毎週、土曜は学校がないからバイトをしている。平日に三回、土日のどっちかに一回、バイトでもしないとゲームを買えない苦学生である僕はお金の大切さというものを嫌というほど知っていた。子供の頃からお小遣いなんて貰ったことはないから、高校生になってバイトを始めて貴重な収入源になっている。可能な限り働いて金を稼ぐ。まさに生き甲斐といってもいいほどに。
「そろそろバイトに行かないと……」
今週のシフトは土曜日、朝九時から夕方の六時まで働く。昼休憩は一時間。一日に八時間働く予定だ。とはいえ別に楽しいわけではなくお金が必要だから仕方なくやっているところもあり、人間関係も最低限で仲が良い人がいるわけでもない。
『働かざる者食うべからず』とはよく言ったもので、働かねば金がない。そう自分を叱咤して布団から抜け出してバイトに行く準備をする。
–––♪♪♪
そんな時、アラームではない聞き慣れた音楽がスマホから流れた。連絡先を知っているのは数少ない友人と、あとは–––。
僕は急いでスマホを手に取る。
画面には、『鈴白琴音』の名前。
朝から僕のテンションは爆発的に高まる。
「柊君、寝てた?」
「いえ、起きてましたよ」
「ねぇ、今日暇かしら?」
「はい、暇で–––」
–––暇じゃない。
此処で僕は二つの選択を迫られることになる。バイトを仮病で休んで琴音さんのところに行くか、真面目にバイトに出るか。だが考えようによっては“恋煩い”は恋の病とされている筈だ。僕のこの感情が恋と言っていいかは疑問だが、仮病にはならないんじゃないかと馬鹿なことを考えてみる。嘘は言ってない。
「……その、今日、バイトがあるんですよね」
苦渋の決断の末、血の涙を飲んで正直に答えた。
「……そっか」
心なしか凄く落ち込んでいるように聞こえる。胸が痛い。
「で、でも、明日ならバイトないですから!」
「柊君に会いたかったなぁ」
「……」
天然でそういうこと言うんだから狡い。その気は全くないんだろうけど、それはそれで期待してしまうというか。そばにいていいんだと錯覚してより多くを求めてしまいそうで怖い。
「バイト終わったら、少しだけでも会えないかな」
「……その時間って迷惑じゃないですか?」
「そうよね。ダメ、よね……」
未だに琴音さんは家族とはまともに話していないらしい。顔を合わさないように夜遅くにお風呂に入って、誰も起きていない時間帯に部屋を出たりするのだとか。そんなことを語って聞かせてくれた。
恭介があまり話をしていないっていうのも頷ける。こんな生活を意図的に繰り返していれば、会話するどころか顔を合わせることもないのだから、当然だろう。
仲は良くないが、恭介の性格を考えると悪いというわけでもあるまい。あいつは良くない=悪いに結びつけること自体しない性格だ。不干渉というのが正しい。
「僕が聞いておきます」
「ほ、本当?」
「はい」
正直、僕も会いたい。印象は良くないだろうが知ったことか。琴音さんの願いならどんなものでも叶えたい。僕の根幹にあるのはそういった願いのみだ。
「じゃあ、また」
「うん、また後で」
琴音さんとか通話を切った後、早速恭介に電話をかける。彼はお眠りだったようで長いコールの後に通話が繋がった。しかし、その向こうから聞こえるのは寝起きの低い声だ。
「なんだよこんな朝っぱらから……圭吾」
「残念ながら圭吾じゃないんだな」
だいたい電話してくるのは圭吾のようで、適当な当てずっぽうで名前を呼ばれた。
「おまえが電話してくるなんて珍しいな」
「単刀直入に要件だけ伝えるわ。夕方おまえの家に行っていい?」
「……やだよ、面倒臭え」
「大丈夫。恭介に用はないから」
休日のプライベートな時間は邪魔されたくないようでぞんざいな答えが返ってきたが、返答に対する返答で何やら事情を察したようである。数分ほど黙考した後で、通話先から面倒そうな声が上がった。
「なんで俺に電話してきたんだよ」
「ご家族の許可をいただきたく」
「夕方に姉貴と会いにか……。まぁ、うちの母親はともかく、親父はいい顔しねぇと思うけど」
–––最大の関所が存在した。
「そういえば聞いたことなかったんだけど、恭介の親父さんって琴音さんのことどう思ってるの?」
再婚した相手の娘が引き篭もりというのは中々に人生でおきないハードな経験であると思う。印象もあまり良くない筈だが、放任主義か溺愛しているかで対応は変わってくる筈だ。
「あれはもうダメだ。ろくに話してもいないのに溺愛してる」
–––厄介なパターンの方だった。
「それはどういった具合で?」
「毎日、姉貴の部屋の扉に話しかけてる。一緒にご飯を食べようだとかな。毎度の如く撃沈してるけど」
「それはご愁傷様だね」
よし。勝った。
「だがそこに普通に話せる人が現れた。おまえ、目の敵にされてるぞ」
「既に敵視されてるのか」
「おまえと姉貴が仲睦まじいのに義理とはいえ父親とは話してくれない。その状況が面白くないらしい」
「それ僕に悪いとこ何もないよね?」
「完全な八つ当たりだな。はっはっはっ」
棒読みの笑い声が響く。ただ面白がっているだけだ。恭介的には別にどうでもいいのだ。
「それだと許可無理じゃない?」
「うちの母親は賛成すんだろ。それで娘も会いたがってるとなりゃ、否はないと思う。なんだかんだでうちの親父は甘いからな。女に。そもそもうちの親父が帰ってくるの夜遅いから大丈夫だろ」
「そっか。ありがとう」
仮の許可が出たので、そのまま電話を切った。
◇
バイトが終わったのは午後六時、既に日が暮れ始めている時間帯だった。バイト先から歩いて鈴白宅に向かう。歩くと意識してもそれが意外と難しいもので半ば早足、それからスキップするようなステップを踏んでいたら母親と手を繋いで歩いている子供に指を差されて笑われてしまった。
一生の不覚である。
しかし、今の僕にそんな精神攻撃は通用しない。バイトで疲れているのも忘れて鈴白宅に直行する。インターホンを押して、いつものように絵里さんが出て、普通に通された。
「あの娘ならいつも通り部屋にいるからよろしくね」
「わかりました」
何がどうわかったのかよくわからないがそう答えておく。多分、変なことはするな的な意味なんだろうそうなんだろうと自己完結をして階段を上がっていった。琴音さんの部屋の扉をノックすれば秒で返答がくる。
「どうぞ」
「失礼します」
扉を開ければゲーミングチェアに座ってFPSをプレイしている琴音さんの姿があった。
「もうすぐ終わるから少し待ってて」
「はい」
文字通りもう少しだったようで、敵を追い詰めると華麗にキルして勝利するとヘッドホンを外して此方に向き直る。その微笑んだ顔の全てが僕に向けられていると思うと、ちょっと優越感が湧く。
「おかえりなさい柊君」
「はい、ただいま……?」
いや、待てそのやり取りはおかしい。
「えっと、おかえりはおかしくないですか?」
「言ってみたかったの。もう何年も言ってないから」
それで僕におかえりを言うのか。本人にそういう気はなかったのだろうが、小悪魔に弄ばれた気分だ。気まぐれとはいえご褒美なので気にしないでおくことにする。
「そこに座って」
琴音さんがベッドを指差す。
指示に従って座ると、今度は琴音さんが僕の隣に座った。
そのまま僕にぴったりとくっつく。
なんだこれ?
「最近ね、一人になると凄く寂しくなる事があるの。だから、ちょっとだけこうしていていいかしら?」
–––耐えろ。僕の理性。