「なぁおい聞いたか?鈴白の姉、すっごい美人らしいぜ」
高校二年生へと進級して数日経った頃、鷺坂圭吾という友人が急にそんなことを言い出した。
「恭介の姉?」
「ほら、前に言ってただろ恭介が。親が再婚して義理の姉が出来たって」
「あー、そんな話あったね」
「しかも、クォーターらしいぜ。もうこれは絶対美人だよな!」
圭吾が興奮気味に語るのは、友人の一人である鈴白恭介の父親の再婚によって出来た血の繋がらない姉の話だった。本人はあまり家族のことを語らない性格のため、圭吾がしつこく聞き出したと思われる情報に僕は相槌を打ちながら、スマホでソシャゲのデイリー消化任務に明け暮れていた。
「そうだね」
「反応薄いなぁ。気にならねぇの?」
「恭介の義姉が美人かどうかなんて僕達には関係ないだろ」
「そうとは限らないだろ」
「どういう意味?」
「仲良くしてたら、美人の姉と急接近できるかもしれない」
友人のお花畑思考に呆れて、僕はスマホに向き直った。
「なんだよー、興味ないのかよー」
「興味持てって言われてもなぁ。別次元の話だし」
「どこ目線だよ」
「死んだら漫画やゲームの世界に生まれ変わりたい」
現実に期待しているわけでもなくそう告げると、圭吾は微妙な顔をする。
「現実と向き合え」
「君もだよ」
そっくりそのまま返しておく。
「まぁ、その話は置いておこう。恭介のお姉さんの話だ」
「まだ続けんの?」
「おうよ。そんなわけでオレはあることを思いついた」
「何?」
「今日、恭介の家に泊まりに行けばいいと」
「そう。頑張れ」
「おまえも来いよ」
「行かないよ僕は」
今日は金曜日、深夜には毎週見ているアニメが放映される。そのリアタイを逃すのは万死に値する。
「それは仕方ねぇか。よし、オレだけでも見てくるぜ。恭介–––」
ノリが悪い僕を置いて圭吾は恭介のところに走って行く。その姿を横目に見ながら、僕は机に突っ伏してイヤホンで音楽の鑑賞を始める。曲は最近流行りのJ-POPではなく、今季のアニソンだ。
「柊」
圭吾が僕を呼んでいる。目を開けると後ろには恭介までいた。
「おい、柊!」
「何か用?」
「行くぞ、恭介の家に!」
「行かないって言っただろ」
恭介の家に行ったことはない。恭介自身があまり他人を家に招きたがらないからだ。そもそもこの話は無謀であったため無視をしていたのだが、次の言葉で興味が別に逸れた。
「おまえが来ないとダメだって言うんだよ!恭介が!」
「ええ……」
何故、僕が巻き込まれたのか。抗議の意味を込めて恭介を見ると無表情で見つめ返された。
「絶対にこいつと二人きりは嫌だ」
「道連れかよ」
常時ハイテンションの圭吾のノリに一人でついてくのは嫌なのか、僕を巻き添えにしようとしていた。
「っていうか、断ればいいだろ」
「そう思ったんだけどな。色々と事情があるんだよ」
「え、なんか怖い……」
恭介が珍しく快諾した理由に思い当たる節がなく、僕は悪寒を覚えた。
「実はうちの姉貴なんだけど、引き篭もりなんだよな」
「ふーん。可愛すぎてイジメられたとか?」
恭介が『可愛い』や『綺麗』と言うのは滅多なことではない。無理矢理でも圭吾が引き出した言葉であるが、そこに嘘はないだろう。今までの情報から推察するに該当する理由がそれだけだった。
「なんでもいいじゃねぇか。取り敢えず来いよ」
「嫌だ。僕は帰る」
◇
放課後、気が付いたら恭介の家に二人掛かりで拉致されていた。強く拒めない僕の性格が災いして、半強制的に連行された僕は悲しくも二人のゲームに付き合わされていた。半ば八つ当たり気味に対戦格闘ゲームで相手をフルボッコにしつつ一位の座を獲得する。既に二人は惨敗でどちらが一番下手かを争っていた。
「あの……お二人さん。もう夜中の一時なんですが」
気がつけば日を跨いで午前一時、このゲームを始めてから四時間が経過していた。元より眠る気はないが同じゲームを何時間もプレイするのは途中からつまらなくなってくる。しかし、続ける理由は圭吾が負けず嫌いな上、勝つまでやめないからだ。ビリを連続で獲得している圭吾が折れるはずもない。
朝になるまで残り四時間ほど。その時間になったら速攻で帰って寝る。そう決めて耐久していたが、流石に飽きて別のゲームを提案したが、圭吾はまだこのゲームを続けるようだった。
「せめて別のゲームにしようよ」
「嫌だ。勝つまでやるね!」
元の目的である『恭介の姉と会う』という目的は達成されていない。それもそのはず、部屋から出てこないからだ。リビングにいても鉢合わせるシチュエーションなんてあるはずもない。それならば会いに行けばいいのでは?と思うが、恭介の姉は誰にも会いたがらないそうだ。実の母でさえ、ろくに会話すら出来ていない状況らしい。
–––そんな状況で顔を合わせるのは無謀だった。
家族ですらダメ。それなら他人はもっとダメだろう。恭介ですら顔を合わせたのは両手で数えるほどらしく、そんなレアキャラを圭吾が拝めるはずもなかった。
「ねぇ、次最下位だったら罰ゲームつけない?」
「罰ゲームか。いいぞ」
あまりにつまらない勝負だったのでそう提案すると、恭介は二つ返事で了承した。
「罰ゲームは何にするんだ?」
現在、連敗中の圭吾が問うと恭介が真顔で考える。
そして、とんでもない悪い笑みを浮かべて告げるのだ。
「そうだな。姉貴の下着でも盗ってきてもらおうか」
正気を疑う一言に僕は戦慄する。
今、この男は何と言った。
仮にも姉の下着を盗んでこいと。
そう言ったのであろうか。
「よっしゃぁ俄然燃えてきたぜ!」
「待って。罰ゲームの内容がおかしい」
「大丈夫、俺が許可する」
「普段、姉とは親しくもないと言っているのに!?」
バレたらどうなるだろうか……全力で拒否したいところだ。そして、仮にも圭吾を下着泥に行かせるのは問題があるような気がする。
「勝てばいいんだよ」
「……」
確かに勝てばいい。そして、無難に終わる方法は恭介を最下位に落とせばいいのだ。そうすれば姉の下着を盗む弟の構図が出来上がる。なにそれ見たい。
「よし、やろうか」
狂言に乗せられて参加を表明し、コントローラーを握る。得意のキャラを選択して最速で恭介を負かすつもりでいた。
「言っておくけど、わざと負けるの禁止な。圭吾」
念のためゲームに公平性を科すためにルールの確認が行われる。
そして、ステージを選んでゲームが開始された。
「死ね恭介!」
ゲーム開始と同時。敢えて一番弱い圭吾は狙わず、罰ゲームをさせたい恭介のキャラを選んで残機を減らしに走る。今までのプレイで一番の動きで敵を排除しに掛かった。
「なっ、ちょこまかと」
「悪いが負けるわけにはいかないんだよ柊」
「僕も下着泥棒にはなりたくないんだ」
しかし、これが中々難しい。恭介のゲームの腕は僕と五分五分くらい。敵もそう甘くはなかった。
「行くぜ、必殺のぉぉぉ–––!!!!」
そこに割り込む圭吾の操作キャラ。
回避が遅れた僕のキャラを掴み、崖から一緒に落ちていく。
「ちょっ、おまえ何してんの!?」
「こうやって残機減らせばわざと負けたことにはならねぇんだぜ!」
「そうかもしれないけど狙うなら恭介にしろよ!」
「オレにはどっちでもいいんだぜ」
「この野郎!」
残機が一つ減った。残り二つ。
「なら、この無敵時間を使って恭介を墜とす!」
幸いにも恭介のキャラの蓄積ダメージもバースト圏内だ。一気に落として振り出しに戻す必要があるだろう。多少のダメージは仕方ないが、崖に逃げている恭介のキャラを追う。
「死ね恭介!」
「甘いな柊」
初撃を躱されて僕にダメージが通るようになる。
その直後だった。
「王手だ」
「おまっ、ふざけんなよっ!?」
僕の操作キャラが恭介の操作キャラに掴まれて崖に落下していった。所謂、自分の残機を使って相手の残機を減らす鬼畜な所業に僕はコントローラーを強く握り直した。
「もういい。この際、圭吾を最下位にすれば–––!」
下着泥棒という不名誉を賜ることはない。残機の差で負ける可能性はあるが、その差すらゲームの腕で捩じ伏せられる。特に圭吾は弱いため狙い目だった。
「僕のために死んでくれ圭吾!」
「望むところだぜ!」
圭吾の操作キャラに連続攻撃を叩き込む。
崖に追い詰めたところで、相手を吹き飛ばした。
「残り一機!」
「いや、ゼロだ」
攻撃後のワンフレームの硬直を狙って、恭介のキャラが僕のキャラに掴み掛かった。そして、また僕のキャラは敵共々崖の下に真っ逆さまに落ちていった。
「罰ゲームは柊で決定だな」
呆然とした僕の手から、コントローラーが転がり落ちた。
◇
–––ガチャ。
–––パタン。
–––タッタッタッ。
午前二時、隣の部屋から初めて生活音が響いた。扉の開閉音の後に遠ざかる足音が階段を下りて行く音が響く。その音に戦慄していると、恭介が無慈悲に告げた。
「今がチャンスだ。行ってこい」
「帰っていい?」
「いいわけないだろ」
「ははは、だよね……」
諦めて罰ゲームを実行するしかない。そう覚悟を決めて、僕は恭介の部屋を出た。
階段を下りて廊下を通る。風呂場に繋がる脱衣所の前で耳を澄ませば、扉の向こうから衣擦れの音がした後、シャワーがタイルを打つ音が聞こえてきた。
そっと扉を開けて脱衣所の中を確認する。恭介の姉は風呂にいるようで曇りガラスの向こうにシルエットが見えた。確認を終えた後、僕は身体を捻じ込み脱衣所への侵入を果たす。
そこで僕は大きな問題に直面した。
–––脱いだ下着と新しく用意されている下着どちらを取ればいいんだっ!?
洗濯物の山にある下着を盗ったとしよう。下着の山の頂上にあるんだからまず気づかれる。
着替え用の下着を盗ったとして、気づかないはずがない。パンツがないことに気づいた恭介の姉はノーパンで廊下を歩く羽目になってしまう。それは何とも心苦しい。
熟考した末に導き出された結論は–––。
「……脱いだパンツを奪おう」
目標を達成したら返しにくればいい。そう判断して、恭介の姉が脱いだであろうまだ生温かいパンツをポケットに入れて僕は脱衣所から去ろうと扉に向かう。
「あれっ?」
そこで新たな問題が発生する。扉が開かないのだ。ストライド式のドアはいくら横に引いてもびくともしない。まるで扉の向こうから押さえつけられているかのように固く閉ざされていた。
「畜生、あいつら!」
扉の向こうから気配がする。
無理矢理こじ開けようと奮闘していた、その時であった。
–––キュッ。
蛇口を捻る音、シャワーが止んだ。
湯船に浸かるまでの数秒間、存在すら消そうと僕は壁と一体化する。
–––ガラッ。
「……」
今、聞こえてはいけない音が聞こえたような……。
僕は今年一番の緊張感を覚えながら、壁と同化しようとした。
ピッタリと張り付いて、風景と一体化する。
なんとか扉を開けようとしていた手からも力が抜けて、涙さえ出てきた。
–––終わった。霧崎柊、人生終了のお知らせ。
僕は膝から崩れ落ちて壁に向かって土下座をした。
「そのまま動かないで。顔を上げたらどうなるかわかってるわね」
「……はい。すみません」
身体を擦る布の音が響く。水滴を拭く音だ。
今度は衣擦れの音が響いて、刻一刻と処刑の時間が迫る。
「顔を上げていいわよ」
顔を上げるのが怖くて、僕は硬直していた。しかし、このままでは僕の罪状が確定してしまうわけで、情状酌量の余地を見出さなければ社会的な死が待っている。
「はい……」
顔を上げた僕の時間は一瞬、止まってしまう。
目の前にいる女性の髪は雪のように白く、瞳は青い。碧眼というやつだった。肌は肌色よりも少し白っぽく、身に纏うパジャマの上からでも腰が細く、胸ははちきれんばかりに大きかった。
しゃがんで僕を見下ろす彼女に、僕は目を奪われた。
「……あれ?ねぇ、あなた私と会ったことない?」
不思議そうに僕を見つめる瞳は、微かに動揺の色を孕んでいた。