を変えて森を進む。

 俺の想像以上に森での移動は大変で、敵の姿を見つけて迂回するのもこれが初めてではなく遅々として進まない。兵たちの疲労もある。ここまで敵中を突破しそのまま敵から逃げ続けているのだ。怪我をしている兵もいることもあってどうしても歩みは遅くなる。

 そんな状況にしてはまだ士気は保てているほうだと思う。やはり大王が窮地だと思うとやる気も出るというものなのだろうか。

 

 ふいに後方が騒がしくなった。

 どうしたのかと後ろを振り返ると森の一点を見て今にも駆けだそうとする兵士の姿が見えた。

 

「おい、どうした?」

「それがこいつがさっき木の陰に何かが見えたと」

「何、本当か?」

「ええ、確かに人影がいたのをこの目で確認しました」

 

 その言葉を聞いて彼の視線を追うが何も見えない。

 どうすべきか考えているとまた別の兵が声を上げた。

 

「あっ、敵の斥候を発見しました!」

 

 首を振ると今度は俺にも見えた。数名の敵兵が俺たちの存在を確認した瞬間脱兎のごとく逃げ出したのだ。

 斥候としての訓練を積んでいるのか驚くほどの速さで森を駆け抜けていく。

 今から追いかけても恐らく追いつけないだろう。

 

 彼らは敵本隊に俺たちがここにいたことを伝え、すぐにでも俺たちを追ってくるだろう。

 事ここに至ってはもはや仕方がない。ただただ全力で逃げるしかない。

 そう腹を決め、息を吸い込んだその時、鯉郭が声をかけてくる。

 

「漂さん、あなたは蓮荷様を連れて先に逃げてください」

「なっ、鯉郭、なにを言っているのですか!?」

 

 鯉郭は真剣な目で俺を見ている。

 剽軽な彼も上司である蓮荷のことは立てており、そんな彼が蓮荷を半ば無視するような行動をするのは珍しかった。

 

「さっきのが斥候であることは間違いない。だとするとすぐにでも敵の本隊がここめがけて襲ってくるでしょう。つまり誰かが足止めにここにとどまる必要があるっす」

 

 俺や蓮荷が口を挟む間もなく鯉郭は離し続ける。

 周りの兵たちも鯉郭の声は聞こえているのだろうが沈黙を貫いていた。

 

「足止めが少なすぎてすぐに突破されては意味がない。ある程度の数……貴方たち二人以外がここに留まって敵を引き付けるっす」

「な、何故ですかッ!? それならば私もここにいます!! 私の剣の腕は貴方も知っているでしょう!」

「ええ、勿論ですよ。お嬢様」

「こんな時まで茶化さないでください!」

「しかし、いくら蓮荷様でも百人の兵を斬ることはできないでしょう」

「そ、それは……! 確かに出来ないですけど……でもっ」

「それでは意味がないのです。追ってくる兵を全員殺すよりも先に我々が全滅するに決まってるっす」

 

 鯉郭のことばにぐぬぬってる蓮荷を横目に俺も口を開く。

 

「さっきの戦闘じゃないが全員を殺す必要はないだろう。敵を撹乱し隙を見て離脱、時間を稼いで敵を撒けばいい」

「あなたはそれがどれだけ難しいかわかっているでしょう。そうするにしたって逃げるべき人間、つまりあなたたち二人は逃げるべきっす。でなければ何のために俺たちが戦うのか分からなくなってしまう」

「……俺はそもそも時間稼ぎの囮としてここにいる。先に逃げてしまっては意味がないだろう」

「いえ、今の時点でかなり時間は稼げています。壁殿も徐伴さんももう離脱しているはずですし、これ以上貴方が囮となる意味は薄いでしょう」

 

 どうしても俺を逃がそうとする鯉郭の言葉に首をかしげてしまう。

 

「蓮荷は分かるがなぜ俺も逃げるべき人間に入っているんだ? 言ったはずだが俺はただの影だ。自慢じゃないが俺だって剣をそれなりに使う自信はあるし、何より敵は俺を大王だと思って追ってくる。どう考えても俺が足止めに残るべきだろう」

 

 この言葉は本心だった。

 実は先程も俺をおいて逃げろと言うつもりだったのだ。敵は俺を大王だと思っている以上俺を確保できればーー勿論簡単に捕まるつもりもなかったがーー蓮荷たちは見逃される可能性が高い。

 それに俺はただの下僕だ。蓮荷は当然のように貴士族で親大王派の勢力拡大のために重要な駒だし、そんな彼女の供回りである鯉郭も卑しい身分の出ではないはずだ。彼は昌文君の私兵の中でも最年少の一人でこれは若くして優秀であることの証左だ。そんな彼だからこそ徐伴は蓮荷の護衛として選んだのだろう。つまり鯉郭は言動の軽さに反して実はエリート中のエリートなのだ。

 大王本人ならまだしもそんな将来有望なエリート様が命をはってまでただの影武者である俺を助ける必要はないはずだ。厳密にいえば俺は彼らの上官ですらないのだ。

 

「ははは、漂さん。あなたを買っているのは蓮荷様だけではないんすよ。こんな短い付き合いでもわかる。あなたはここで命を散らしていい人間じゃない。それは俺たちの総意っす」

 

 後ろの兵たちも同意するように頷く。

 

「それを言うならお前もだろう。他にもこの隊には精鋭が集っている。みんなここで死ぬべき人材じゃない」

 

 俺が食い下がると鯉郭はしかたないな、とでも言いたげに息を吐いた。

 

「……なら、もう一つの理由も言いましょう。俺にも矜持ってものがあるんで言いたくはなかったんすけど」

「もう一つの理由?」

「ええ、そうっす。まぁ直截的に言うとお嬢様を守ってほしいんですよ」

「蓮荷を?」

「はい。俺たちは蓮荷様の部下であり、彼女を生きて返す義務があります。しかし、正直言って蓮荷様を連れて守り切れる可能性が最も高いのは俺たちではなく漂さんっす。指揮官殿に命令できるはずもないのでこれはお願いっす。蓮荷様を合流地点まで生かして連れて行ってはくれませんか」

 

 鯉郭はどこまでも真剣な顔であり、当たり前だが冗談のようには聞えなかった。

 確かに蓮荷の生存率を考えれば、隊の大部分を足止めとして残し、護衛に腕の立つ人間を置くのが一番だろう。

 俺は少し考えてから口を開く。

 

「分かった。その頼み、引き受けよう」

「! ありがとうございま……」

「だが! 一つ条件がある」

 

 鯉郭の言葉を遮るように言う。

 

「条件ですか?」

「ああ、俺が約束を果たしたかどうか、お前自身の目で確認しろ。それが条件だ」

「俺、自身の目で……」

「そうだ。それを約束するというのなら俺はこの身に代えてでも蓮荷を守ろう」

 

 意味は分かるな、と目で問いかけると鯉郭はふっと笑った。

 

「くくっ、あなたには敵いませんね。分かりました。約束するっす。ですから蓮荷様を頼みました」

 

 俺は鯉郭の言葉に頷いてから鯉郭の後ろの兵たちに顔を向ける。

 

「お前たちもだ! お前たちの大事なお嬢様の元気な姿が見たいなら合流地点まで生きてたどり着け!」

 

 俺の言葉に兵たちはお互いの顔を見合わせて、笑い始めた。

 

「はは、そりゃ生き延びる理由が増えちまったな」

「ああ、まったくだ。お嬢様をからかうのが俺の唯一の楽しみなんだ」

「漂様はなかなか俺たちのやる気の出させ方を心得ておられる。お嬢様を引き合いに出されちゃあ奮わずにはおられんぜ」

 

 ガヤガヤと騒ぎ始めた兵たちに蓮荷は顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

「あ、あなたたち!! よくも好き勝手言ってくれますね。お嬢様とは呼ぶなとあれほど……。合流地点にて覚悟しておいてください!! 漂様、あなたもです!」

 

 兵たちの言い様にケラケラと笑っていると蓮荷がぐるりと首を回して俺を睨んできた。

 あまりの迫力に一瞬周囲が静まり返ったが、視線の彷徨わせた先の鯉郭と目が合い、無性におかしくなって二人合わせてまたも吹き出してしまった。

 つられて笑う兵、またもぷりぷりと怒り出す蓮荷。

 

 敵兵から逃げている部隊とは思えない程和やかな雰囲気が漂う。

 ようやく笑いが収まったらしい鯉郭がパンッと手を打った。

 

「はーっ、久しぶりにこんなに笑ったっす。こんなにゲラゲラ笑ったんだ、やっこさんらもこの場所に感づいててもおかしくねぇ。後でお嬢様のお仕置き受けなきゃいけねぇしそろそろ気合入れるぞ」

「「「「「応ッ!」」」」」

 

 流石精鋭部隊、先ほどまで馬鹿笑いしていたとは思えないほどすぐさま顔つきを引き締めて隊列を組んでゆく。

 

「ってことでそろそろ蓮荷様と漂さんも移動を始めてください。近づかれるのはいいけど流石に囲まれるとまずいっす」

「鯉郭、必ず生きて会いましょう。それから兵たちを頼みましたよ」

「ええ。勿論っすよ、お嬢様」

 

 蓮荷と言葉を交わした鯉郭が俺のほうを向きなおる。

 

「じゃぁ漂さん、蓮荷様のことよろしくお願いします」

「ああ、任された。殿(しんがり)を頼む……後で会おう」

「ハッ、ご命令しかと承りました」

 

 鯉郭は兵たちの前に戻っていった。

 俺は彼に感謝と敬意を込めて敬礼をする。気配で傍らの蓮荷も同じようにしているのが分かる。

 兵たちも鯉郭の合図に合わせて一糸乱れず敬礼を返してくれた。

 

 その様子に軽く頷いてから馬を動かし彼らに背を向ける。

 

 彼らが全員生きて戻ってくることはまずないだろう。自分たちの数十倍の敵を相手にするのだ。もしかしたら全滅することだって十分あり得る。

 そして俺が彼らの献身に答えるすべは生き残り蓮荷を合流地点まで連れていくこと。

 

 改めて気合を入れ直し、俺は蓮荷と共に馬を走らせた。

 

 

 

 

 

 

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