「えー。で、あるからして。これを代入して──」
「ん、んん…」
いつのまにか夏も終わり。木々は色付き、風は冷気を運んでくるようになった。
ただ暑くも寒くもないこの時期は過ごしやすく、ついつい授業中でもうとうとしてしまう。
え?いつもだろって?たしかに。
「よし比企谷、この問題解いてみろ」
「え、あー…。えっと、わかんないっす…」
「ったく。ちゃんと起きて授業聞いとけ。えー、続いてこっちの問題は──」
「(起きてても数学なんてわかるかよ)」
ふと離れた席にいる樋口と目が合う。
「───」
ん?お…く?なんだ?
口の形でなにやら伝えようとしているが、なにを言っているかは分からない。
「───」
やはり分からん。
首を傾げると、樋口は心底めんどくさそうに溜息を吐く。
おい、なんで俺が悪い感じになってんだ。
「お く じょ う」
「(あー…)」
来いってことか。
とりあえず了解のサインを出して机に突っ伏す。
樋口が俺のこと呼ぶとか。珍しいな。
〜〜〜
「さむっ…」
「そんなか?」
樋口は秋風に大袈裟に身震いしているが、これくらいが丁度いいと思うけどなあ。
屋上だから風強いってのはあるけど。
「んで?なんのようだ?」
「……まあ。なんていうか」
「……?なんだ?」
こいつがこんなにどもるとか。なんか今日の樋口は珍しいな。
「比企谷、まためんどくさいことした?」
「あ?あー……」
なんか
デジャブ
「いや、してないと思うぞ」
「そうやって変に隠すの、それが一番めんどくさい」
「ぐっ…。めんどくさいことしたっていうか。部活動の一環だ」
「ふーん……」
どこからか紅く色付いた葉が飛んでくる。
「え?それだけで呼んだのか?」
「………」
「………」
「…いや」
「……?」
「……うるさいから」
「うるさい?」
「私の後ろの席の三浦さんとかがうるさいから。気になっただけ」
「あ、あー。そう言うことか」
まあ戸部には悪いことしたしな。あの辺のグループに悪評轟いててもおかしくはない。
「もう帰っていいよ」
「ほんとにそれだけだったのかよ…」
「なに?話の概要深く聞いた方がよかった?ごめん、でもあんまり興味ないからミスター悲劇の主人公」
「そう言うわけじゃねえけど…」
「でも」
「ん?」
「……浅倉、とか」
「………」
「雛菜とか小糸とかは。比企谷の悪評とか多少は気にすると思う」
「樋口はしないのな」
わかってたけども。
「言ったでしょ?興味ないの。比企谷が何しようが比企谷の勝手。私には関係ない」
「まあ、そうだな」
「うん。比企谷のやり方に私が口出す必要もないし」
こいつらに、一度でも俺の捻くれたやり方を否定された事があっただろうか。
「でも」
「あん?」
「悪評が流れてたら心配するのは当たり前だから」
「え…?」
ただそれでも。
たまに見せてくる浅倉の労りの表情と
樋口の呆れた表情と
市川の不思議そうな表情と
福丸の心配そうな表情。
それらは拭いきれない、俺らの関係の障害の一つだ。
「何してもいいけど、事前に私達に言うとかそう言うのしとけば?ばいばい」
「あ、おい」
樋口なりにそれを感じてたんだろう。
「樋口」
「………なに?」
一番素直じゃないこいつが、一番のまとめ役だから。
だからその障害を取り除こうとこうやって動いてくれた。
「あー…。その、なんだ」
「はやくしてミスター優柔不断。私も暇じゃないから」
「………はぁ。その、世話かけるな」
「は?なにが?」
「それだけだから、もう行け」
「………うん。その言葉だけは素直に受け取っとく」
「………おう」
柄じゃない俺らがこんな話するもんじゃないな。
恥ずかしくて顔から火が出そうだわ。
「じゃあ…」
「おう」
足早に樋口は屋上から去っていく。
んで──
「おまえはさっきから何やってんだ?市川」
「やはー。ばれてた〜」
物陰からやはやは聴こえてたからな。
「盗み聞きか?趣味悪いな」
「えー、ひっど〜い。屋上でジュース飲んでたら初々しいカップルが話し始めただけなのに〜」
「誰がカップルだ…」
「八幡先輩、また変なことしたの〜?」
「変なことってか…。その、なんだ。依頼されたからやっただけだ」
海老名さんにな。
「ふーん?なんか八幡先輩って〜、変だよね?」
「なにそのストレートな悪口」
「ま、変な先輩の方が面白くて好きだけどー。やは〜」
「そうかよ…」
人の告白邪魔するのが果たして面白いことなのかどうか。
「そーだ八幡先輩。今日放課後みんなでご飯食べにいくんだけどー、八幡先輩も来ない?」
「みんなって、あいつらとか?」
「そ〜。透先輩たちと」
「あー。今日は遠慮しとくわ」
「きてくれるの〜?やったー」
「話聞いてた?」
「透先輩も、八幡先輩と話したいことあるだろうし〜。絶対きてね?」
それだけを言い残し、市川は屋上を去っていく。
「相変わらず勝手なやつだな…。」
ふとため息をつくと、白い息が出る。
「(確かに、ちょっと冷えるかもしれん)」
この間まで暑さでぐったりしてたのが嘘みたいだ。
休み時間も終わりかけ、俺はホットマッ缶を買うべく屋上を後にした。
▽▲▽▲
紅葉と同じく空も色付き、グラウンドには部活動に励む運動部の声が響き渡る時間となった。
夕方は冷え込むのにわざわざ外で走り込みご苦労さんだ。俺は家に帰ってぬくぬくゲームをするとしよう。
市川に放課後来いと言われたが、どこに来いとか何時に来いとか言われてねえし。なんなら平塚先生に頼み事されて帰るの遅くなってるし。普通に無視することにしようそうしよう。
「あ」
「あ」
駐輪場から自転車を出すと、ばったりと樋口と出会う。
「お、おう…」
「うん…」
「………」
「………」
「「…………」」
お互い無口のせいで会話が続かない。
「じゃ、じゃあ俺自転車だから。もう行くな?」
「は?」
「え、なに?なんで睨まれんの俺」
「いや、私たちと一緒にご飯行くんじゃないの?」
「え?」
「雛菜言ってたけど」
「……あいつが勝手に言ってるだけだ。俺は帰るぞ」
「ふーん…。ま、どうでもいいけど」
「おう。じゃあな」
「うん」
気不味い雰囲気を脱却すべく、強く自転車のペダルを踏み込む。
自転車の加速と共に俺の顔に気持ちのいい秋風が………当たることはなかった。
「うおっ、危ねぇ。荷台掴むな、転ぶ」
「…………」
「……?どうした?今日の樋口変だぞ」
「……別に」
「……そうかよ。じゃあ行く……って。荷台離せ。進めねぇだろ」
「……はぁ」
「え?なんで俺が呆れられてんの?おかしくないですかね」
「………」
「おい。樋口?」
「………乗せてくぐらい、してよ」
「…………」
「…………」
「……がっ?!」
「腐った目で見つめないで。私も腐りそうだから」
「おまえな…」
鞄で叩くことないだろ。
「んで、どこまで送ればいいんだ?」
「…え?」
「だから、どこまで乗せてけばいいんだよ」
「……あっちのコンビニ」
「真逆じゃねぇか…。まあいいや、乗れよ」
「いいの?」
「あ?あー…。まあ、ついでだついで。妹におつかいも頼まれてるしな」
「………あっそ。じゃあついでに乗ってくから」
「おう」
樋口が俺の自転車の後ろに乗り込む。
ここは小町専用だったが、こういう場合は仕方ない。例外だ。
「捕まってろよ?」
「うん。事故でも起こしたら一生呪うからね」
「不吉すぎるだろ…」
ぎゅっ、と樋口が俺の腰を掴む。
いつも罵倒暴言ばかり頂くから意識しなかったが、こうやって感じると樋口の腕の細さや柔らかさで女の子を感じる。
「気持ち悪いこと考えてたらすぐ通報するから」
「思考の中ぐらい自由にさせてくれ…。よし、行くか」
いつもとは違う樋口を乗せた俺の自転車は、いつもとは違う目的地に向かって動き出した。
漕ぎ始めると初めてわかる秋風の容赦の無い冷たさは、俺たちの体を冷やし、樋口が小さく身震いをするのがわかった。
「てか、なんで樋口だけこんなに帰るの遅いんだ?」
「先生に頼まれごとされてただけ」
「ほーん…」
俺と同じ感じね。
遅くなるから浅倉たちは先にコンビニに行ったのか。
「あー…」
「どうした?」
一際冷たい風が俺たちを叩きつける。
「パーカー、出さなきゃ」
「樋口って、寒がりか?」
「うん。そうかも」
──キィ……
寂しい秋空に自転車のブレーキ音が響く。
赤信号だった。
「………」
「………」
目的地のコンビニはもうこの信号を渡った先にある。
「………」
「………」
俺たちの沈黙は駐輪場の時とは打って変わって、気まずさなどは一切流れていなかった。
そこにはただ心地のいい沈黙が流れていた。
「………」
「………」
因みにこの信号、押しボタン式だった。
〜〜〜
「やは〜。八幡先輩と円香先輩きたー」
「遅かったね」
「ごめん浅倉。思ったより仕事多くて」
「ふ、二人乗りは危険だよっ、二人とも!」
「わるかった。もうしねえよ」
コンビニにつくといつもの三人が外で待っていた。
「今日はコンビニで肉まん買って帰ろっか」
「食べに行くんじゃないの?」
「思ったより遅くなっちゃったからさ」
「ごめん…」
「ふふ、大丈夫。肉まん食べたいし」
「絶対そっちが本音だろ」
「ばれた?」
浅倉はぺろっと舌を出して見せる。
「なに食べよっかな。ピザまんもいいなぁ〜」
「雛菜はあんまん〜」
そんな俺たちをよそに一年生組はもう肉まんを選んでいる。
「んじゃ、俺帰るわ」
「え?」
「え〜?」
「ぴぇ?」
「え?」
なんで?
「もういい時間だし帰りたいんですけど…」
「ひ、比企谷先輩も一緒に食べるんじゃないんですか?」
「そうだよ。比企谷が帰ったら、樋口帰っちゃうじゃん」
「ちょっ、浅倉…!?」
「円香先輩、八幡先輩が来るから今日来てくれたのにね〜」
「雛菜、そんなこと私一言も言ってないから」
「え〜?だっていつも断るのに、八幡先輩来るっていったら行くって言い出したでしょー?」
「き、今日はたまたまだから」
「円香ちゃん、ちょっと嬉しそうだったもんね」
「小糸まで…!」
なにこの展開。
「比企谷」
「ひゃいっ」
「違うからね?」
「ひゃい、わかってましゅ」
目付き怖いですって樋口さん。
「ふふ。そう言うことだから。比企谷も食べよ」
「でもな…」
「小糸ちゃん、やっちゃえ〜」
「ぴゃいっ。ひ、比企谷先輩」
「ん?どうした福丸」
「わ、私。比企谷先輩と、一緒に食べたいですっ!」
ぐはっ。
ハチマンは283万ダメージを受けた。
「……わかった。ちょっとだけな」
「ふふ。さすが小糸ちゃん」
「やは〜」
「きも……」
一人酷い暴言吐いてる奴がいるが、マイエンジェル福丸の頼みだ仕方ない。
それに、こう言うのもたまには悪くないか。
〜〜〜
「はふっ、はふっ!」
「やは〜、小糸ちゃん熱そー」
結局福丸の上目遣いに丸め込まれた俺は、肉まんを片手に自転車を押してこの四人組と同じ帰路に着くことになった。
「雛菜、あんまんにしたんだ?」
「うん、美味しいよ〜?透先輩も一口食べる?」
寒空に俺の肉まんはほかほかと蒸気を立てる。
「比企谷」
「あん?……ぐおっ!?」
「ネクタイ曲がってる」
「だからってしめすぎだろ…」
「直してあげたら?」
「ありがとうございます…」
「よろしい」
樋口は満足そうに肉まんを頬張った。
「ふふ、相変わらず仲良いね」
「そんなんじゃないから」
俺も改めて肉まんを頬張る。
ぴりっとした熱さの後に、ふんわりと肉まんの味が広がる。夏の終わり、冬の訪れを感じる味だ。
「そーだ比企谷」
「ん?」
「はい、一口あげる」
「……は?」
「お疲れ様の、一口」
「……いやいや。浅倉、自分が何してるか分かってるか?」
俺がそれ食ったら間接キスになりますけども…。
「うん。聞いたよ?修学旅行」
「あ?あー…。あれな」
樋口とも話した、戸部の告白のやつだ。
「また頑張ってたから。一口」
「いや、頑張ってねえから。部活動の一環だし」
「私から見たら頑張ってたから。一口」
「話聞かない奴だな…」
「透ちゃんだからね」
「はあ…。だよなあ」
浅倉の差し出すピザまんからも、ほかほかと蒸気が立っている。
「………」
「………」
──キィ……
「はむ…」
「ふふ」
口の中が、ピザの味で満たされた。
「(なんか…。はっず)」
どこか気恥ずかしさと共に。
「比企谷」
「樋口?……あっつ!?」
「あ…。ごめん」
「いや。大丈夫だけど…。肉まん顔に押し付けることあります?」
「………いや」
「……?」
「………」
「………」
「一口、あげる」
「……いや。同じ肉まんじゃん」
「…っ、そう言うことじゃなくてっ…」
「やは〜」
「ぴぇ」
「頑張れ樋口」
「う、うるさい浅倉」
「あの、樋口さん?」
「だから、あげる」
「説明になってねぇ…」
「女子にしつこくもの尋ねるとか、気持ち悪いからやめてミスターノンデリカシー。さっさと食べて。腕疲れるから」
樋口にずいっと肉まんを差し出される。
今日の樋口は、ほんとに変だな。
「わかったよ…」
「ん」
「……あむ」
「………っ」
「………」
「………」
「………キモいから見ないで」
「お前なあ…」
「やは〜。八幡先輩私のもあげるー」
「ぴゃっ、わ、私のもあげますっ!」
「お、おい。そんな食えないから」
今度は騒がしく一年生組まで押し付けてくる。
そんな押し付けないで熱いから。特に市川。絶対分かってやってる。
「ふふふ。比企谷、モテモテだね?樋口」
「……知らない」
結局この後、騒がしいまま市川と福丸の家を周り、浅倉と樋口の家のある奥の方まで送り届けることになった。
この四人と食べる肉まんは、どこか特別なような気がして。
特に樋口からもらった肉まんは、俺の肉まんとはまた違った味がした──
──ような気がする。