ただ黙々と琴音さんとゲームをする。そうしていれば、いつの間にか時間は夜の八時を過ぎていた。
「……もうこんな時間か」
たった一時間ほど居座るつもりだったのに、気がつけば夜も遅い。
ゲームに熱中して時間を忘れている琴音さんに断りを入れて帰ろうとする。
「琴音さん、時間が時間なので帰りますね」
「えっ、もう帰るの?」
琴音さんがキュウ〜ンと名残惜しそうな仔犬みたいな顔をする。僕も時間があれば無限に此処にいたいところだが、こんな夜遅い時間に女性と二人きりというのは精神的に厳しいものがある。ここは心を鬼にして対応するべきか、堅い意志で拒絶することにする。
「明日、琴音さんが暇なら来ますから」
「絶対?」
「約束は極力守る男なので」
–––と、カッコ良く言ったものの割と嘘は吐く。
そんなことを考えていれば、考えが見透かされたのか、信用されずに袖を握られてしまった。力づくで振り解けない程ではないが僕の心が頑丈にその指を固定してしまう。つまり、振り切れなかった。
しかも、彼女は何か思いついた様子。
「泊まっていけばいいんじゃないかしら」
とんでもないことを仰る。
「いや、夜分遅くに年頃の男女が同じ部屋で過ごすのは如何なものかと……」
「柊君は私に酷いことをするの?無理矢理」
「そんなことは断じて。……しないと思います」
自信はない。琴音さんは美人だ。それも超がつくほどの。そんな相手に我慢出来るかといったら難しい話で、ひょっとしたら何か起こるかもしれない。
「そう、じゃあいいじゃない」
「いや、でも……」
「それとも柊君は私と夜通しゲームするのは嫌?」
嫌じゃないから困る。
「それに一回泊まったことがあるんだし、今更だと思うの」
「それは恭介の部屋だったからですよ」
恭介相手ならともかく、琴音さんが相手だと話が違ってくる。
「なら、恭介の部屋に泊まればいいと思うの」
「絶対あいついい顔しないですよ」
予定外のことはしない主義だ。
突然、泊めてくれと言っても泊めるはずがない。
「そう……」
しゅんと落ち込んだ様子の琴音さんに掛ける言葉が思いつかなかった。
何故、彼女はこんなにも僕を信頼して。
何故、彼女は僕をそばに置いてくれるのか。
琴音さんは僕のことを覚えているのだろうか。
そう、聞くのが怖い。
知らないと言われるのが、一番怖いから。
知らないふりして僕は此処にいる。
「じゃあ、僕はこの辺で」
指が離れた隙に扉を開けて外へ。出たはずなのに何故か、大きな壁が立ち塞がっていた。
「……あ」
見上げれば何度か見た顔だ。それもそのはず部屋の外に立っていたのは恭介の実父だった。物凄い怖い顔で僕を見下げる姿は父の威圧感がして、何もしていないのに悪いことをした気分になる。
「お父さん(恭介の)」
「君に父と呼ばれる筋合いはない!」
–––いや、名前知らんし。恭介の父親をお父さんと呼ぶのは仕方ないことだと思う。それに恭介の父親をおじさんと呼ぶのも抵抗があるほど若く見えるのだ。もはや見た目は詐欺なほど若い。実年齢は四十手前と聞いたが。
「では、なんとお呼びすれば……」
「俺のことは恭弥と呼べばいいだろう。恭介の友達の柊君だったか」
「はい。……なら、恭弥さんで」
一番無難な形に落ち着く。問題は一つ片付いたがまだ問題は片付いていない。仮にも娘さんの部屋から男が出てくればいい顔をしない父親、そんな相手と出会して仕舞えばどうすればいいのか皆目検討がつかない。ネットで検索でも掛けたいところだが、そんな隙が与えられるはずもなく、蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。
「お久しぶりです」
「あぁ、随分と久しぶりだね。最後に会ったのはいつだったか。中学の部活の最後の大会だったかな」
「あの時はありがとうございました」
「いや、息子の送り迎えのついでだからね。気にしなくていい」
恭介の送り迎えのついでに車に便乗したこともある。この人は昔から優しい人で良くしてもらっていたのだが、琴音さんが関わるとまるで別人のようだ。その豹変ぶりに今驚いているところだ。
「そんなことより今、娘の部屋から出て来たみたいだが……」
「あー、そう、ですねぇ……」
何と言い繕っても言い逃れが出来る雰囲気ではない。というか、この件に関しては少なからず情報が共有されているはずで、おそらくは会話の切り口にしていることはわかるのだが……目が本気だ。
「仲良くさせてもらってます?」
「ほう。俺の見間違えでなければ娘は泣いているように見えるのだが?」
反射的に振り返れば部屋の隅でかなり落ち込んでいる様子の琴音さんの姿があった。哀愁さえ漂うその姿に確かに胸を打たれる何かがあるが決して泣いてはない。
「いや、でも、女性の部屋に夜分遅くに長居するのは衛生上よろしくないかと……」
「その点では心配してないよ。君はかなり小心者だったと記憶しているからね。そうだ、君には色々と世話になっているらしいからね、明日は休みだろう?泊まって行くといい」
まるで最初から話を聞いていたみたいなタイミングで宿泊の話が出てくる。もしかしなくても、実は最初から聞き耳を立てていた可能性すら出て来た。
前門には気難しいおやじ、後門には女の武器を全開で使う初恋の人、どっちに転んでも退路なんてものがあるはずもなく、だがそれでも僕は此処で抗わねばならないと決める。
「実は自分、安心できないところでは眠れないので」
「うちでは不満かい?」
正確にはプライベートな空間でゆっくりしたい、というのが本音だ。それに安心も何も一番危ないのは琴音さんだ。男性と一緒にいる危険性を全くわかっていない。自分がどれだけ男を惑わす存在かも。その自覚すらなさそうなのが余計に男心を擽る要因になっているのが困る。
「帰っていいですか?」
「ダメだ」
物凄く力強く肩を掴まれて、拘束から逃げ出そうにも簡単には抜けられそうにもなかった。
「……では、お言葉に甘えて」
「そうか。ゆっくりして行くといい」
諦めて僕がそう宣言すると恭弥さんは階段を降りて行った。
僕には恭弥さんの考えがまるでわからない。娘と親密になる男がいるのは面白くないと思うのだが、溺愛している故か娘の望みをなんでも叶えてしまいたいのだろうか。
残された僕は、憶測を振り払って琴音さんの部屋に戻る。
「おかえり柊君」
「……はい、ただいま帰りました」
せめて、この笑顔だけは曇らせまいと僕は誓った。
◇
長い夜の戦いが始まった。眠気と色気の挟み撃ちになりながらもなんとか深夜まで琴音さんのゲームの相手をすることに成功する。ただ、生理現象や何やらは無視できないわけで、琴音さんが風呂に入っている間、僕はトイレに行くことにした。風呂に併設されている脱衣所の洗面台で手を洗うわけにはいかないため、キッチンの水道をお借りしようとそっちに足を伸ばす。
「誰かまだ起きてるのかな……?」
リビングからは灯りが漏れており、誰かの気配があった。
時刻は既に十二時を過ぎ、深夜という時間帯だ。
琴音さんはこの時間にしかお風呂に入らないようで、こんな遅くに活動する理由は家族と家の中で鉢合わせないようにという理由なのはわかっているのだが、だからこそこんな時間に電気がついているのは珍しいことらしい。琴音さん曰く、この時間帯はリビングに誰もいないはずとのことだった。
引き篭もりを極めるとそんなところまでわかってしまうらしい。
「おや、柊君じゃないか!」
そのリビングにいたのは恭弥さんだった。
晩酌をしているようで、テーブルにはつまみと酒が置いてある。
取り敢えず、手を洗ってから招かれるままに対面の椅子へ。
酒を飲んでいるからか、彼は上機嫌な様子であった。これが絡み酒でないことを祈るばかりである。
「何か飲むかい?」
「いや、いいです」
「そうか。だが、まぁちょうど良かった」
何がちょうど良かったのだろうか。と、思っていればその答えはすぐに明らかになる。
「琴音の前では話し難いことだからね」
「琴音さんのことで何か?」
彼女がいると不都合らしいのだ。酒を一口飲むとつまみを食べてもう一口呷る。そうして、喉を潤したあとで恭弥さんは真剣な表情になった。
「君は随分と琴音に好かれているようだね」
このおっさんいきなり何を言い出すのか。
多分、そういうベクトルの話ではないのだろうが。
「別に好かれているというわけでは……」
「はっはっはっ。謙遜するな。琴音があそこまで心を開いたのは君が初めてなんだよ」
その言葉の裏には「義理とはいえ父である俺を差し置いて」と聞こえた気がしたが、敢えて無視をしておく。世の中触れない方がいいこともあるものだ。
「理由を教えてくれ」
物凄く真剣な顔で懇願された。
しかし、理由を教えていいものだろうか。
恭介の命により娘さんの下着を盗みに行ったなどと。それを恭弥さんが琴音さんにするのであれば、間違いなく家族会議の開廷である。最悪の可能性を考えるに離婚にまで発展しそうだ。
まぁ、まず言えるわけがないのだが。
「特に理由なんてないと思いますけど」
「嘘だな。あり得ない。絵里ですらまともに会話なんて殆どしてなかったんだよ」
適当にはぐらかそうとすると、尤もらしい理由で封殺される。
ただ、理由が判らないのは本当だ。
琴音さんが何を思って僕をそばに置いているのか、その理由は皆目検討がつかない。
マジで今の僕はなんなんだ?
「琴音さんにしか判らないのでは?」
「君には心当たりがない、か……」
しかし、理由として思い当たる節がある……というよりは切っ掛けであったならいいなと思うことはある。
「一応、琴音さんのことは小学校の頃に知りましたけど、あの人が覚えているとは限りませんし……」
「面識があったのか?」
「話をする仲になったのは十二月から小学校卒業までの短い間でしたけど」
「覚えていなくともそういうことも切っ掛けになりうるか」
なんとか納得してくれた様子の恭弥さんに僕は安堵して、廊下でペタペタと足音が鳴ったのを確認すると腰を上げた。
「じゃあ、琴音さんがお風呂上がったみたいなので」
その場から逃げるようにリビングを出た。