Fate/Broken Hero   作:後菊院

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※本小説は二次創作作品『Fate/Blank Order』
https://syosetu.org/novel/145941/
の続編にあたります。踏まえておくべきあらすじは以下の通りです。

 ①セイレムに行く前、空々空がカルデアに召喚された。
 ②セイレムに空々もついていった。
 ③セイレムでサーヴァントたちの仲間割れが発生した。
 ④ついていった味方のサーヴァントも敵もお助けキャラも、セイレムの登場人物はほとんど全員死んだ。立香と空々だけが生き残った。
 ⑤実は空々は空々じゃなかった。串中弔士が空々のふりをしていたのだ。
 ⑥立香は串中にゾッコンにさせられてぶっ壊されていた。キャラ崩壊してやばい。
 ⑦「十三会談」と名乗る変な集団がカルデアに挑戦してきた。串中もその一員のようだ。
 ⑧串中はさっさと逃げた。
 ⑨原作第2部が始まる。

以上です。


第一話(仮) Before my body is dry

 

 

    0

 

 

 僕の思い通りになったら許さないからね?

               ——堕落王

 

 

    1

 

 

 コツコツと無機質な複数の足音がカルデアの廊下に響く。外界を覗く窓は左右のどちらにも存在せず、薄暗い。特段、カルデアが電力危機に陥っているというわけでもないのだが、この廊下には不吉な空気が溜まっている。

 向かう先はカルデアの監獄室。トレーニングルームや居住区画から離れた場所に設置されている。サーヴァントや職員でもここに来ることはほとんどない。今この道を歩いている彼らは、久方ぶりの来客だった。

「……本当にこんなところにいるのか」

 先陣を切って歩く――しかしその割にはこの廊下の雰囲気に怯えた様子を隠さない恰幅の良い金髪の男性が、少し後方を歩く女性――レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画、「モナリザ」がそのまま現実世界に飛び出てきたような絶世の美女に尋ねる。

「うん。彼女はこの先にいる」

 少しも笑わずモナリザは言った。その答えには妙な迫力があった。金髪の男性はごくりと唾を飲み込む。歩調が少し遅くなる。

「どうしたんですかカルデア()()()。こんな時こそご自身の勇気を見せつけるチャンスですよ」

 モナリザの後方を歩く、眼鏡をかけたピンク髪の女性が媚びた声で金髪の男性に話しかける。あからさま馬鹿にしていたが、緊張の極致にある金髪の男性にとってはそんな言葉でも救いになったらしく、「う、うむ。そうだな」と何度も頷く。

 だがそれ以上減速こそしないものの、元の速さには戻らない。

「さっきも話したし報告書にも書いたけれど、彼女は精神が非常に不安定だ。ここに収容されてから、カルデアの人間及びサーヴァントが彼女とのコミュニケーションに成功したことはない――会話自体は成立するけど、まともな会話は望めない。それでも良いのかい?」

 金髪の男性の隣に進み、歩調を合わせながらモナリザは彼の顔を窺う。怯えているのは簡単にわかった。「ううむ……」と唸り、一度歩みを止めかける彼だったが、ぶるぶると首を横に振り、闇に包まれた廊下の前方を睨む。

「いや! 彼女とは一度話をしなければならない――話をしようとしたと私が努力した記録は残さねばなるまい。正気を喪っているとは言え、所長がマスターと一度も顔を合わせないというのは無しだ」

 今度は思い切り歩調を速める。もはや半ば走っていた。「私に続け~!」と、特攻隊長のようなセリフを叫びながら。その場を歩く誰一人として、自身のあとを追って来ていないのを確認する余裕はなさそうだ。

 モナリザはやれやれとため息を吐く。

「臆病なのか勇敢なのかわからない人だね」

「臆病なだけですよ……。自分が勇敢でない事実を直視するのが怖いだけ」

 先ほど猫なで声を出していたピンク髪の女性は辛辣な毒を吐く。彼に毛ほども魅力を感じていないのは明白だった。

 ピンク髪の女性の後には三名の兵士。見るからに手練れ。無機質で陰鬱なこの廊下が、これ以上なく似合っている者どもだとモナリザは思う。

「彼らに出番が回ってくるような事態はこの先にあります?」

 モナリザの視線を咎めたピンク髪の女性が聞いてくる。「無いよ。彼女は厳重に拘束されている。暴れ出した彼女を取り押さえるなんてシナリオは万が一程度の可能性しかない」

「万が一はあるのですね」

「可能性の話さ」

 その時は頼りにしているよ――と、モナリザは心にもないことを言う。

「その場合は生け捕りがお望みですか?」

 ピンク髪の女性の問いにモナリザは沈黙する。僅かなタイムラグの後、彼女は「――いや」と答えた。

「生死は問わない」

 彼女は何かを諦めたような顔をしていた。

 

 

    2

 

 

 暗がりの奥――強化ガラスで隔たれた向こう側に()()は居た。

 モナリザの女性――レオナルド・ダ・ヴィンチの言う通り、藤丸立香はカルデア最奥部の牢で拘束されていた。

 そこはカルデア唯一の独居牢である。立香は無機質な部屋の中央に備え付けられた柱に、数十年前の精神病院にでもありそうな拘束衣を着せられて縛りつけられている。頭部も固定され、口には枷が嵌められていた。唯一自由に動く眼球が、強化ガラスの対岸で唖然とした表情を晒している金髪の男性、ゴルドルフ・ムジークに向けられる。その瞳は深淵のように――或いは虚無のように暗く深い。十代の少女が持って良いものではなかった。ただ視線を向けられただけなのに、ゴルドルフは強化ガラスから二歩あとずさる。

「藤丸君、こちらカルデアの新所長、ゴルドルフ・ムジーク所長だ。ゴルドルフ所長、こちら藤丸立香。人類を救ったカルデアのマスター」

 レオナルドが事務的な口調でお互いを紹介する。ということは、声は聞こえているらしい。どこかに通気口があるのだろうか。それともマイクか何かがあるのか?

 暗がりの中で強化ガラスの向こう側に立つ者達を順番に観察しているのがわかる。我々を見て何を思っている――何を考えているのだろうか。全くわからない。

「新所長」

 レオナルドに役職名を呼ばれてゴルドルフははっとする。振り返るとレオナルドとピンク髪の女性――コヤンスカヤがこちらに視線を送っていた。ゴルドルフはおほんと咳払いをし、精一杯の威厳を出そうと胸を張る。

「お前がリツカ・フジマルだな――……。……。その、何だ、その……、ちょ、ちょ、ちょ、調子はどうだ」

 ぷっとコヤンスカヤが吹き出す。が、ゴルドルフにそれを咎める余裕なんてなかった。目の前の彼女と相対するだけでゴルドルフの精神はいっぱいいっぱいだった。自分でも今のはまずかったなと思うが、後悔先に立たず。このまま突っ走るしかない。

 「調子はどうだ」って。

 親戚の叔父さんかよ。

 立香からのリアクションは無い。彼女はじっとこちらを見続けているだけだった。そういえば、そもそも彼女は何らかのリアクションをとれるのだろうか。あんな雁字搦めの拘束衣とボールギャグで動けるわけないよな……。食事や排泄はどうしているのだろう。

 と、現実逃避気味に彼女の生活についての考察を始めたゴルドルフの耳に「こんにちは。調子は良いです」と少女の声が聞こえた。一瞬何が何だかわからず辺りを見回す。音の出どころは強化ガラスの上部に取り付けられたスピーカーのようだった。何で? どうして? とパニックになりかけたが、思念会話の応用だというレオナルドの説明を受けて納得する。

 そうか。

 今のは彼女の声だったのか。

 意外に理性的じゃないか。

「初めましてだな。私はゴルドルフ・ムジーク。今日からここの所長となった」

 声が上ずらないよう最大限注意しながら言葉を紡ぐ。彼がビビっていることは彼の全身が雄弁に物語っているのだが、ゴルドルフ本人は至って真面目に所長の威厳を見せようとしていた。

「そうですか。おめでとうございます」

 えらく空虚な台詞だった。この思念会話は感情を表現する機能がないのだろうか。

「既に聞いているだろうが、私がここへ来たのを以てお前は正式にカルデアから除名されることになっている。つまりお前はもうまもなく処分されるのだ。そのことについて何か申し開きはあるか?」

 処分。

 物騒な響きを持つ言葉だが、しかしそれは必ずしも立香の殺処分だけを指し示すものではない。この後ゴルドルフは彼女に記憶処理を施して民間に帰すつもりでいた。彼女の変異は魔術を原因としたものではない。であれば記憶をまるごと取り払ってしまえば、彼女は元通りの健全な少女に戻る筈。殺すこともできるが、記憶処理程度の手間でことが片付くなら殺害より追放を選ぶのがゴルドルフという男だった。

 しかしその前に——曲がりなりにも人類を救ったマスター、藤丸立香とは一度話をしてみたい。

 ただの興味だけではない。今後カルデアの敵となるであろう少年、「串中弔士」と名乗った少年の手口を探る狙いもあった。

 彼は魔術も何も使わずに少女を一人壊したという。

 得体の知れない相手の情報は僅かでも欲しい。

「処分ですか」

 再びスピーカーから声が聞こえた。

「まあ順当な結果でしょうね」

 彼女は他人事のように言う。

「おい、何か言うことはないのか? 処分だぞ処分。なんかこう、命乞いとか……そういうのはないのか?」

 スピーカーは少し沈黙する。何かを考えているのだろうか。命乞いの言葉? ゴルドルフには全く想像がつかなかった。

「貴方は俺を殺しませんよ」

 感情の無い声でスピーカーが言った。

 断言した。

 予言じみた台詞――しかし、彼女にそんな能力は備わっていない筈だ。報告書にも無かった。それなのにも関わらず、彼女の言葉には一笑に伏すのを制する奇妙な説得力が存在した。

「……」

「いただいた資料とはだいぶ違っておりますね」

 コヤンスカヤが呟いた。ゴルドルフも同感だった。藤丸立香のプロフィールにはしっかりと目を通したが、目の前の彼女があの資料に載っていた少女だとは思えなかった。快活そうな雰囲気の顔写真――同じ顔だと言われればそうなのだが、別人が整形でもしているのではないかと疑いたくなる。

 資料は十分読み込んできたつもりだったが……一人の人間が、短期間に、これほどまで豹変することなんてあるのか?

「大事なのは認めることです」

 彼女は言う。

「俺は『英雄』です。彼はそれを教えてくれた。何をやっても何処まで行っても英雄は英雄。人間に憧れるのはやめました」

 ——人間のふりをするのもやめました。

「……だったらせめて英雄らしくしてくれ」

 ダ・ヴィンチが疲れた声で頼んだ。

 ゴルドルフは報告書の内容を思い出す——セイレムから帰還した藤丸立香がカルデアでやったことを。

 空々空と名乗っていたサーヴァントがカルデアの敵対勢力であると知らされた藤丸立香は、三画の令呪を全て消費し百の貌のハサン、クー・フーリン、メフィストフェレスにカルデア内での「殺戮」及び「破壊行為」を強制させた。それによって重傷を負った職員は三名、殉職した職員は十五名。消滅したサーヴァントは五騎(操られた三騎のサーヴァントを含む)。鎮圧された後も彼女は抵抗を続け、ダ・ヴィンチやアンデルセンによる精神治療も効果を上げず、最終的にカルデアの新職員たちに職務を引き継ぐまでの間、この場所へ収監されることになった。それから毎日サーヴァント達がひっきりなしで面会しに来ていたが、誰も彼女の回復に貢献することはなかった。

 立香は堕ちた。

 それがカルデアの職員とサーヴァントの下した結論だった。彼女はあの少年に魅入られた。きっともう二度と戻っては来ない。人類を救ったマスターは正気でなくなってしまったのだ。

「してるじゃないですか。俺はいつだってあなたがたの英雄ですよ——」

「今の君のどこが英雄だ!」レオナルドは憤然と言い放つ。だが彼女の表情は、身体中を切り刻まれているかのように辛そうだった。

 スピーカーからは「ははは」という乾いた笑いだけが響く。

「すみません、嘘をつきました。俺にあなたがたを守ろうなんて意志はありません。俺の尽くすべき相手は一人だけですから」

「……」

「ああ、早く会いたいなあ。愛し合いたいなあ。ねえダ・ヴィンチちゃん、その時はどんな服を着ていけば良いと思います?」

 立香は視線をレオナルドに向ける。レオナルドはその視線を真っ向から受けるが——濁りきった暗い瞳に耐えられず、やがて俯いた。

 

 

    3

 

 

 あの少年さえ召喚していなければ。

 ダ・ヴィンチは暗い個室の寝台に腰掛けて考える。今更どうしようもないことで、何をどうしたって現実を変えることはできないのだが、それでもこう暇だと思考がそちらに寄ってしまう。空々空と名乗ってカルデアに潜り込んだ偽の英雄、串中弔士。あの少年さえカルデアに入れていなければこんなザマにはならなかったのではないか。

 現在はゴルドルフ・ムジーク新所長の主導による現カルデア職員への取り調べが行われていた。数日かけて行われる尋問作業の間、職員たちは適当な「鍵付きの部屋」をあてがわれる。この扱いはゴルドルフ本人の方針だろうか、それとも彼の隣にいた女性の提言か。或いはあの胡散臭い神父の入れ知恵か。三人のうちの誰かの発想だとは思うが、一人に断定することはできなかった。

「こんなことをしている場合ではないんだけれどな」

 呟いてみる。ダ・ヴィンチのいる部屋は一人部屋だ。傍には誰もいない。当然、それに対する反応も零だった。

 十三会談と名乗る集団——彼らの素性は調べられるだけ調べてみたが、カルデアの諜報能力では成果がほとんどあがらなかった。当然、未だに具体的な対策をたてられていない。

 一里塚木の実、詳細不明。

 右下るれろ、詳細不明。

 澪標高海、殺し屋。詳細不明。

 澪標深空、殺し屋。詳細不明。

 真庭喰鮫、詳細不明。

 萩原子荻、詳細不明。

 ふれあい、詳細不明。

 バゼット・フラガ・マクミレッツ、封印指定執行者。

 青崎橙子、元冠位魔術師。現在封印指定。

 間桐慎二、魔術師家系間桐の長男。

 ラヴィニア・ウェイトリー、錬金術師。

 串中弔士、詳細不明。

 西東天、詳細不明。

 この体たらくである。

 ひと際目を引くのは青崎橙子とバゼット・フラガ・マクミレッツの二人だろう。単純なネームバリューもさることながら、封印指定を受けた魔術師と封印指定執行者が同じ組織にいるのは奇妙だ。バゼットが魔術協会を裏切ったと考えるのが一番自然だろうか。協会に問い合わせたところ、バゼットとは連絡がつかなくなっていることがわかった。

 エミヤやメドゥーサ、それにドレイクは「間桐慎二」という名前に衝撃を受けていた。「間桐慎二という男は魔術師として名が通っているのか?」と、エミヤは協会出身のカルデア職員に質問していた。知り合いなのだろうかと思い話を聞いてみると、彼は困ったように眉をひそめ、「同姓同名の別人の可能性の方がまだ高い」と言いつつも説明してくれた。冬木の御三家の一角——間桐が長男。しかし彼には魔術回路が無いという。つまりは一般人だ。人理保障機関の敵対勢力としては役者不足な気がする。

 魔術世界以外の住人として一応の特定ができたのは澪標高海と澪標深空の二人のみ。殺し屋の双子らしい。

 他の人物は全く調べがついていない。おそらくは棲んでいる世界の深度が違うのだろう。だから網にかからない。ダ・ヴィンチはそう推測している。

「キャスター、お前の番だ。来い」

 ウィンと扉が開き、ゴルドルフお抱えの兵士が姿を現した。ダ・ヴィンチは一度思考を打ち切り、ベッドから立ち上がる。先導する兵士についていくと、彼らが取り調べ室として使っている部屋に通された。

「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

 そこには一人の男がいた。彼は部屋の中央の机に備え付けられた椅子には座っておらず、入り口の横に立っていた。聖堂教会の者の風体——しかし聖職者にはまったくもって似つかわしくない、含んだ笑みをたたえている。

 言峰綺礼。

 ゴルドルフよりもコヤンスカヤよりも強く警戒しなければならない存在。素性を探るまでもなく第一級の危険人物とわかる。この男が全ての黒幕だと言われてもダ・ヴィンチは全く驚かないだろう。

「……言峰」

「調子はいかがかな。あんな場所に閉じ込められてうんざりしているだろうが、今少し辛抱してほしい」

 言峰は慇懃無礼な調子でダ・ヴィンチを出迎えた。「どうぞ、かけてくれ」とダ・ヴィンチに椅子を引く。胡散臭いことこの上なかったが、断る理由は見つからず、ダ・ヴィンチは席に着いた。

「空白の一年に何があったのか――大方の事情は把握している。君の報告書はとても読み易かった。流石は万能の天才と言うべきだろう」

「学生じゃないんだ。レポートの出来を褒めても私からは何も出ないよ」

「出してもらわねば困る。君の報告書は素晴らしかったが――難解すぎるのか簡単すぎるのか、私にはどうにも理解できない箇所があった。そこについて幾つか質問をさせてもらおう」

 変わらない笑みを浮かべながら言峰がそこまで喋った時、ダ・ヴィンチの頭にあったのは串中弔士と藤丸立香だった。串中弔士が最後に姿を消した時の描写をダ・ヴィンチは詳しく書かなかった。

 正確には、書けなかったという方が正しい。彼は文字通り「消えた」のだ。おざなりな怪奇小説のような表現になってしまうが、そう言う他ない。魔術的な痕跡も科学的な痕跡も残さず予兆も見せず、複数騎のサーヴァントに囲まれた状況で彼は見事な脱出劇を成し遂げて見せた。空間を切り取られたとでも言うほかない不可解な現象。

 もう一つ、藤丸立香についてのレポートを想起したのには、そのレポートの不完全さを彼女が認めていたからだった。ダ・ヴィンチの弱さがそこに発露していたのだ。彼女の変貌ぶりを――堕ちた立香を、ダ・ヴィンチは真に冷静な眼で観察することができなかった。可能な限り感情を排除して彼女を観察し、観察報告として仕上げたが、満足のいくものができたとは思っていない。

 だからその二点を突かれると思ったのだが、予想は外れていた。

「第六特異点」

 言峰は言う。

「神聖円卓領域キャメロットにおける活動記録に少々不可解な点があった。特異点内のアトラス院を探索した時だ。報告書ではカルデアのマスターとマシュ・キリエライトを含むそれまで行動を共にしていたサーヴァント達で施設内の機材を点検したとあるが、しかしこのメンバーでアトラス院の演算装置を点検できたのかね? 施設に滞在した時間に鑑みても、専門知識を持った協力者の介添えがあったとする方が自然だと思うのだが」

「——」

 この男。

 表情を全く動かすことなく、しかし内面でダ・ヴィンチは苦く唇を噛む。言峰綺礼、やはりそういう存在か。万能の天才が信じて疑わない自身の直感通り、彼は最優先で対処すべき人物だ。

「——アトラスの機材は利便性にも優れている。彼らは使用者にパフォーマンスを左右されるようなものを作らない」

 言峰は少しの間沈黙して手元の資料をぱらぱらと捲る。その後「なるほど」と、呆気なく身を引いた。却って不気味だった。もっと追及されるかと身構えていたダ・ヴィンチは肩透かしを食らった気分になる。

「もう一つ、亜種特異点、新宿における活動記録で、自然召喚されていたアヴェンジャー、エドモン・ダンテスに助けられたとあるが、この時の戦闘記録と報告書にある彼のスペックが一致しない。何が原因かね?」

「正式な契約を藤丸立香と交わしていない状態で戦闘に入ったのが原因だろう。彼は明晰な男だ。消滅を避けるため、魔力を節約して戦っていたと考えられる」

「同じく亜種特異点、地下世界アガルタでキャスター・シェヘラザードが聖杯の持ち主だと判断した時、報告ではレオナルド・ダ・ヴィンチ——君がシェヘラザードを名指ししたとあるが、これは事実か?」

「事実だ。あの時点では彼女以外に適する者がいなかった。もし私が思いつかなかったとしても、他の誰かが彼女を疑っていただろう」

 言峰綺礼は微笑を絶やさない。こいつ、本当は全て知っているんじゃないか? 矢継ぎ早に繰り出される問答を処理しながら、並列してホームズの安否を確認する方法を模索する。直接彼の部屋に行くのはまずい。これがブラフだった場合、わざわざ彼らにホームズの居場所を喧伝するようなものだ。ならば秘匿通信? 馬鹿な。カルデアのシステムは既に彼らに明け渡している。そんなものどこにもない。魔術を用いた思念通話? 気取られるに決まっている。

「なるほど。質問は以上だ。協力感謝する」

 そう言って言峰が向かいの椅子から立ち上がった後も、ダ・ヴィンチは油断できず彼の様子を窺っていた。まだ何かある。案の定というかなんというか、「ああ、そう言えば君に一つ頼みたい仕事があるのだが」と、わざとらしく切り出してきた。

「『Aチーム』のコフィンを解凍してほしい」

 

 

    4

 

 

 「オペレーション 無事 完了。 コフィン解凍が 終了しました」

「コフィン解凍まで あと3分 です」

 長かった作業の終了を報せるアナウンスが響く。ついでダ・ヴィンチの後方からふわっはっはというゴルドルフの笑い声が聞こえてきた。

「見事だダ・ヴィンチ君! 見直したぞ! 我々が三日かけてできなかった事をひと晩でこなすとは! これは君の処遇も考え直すべきかな? これほど優秀な技師を失うのは惜しい」

 調子の良い新所長からの賛辞を背中に浴びながら椅子から立ち上がるダ・ヴィンチ。短くため息をつく。ゴルドルフは彼女の左肩に手をおいた。

「カルデアの発電装置も扱いが難しいと報告があったところだ。正直、理屈が分からない、と。君が私の秘書になるのならそれも解決だ。どうかな? 私は従順な者には寛容だぞ?」

 ダ・ヴィンチは「それはどうも」とおざなりに礼を言いながらゴルドルフの手を払った。「謹んで辞退させてもらおう。私は以前のカルデアに興味があっただけだ。ゴルドルフ氏のカルデアにはなんの興味もない。今夜、カルデアのみんなと食事を済ませたらおとなしく退去するさ」

 美女の冷ややかな視線にあてられたゴルドルフは、一瞬その表情に恐怖を浮かべ、次いで怒りの形相を見せる。「ふん。そうか、可愛げのない!」そしてダ・ヴィンチを押し除けるようにして前に進み出で、Aチームが眠っているというコフィンの前に立つ。

「ええい、コフィンはまだ開かんのか! 3分立つぞ! いつまで私を待たせる!」

 作業を終えてコフィンの前で休んでいるカルデアの職員を叱咤した。「ああ、最優先はヴォーダイムだ! 時計塔の至宝と言われた小僧だからな! いの一番で目覚めさせ、この私が救ったのだと恩を売ってやるわ! わははははは!」

「はい、コフィン、開きます!」

 職員の言葉と共に、コフィンが白い煙をあげて口を開ける。ゴルドルフは得意げな笑みを浮かべながら、白い煙が霧散してキリシュタリア・ヴォーダイムの顔が現れるのを待った。次第にあらわになるコフィンの中——だが、そこにゴルドルフの思い描いていた光景はなかった。

「え?」

 職員が声をあげる。ダ・ヴィンチも通常より目を見開いてコフィンを見つめていた。ゴルドルフは困惑の表情のままぽかんと活動を停止する。

 コフィンの中には誰もいなかったのだ。

「コフィンにキリシュタリア・ヴォーダイムの姿がありません!」

 職員が見たままを報告する。「こちらもです! コフィンB、C、D、E、F、G! どれも中に人は入っていません!」他のコフィンを調べ始めた職員が叫んだ。

「空っぽです! さっきまで反応はあったのに、どうして!?」

「コフィンは開けてみるまで証明のなされない箱だ。中からの反応はいくらでも偽装できる」

 ダ・ヴィンチの明晰なる頭脳が目の前の謎に対して拘束で解答を算出し始める。——つまり、この四日間で、私より先にコフィンを開けて偽装したものがいる——? だが、いったい誰が? いやそもそも、どうやってヴォーダイムたちを——

 ダ・ヴィンチの思考はそこで途切れた。

 警報が鳴り響いたのだ。

 

《警告 警告 現時刻での観測結果に ■■ 発生。 観測結果 過去に該当なし 統計による 対応、予報、予測が 困難です。 観測値に 異常が検知されません。 電磁波が 一切 検知 されません。 地球に飛来する 宇宙線が 検知されません。 人工衛星からの映像 途絶 しました。 マウナケア天文台からの通信 ロスト。 現在——地球上において 観測できる他天体は ありません》

 

「——なんだって?」

「な、なにが起きているのかねダ・ヴィンチ君!? ひ——ひぃいい!?」

 青い顔をしたゴルドルフが、さきほどより余裕の手でダ・ヴィンチの肩をつかんだ。「どどど、どう言う事だ!? 私は何もしていないぞ!? なのにどうして、カルデアスに亀裂が入っているのかね!?」

 彼は管制室の中央に鎮座する巨大な地球儀を指差して言った。

 

《擬似天球カルデアスに負荷がかかっています 観測レンズ シバ を停止 します》

 

 なおも警報が鳴る。「こここ今度はなんだ!?」ゴルドルフはあちらこちらを忙しなく見回す。今度の彼の疑問には、職員の一人が答えを持ち合わせていた。

「——侵入者です! 正面ゲート、第三ゲート、第六ゲートに魔力感知!」

 職員はしかし、眼前の計器を見て冷静さを失う。「なんだこれ……!? 増える……どんどん増えていくぞ!?」

「ぼさっとしない!」

 ダ・ヴィンチが職員を叱咤した。「シバは使えなくても通常の監視カメラがあるだろう! 正面ゲートとカルデア周辺の映像、出して!」

「ぁ——は、はい! 映像、出します!」

 管制室の最も大きなモニターに光が灯る。そこには、カルデアを取り囲む黒い兵士たちの姿が映った。

「既に館内に侵入しています! 第三ゲートのシャッター、破壊されています!」

 息つく暇なく第三ゲートの警備兵から通信が入る。「所属不明の敵から攻撃を受けている! 至急応援求む! クローバー隊は全滅、繰り返す、クロー——」

 通信途絶。管制室の警備兵が胸元につけた機械をいじりながらゴルドルフに近寄る。「閣下! クローバー隊からの連絡、途絶! 生体認証、返信ありません!」

 ゴルドルフは青い顔をさらに青くした。

「何が起きているのだ……? わた、私は聞いてないぞ、こんなことは! コヤンスカヤ! コヤンスカヤは何処にいった!?」

 立香のもとへ行った時、ゴルドルフの横に控えていたピンク髪の女性の名を呼ぶ。だが、彼女は管制室にはいない。ゴルドルフに応答する者は皆無だった。

 またしてもアナウンスが流れる。

 

《全スタッフに通達。 全スタッフに通達。正面ゲート他、館内すべてのゲート機能が停止しました。館内から外部への移動は できません。 機能回復まで しばらくお待ちください》

 

「ゲートが制圧されたんだ……」

 職員が震える声で呟いた。「どうするんだよ、これ……誰も逃げられないぞ……?」

「閣下!」

 警備兵が再びゴルドルフに報告を入れる。「フラッシュフォーからの通信、途絶! 如何いたします、閣下!」

 ゴルドルフの顔色はいよいよ蒼白と化した。

「————そんな。私の兵隊たちが……全滅しただと……?」

 

 

    5

 

 

 楽な仕事だ。

 不吉な廊下を歩きながら、コヤンスカヤはほくそ笑む。

 カルデア襲撃といえば稀代の難行だったはずが、サーヴァントたちは軒並み退去済み。戦力らしい戦力といえばキャスター:レオナルド・ダ・ヴィンチとゴルドルフ・ムジークの私兵。その他多少の不確定要素はあるものの、ロシアの皇帝から借り受けた戦力にかかればそんなものは誤差に過ぎない。まさにローリスク・ハイリターン。コストは決して安くないが、儲けが確約されている投資だ。

 彼女は自身の前に複数の殺戮猟兵(オプリチニキ)を先行させ、悠然と歩を進めていた。目指しているのは最奥の独居房。藤丸立香の収容される檻だ。彼女の殺害も仕事の内。立香が死ねば、いよいよ完全に人類側の——否、汎人類史側の希望が断たれる。

「希望ねえ……」

 コヤンスカヤはそう呟き、はははと嘲る笑いを漏らす。今の立香のどこが希望なのだろうと考え直し、可笑しくなってしまったのだ。正気を喪い、カルデアに牙を剥き、がんじがらめに拘束された今の彼女に、ソロモンの魔神を討った頃の面影はない。

 カルデアも最後にとんでもない疫病神と遭遇してしまったものだ。串中弔士とかいったか——彼さえ現れなければ、運命はもっと違う形をしていたのかもしれないのに。

「……?」

 そこでコヤンスカヤは立ち止まる。

 廊下の奥の暗がりから、何かが聞こえた気がしたのだ。

 殺戮猟兵たちを警戒姿勢で待機させ、音の正体を見極める。これは……声、か? 女性の声だ。聞いたことがある……これは、藤丸立香の声だ。何か喋っている? 相手がいるのか? いや、声は一人分しか聞こえない。独り言か? 彼女は何と言っている——

 

「——素に銀と鉄——礎に石と契約の大公——」

 

「っ、走れ!」

 殺戮猟兵に命令を下す。まさか、そんなことあり得ないと思いながらも、それでも焦らざるをえなかった。

 

「——降り立つ風には壁を——四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ——」

 

 ありえない。そんなものはありえない。それを成功させるには、条件があまりにも不揃いだ——いや、本当にそうか?

 

「——閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する——」

 

 聖杯は近くにある。令呪もある。触媒は無いが、それでも召喚は成功する。唯一足りないのは術式だが……待て、立香のいる場所はカルデア唯一の独房だ。暴挙を働いた後、そこに収容されることを彼女が予想していたら?

 

「————告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に——」

 

 それを見越して、あらかじめ牢内に術式を描いておいたら? 術式そのものに魔力は無く、感知もできない。彼女がそこに反逆の切り札を隠していたとすれば。

 

「——聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ——」

 

 コヤンスカヤたちの襲撃による振動で、カルデアに何かが起こったことを察知して、混乱に乗じて脱出を試みようとしていたとすれば——!?

 

「——誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者——」

 

()()()!」

 殺戮猟兵たちが超人的なスピードで廊下を駆け抜け、独房の強化ガラスに刃を突き立てる。

 殺さなければならない。

 なぜなら、彼女は人類最後のマスターなのだから——

 

「——汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ——!」

 

 ガラスが砕け散るのと、独房から白光が溢れ出るのは、ほぼ同時だった。

 眩い光を物ともせずに、次々と独房内に躍り込む殺戮猟兵。彼らとてサーヴァントが現在進行形で召喚されていることはわかっている。それより先に、マスターを殺さなければいけないことも。

 それぞれの凶刃を閃かせて、柱に括り付けられている立香に刺突。

 拘束衣ごとぐさぐさ貫かれる立香の体。腰に、腿に、腹に、胸に、首に、額に殺戮猟兵の銃剣が刺さった。

 立香の体は一瞬びくりと痙攣し——動かなくなる。

 その後、白光が落ち着いてゆくのと同時に、刃がゆっくりと抜かれた。

 神秘が消える。

 奇跡が消える。

 どばっと鮮血が吹き出したのを見て、コヤンスカヤは安堵のため息をつく。どうにか間に合ったようだ。英霊召喚は阻止できた。

「……本当、惨めでございますこと」

 眼鏡の位置を直し、余裕の笑みを取り戻したコヤンスカヤは、勝ち誇った顔で言う。

「人類最後のマスターとして一度は世界を救った英雄になりながらも、心を壊され、誰よりも自分を慕ってくれた相棒を殺し、ついには人理修復の戦いをともにした者たちからも見離された。そして結末はこの通り。同情しますわ……世界の運命にその身を翻弄され続けた哀れな少女」

 侮蔑の言葉を並べ立てる。驚かされた不快感を、物言わぬ死体となった立香にぶつけてやりたくなったのだ。

 少女は何も言い返さない。

 だが——

 

『ああ、確かに惨めだ。少年に狂わされ、少女を殺し、世界の運命にその身を翻弄され続けた。惨めで哀れで不幸なことこの上ない。だけど——』

 

 誰かが言った。

 再び警戒態勢に入る殺戮猟兵たちの脳天を、突如として巨大なプラス螺子が貫く。

「っ——!?」

 刮目するコヤンスカヤ。彼女の視線は独房内に現れた何者かに釘付けられる——否、()()()()()()

 それは黒い学ランに身を包んだ少年。

 無個性を具現化したような平凡な顔立ち。

 しかして彼から滲み出る雰囲気は平凡なんて概念から最も遠く。

『だけど立香ちゃん。そいつは君のせいじゃない——』

 少年は笑う。

 奴隷のような不敵な笑みだった。

『君は悪くない。だって、君は悪くないんだから』

 

 




 第一話はお試し投稿です。二話以降が投稿される日はまだきっと遠いことでしょう(完結させる気はあります)。少なくとも北欧はやりたい。
 タイトルに第一話(仮)とありますが、これは原作の今後の展開が拙作の構想と整合性が取れなくなった場合、しれっと削除して全く別の一話からやり直す可能性を示しています。

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