朱凶との戦いから数日、俺たちはしばらく里典の家で療養し動きに支障がなくなってから村を出た。
蓮荷と二人、馬を引きながら合流地を目指して歩き続けて約一日。
「漂様、見つけました!」
「お、あったか」
森を歩いていると道端に目をやった蓮荷が声を上げた。
俺たちの目的地であった合流地が近くにあることを示す目印を見つけてくれたのだ。
「この獣道を通ってゆけばもう合流地のようです」
「分かった、じゃあ行こうか」
「はい!」
俺は背中に差した剣の感触を確かめて獣道に入る。この剣は朱凶が持っていた剣を拝借したものだ。信に剣をやり、蓮荷に剣を返したので無手になるところだったので都合よくちょうど良い剣があって助かった。
今の俺には少し長いが十分に使えるだろう。……まだまだ剣を使う機会があるだろうしな。
「そろそろ道が終わるみたいです」
考え事をしていると蓮荷の声が聞こえ、つられて顔を上げると確かに木がまばらになっていて人の気配がしてきたことに気づく。
そのまま歩を進めると視界が開けるーー。
その開けた土地にはぽつんと建つ庵があった。
こんな辺鄙な場所にこんな建物があるのは奇妙に思えるがこれが建てられたのにも理由があるらしい。ここは西に広がる山々と秦の都である咸陽との丁度中間にある場所であり、遥か昔、秦と山に住む山岳民族通称『山の民』との間に交流があった時に友好のあかしとして建てられたものらしい。
さて、そんな歴史ある建物であるがそれを見ようとすると嫌でも目に入ってくるものがある。それは庵の周りに屯する大勢の人、人、人だ。
俺たちが来た所に近くには鎧を着た兵士たち、つまり昌文君の私兵たちが多くいた。そしてその奥に見慣れない人たちの姿も。
「蓮荷、あれはーー」
「漂さん! 蓮荷様!」
蓮荷に彼らのことを聴こうと思ったその時、俺たちの姿をみてざわめきが起きていた兵たちの中から俺たちに呼びかける声がした。
兵たちをかき分けて出てきたのは嬉しい人物だった。
「「鯉郭!」」
そう、その声の主は追撃を受けている際に二手に分かれた鯉郭だった。
「無事だったのか、鯉郭!」
「本当です、安心しました!」
「はは、そりゃこっちの台詞っすよ。俺たちより早くついてるはずなのに中々来ないからみんな心配していたんすよ」
そう言って笑いかけてくる鯉郭を見てほっと息を吐く。
もしかしたらもう会えないかもしれないと思っていたので元気な姿を見て安心した。隣の蓮荷も同じ気持ちだろう。いや、付き合いは俺より長いはずだから俺よりも心配していたはずだ。
「ああ、まぁ色々あったんだよ。お前もよくここにたどり着いたな」
「はは、こっちも色々あったんすよ。何はともあれ約束は守って頂けたみたいっすね」
鯉郭が蓮荷を見て言った。
「ああ、お互いにな」
そういって鯉郭と笑い合って拳をぶつけ合う。
そんなことをしていると頬を緩ませていた蓮荷がハッとして鯉郭に問いかける。
「鯉郭。大王はもうここにおられるのですか」
「ええ、なんなら大王は俺たちより先にここにたどり着いていたようっすよ。漂さんの言っていた下僕の少年も一緒です」
それを聞いて安心した。信のことだから大丈夫だろうとは思っていたが万が一ということもあり得るからな。
「よかったです……。鯉郭、大王がおられるところまで案内してもらってもいいですか?」
「ええ、勿論っす。そこに他の方々も集まっているはずですし」
というと昌文君や壁のことだろうか。にしては少し違和感のある言い方だが。
疑問はそのままに鯉郭は身を翻して歩き出したので、それについていく。
歩いているとやはり目をつくのが、明らかに昌文君の私兵とは異なる人々。
彼らは上半身は裸で腰には動物の皮で作ったらしい腰蓑をし、そして武装している。そして何より目を引くのが全員がつけている奇妙な面だ。数は昌文君の私兵よりも多い。優に千は超えているだろう。
恰好や漏れ聞こえる言語からしてまず間違いなく秦人ではない。雰囲気からして敵ではないようではあるが。
「蓮荷、あの者たち何者だと思う?」
「分かりませんが、可能性が高いのは『山の民』、ではないでしょうか」
「やっぱり蓮荷もそう思うか」
蓮荷に小声でそう問いかけると、俺の予想と同じ答えが返ってきた。
というかこの場所が昔、秦と山の民の交流の場所だったということもありそれくらいしか思いつかない。
「お二人さん正解っす。彼らは正真正銘山の民っすよ」
ふたりでコソコソ話していると鯉郭が俺たちに振り返った。
どうやら声が聞こえていたらしい。初めから鯉郭に聞けばよかったな。
「何故ここに山の民がいるのですか?」
「それは大王が山の民と盟を結んだからっすよ」
「盟、ですか……?」
「驚くのも分かるっす。俺も大王が山の民と共に現れたときは驚いたっすから」
……そういうことか。
あの王様はやる気らしいな。
「ま、詳しい話は本人から聞いてください。この中にいらっしゃるので」
そんな話をしていると鯉郭が立ち止まったのは庵の中にある一つの扉の前。
この中に信たちはいるらしい。鯉郭が扉の前に立ち入室の許可を取るべく声を上げると中から入れ、という声が聞こえた。鯉郭は扉の隣にたって中に入るように促してくる。
入らないのかと聞くと恐れ多いので遠慮しておくというどこまで本気かわからない返事が返ってきた。どちらにせよ本当に入る気はないようだったので俺が扉を開ける。
部屋には真ん中に大きな机が置いてあり、それを囲むように四人の人物が座っていた。
まずは上座に座る大王。そして昌文君に壁。パッと見ただけだが彼らに大きなけがなどは見えなかった。昌文君はずっと安否がわからなかったが壁がうまくやったようだ。
そして席についている最後の人物。
目の覚めるような美女。第一印象がそれだった。深窓の令嬢のような儚さを伴う美しさではない動的で野性的な美しさだった。
あまりに想像していなかった人物に一瞬思考が止まる。彼女を見ていると力強い意志のこもった瞳とぶつかった。それだけでこの人物が傑物であることが分かる。
後ろから蓮荷の咳払いが聞こえて我に返る。
驚きすぎて不躾な視線を送りすぎた。それを察して注意をしてくれた蓮荷、ナイスだ。
少し冷静になって部屋を見渡すと、部屋の隅っこで地べたに座っている信を見つけた。呆けたように俺を見つめている信の横には上裸で筋肉ムキムキの二人の山の民と、藁のようなもので作られた鳥らしき着ぐるみが座っていた。
ーーこいつ、変な奴らに囲まれてんなぁ……。
謎の美女の衝撃が薄れるほど珍妙な状況にある友の姿に思わず苦笑してしまう。どうなったらこんな状況になるのだろう。
色々と突っ込みどころが多すぎるがまずは……。
蓮荷と共に大王の前まで行き、跪く。
「漂及び蓮荷、少し遅れましたが只今到着しました」
「ああ、ご苦労だった」
「ご無事なようで安心しました」
「お前たちもな」
跪いたまま顔を上げると大王と目があったのでニヤリと笑う。
「信はどうでしたか? 中々役に立ったでしょう?」
ちらりと見た信の姿はボロボロで傷も多かったので幾度か戦いになったのだろう。そして二人がここにいることは信がそれに打ち勝ったことの証左だ。
俺がそう聞くと大王は口元をすこし釣り上げてフ、と笑った。
「確かにバカだが腕は悪くなかった。バカだが」
「おい、政! なんでバカって二回も言いやがったッ!!」
大王の言葉に信が勢いよく食ってかかる。
相変わらずうるさい。というか政って大王のことか? バカだバカだと思っていたがここまでだったとは。一国の主を呼び捨てにする親友の姿にあきれるやら感心するやら。
だが俺よりもそれに反応したものがいた。俺の横にいた蓮荷だ。
「な、なんという口の利き方をしているのですか!? この方は秦国大王ですよ? 口をきくだけでも恐れ多いのに、よ、呼び捨てにするなんて!!」
「な、なんだよ。みんなして文句言いやがって。政がいいって言ったんだよッ」
「な、本当ですか?」
「ああ、そいつの無礼は許してある」
そりゃ蓮荷も騒ぐわな、とぼーっとしながら騒ぎを聞いているといきなり俺にも飛び火してきた。
「そういや漂も政には敬語で話すんだな」
「はぁ? 当たり前だろ。王様に砕けた口調で話せるかよ。普通なら処刑されるぞ」
「大丈夫だって、政はそんなことしねぇから。お前も政と普通に話せよ」
流石にそんなことできるかと思っていると思わぬ人物が声を発した。
「たしかにこいつがよくて漂が駄目というのもおかしな話ではあるな」
「大王!?」
「ほら、政もそう言ってんだからさ!!」
大王がそんなこと言っていいのかよ。それこそ信に許している時点でという話ではあるが。
とはいえ、この提案は周りからの目を気にしなければ俺個人としては嫌なものではない。俺は日本で生きていたこともあって正直身分の差というものにあまり関心がない。そんな身からすると目の前の王は大変な目にあってなお強くあり続けるただの
「本当によろしいのですか?」
「ああ、二言はない」
一応確認したが構わないらしい。
なら遠慮する必要もないな。ひょ、漂様? とどこか泣きそうになっている蓮荷を横目に立ち上がって大王と、いや、政と向き直る。
「じゃあ、改めてよろしくな、政」
「ああ、こちらこそ頼む。漂」
二人で目を合わせて笑い合う。
そんな俺たちの様子を見て信が嬉しそうに笑っている。
「して漂よ、ここに来るまで何があった。鯉郭から一応報告は受けているが鯉郭と別れた後の話を聞かせい」
政の横に座る昌文君がそう言ってくる。
確かにその報告がまだだった。頭の中を整理しながら話し出す。
足りない部分を蓮荷が補ってくれながらの報告が終わった。
「朱凶、か……」
「ああ、それは間違いない。この剣も朱凶の物だったから裏付けも取ろうと思えばとれるんじゃないかな」
「ああ、疑うわけではないが後で確かめさせよう。にしてもそっちにも暗殺者を向かわせるとは相手も本気のようじゃな」
「そっちにも?」
昌文君の言葉に疑問を覚えた俺は今度は政たちの話を聞くことになった。
話によると、政たちにも刺客が差し向けられそれを信が撃退したのだという。そしてここで昌文君たちと合流した後に、政は山の民のもとに赴き山の民と盟を結んだのだとか。
「そしてそこにいるのが、その山の民の王であり俺と同盟を結んだ
彼女は山の王だったらしい。
その事実に驚きはなかった。恰好と常人離れした雰囲気からして山の民の指導者のような立場にあるのではと予想していたのでむしろ納得だ。にしても本当に山の民と本当に同盟を結んだとは、かつて親交があったとはいえそれは400年も昔の話で以降はむしろ確執が深まったということなのに。
この同盟がなったのは二人の王が卓越していたからに他ならないだろう。
俺は楊端和のもとに行き拱手する。
「漂といいます。山の王にお会いできて光栄です」
「……ああ、私も兵たちからお前の話を聞いて会ってみたかった」
「あなたのような英傑にそう言ってもらえるとは、恐縮です」
楊端和は俺の顔をじっと見つけてくる。
美人に見つめられるとなんだか圧迫感があるな。
「な、なんですか?」
「いや、本当に秦王に似ていると思ってな」
「正直にそんなに実感はないんですが、やっぱり似ていますかね」
「似てるに決まってんだろ! 俺も初めて政見たとき漂が二人いるかと思ったくらいだぜ!」
急に信が割り込んできた。
本当に恐れ知らずだな、こいつ。
「ま、ただの他人の空似ですよ」
「それもそうか。秦王よ、こやつらがお前の
「……そういうことになるな」
楊端和が政に向かってそんなことを言っていた。政が何かもの言いたげな顔したのはおいておくとして、気になる言葉が出てきた。
「路?」
「あ、そっか漂は知らないんだった。政、漂にも教えてやれよ、お前のでっけぇ夢をよ!!」
「お前にいわれる筋合いはないが、確かに漂にも言っておこう」
政は信にそう促されると静かに息を吸い込んだ。
何か劇的な動きをしたわけでもないのに一瞬で場の空気が張りつめる。俺も威儀を正して政に顔を向ける。
「俺は中華を統一する最初の王になる」
政は目に力を滾らせながら静かにそういった。
思わず鳥肌が立つ。
今の時代の人間ならば夢物語にしか思えないそれ。しかし、俺はそれを不可能だとは思わなかった……というよりそれが出来ることを知っていた。
始皇帝。
歴史で習ったその人物の名が俺の脳裏に過る。
本名なんかは知らなかったが彼の人物がもとは秦の国王であることくらいは知っていた。
ーーもしや目の前の政があの始皇帝なのではないか。
そう思った瞬間俺は歓喜を抑えられなかった。
その偉業の一端を担うのが自分になるかもしれないのだから。その王の大将軍ならばまず間違いなく俺の名が語り継がれるのだから。
俺は強くこぶしを握り締め、政に対して改めて跪いたーー。