俺たちが森の中を馬を走らせていると蓮荷が声をかけてくる。
「鯉郭たちは大丈夫でしょうか」
「……正直分からん。だけどもう俺たちはアイツたちを信用して走るしかない」
「そう、ですね」
やはり蓮荷は残してきた鯉郭たちが心配なようだった。
勿論俺もそうだった。
無理を言って俺が勝手に飛び出そうとしたのにも関わらず俺に付き合ってくれた兵たち。今でもあの行動が間違っていたとは思わないが、それでも鯉郭たちを盾にするようして逃げ出してよいものかと馬を走らせながら悩んでいる。
それでも一度動き出した以上は頭ではなく身体を動かさないといけない。これで蓮荷を死なせてしまってはいよいよ立つ瀬がなくなってしまう。
横から迫る影に気付けたのはそう、気合を入れ直していたからだろうか。それが目に入った瞬間、反射的に腰の剣を引き抜く。ーーとほぼ同時に衝撃。
「くっ!」
「……ほぅ」
「漂様!!」
剣を握る手に力を込めながら、突如襲いかかってきた相手を確認する。
そいつは全身を朱い服に包んだ不気味な男だった。
いくら俺たちが騎乗しているとはいえこんな近くまで気配を悟らせないなど尋常な手合いではない。剣を押し込もうとするが力で押し切れない。馬上にあって俺のほうが有利なはずなのにどころかこちらが押し込まれないようにするのが精いっぱいだ。
剣越しに伝わる凄まじい膂力であった。
馬の足を止められたままの鍔迫り合いとなって、お互いの動きが止まったその時、襲撃者の横合いから馬を回り込ませた蓮荷が襲う。
「漂様から離れろォ!」
蓮荷が振るった剣は朱い男が軽く身を捩らせることで空を切った。それと共に剣が外れたので今度は俺が斬りつけるが、男はぐっと上半身を屈ませて攻撃を躱した。
男はそのまま後ろに跳ぶと木の陰に隠れて姿が見えなくなる。そんなに深い森という訳でもないのに。
「漂様、無事ですか!?」
「ああ、問題ない。しかし、あいつは何者なんだ」
「……恐らく朱凶と呼ばれる者かと」
「朱凶?」
その響きに何か剣呑なものを覚える。
「そうです。朱い装いをした暗殺集団の名です。あの容貌に立ち居振る舞い、まず間違いないと思います。それにしても、まさか悪名高き朱凶までもが追手として差し向けられるとは……」
暗殺者と言うことか。
恐らく王弟勢力に雇われているのだろう。一瞬とはいえ剣を合わせて分かったが、あの男、強い。
「漂様、どこに潜んでいるかわかりません。気を抜かないで下さい」
その言葉に考え事を中断して、辺りを見渡す。
確かに蓮荷のいう通りだ。朱凶がどこにいるか分からない以上警戒しなければすぐにでも襲い掛かってくるだろう。
ふぅ、と息を吐きどこから襲い掛かられても対応できるように警戒する。
その瞬間、後ろから気配を感じる。バッと振り返ると同時に直感を信じて殆ど当てずっぽうで剣を振るう。果たして剣は再び打ち合わされた。
なんとか反応出来たがあと数瞬でも遅れていたら背中からばっさり行かれていただろう。
すぐに蓮荷が俺の救援に駆けつけようとしてくれた次の瞬間、蓮荷の体が馬から弾きだされたのが見えた。
「え?」
蓮荷を森の影から出てきた、目以外顔が見えないように布で顔を隠している赤い服の影に襲われたのだ。俺に襲い掛かってきている敵よりも小柄だ。
そう、敵は二人いたのだ。
思わず動きが止まった瞬間をついて後ろの敵が剣が突き出してくる。
風切り音を耳元で聞きながら、顔をそむけて何とか避ける。こうしている間にももう一人の小柄な敵が蓮荷に近づいていく。
早く助けに行かなくてはいけないのに目の前の男の剣がそうさせてはくれない。
「お前たちも二人いるのだ。卑怯とは言うまいな」
「くっ」
目の前の男が目元を歪ませてそんなことを宣う。自分の優位を確信したような口ぶりだ。
確かにすぐに蓮荷のもとに駆けよろうにも男の剣は無視できない。身をよじっている上、片手は手綱を掴んでいないといけないので体勢的にもかなり不利だ。
幾度か剣を合わせるが、体勢の悪さもあって決めきれない。
そうしている間にももう一人の敵が落馬した蓮荷に迫っていた。
早く蓮荷のもとに向かわねばと焦りが募ってきたその時、俺が乗っていた馬が突然男に向かって後ろ脚を蹴りだした。朱凶は直撃は避けたものの大きく体勢を崩した。
「よくやった!」
たまたまかもしれないが助けてくれた馬に感謝しながら、朱凶の隙をついて蓮荷のもとに馬を走らせる。
蓮荷に剣を向けながら近づいていた新手に向かって馬を突進させると、新手はパッと飛びのき、蓮荷の近くまで辿り着く。
「大丈夫か!?」
「申し訳ありません。その、腕が……」
蓮荷の言葉の通り彼女は右腕をかばっていた。
攻撃は剣で受けていたので恐らく落馬の衝撃で腕を痛めてしまったのだろう。命の危機という訳ではないがしばらく両手で剣を振れないだろう。
「蓮荷、俺の馬に乗れるか? そのままこの場から逃げるしかない」
「は、しかし……」
「いいから、早く」
俺が腕の差し伸ばすと、蓮荷は無事な左腕で俺の手をつかんできたので引っ張りあげる。
蓮荷が痛みに顔をしかめるが何とか俺の前に座らせることができた。と同時に白刃が迫る。新手の敵がすぐに追いついてきたのだ。
なんとか剣をぶつけて剣を弾く。
次の攻撃が来る前に動き出そうとするが、加速がつくまでに二人の朱凶に追いつかれるだろう。
「このまま出して下さい!」
どうしようかと悩んでいると、蓮荷が声を上げるたのでどうするのだろうかという疑問はあったが彼女を信用して馬の腹を蹴る。
彼女は片手で剣を持ち、傍らにいた先ほどまで蓮荷が乗っていた馬の尻を剣の腹で叩く。すると馬は嘶きをあげて、朱凶たちに突っ込んでいった。
これで距離を開けられるはずだ。
「ありがとう、蓮荷」
「いえ、大した事はできず申し訳ないです」
「いや、そんなことはないさ。本当に助かった。とりあえず今はしっかり手綱をしっかり握っておいてくれよ」
「はい!」
俺は朱凶たちに向かって猛然と駆けだした空馬の行く先も見ずに馬を走らせた。
二人を乗せて走らせているので馬にはかなり無理させているがなんとか俺の故郷、城戸村の近くまで辿り着いた。
途中から薪拾いなどのために何度も入って慣れた森の浅い所に入ったので、今まで以上に早く抜けたことも大きいのかまだ朱凶たちに追いつかれてはいなかった。
とはいえ追ってきているのはまず間違いないので森を抜けるとさらに馬を急がせる。
何事かと見てくる村人を無視して里典の家まで辿り着く。
騎馬を見た村人が伝えでもしたのか、俺が家に着いたのとほど同時にどたどたと里典が家から出てきた。馬を降りた俺を見て驚いている里典を半ば無視して声をかける。
「ひ、漂!?」
「里典、信はどこにいますか!?」
「あ、あぁ。あいつなら納屋にいるはずだが……」
丁度、物音を聞きつけたのか里典の言葉通り納屋から信が出てきた。
信は俺の姿を認めると目を大きく見開いた。
「漂! なんでこんなとこに!」
「信か! お前に頼みがあるんだ」
「頼み?」
「ああ、そうだ。お前にしか頼めないことなんだ」
急な俺の言葉に信は少し戸惑ったが、すぐに覚悟を決めた顔になった。
決断が恐ろしく早い。こんな所から戦場向きな男だ。
「分かった。漂の頼みだ。俺にできることなら何でもやってやる」
「……ありがとう」
「へっ、改まってそんな事いうんじゃねぇよ。で、その頼みってのは何なんだよ」
照れたのか、ぶっきらぼうにそう聞いてくれる信に苦笑しながら、服の襟に縫い付けていた地図の書かれた布切れを取り出して信に渡す。
「地図!?」
「そうだ、ここに書かれた黒卑村という所に今すぐ向かって欲しい。ここから太橋を渡ってそこから川沿いをひたすら西に向かって行けば辿り着く」
「あ? そこに何があるってんだよ」
「それは今は言えない。今は何も聞かずに行ってくれないか」
「……分かった。行けばいいんだろ。漂からの頼み事は珍しいしよ」
こんなあやふやな理由にもかかわらず即断してくれる友の姿に嬉しくなる。
じっと地図を見つけていた信が何かを思いついたように俺に向きなおる。
「漂は一緒に来るのか?」
「いや、そのつもりだったんだが俺はやることがあるから信は先に行っておいてくれ」
「やること? まぁいいか。じゃ、俺は行ってくるからさっさと追いついて来いよ」
「おう、分かった」
信はそういうと、納屋に立てかけていた木剣を引っ掴むと走り出そうとする。
その姿を見て俺は慌てて信を止める。流石に木剣だけで行かせるわけにはいかない。
「おい、信これを持っていけ」
「え、いいのか?」
俺は腰の剣を鞘ごと外して信に渡す。
正直、得物を渡すのは躊躇したが背に腹は代えられない。俺が剣を差し出すと明らかに目をキラキラさせながら信が剣を受け取る。
ずっと木剣を振ってきた分真剣を持つのは感慨深いのだろう。俺にもその気持ちはよくわかる。ましてや王が使う一級品だ。
「それから村の裏から出ていったほうがいい」
「はぁ? まぁ何も聞かねぇっつったから従うけど後で理由聞くからな!」
「分かってるよ。後で全部話す」
信はそういうと少し屈伸した後凄まじいスピードで駆けて行った。
あいつが言ってくれたなら安心できる。ほっと息をついていると置いてけぼりだった里典が声をかけてくる。
「漂、この方は……」
里典が心配そうに見ているのは馬の上でぐったりしている蓮荷だ。彼女は腕を負傷した状態で馬に揺られ続けたので蒼白な顔をしている。
蓮荷は戦装束ではあるが、明らかにそこらの庶民では手の届かない服装をしているので里典は彼女が貴人であることがすぐ分かったのだろう。そのために扱いにも困っているらしい。
「里典、すみませんが彼女を家の中で休ませてあげてくれませんか?」
「う、うむ。勿論それは構わないが」
「怪我をしているので手当ができるのならそれも」
「し、しかしお前も知っているだろうがこの家には大したものはないぞ」
「分かっています、あて木をしてから布で固定してもらえればそれで十分です」
俺が里典にそう言い、彼に手伝ってもらいながら蓮荷を馬から下ろそうとする。すると蓮荷が呻くように声を発する。
「漂様、そこまでしていただくわけには……」
「いいから、じっとしていろ」
自分なんか比較にもならないほど身分の高い貴人である蓮荷が俺を様をつけて呼んだことに里典がぎょっとするのが分かった。
感覚が麻痺していたけどやっぱり蓮荷が様付けで呼ぶのおかしいよな、影武者していた時ならまだわかるがもう周りに兵たちはいないわけだし。
「で、ですが……」
「お前は怪我をして弱っているし俺に任せて今はゆっくり休んでおけ」
「……分かりました。このままでは、足手まといになってしまいますしね。でしたらこれを使ってください」
そう言って蓮荷は左手で自身の剣を鞘ごと渡してくれる。
ありがたい。信に自分の剣を渡してしまっていたので正直どうしようかと思っていたのだ。
「ありがとう、蓮荷」
「いえ、ご武運を」
「ご、ご武運?」
礼を言って剣を受け取り、剣を腰に差す。
貴人に様付けされていた俺に妙に遜った態度を取っていた里典だったが、物騒な言葉の響きにそんなことは忘れてご武運とはどういうことだ、騒ぎ始めた。そんななかでもしっかりと蓮荷に肩を貸して家に運んでいるのは流石というかなんというか。
すぐに分かりますから家の中にいてください、と適当に濁しながら蓮荷を家に運び込み、外に出る。
外に出るとここまで俺たちを運んでくれた馬が嘶いていた。
馬は喘ぐように息を荒く吐いており、足も若干震えている。ここまで俺を乗せたまま戦場をかけ、朱凶から俺を助け、最後は蓮荷と俺の二人を乗せて走ってきたので疲れ切ってしまっている。もうしばらくは走れないだろう。だから信には馬を貸せなかったのだ。
元々は王騎軍兵の馬だったが、そんなことは気にならないくらい愛着が湧いている。
いたわる様に撫でてやってから、里典の庭に馬止めとして打ってある杭に手綱を繋ぎ桶に水をいれて飲めるように目の前においてやる。
そんなことをしていると後ろからかすかに足音がした。
もう追いついて来ていたらしい。
「……もしかして待たしてしまったか?」
「ふっ、気付いていながら俺に背を向けているとは愚かなのか、剛毅なのか」
「さてな。それは今に分かるさ」
そう言って振り返るとそこにいたのは赤い服に身を包んだ不気味な男。
ーー朱凶だ。
腰に佩いた蓮荷の剣の柄をしっかりと握りしめる。
大王の元には信を向かわせることができたのでひとまずは安心だ。これで心置きなく戦うことができる。
さあ、始めようか。