「キリンリキが……喋ったぁあ!?」
クリスの思わず口から飛び出した叫びを聞いた瞬間に釘を投擲した少年はふらつき、近くの石に躓いて倒れた。しかし今重要なのはなのキリンリキではない。
確かに今キリンリキはあの少年の名前を呼んでいた。レイ、としっかり。ハッキリと。エスパータイプ特有のテレパシー等ではなくまるで人間と同じように自分の口から発せられた言葉で。クリスの手持ちにもエスパータイプのネイぴょんがいる。テレパシーと普通の言葉の区別位ならば普通に着く。聞き違いと言うことはあり得ない……しかし。
「嘘、そんなこと。あるわけ――」
一部の例外は除き、ポケモンは人の言葉を話すことはできない。エスパータイプのポケモンにはテレパシーを使ってある程度の意志疎通が図れるものもいる。中には普通に人間が話をするのと同等にコミュニケーションができるポケモンがいる。それは確かだ。
しかし人間の言葉を使って喉から声を発する。つまり喋ると言うことになれば話はまるきり別。人の言葉を話せるポケモンは殆どいない。少なくともクリスは聞いたことがない。
「き、キリンリキぃ……」
驚いているのはクリスだけではなく少年も同じようだ。
しかし二人の驚きには決定的な差異がある。あの少年は
「あのキリンリキは野生のポケモンじゃない?」
確かに野生のポケモンにしては図抜けてレベルが高いとは思った。さらに言えばこのあたりでキリンリキを見かけることは極めて稀だ。あのキリンリキはあの少年のポケモンなのだろう。
よろよろと少年はキリンリキに近づいていきその首の付け根を掴んで何やら話しかける。いや、むしろ咎めているのかもしれない。あのキリンリキ、少年の話を聞いているとどんどん落ち込みだした。それこそ水をあげていない植物のように萎れていく。
しかしこれはチャンスかもしれない。あのキリンリキにもう戦闘の意志はないだろう。話を聞くならば今だ。
「あ、あのー」
おずおずと話している最中の二人? にそう切り出した。
「やっぱり聞こえたよね?」
「へ?」
クリスを見ていきなりそう聞いてきた少年。一瞬何のことだがわからずに聞き返してしまうクリスだが、すぐに思い出し
「キリンリキが喋ったのなら……聞いてしまいました」
それを聞いた少年とキリンリキの顔が歪む。その反応を見て確信する。やはりクリスの聞き間違いなどではない。あのキリンリキは……人間の言葉が話せるのだ。それも鳥ポケモンがたまに行うような『オウムがえし』の派生などではなく本当の意味、自分の意志で言葉を選んで人間と対話することができるのだ。
クリスの返答を聞いて苦い顔をした少年は髪をかき上げクリスを正面から見据える。
「すみません。できればあなたの名前を聞かせてもらえますか?」
「え? ああ。私はクリスタル」
クリスタルさん、と彼は呟いた。そしてよろよろとした足取りでクリスに歩み寄る。何というか夢遊病者じみた歩き方だったので不気味に思いクリスは一歩下がった。そして次の瞬間に。
「ごめんなさい!」
綺麗な土下座を繰り出した。
「へっ!? いや、ちょっと」
「キリンリキが喋れることは秘密にしておいてください! お願いします!」
その必死な様子にクリスはハッとする。人間の言葉をはなせるキリンリキは当たり前だが非常に珍しい。そしてそのような珍しいポケモンともあれば狙われることも多いだろう。現にクリスがキリンリキの捕獲に挑んだように――
(って何をやってるの私!?)
あのキリンリキはボールにこそ収めてはないようだがこの少年のポケモンなのだろう。であればクリスは他人のポケモンに手を出すというポケモントレーナーとしてのタブーに手を染めたのだ。
「顔を上げてください! 謝らなくてはいけないのは寧ろ私の方です!」
そういって地面についている手を取り体を起こさせる。そこでクリスははじめて少年の顔を間近で見た。切れ長の眉に透き通るスカイブルーの瞳、さらさらとした黒髪の少年。街を歩けば目を引くことは間違いないほどの美少年。
しかしそれよりもクリスの目を引いたのは少年の額だ。髪に隠されてよく見えなかったがそこには生々しい傷跡がある。鋭利な刃物でザックリと切られたような切り傷の跡が。
思わずじっと見つめてしまったクリスに少年は一瞬ポカンとしていたがすぐにクリスの手を振りほどいて前髪を下ろした。あまり人に見せたい物でもなかったらしい。
「……」
「……(き、きまずいなぁ)」
いいタイミングを逃してキッチリと謝る事もできなかったのでそこで会話が途切れてしまう。その結果がこの言いようもない沈黙だ。
コホンと言う咳払いをして少年がその沈黙を破った。
「すみませんさっき名前を聞いたのに名乗らなくて。僕の名前はレイと言います」
会話のとっかかりを作ってくれるのはとても有りがたい。ただここで少し気になるのがあのキリンリキだ。さすがにいきなり勝負を仕掛けたクリスの事を良くは思ってはいないだろう。案の定キリンリキはクリスからそっぽを向いている。
――やっぱり、そのことはちゃんと謝っておかなくてはならないだろう。
「レイ、さん。あの。さっきはごめんなさい。いきなりキリンリキを捕獲しようとしてしまって」
するとレイは少し困惑したようで目をパチクリさせていたがああ、と合点がいったように頷き
「僕は良いんですよ。でも、その言葉はキリンリキに言ってあげて下さい」
戦ったのは僕じゃないですし。とその後ろに付け加えられる。確かにその通りだ。クリスが戦ったのはキリンリキであってこの少年とではない。もっともこういう時は普通トレーナーの方に謝るものなので少々面食らったがそれは普通のポケモンとは対話ができないからであってあのキリンリキの様にトレーナーと普通に対話ができるポケモンが相手ならばポケモンにちゃんと謝った方が良いだろう。
「ごめんなさい」
するとキリンリキは長い首をクリスの方に倒してやはり口で
「もう別にそんな事は良いですよ」
とまるで人間のように答えた。もはやクリスには喋れることを隠す意味がないためか若干投げやりな口調でさえあったが。言葉を喋れると言うだけでなくその立ち振る舞いもどこか人間らしい。
「私が人間の言葉を話せるということを秘密にしていただければ……ッ!?」
「キリンリキ!?」
キリンリキがふらつき倒れそうになる。それをレイが駆け寄り受け止めて立たせたが……やはりあれ程のキリンリキでも先ほどのバトルのダメージと疲労は無視できない物であったようだ。
「ううん……クリスさん。でしたね?」
「え、あ。ハイ」
「大した腕前ですね……私もそこそこの実力はあると自負していたのですが。どうやらまだ修行がたりないようです……」
キリンリキの口調はお前のせいでこんなダメージを負ったのだと言う皮肉ではなく本気でクリスの実力を認めた上での賛辞だった。普段ならば笑顔で礼を言う所だろう。しかし今はそんなことを言っている場合ではない。
(早くポケモンセンターに連れて行かないとマズイ!)
キリンリキの口調に皮肉めいたものはなかったがそんなことでクリスの責任は清算できない。キリンリキが今苦しんでいるのはクリスのせいなのだ。そのことをレイに伝えようとして、しかしクリスは意外な光景を見ることになる。
「ってなんでこんな時にジュースなんか作っているんですか!?」
レイはいつの間にやら取り出したシェイカーに緑色の柑橘系の木の実を皮を剥いて投入しジュースを作っていた。お世辞にもポケモンセンターへ連れて行かなくてはと言う意志は感じない。
「早くポケモンセンターに連れて行かないと! あなたのキリンリキが」
「少し静かに!」
さっきまでの静かで穏やかな声ではなくかなり厳しい口調でレイはそう言い放った。――彼は真剣だった。ポケモンセンターに連れていくという意志こそ感じないが真剣にシェイカーを見つめて振り、ジュースが出来上がるとコップに移してそれをキリンリキに飲ませる。
「落ち着いて。いつもと同じようにゆっくり飲んでね」
そう優しくキリンリキに言い聞かせながら労わるように肩を叩く。やがてキリンリキがジュースを飲み干すのを見届けるとキリンリキに手を貸し立ち上がらせる。――そしてクリスは信じられない光景に目を見張った。
「うそ、傷が回復していく……」
クリスの驚いた声と癒えていくキリンリキの傷を見てレイは微かに微笑んだ。
レイ「ジュースの作り方は終始目が回っていて足元がおぼつかない師匠から教えてもらいました」
クリス「なにそれ怖い」