–––憧れの人の連絡先を貰ったとして、それを有効活用出来る人間は人類の何%であろうか?
スマホに登録された『鈴白琴音』というアカウントのチャット欄を開けながら、僕は何度目か判らない溜息を吐いていた。あの日から連絡が来たことはない。連絡が来るのを待ち惚けている状況だ。どう接したらいいか判らないというのが本音だろうか。僕は自分から連絡せずに、ただあの人からのメールを待っている。
「おーい。柊、帰ろうぜ」
スマホの画面を見つめていると圭吾に声を掛けられた。
仕方なく立ち上がって鞄を掴み、教室を出る。
圭吾と恭介、二人が廊下で待っていた。
「ゲーセン寄って帰ろうぜ」
「えー、またゲーセン?」
僕にとっては何もかもがつまらなかった。
学校に居ても、家に居ても、友達と遊んでいても。
何処か別の場所から俯瞰している僕がいて、さながら僕は自分というキャラクターを操るプレイヤーだ。
いつからそう思うようになってしまったのか、まるでわからないが。
生きていることがつまらないと、本気で感じてしまっていた。
色褪せた青春、くだらない日常、それが途轍もなく空虚に感じられて、僕の心は目に見えない隙間が空いたように空っぽだった。
「いいけど……」
今日はどうやって時間を浪費しようか、考えていたその時、不意にポケットのスマホが振動した。
慌てて確認すると琴音さんからメールが来ていた。
『今日、暇?』と。
僕は速攻で返信を打った。
『暇です』と。
秒でメッセージが飛んでくる。
『じゃあ、今すぐ家に来て』
『了解しました』
そう返信して、スマホを閉じる。
「悪い。用事できたわ」
「「……」」
多分、二人がドン引きするくらい僕はキモい顔でもしていたのだろう。無言の視線が冷たく胸に刺さった。だけど、今の僕にはノーダメージだ。効かない。
「……テメェ、女か。女なのか!?」
圭吾が僕に掴み掛かる。
「誰だっていいだろ」
「いいや良くねぇ!テメェ友情より女を取るのか!」
「逆に問おう。友情と女どっちを取る?」
「どっちもに決まってんだろう!」
「強いて言うなら?」
「……」
「そういうことだ。じゃあな」
答えられないということは、相手に聞かれたら困るような答えだ。つまり『女』である。
「柊、おまえは友情より女を取るのか!」
「そうだけど?」
あっけらかんと言い放つと圭吾が襲い掛かってくる。
その背後から恭介が羽交い締めにして止めにかかった。
「誰だよ相手は!」
「あー、多分、うちの姉貴だな」
「なっ!?いつの間にそんな関係に!?」
謎は恭介によって暴露されてしまった。しかし、圭吾が邪推するほど僕達の関係はいいものではない。“友達以上恋人未満”という言葉が似合うような曖昧な関係だ。
「……そんで、柊。おまえは姉貴とどうなりたいんだ?」
「別に何も望んでないよ。僕は琴音さんが笑ってくれるならそれでいいから」
–––多くを望まず。欲に溺れず。今の関係を大切にしたい。
今はただそう思っていた。
恭介が圭吾を抑えている間に学校を出た僕はまた鈴白宅の前にいた。インターホンを押すと絵里さんが顔を見せ、用件を察するとそのまま家の中へと誘われる。
琴音さんの部屋の前で、僕は緊張を解すために深呼吸して、いざ行かんと扉をノックする。
「琴音さん」
「柊君?入って」
許可されるまま部屋に入る。
琴音さんは可愛らしいモコモコした部屋着でベッドに座っていた。
僕は直立不動で待機する。さながら軍人のように待った。或いは、忠犬だろうか。多分、僕に尻尾があったら千切れんばかりに振っていると思う。
「座って」
「はい」
ベッドの淵に腰掛ける彼女のお膝元へ。
胡座をかいて膝をそわそわと落ち着かなく上下させながら、二度目の呼び出しに緊張を隠せないでいた。これではまるで待ての出来ないワンコロのようではないか。
ただ、何処か琴音さんは元気がないように見える。
前も元気がなかったが、いつにも増して元気がない。
「急に呼び出してごめんなさい。用事とかあったでしょ?」
「いえ、大したことじゃないですから」
「恭介はいいの?放っておいて……私なんかと会って」
「いつも学校で会ってますから」
琴音さんが言っているのはそういうことではないのはわかっている。ただ、単純に友達と一緒に遊んでいなくていいのかという疑問だろう。あいつらに関しては馬鹿やってるだけなので放っておいた方がいい。むしろ巻き込まれる可能性がある。
「それよりどうしたんですか?」
「……ごめんね。大した理由じゃないの」
大した理由じゃないという割には深刻そうな顔だ。顔色だって悪いし、泣きそうに見える。
そんな琴音さんを見て、僕の心は騒ついていた。
「大丈夫ですか?」
「……笑わないって約束してくれる?」
捨てられた猫みたいな顔されたら誰だって笑えないだろう。僕は静かに頷いて続きを待った。
「……お昼寝してたんだけどね。怖い夢を見たの」
そして、語り始めたのは夢の話だ。
「私は炎の中にいて、友人が燃えていくのを黙って見ているの。私には何も出来なくて。そこにあなたが現れて私だけを炎から拐っていくのよ」
「嫌な夢ですね」
「……うん。本当に嫌な夢だったわ」
それだけ語ると少しだけ楽になったのか琴音さんに僅かに笑顔が戻る。
「暗い話はお終い。ねぇ、ゲームをしましょう」
「ゲームですか?」
「興味ない?」
琴音さんは立ち上がるとクローゼットの方へ歩いていく。そして、開け放った先には小さな棚がずらりと並んでいた。そのどれもが人気ハードのゲームソフトだ。レトロなものから最近の有名なシリーズものまで網羅してある。僕もそのクローゼットまで歩いて行って、中身を物色し始めた。
「琴音さんはゲーム好きなんですか?」
「この二年間、暇潰しにやってたらハマっちゃって。特にRPGとかシリーズ物だと物語が続いているでしょう。漫画とか結構読むからそういうシナリオがしっかりしているのは好きよ」
「他は何やるんですか?」
「FPSもやるわね」
あの殺伐とした血飛沫飛び交うシューティングゲームを琴音さんが……。
「あれ、これは……?」
ふと気になったタイトルの箱を見つけた。エロゲ発のアニメ化タイトルで欲しかったけど年齢的なあれこれで買えなかったやつ。ご丁寧に側面には十八禁のシールが貼ってあり、表は可愛い美少女が写っているのに、裏は破廉恥な姿が写っているというリバーシブルな魅惑の箱に僕は興味津々だった。
「あっ、それは……!」
僕の視界が腕一本で塞がれる。背中には魅惑の柔らかい感触、と意識を奪われているうちに手にあったエロゲの箱は琴音さんに奪還されてしまった。
「……見た?」
エロゲの箱を胸に抱いて恥じらう美少女。
もはやこれが一番エロいのでは?という錯覚に陥ってしまう。
「それ、最近アニメ化された『星降る夜に』ですよね」
「……も、もしかしてやりたいの?」
「やりたいです」
琴音さんの顔が真っ赤になる。
「柊君まだ十六才でしょう。ダメよ」
「今年十七才です」
「なおさらダメじゃない。そういうことはその……ちゃんとしないと」
「……そうですよね」
原作に興味はあったがダメと言われれば引き下がらざるを得ない。困った様子の琴音さんを眺めているのも面白かったが、引き時を間違えれば嫌われてしまう。
「本当にダメなの?」
そう思っていたら、何故か援護する声が聞こえた。クローゼットの外に影。誰かと思えば絵里さんがクローゼットの中にいる僕達を覗き込んでいた。
「ちょっとママ勝手に入らないでよ!」
「あら〜、そんなに逢引きを見られたくなかったの?」
「わ、私と柊君はそんな関係じゃ……」
「さっき、ヤるとかヤらないとか言ってたのに?」
「なんでそんな誤解するようなところだけ聞いてるの!?」
「あらいいじゃない。ずっと引き篭もってるんだったら柊君と結婚すればお母さん安心だわ」
何やら娘と母親の口論が始まってしまったが、『ママ』と琴音さんが母親を呼んだことに意識を引っ張られて大抵の戯言は無視していく。僕は何も聞いていない。
「っていうか何しに来たのよ!」
「お茶を持ってきてあげたのにこの子ったら母親を邪魔者扱いして」
「わざと邪魔しにきたんでしょう!」
「そんなことないわよ。まぁ、娘と男の子が二人きりだから勘繰っちゃうところもあったけど」
遠回しに琴音さんの発言を肯定して、絵里さんは本気で娘を怒らせる前に退出して行った。
「ごめんなさい。うちのママが」
「面白い人だよね」
「気にしなくていいからあの人の言ったことは」
肩で息をする琴音さんは疲れ切った様子でクローゼットを出た。
◇
その夜、琴音さんの要望でFPSをやることになった。夜でもオンラインで二人で会話しながらゲームが出来るということでボイスチャットを使用する。繋いだ瞬間から、耳にダイレクトで琴音さんの綺麗な声が耳朶を打つ。
「柊君、聞こえる?」
まるで耳元で囁かれたような感覚に僕は心拍数が上がっていくのを感じる。我ながら単純だけど、それでも嬉しいのだから仕方ない。耳が幸せになる感覚を味わいながら、僕は返答した。
「聞こえてますよ」
「良かった。ちゃんと繋がったみたい」
「取り敢えず、どうします?」
「二人一組で参加できるやつがあるからそれをやりましょう」
フレンド招待して、二人でゲームに参加する。飛行機からダイブして地に降りて道具を拾って最後の一部隊を目指すゲームで、開始地点はプレイヤー次第だ。外で漁夫するもよし。最初から全力で殺し合うもよし。戦略で生き残るのが重要になってくる。
「何処降りるんですか?」
「あそこに降りましょう」
琴音さんが選んだのはこのゲームの激戦区だった。降り立った瞬間から戦争が始まり、道具の取り合いに殺し合いが始まってしまう。開始直後から銃声が訊こえ僕は武器を拾って必死に姫の護衛に努めていた。
しかし、姫は僕の予想もつかない行動をする。一人で突っ込んだかと思うと一瞬で敵を溶かしてキルを稼ぐ。あっという間に一部隊を壊滅させてしまった。
「……えぇ、強っ」
「狙撃銃で的確に相手のヘッドを狙える柊君も十分すごいわよ」
僕もその間にヘッドショットを決めて敵をキルしていたが、前線でアサルトライフルを振り回している姫には敵わなかった。
「これで最後かな?」
「そうみたいね」
なんとか最初の激戦を制して物資を漁る。その最中、銃撃の音も会話もないヘッドホンの奥から、琴音さんは静かに問う。
「ねぇ、学校は楽しい?」
「全然楽しくないですよ」
「……そこは楽しいとか言うのかと思ってた」
「僕、学校嫌いなんですよね」
嘘偽りのない本心だ。
多分、面と向かっては言えなかっただろう言葉。
「いじめられてるの?」
「あはは。もしそうなら僕は反撃しますよ」
「強いんだね」
「いじめは嫌いなんです」
「私もイジメは嫌い」
心の底から共感するような言葉、だからこそ僕は話さなくていい深層まで話してしまう。彼女の言葉が心地良くて、つい口が動いてしまう。
「いじめてる奴も嫌いですけど、いじめられている奴も嫌いです」
「……どうして?」
「誰かが誰かを虐げていい理由なんてないんですよ。それを仕方ないなんて言っていじめられてるやつも僕は嫌いです。理不尽な暴力に屈するのは腹が立ちます」
「……そっか」
しんみりとした空気は、ヘッドホンに響いた銃声に掻き消された。