第1話
───物語は、揺れるバスの中から始まった。
…なんて、1人でモノローグをつけてみる。
中学を無事卒業したオレは日本一という言葉に惹かれ、この高度育成ナントカ高校の受験を受けた。
何かの間違いで合格しないかな、と思いを馳せていると。
本当に何の間違いなのか、合格通知が送られてきてしまい。
今オレは、ナントカ高校へと向かうバスの中でページを捲っているという訳だ。
今日という日が青春の1ページ目になることは間違いないはずだが。
しかしこんな特別な日でも、漫画のような物語は始まらないのが人生というものだ。
本なんか読み始めたばかりに、活字を追う度に視界が揺れて残像が見える。
そろそろ酔ってきそうだ。しかし、一度開いた本を閉じるとどうなるか。
あいつバスの中で本読んで気分悪くなったんだぜ、とは思われないだろうか。
それはダサい。かなりダサい。
片手で英語の原書を開いているかっこよさをマイナスにまで下げるダサムーブ。
しかしこのままでは停車した後、うまく歩けるか…
「席譲ってもらえないかな?そこ優先座席だからお婆さんに座ってもらったほうがいいと思うの。」
そんな葛藤の中、静かだったバスの中で声が上がった。
これ幸いと本から視線を外し、声の主へと注目する。
こちらからは後頭部しか見えないが、どうやら茶髪の少女が金髪の男へと話しかけているようだ。
「おやおや、プリティガール。優先席は優先席であって、何も法的な義務は存在しないのだよ。若いから席を立つなんて…実にナンセンスだ。」
うわあ…
日本人なら、綺麗事を衆人環視の中でNOと言える人間は少ない。
彼女も断られるとは思っていなかっただろう。変人に当たってしまって災難だな。
「立ってくれなくても、少しでも足を閉じてくれたらいいの。お婆さん、つらそうにしてるから…」
「それが私と何の関係があるというのだね。私は席に座っているだけだ。それに、私以外の一般席に座っている者はどうだ?優先席かそうでないかは、些細な問題だと思うのだがね。」
確かに。だがこちらに火種を撒くな。
これで野次馬に興じていた一般席の乗客も無関係ではなくなった。
「すみません。どなたか、席を譲ってくれませんか?」
やっぱりな。例の彼女が、座っている乗客全てに問いかけた。
しかし、なかなか立候補者が出てこない。
傍観者効果という集団心理を知っているだろうか。
周りに大勢の人間がいる時、自分がやらなくても誰か他の人がやってくれるだろうと思い込み、誰も率先して動かない。
かの有名な「誰も消防車を呼んでいない」漫画で取り扱われた心理だ。
「面倒臭ぇな。」
十数秒が過ぎ、1番最初に声を上げたのはオレだった。
ここぞとばかりに、開いていた本をパタンと閉じる。
このセリフ、そしてこのタイミングなら。
本を閉じるという行為があまりにも輝く。
乗るしかない。このビックウェーブに。
「全く面倒臭い。」
オレは文庫を足元に置いていた鞄に仕舞い、席を立つ。
彼女の場所まで、走っているバスの中をバランスを取って進む。
「あ、あの…」
「このままそれを続けられるのはとても面倒だ。とっとと終わらせよう。お婆さん。どうぞオレの席を使ってください。」
困惑している彼女を横目に、オレは老婆に自分の席を指した。
遠くはないが、近くもないという絶妙な位置。
しかしそこまで連れて行くつもりはない。それこそ面倒だ。
「ありがとうねぇ…」
そんな中途半端な親切心に、老婆は律儀にお礼を返した。
オレはそれを無視して、出口の近くの手すりを陣取る。
面倒な上に、今のオレは気分が悪い。…車酔いで。
オレが遠くの空を見て酔いを落ち着けている間に、彼女は老婆の手を取り、席までエスコートしていた。
一仕事終えた彼女が、オレの元までとてとてと歩いてくる。
また何か言われるんだろうか。面倒だと思いつつも顔を向ける。
「えっと、私と同じ新入生の人だよね。席を開けてくれてありがとう。」
…驚いた。偽善の彼女は、かなり可愛い女の子だった。
トラブルを呼び込みそうな性格だが…可愛いは正義という言葉もある。
少しくらいなら会話に付き合ってやるか。
「オレはあんな気まずい空気が続くよりかは、次の駅まで席を立つ苦労の方が楽だと合理的に考えただけだ。お礼を言われる筋合いはない。」
「それでも。あなたのおかげで、お婆さんは楽ができた。だから、ありがとう。」
全く…
頑なにお礼を言ってくる。オレの嫌いなタイプだ。
ここまで可愛くなければ、無視を決め込んでやるというのに。
「…ところで君は、元日に起きたことは一年間繰り返す。と言った迷信を信じるか?」
「えっ?いや、それはやっぱり迷信だと思うな。」
「それはどうして?」
「だって、もし元日に寝坊しちゃったら、その人は一年間ずっと寝坊し続けることになるよね?」
「ごもっとも。」
唐突に振られた突拍子のない会話にも、例を用いてわかりやすく答える。
なるほど、頭の回転もなかなか早そうだ。
天は二物を与えないのがこの世界のルールだったはずだが。
「だけれど。こう考える事はできないか?
それまで遅刻をしていなかった人間が、元日に寝坊をしたとする。
それ以降、朝になると「どうせ一度寝坊したことがある。一回も2回も変わらんだろう」と思い自分に甘えるようになってしまった。
結果、一年を通して圧倒的に寝坊する回数が増えた、と。」
ここまで喋り、一息ついて呼吸を整える。
長々と喋ることになるので、地の文で一度改行を挟んで読みやすくしたいためだ。
「それと同じだ。このままでは、「入学初日から揉め事に居合わせた」と言うケチがついて回る。
最初に一度見ないフリをしてしまえば、オレは三年同じような状況で見ないフリをするだろう。
それよりかは、「入学初日に起きた揉め事を解決した」と言う良い思い出に変えた方が気分が良い。
これはオレの極めて利己的な行動であって、あの老婆や、ましてや君にお礼を言われる筋合いはない。」
オレの話を最後まで聞いて、彼女の顔がポカンとした間抜けな顔になる。
その一瞬後。口元に指を当て、クスッと笑う。
「何のお話かと思ったら、それが言いたかったんだ!君、面白いねっ」
うわあ…
ぶりっ子じゃないですか。こう言う奴は大抵男を手の上で踊らせて楽しんでいるのだ。
どうせ男ってこういうのが好きでしょ?とでも考えているんだろう。
「ごめん、続き読まないとだから。」
オレは先程カバンの中に仕舞った本を取り出す。
車酔いと、このまま会話を続けること。
どちらが嫌かと言われたらどちらも嫌だが、オレは酔ってでも会話を中断することを選んだ。
「英語の本…すごいね、こんなのスラスラ読めるんだ?」
読めない。頭の中で必死に和訳している。が、それを隠しての男だ。
もし読んでみてと言われた時のために、最初のプロローグだけは発音も和訳もバッチリ覚えている。
…なんて答えたやる義理はない。オレは読書してるんだから話しかけるなオーラを放つ。
これでもし今後三年間苦手な人間からの会話は無視することになっても、後悔はない。
というかよく考えたら、静かなバスの中で会話をしているオレたちは結構目立っていたんじゃなかろうか。
オレたちが黙ったことで、バスの中で喋る人間はいなくなった。
それもそうだ。乗客はほとんどが新入生で、会話できる友達もいないのだから。
オレは停車するまで本に目を落とし続け、バスが止まるなり少女から脱兎の如く逃げ出した。
朝から全力疾走を決めたオレは、クラス分けや座席表に従い、自分の席で英文の解読に励んでいた。
「───あ!君はバスの!さっきぶりだね。」
ファッキュー神様。
オレに話しかけてきたのは、何を隠そう先程のバスの少女。
彼女はオレの斜め前の席に座ると、体をこちらに向けてきた。
出来れば気まずさもあるので他のクラスであって欲しかったのだが……
何というか。狙っている女の子を見るとゾワっとするのだ。
「いきなり走って行っちゃうからびっくりしちゃった。」
「ちょっと用事を思い出して。」
クラスメイトとの交友も大事か。
オレは開いていた原書を机の奥に突っ込んで、彼女と目を合わせる。
バスの中で一度見たが改めて見ると奇跡の顔面だな。
「オレは山城真白。隣人同士、これからよろしくね。櫛田さん。」
「よろしく…あれ?私自己紹介したっけ?」
「オレ、エスパーだから。」
「えぇっ!」
「…なんてね。黒板に貼ってある席順のプリントを見て、近くの人は覚えてただけ。」
「もう!何それ〜」
ケラケラと笑いながら、彼女…櫛田は、オレの肩に触れた。
何だその無意味なボディタッチは。狙ってやってんのか。
今日は何だか櫛田の所為で空回りしている気がする。
「全く。巡り合わせだな。」
「どうしたの?」
オレが指を刺すと、櫛田も納得の表情を浮かべた。
そこには、先程バスで一悶着を繰り広げた片割。席を頑なに譲らなかった金髪の男だった。
オレはこれからの学園生活に暗雲が立ち込める事を予感した。