リバーサル・ワールド 作:朱花
「サロメ! ⋯⋯うぉぉぉ! 炎獄よ!」
「⋯⋯!」
ニコラが手袋を脱ぎ捨てて、その手を向けながら叫ぶ。 数瞬遅れてサロメとガイザの間に炎の壁が発生した。 そして⋯⋯そのままサロメの元へと駆け寄っていく。
「大丈夫か?」
「⋯⋯損傷過多。 避けきれずに翼を損傷致しました」
どうやら炎の壁が少し間に合わなかったようで、彼女の機構の翼は真っ二つに斬られていた。
そして彼女が飛べないという絶望的な事実。 つまり、彼らはこの場からの脱出方法を失ってしまったのだ。 依然燃え盛る炎の壁によって追撃からは守られているが、果たしてそれもいつまで持つか。
「⋯⋯どうしましょうか」
「⋯⋯どうした? 不安なのか?」
「⋯⋯是。 やはり死ぬのは怖いです」
「へへっ。 人間らしい所を見せてくれるな。 だったら⋯⋯オレも頑張ってやるよ」
そう言ってニコラは立ち上がる。 その表情から多少の怯えの色は伺えたが、それでもガイザに立ち向かうようだ。
「⋯⋯さて。 サロメ。 ひとつ頼まれてくれるか?」
「是。 なんでしょうか?」
「今からオレが言うことをやってほしい。 ――――――――」
彼女はサロメに耳打ちする。 それを聞いてサロメは「是」とだけ言って呟いた。
「⋯⋯さて。 来なよ? 聞こえてるんでしょ?」
振り向きながらニコラは指先から炎の弾を放つ。 何も無い虚空を貫くはずであったそれは、そこにいた男によって弾かれた。
「あっしの気配に気がつくとは⋯⋯お嬢さんもやり手でござんすねぇ」
「⋯⋯何その喋り方。 キモい。 早く消えてくれ?」
「⋯⋯ふふっ。 手厳しいでござんす。 しかし立ち去る訳にはいきやせん」
途端にガイザが動いた。 その狙いは⋯⋯サロメ!
「⋯⋯おいおい。 汚ぇ真似はどうかと思うぜ?」
「⋯⋯何。 敵の弱点を突くという戦いの基本に従ったまで」
炎の壁に阻まれてサロメを仕留め損ねたガイザはニコラに狙いを変更した。
「⋯⋯来いよ?」
「言われなくても行くでござんす」
ニコラに浴びせられる全力の殺意。 すくみそうになる身体を、彼女は虚勢を張ることで何とかつなぎ止めた。
「⋯⋯ふーん。 そんなもんか。 全然遅せぇな。 サロメはもっと早いぜ?」
「あのお嬢さんには適いやせんぜ」
余裕の表情で攻撃を躱し続けるニコラであるが、内心の余裕はそれほど無い。 これ以上の速度に慣れているから躱せているのであって、決して攻撃が見切れている訳ではないのである。 ガイザもそれに気がついたようで、先程からフェイントを織り交ぜつつの攻撃を繰り出している。
「⋯⋯クソっ!」
苦々しく呟きながら、彼女は剣を躱す。 先程から身体を掠める攻撃が多くなっている事に苛立ちを覚えているようだ。 それでも彼女が攻撃を捌けているのは、一重に彼女の異能『炎獄支配』のおかげであった。
この異能の権能は単純で『炎を操る』。
躱せないと判断した攻撃にはすぐさま炎で牽制を入れることで、何とか捌いているのだ。
しかし⋯⋯そんな彼女の限界も近い。
「⋯⋯そろそろ限界でございやしょう? 楽にしてやりますぜ?」
「⋯⋯ハァハァ。 うるさい、黙ってろ」
気力と体力、そして集中力。 全てが限界に近かった。 もうあと数回の攻防のうちに彼女がトドメを刺されてしまう事は火を見るより明らかであった。
「⋯⋯ふっ!」
「⋯⋯ぐあっ!」
遂にニコラが攻撃を喰らってしまう。 派手に吹き飛ばされ、床に叩きつけられた。 かろうじて炎の壁が間に合いガイザの追撃は防げたが、よろめきながら立ち上がるその姿に覇気はなかった。
「⋯⋯限界でございやすね」
「⋯⋯だから、黙ってろって。 勝手に決めつけるんじゃねえよ」
彼女は大きく前に一歩を踏み出した。 明らかに戦える状態ではないが、その迷いのない一歩はほんの少しだけ、ガイザを退かせることに成功した。
「⋯⋯とりあえず邪魔者は消えろ」
その隙を見逃さずに、ニコラは指先から炎の弾を放ち、入口の辺りに集まっていた男たちを迎撃した。
「お嬢さんも卑怯でございやすねぇ」
「は? お前が先にやったことだろ?」
軽口を叩くガイザを睨みつける。 彼は剣を鞘にしまい、抜刀の構えを整えていた。
「⋯⋯あっしのこの技で倒せなかった相手はおりやせん」
「ふーん。 そうなんだ。 でも、それで本当にオレを倒せるとでも?」
虚勢を張っているニコラであるが、その視線はガイザの一挙一動を油断なく見つめている。
―――それでも、ガイザの攻撃を見ることは叶わなかった。
「終いでござんす」
「⋯⋯!」
目にも留まらぬ速度でいつの間にかニコラの正面に移動してきたガイザの呟きでようやく気がつく。 既に鞘から剣を抜き放ち、その切っ先を自分に突き出しているところであった。
「⋯⋯くそったれ!」
短い罵倒を残して、彼女の立つ場所に雷が落ちる。
耳をつんざく轟音が去ったその場所には何も残っていなかった。
「⋯⋯秘剣《雷迅》。 ⋯⋯お嬢さん、貴方は強かったでござんす」
それを確認したガイザは地面に落ちた三角笠を被り直しながらそう呟く。
「⋯⋯なーに殺してくれてんだ?」
「⋯⋯!」
声が聞こえた。
自分に迫り来る何かを察知したガイザは脊髄反射で剣を抜きながらそれを斬り伏せる。 それは先程から何度も見てきた炎の弾であった。
「⋯⋯お嬢さん。 不死身ですかい?」
「まさか。 そんな訳ないだろ?」
ガイザの問いかけを笑いながら一蹴したニコラ。 方法は分からないが自分の必殺技を凌がれて流石のガイザも驚いている様子だった。
「ただ⋯⋯あんたとはもう戦いたくねえな。 もう帰るわ」
「⋯⋯逃がしやせんぜ」
「だったら試してみろよ?」
「⋯⋯!」
パチンと指を鳴らした彼女の身体が消える。 再び現れたのは地面に座り込んだままのサロメのところであった。
「大丈夫か?」
「是。 問題ありません」
既に機構の翼を畳んで通常形態へと戻ったサロメはさし伸ばされたニコラの手を取る。 困惑するガイザを置いて、二人は再び消えた。
どれだけ待っても、再び彼女らが現れることは無かった。
「⋯⋯逃げられやしたか」
彼はそう呟いて鞘に剣を戻す。 そのまま戦いの途中に見かけた
「⋯⋯姐さん」
彼は『毒蝶』の会長であった女の死体の前で静かに手を合わせる。そして、胸の辺りから何かを取り出して、その栓を抜き死体にかける。
「冥土の土産でござんす」
ガイザがかけたのは、宴で共に飲み明かすはずであった酒。 彼自身も容器に口をつけて、ぐびぐびと酒を飲み干した。
「⋯⋯姐さんのおかげであっしはここまで生きてこれました。 絶対に仇は討つでござんす。 ⋯⋯どうか安らかに」
さらに三角笠を目深に被った彼は、自分の頬から流れ落ちる雫に気が付かない振りをしながら、ライターを取り出し、静かに死体へと火をつけた。
「⋯⋯皆さん。 生きていやすか?」
「⋯⋯ハッ! ガイザ様!」
入口の辺りで気絶していた男たちは次々と目を覚ます。 どうやら死んではいないようだ。 ガイザはその様をニッコリと微笑んで見つめる。
そして言い放った―――
「姐さんが殺されやした。 ⋯⋯おそらくは革命軍の連中に」
「そんな⋯⋯会長が」
彼らの中には涙を流す者もいた。
彼らのボスはそれほどの人物であったのだ。
「⋯⋯あっしは絶対に仇を討つでござんす。 ⋯⋯皆さんは好きにしてくだせえ。 とりあえず⋯⋯『毒蝶』はお終いでござんす」
ガイザはそう言い残して悠然と歩き出す。 ここからは自分の闘いだ。 関係ない者を巻き込む訳にはいかない。
「⋯⋯私はついて行きます」
「⋯⋯俺もだ!」
そんな彼を追う者も全員では無いにしろ多くいた。
「⋯⋯恩に着るでござんす」
彼は三角笠を軽く上げてそう呟いた後、そのまま前へと歩き出した。 その胸に消えることの無い復讐という炎を燃やしながら⋯⋯
―――この日、世界中にて多くの犯罪を起こしてきた組織『毒蝶』は、その会長が討たれたことによって壊滅した。
それと同時に⋯⋯その『毒蝶』の生き残り『雷神のガイザ』が行動を開始したのだった。
革命軍に地獄を見せる復讐鬼として⋯⋯