Fate/Broken Hero   作:後菊院

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この辺までなら先出ししても何とかなるんじゃないかと思い、投下します。
我慢できねェ。


第二話(仮) LOSER

 

 

    0

 

 

 貴兄が乾きしときには我が血を与え、

 貴兄が飢えしときには我が肉を与え、

 貴兄の罪は我が贖い、貴兄の咎は我が償い、

 貴兄の業は我が背負い、貴兄の疫は我が請け負い、

 我が誉れの全てを貴兄に献上し、

 我が栄えの全てを貴兄に奉納し、

 防壁として貴兄と共に歩き、

 貴兄の喜びを共に喜び、貴兄の悲しみを共に悲しみ、

 斥候として貴兄と共に生き、

 貴兄の疲弊した折には全身でもってこれを支え、

 この手は貴兄の手となり獲物を取り、

 この足は貴兄の脚となり地を駆け、

 この目は貴兄の目となり敵を捉え、

 この全力をもって貴兄の情欲を満たし、

 この全霊をもって貴兄に奉仕し、

 貴兄のために名を捨て、貴兄のために誇りを捨て、

 貴兄のために理念を捨て、

 貴兄を愛し、貴兄を敬い、

 貴兄以外の何も感じず、貴兄以外の何にも捕らわれず、

 貴兄以外の何も望まず、貴兄以外の何もない、

 ただ一言、貴兄からの言葉にのみ理由を求める、

 そんな惨めで情けない、貴兄にとってまるで取るに足りない一介の下賎な奴隷になることを——ここに誓います。

      ——闇口崩子

 

 

    1

 

 

 「——よりによって球磨川君を一番槍に喚ぶとはねぇ。会社も媒体も違うんだから、登場するとしてもおまけキャラみたいな扱いになると思っていたけど。いやはや、なかなかどうして君らしい」

 教壇に座る髪の長い少女は何が可笑しいのか、うすら笑みを浮かべながら言う。立香が見えているのか見えていないのか、視線をふらふらと漂わせているのだが、セリフの最後で二人の目がぴたりと合った。

「……ここ、どこですか」

「教室さ。保健室でも美術室でも理事長室でも階段の踊り場でもない」

 無論、虎の道場でもないよ——と少女は付け加える。

 確かに、そこは教室と呼ぶ他ない空間だった。長髪の少女は教壇に座り、立香は並べられた机の内、部屋中央の席に着席している。窓の外には無人のグラウンド。黒板の上にかかった時計を見ると時刻は四時半。影が長く、日が赤い。

「俺は死んだんですか?」

 立香が訊く。

「ああ。そうだとも」

 少女は頷いた。

「まあ安心したまえ——そう、安心院(あんしんいん)さんだけに。どうせすぐ生き返るからね。それまで暇だし、ちょいと世間話でもしようじゃないか。これまでのこととか、色々聞かせておくれよ」

「安心院さん、ていうんですか?」

「そうだよ。僕の名前は安心院(あじむ)なじみ。親しみを込めて安心院さんと呼びなさい」

 立香は訝しげな目つきで安心院なじみを見る。ここが本当に死者の世界ならば、彼女もまた死人なのだろうか——いや、そんなことはどうでもいい。立香の興味はそんな場所にはない。

「一つ、確認しておきたいんですけど……」

 立香は周囲をきょろきょろと見渡しながら目の前の少女に尋ねる。

「何かな」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

「いないよ」

 安心院なじみはもともと上がっていた口角をさらに少し上げて言った。

 やはり壊れている。

 完全に狂っている。

 運命の形が、決定的に変えられてしまっていた。

「あの少年にご執心のようだね」

「串中くんは俺の全てですから」

 立香は照れ臭そうに言う。その瞬間だけは、ありふれた女子高生のような表情をしていた。

「串中くんは俺を捉えてくれたんです。俺をちゃんと見てくれました」

 「捉えてくれた、ね」と安心院なじみは立香の言葉を繰り返す。

 串中が立香に何かを与えたとすれば、それは人格だろう。彼は不定なる人類最後のマスターに形を与えた。その形は歪であり、串中にとって都合の良いように作られているが、がっちりと固められているのは確かだ。

 ふふふとなじみは笑い、「マシュ・キリエライトちゃんに申し訳は立つのかい」と立香に問うた。

 立香の顔から笑みが抜ける。

「なんであいつの名前が出てくるんですか」

「君ならわかるはずだろう?」

「わかりませんよ」と答える立香の表情はすでに、嫌悪と侮蔑の混じった色に染まっていた。

「彼女は君に憧れていたのだろう? 君だって彼女に惚れてたんじゃないか。彼女への愛はもう冷めてしまったのかい」

「あいつに惚れてた? そんなわけないでしょう、気持ち悪い」

 半笑いを浮かべる立香。

「あいつは俺なんて見ていないんです。何も見ようとしないまま、理想だけを俺に投影して……俺が何者か考えもしない。そんな奴をどう好きになれと?」

 安心院なじみは俯く立香を覗き込むように首を傾げる。立香は不愉快そうになじみを睨み、また視線を背けて言った。

「あいつは一度として、名前で俺を呼んでくれなかった」

 

 

    2

 

 

 少年の武器は螺子。

 それも剣やナイフのように長く、巨大な螺子だ。両手にそれぞれ一つずつ、螺子の頭を掴んで構え、コヤンスカヤに相対する。一方コヤンスカヤは小口径の拳銃のみを武装とし、学ランの少年に照準を合わせてすぐ発砲する。ただの銃と侮るなかれ、コヤンスカヤ特製の術式を組み込んだ銃弾を搭載しており、急所を貫けばサーヴァントといえども絶命させる。少年は銃口を向けられてすぐ左右にステップを踏んだが、コヤンスカヤの狙いは正確だった。立て続けに放たれた三発の弾丸は全て少年の体にヒットする。少年はノックバックし、どさりと廊下に倒れ伏した。

 だが、彼が螺子を手放すことはなかった。

『ひどいなあ』

 少年はぐったりとゾンビのように起き上がる。だくだくと肩や腹から血を流しながらも行動を停止することはなく、コヤンスカヤへ向かって再度行進を開始する。

『アグレッシヴなお姉さんだ。出会って5秒で発砲なんて。こちとら学園シュールギャグ出身だぜ? もっと世界観をすり寄せてくれてもいいってもんだろ』

「……」

 なぜだ。なぜ動ける。

 この銃弾を撃ち込まれたら部分的に霊基が破壊される。そういう術式を組んだのだから当然だ。それを三発も入れた。三発も撃ち込めばサーヴァントの霊基はぐちゃぐちゃに破壊できる。なのになぜ、どうして消滅が始まらない?

 まず疑ったのは幻術・幻覚の類いだった。コヤンスカヤが少年を撃ち抜いたと思ったのは錯覚で、実はあらぬ方向に銃口を向けていたという可能性。

 だが、いくら幻術破りを試みても効果がない。そもそもコヤンスカヤをそこまで綺麗に幻術へ落とせるだろうか? どうにも納得いかなかった。

 少年が飛び込んでくる。両手に持った螺子をコヤンスカヤへ突き立てんと迫る。コヤンスカヤは後ろに飛び退くと、なおも追撃せんと近寄ってくる少年の首に、手刀を思い切り突き刺した。

『っ——!』

 血が噴水のようにわき出る。天井まで届く鮮血を浴びながらも、コヤンスカヤは油断せず、再び銃を構えて少年の心臓部に二発弾丸を撃ち込んだ。

 サーヴァントの心臓部には霊基の核がある。これを破壊されればどんなサーヴァントでも身体を保っていられない。たとえ尋常ならざる継戦能力を誇るクー・フーリンだろうがスパルタクスだろうがその例外には至らない。消滅までの時間、油断はできないが、この少年がいかなる能力を持っていようとも、ここからの復活はありえない——

 そう、ありえない。

 そんな現実は間違っている。

 だが——しかし。

『ああ、そうそう。これだよ! この距離感』

「な——!?」

 現実は愚か、夢も幻想も運命も、およそ考えうるほぼ全てを間違えた存在こそがこの少年、

 混沌よりも這い寄る過負荷(マイナス)——球磨川(くまがわ)(みそぎ)である。

『学園ラブコメ出身の僕にとって、年上のお姉さんとはこれくらいの距離で話さないと落ち着かないぜ』

 コヤンスカヤは全力で退避しようと試みるが、間に合わない。

 螺子込まれる。

「ぐぅ——っ!?」

 床に押し倒され、ぐりぐりと両肩を螺子で廊下に縫い付けられる。久しく覚えのない激痛がコヤンスカヤを襲った。まずい、捕縛された——早く、早く脱出しなければ。もがくがすぐには抜けない。追加で二本、手のひらに螺子をもらった。「ゔっ」という呻きが漏れる。

 このままではやられる。

 焼けるような痛みに意識を持っていかれそうになりながら、コヤンスカヤは戦況をそう判断した。どうする、どうすれば生き残れる——

『〈却本作り(ブックメーカー)〉』

 そこに、トドメの一撃。

 腹部に打ちつけられる、ひときわ鋭く大きなマイナス螺子。それが刺さった瞬間、コヤンスカヤの体からあらゆる力が抜けていく。膂力も、魔力も、貯め込んだエネルギーの全てが雲散霧消してしまった。髪から色が抜ける。白くなる。「な、何を——」なんだ、何が起こった。

 勝利が遠のく。

 コヤンスカヤの味わった感覚を端的に言い表すとすれば、それが適切だった。勝ちという概念がみるみる離れていく。たとえどんな相手が来ようとも勝てない——世界の全てがコヤンスカヤを否定するような、そんな気分に苛まれる。起死回生の策も練れない。勝ちの絵を描けなくなってしまった。

 立てない。

「なんで……私、私は……」

 勝てない。

 敗者としての自分しか、思い描けない。

『反撃は無しかな? ならこの勝負、僕の勝ちってことになるんだけど——』

 球磨川はコヤンスカヤに注意を払いながら、キョロキョロと辺りを見渡す。

 増援は?

 伏兵は?

 何かこの状況をひっくり返される要因はないか?

 だが、いくら待っても事態に変化は起こらない。不思議に思った球磨川は敢えて気を抜き、コヤンスカヤに逃走のチャンスを与えてみるが、彼女は立ち上がることすらできなそうだった。「却本作り(ブックメーカー)」をまともにくらったのだから当然と言えば当然だが、しかし妙だ。

 このままでは、球磨川禊が勝ってしまう。

 おかしい。球磨川にとって、勝利とはこんな簡単に手に入るものではない。彼にとっての勝利はこんなに軽いものではないのだ。サーヴァントだから、今の球磨川は普通の人間ではないから、という理屈も通用しない。なぜって、「却本作り(ブックメーカー)」の効果はこれ以上なく十全に発揮されているのだから。

 相手の全てを球磨川の同格へと堕とす、過負荷(マイナス)

 もしサーヴァント化するにあたって球磨川が中途半端に強化されるか、「勝てない」逸話を再現しきれなかったのだとすれば、このスキルはこれほどの破壊力を持たない。却本作りは球磨川禊の弱さあってのものなのだ。

 じゃあなんでこんな簡単に勝ててしまうんだ——

「どうしたんですか?」

 不意に、球磨川に声をかける者がいた。

 新手か、やはり勝利はまだ遠いのか——と臨戦態勢に入って後ろを振り返った球磨川は、しかし構えかけた螺子をすぐにおろす。そして笑った。そうだ、忘れていた。彼女を蘇らせたのは僕だったじゃないか。

『なんでもないよ』

 砕け散ったガラスの上に立つ少女——藤丸立香に向かって、球磨川は笑いかけた。

 拘束衣から解放された彼女は、足が血塗れになるのも気にせず、素足のままガラスの上を歩き、割れた窓から廊下に出てくる。

「そうですか? なにか気になってるみたいでしたけど」

『ちょっと腑に落ちなくてさ。初登場補正があるとはいえ、こんな簡単に勝てちゃうのが不思議でね』

「なぜ?」

 立香は首を傾げる。本気でわからないようだった——確かに球磨川の人となりを知らなければ、この疑問は理解しがたいだろう。説明すべきか? 球磨川は一瞬考える。そして説明すべきだと結論づけた。今後、自分を戦力として扱うのなら、彼女は知らなければならないだろう——球磨川禊という存在の核心を。

 そう思って球磨川が口を開きかけるより一瞬早く、立香が二の句を継ぐ。

 

「あなたのマスターは、俺なんですよ?」

 

 球磨川は沈黙した。

 その言葉を聞いた瞬間、気づく。相手のことを理解していないのは球磨川の方だったと。

 彼女とよく似た存在を球磨川は二人知っている。一人は球磨川が唯一勝利をもぎ取った相手であり、最大の好敵手。そしてもう一人は五千年前の英雄——あの全知全能の悪平等をして、一億回以上の敗北を味合わせた超人。

 この少女はあの二人と同じ——いや、多分あれ以上だ。

 球磨川は確信する。

 勝ててしまうわけだ——藤丸立香の圧倒的な力の前では、()()()()()()()()()()()()()、無いも同然。彼女のもとにいる限り、球磨川禊は敗北の枷に一切捉われない状態で戦える。

 勝者であることを宿命づけられた存在。

 なんて都合の良い。

 なんて——おぞましい。

 球磨川は笑う。

 その笑みには、一種の諦念のような何かが宿っていた。

『これからどうする、立香ちゃん』

「んー。寒いし、あなたの視線もキモいですし、とりあえず着るものが欲しいですね。上に行きましょう。生活区に入れば何かあるでしょうから」

 

 

    3

 

 

 全ての出入り口を封鎖され、対抗するための兵力も尽きたカルデアに残された唯一の希望路は、立香の収監されていた独房のある棟とは反対の棟の最深部に隠されている、一輌の車だった。

 名を、虚数潜航艇シャドウ・ボーダー。

 レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したこの大型車両は、アトラス院製の虚数観測機「ペーパームーン」が搭載されており、その名の通り虚数世界への潜航を可能とする逸品である。

 カルデアの職員はみなこの車輌を目指す。殺戮猟兵に追われながら、この車に乗り込むことだけが生き残る道であると信じて建物の下層へと降りてきていた。

 自身の工房を出たレオナルドもまた下層を目指す。時折遭遇する「黒い兵士」に邪魔されながらも撃破し、他の職員たちを先に逃がしながら、下へ下へとフロアを降りていった。

 ホームズは先に行かせていた。万が一を考えて、シャドウ・ボーダーの守りを任せたのだ。

 敵の主力たる黒い兵士は一体一体が強く、徒党を組まれるとサーヴァントであるレオナルドでも簡単には勝てない。だが、敵はどうやら職員の掃討に作戦目標を移しているらしく、兵力を分散している。まとまった集団には出会さなかった。それはレオナルドにとって幸運ではあったが、一概にラッキーと済ませることもできなかった。敵が分散している事実は、全ての職員たちを守り切れないことを示す。

 加えて、敵は黒い兵士だけではない。彼らとは明らかに一線を画す実力者も紛れていた。

 レオナルドの前に立ちはだかったのは、そんな者たち。

「キャスター:レオナルド・ダ・ヴィンチだな」

「キャスター:レオナルド・ダ・ヴィンチだな」

 二重音声。

 ハウリングするように響くその声は、レオナルドと相対する二人の人物から出たもので。

 どちらがどちらかは、レオナルドにはわからなかった。

「君たちは……」

 レオナルドは自身の籠手と杖に意識を向けつつ、二人との距離を取る。見たところ、彼女たちに遠距離の武装はなかった。いや、もしかするとその法衣の下に暗器を隠しているのかもしれないが、少なくとも見かけ上は、徒手空拳を主体とする戦士のようだった。

「《十三会談》の第三席——澪標(みおつくし)高海(たかみ)、推参」

「《十三会談》の第四席——澪標(みおつくし)深空(みそら)、推参」

 彼女たちは名乗りをあげる。

 レオナルドにとって、聞き覚えのある名前だった。

「澪標姉妹……」

 双子の殺し屋。

 十年以上前から活動の記録が見え隠れする、裏世界の住人。

 そして「十三会談」と名乗る勢力の構成員。

 カルデアの敵だった。

「そうか……やはり君たちが今回の主犯だったんだね」

「違う」

「違う」

 二重で否定されるレオナルド。

「こんなのは狐さんのやり口じゃない。私たちはただ、混乱に乗じて忍び込んだだけだ」

「こんなのは狐さんのやり口じゃない。私たちはただ、混乱に乗じて忍び込んだだけだ」

「……じゃあ、何かな。火事場泥棒ってわけかい」

 レオナルドは皮肉に笑う。澪標姉妹は、つまらなそうな表情をして「そんなところだ」「そんなところだ」と二重で答えた。

「何が目的だ? 残念ながら、この施設にあったお宝はもうあらかたどっかに行っちゃったけど」

 表面上は余裕を取り繕いながら、レオナルドは、澪標姉妹が果たして本当のことを言っているのだろうか、本当だったとしたら何でカルデアがこんな目に遭っているのかを高速で検討する。敵対勢力が別にいる? Aチームのコフィンが空だったことに関係はあるか? あの神父とコヤンスカヤは何者だ? ゴルドルフはただ踊らされただけか? カルデアは今後、誰とどう戦えば良い?

「敵に目的を教えるわけがないだろう」

「敵に目的を教えるわけがないだろう」

 揃って答える澪標姉妹。だが言葉に反して視線は雄弁だった。彼女たちの注意が一瞬、レオナルドの持っている小型のトランクケースに向けられる。なるほど、狙いはこれか——と、レオナルドは納得した。

 これには、カルデアに召喚されたサーヴァントたちの霊基情報が詰まっている。

 これ以上の価値を持つ物は、現状のカルデアには存在しない。

「……残念だけど、君たちを野放しにしておくわけにはいかないんだ。あまり時間もないし、ここで倒れてもらうよ」

「誰に向かって言っている。聞いていなかったか? 私は《十三会談》の第三席——」

「誰に向かって言っている。聞いていなかったか? 私は《十三会談》の第四席——」

 ——澪標高深海空だ、と。

 二人の名乗りが重なった直後、レオナルドの目前に二つの掌が迫る。

「っ——」

 レオナルドは後退の姿勢に入るが、間に合わない。気づいた時には、澪標姉妹はすでに間合いの内に入り込んでいた。だが、なぜだ。レオナルドはずっと二人を注視していた。瞬きすらしていないのに——意識の間隙を縫って踏み込まれたのか? ()()()()()()()()()()()()()()()()

 とにかく、まずい。

 この距離は。

 技が、決まってしまう。

腥羶(しょうたん)——」

「——扇歌(せんか)

歓娯(かんご)——」

「——展勝(てんしょう)

 レオナルドは咄嗟に防御姿勢を取る。しかし澪標姉妹の技術の前には大した意味を持たない。万能の天才にして芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチにしても、マーシャルアーツは専門外だった。万能の名に恥じず、遠中近全対応を謡ってはいるが、中距離戦、遠距離戦の攻防と比べると、至近距離での戦闘への造詣は幾分浅い。

 「神秘を纏った攻撃しか効かない」というサーヴァント特有の防御システムも、ここでは役に立たなかった。年代物の武具に破魔のご利益が宿るのと同様、世代を超えて練り上げられた武芸にも神秘が宿る。

 「人食い(マンイーター)」や「人間失格」との戦闘から十年と少し。

 澪標姉妹の腕前は、その領域に達していた。

 遠距離戦では間違いなくレオナルドが勝つ。

 中距離戦でも危なげなくレオナルドが勝つ。

 近距離でもレオナルド有利。

 刀剣の間合いよりも狭い超至近距離のみで、澪標姉妹に分があり——そして今は、まさにそんな状況だった。

 レオナルドが吹っ飛ばされる。

 右肩と左脇腹に巨大な衝撃。後方へ吹き飛ばされたレオナルドは、しかし宙を舞う只中で反撃を繰り出した。

 杖から発射される光線。闇雲にばらまかれたように見えるそれは、実のところ全て弱性のホーミングが付与されている。狙いは精確。発射されてから反応しては到底避けられないそれを、澪標姉妹はたやすく躱して廊下の左右に広がった。予測できる反撃だったらしい。まあレオナルドとしても当たるとは思っていなかった。追撃を遅らせる牽制だ。

堯舜(ぎょうしゅん)——」

「——凛威(りんい)

箕獣(みのしし)——」

「——華柄(かがら)

舞霧(まいきり)——」

「——白華(はっか)

 再び流れるように距離を詰める澪標姉妹。今度は先ほどよりも二人の迫ってくる角度が広い。どちらかに対処しようとすれば、どちらかが視界から外れてしまう。

 レオナルドは右の籠手から炎を噴出して目の前に壁を作る——が、一歩遅い。右から来る方(高海か深空かはわからない)は火を嫌って踏みとどまったが、左から来る掌底は、またも直にもらってしまう。

 ずしん、と、世界が揺れた。

 レオナルドの身体を衝撃が突き抜ける。「うっ——」とうめき声が口から漏れた。サーヴァントとしてのレオナルドの耐久度はE。常人よりは多少タフで、通常ならこの一撃をもらった時点で勝負アリなのを継続できている点で頑丈だが、こればかりに頼りきるには心許ない。

 杖を振り回し、相手に距離を取らせる——が、驚いたことに杖のスイングを上半身の動きだけで躱され、さらに隙を晒す結果となった。ドンっと身体を当てられる。体勢が崩れ、床に転がるレオナルド。杖が投げ出された。

黄蛟(きみずち)——」

「——大篝(おおかがり)

剣牛(けんぎゅう)——」

「——社貫(やしろぬき)

誅凰(ちゅうおう)——」

「——遍鬼(へんき)

 それを見逃す澪標姉妹ではない。一気にトドメを見舞うべく襲いかかる。レオナルドは霊基トランクを左手に持ち帰ると右の籠手に再び魔力を装填、飛びかかってくる姉妹の片割れに火炎を発射した。

 しかし、それすらも澪標姉妹には通じない——というか、やはり距離が近すぎる。

 レオナルドの籠手に仕込まれた通常の武装は火炎放射の他に冷気放射、ロケットパンチの三種。至近距離での高速戦闘に持ち込まれては、満足に威力を発揮できない。火炎も冷気も、吐き出す前に照準をずらされる。範囲攻撃として優秀な武装も、ゼロ距離では攻撃範囲が広がる前に対処されてしまう。澪標姉妹は矢継ぎ早に連撃を叩き込み、レオナルドの体力を削っていく。

 距離だ、距離が必要だ。

 サーヴァントとしての身体能力と、即席の強化魔術を駆使してレオナルドが飛び退くが——澪標姉妹は驚いたことに、レオナルドに追随してきた。

 レオナルドは直接戦闘型のサーヴァントではない上に、今は明確なマスター不在であり、満足なパフォーマンスは発揮できないが、それでも敏捷性のランクはCを保てている。サーヴァントとしては平均レベルの速度を持っているのだ。サーヴァントとして平均レベルとは、つまり一般人からはかけ離れた動きで走り回れるという意味なのだが——しかし、引き剥がせない。レオナルドの反撃を警戒しているため、彼女たちが無闇に飛び込むことはないが、レオナルドの得意な距離には持ち込ませてくれない。

 これが屋外なら拮抗状態になるのだろうが、生憎カルデアの廊下には限りがある。いつかは追い詰められて、仕留められるだろう。

 次の一発を食らえばいよいよ足が止まる。

 切り札を切るのに、もはや躊躇いなどなかった。

 

「——東方の三博士……北欧の主神、知恵の果実——」

 

羅織(らおり)——」

「——絵扇(えおうぎ)

 レオナルドが詠唱を始めたのを受けて、澪標姉妹も勝負を決めるべく大技の予備動作に入る。

田鶉(たうずめ)——」

「——蛇籠(じゃかご)

 先ほどとはまた違う、完璧に左右対称の強襲。武芸の素人が看破するのはまず不可能——否、たとえ達人の域にいる者でもいなせるのはごくわずかの、文字通りの必殺技。

八咫(やあた)——!」

「——堕獄(だごく)!」

 しかし現在、澪標姉妹の向こうに回るのは人ならざる英霊にして、埒外の天才と語り継がれる究極の芸術家。

 

「——我が叡智、我が万能は、あらゆる叡智を凌駕する——」

 

 その伝説に不可能はなく——

 その宝具に、死角は無い。

 

「『万能の(ウォモ・ウニヴ)——ッ!?」

 

 魔拳に匹敵する澪標姉妹の奥義と、レオナルドの宝具が衝突する、

 その寸前。

 両者の意識が対象のみに絞られ、

 周囲への対応能力がゼロになる瞬間——

 刹那。

 狙い澄まされた一撃が、レオナルドの背中から、胸部を突き抜けた。

「——がフッ、……!?」

 不発に終わる宝具。

 なんだ——

 状況への理解が追いつくよりも早く、

 澪標姉妹の拳打が、レオナルドの体に入る。

 破壊。

 破壊される。

 鎖骨の下が、肉体が、霊核が、砕かれる。

 敗北が、

 消滅が、確定する。

 レオナルドの視界にある、澪標姉妹の表情。

 彼女たちの表情は、驚愕の色に染まり、

 技が決まったのにもかかわらず、戦慄していて。

 奥。

 レオナルドの背後に、視線が向けられていた。

「運がなかったな、レオナルド・ダ・ヴィンチ」

 背後から聞こえる声。

 聞き覚えのある低音。

 それを聞いて、

 レオナルドは全てを理解した。

 

「——君の望みは、何一つ叶わない」

 

 言峰綺礼はレオナルドの胸部から右腕をずぼりと抜く。

 勢いそのまま、レオナルドを押し飛ばし、澪標の片割れにぶつける。

 血塗れの腕——退避しようとするもう片方の澪標へ接近。

 初撃はガードされる。二段目、三段目の追撃もいなされる。

 しかしその後に控える本命の蹴りは、少なくとも彼女一人だけでは、防げなかった。

 首が砕ける。

 技をくらう前、彼女の表情は焦燥と苦悶に覆われていて、

 くらった後は、一切の色が無く。

 魂が抜けていて、

 死体の顔に変わっていた。

()()()()()()()()()()!」

 絶叫。

 双子の片割れ。

 澪標深空。

 憤怒に染まり、

 激情に駆られ、

 誰の前でも、ここまで明確に怒りをあらわにしたことなどなく。

 言峰に向かって、突撃する。

「おのれええええええええええええええ!」

 向かえば敗北は必至で。

 しかし、彼女にそれ以外の選択肢は無く。

 言峰が対処しようと拳を構えた瞬間。

 目の前から、深空が消える。

「……」

 油断無く周囲を見渡す言峰。

 しかしいつまで経っても攻撃はなかった。

 それでも言峰はしばらく警戒を解かずにいたが——周囲の殺気が完全に消えていることを確認し、少なくとも防御姿勢を解除する。

 澪標深空の姿は、もうどこにもなかった。同様に澪標高海も幻のように消えていた。

 敵は撤退したらしい。

「……成る程。姿の見えない支援役がもう一人いた、ということか」

 言峰は呟いた。

 撤退の判断を下したのはその者だろう。あの状態の深空にそれができるわけがない。感情的にも、技術的にも。まあ、逃げられたのならば仕方ない。まだ近くにはいるだろうが、追撃はしなくとも良いだろう。彼らがまだカルデアと「我々」の戦いに横槍を入れてくる気でいるのなら、いずれまた相見えることになる。

 今は当初の目的だ。

 意識を切り替えた言峰は、床に倒れ伏すレオナルドの方を見る。

 高海の死体まで回収していった手際は見事だが——本命の得物は、どうやら持ち出せなかったらしい。

 ヒューっ、ヒューっと、不気味な呼吸音をさせながら、レオナルドは眼球を動かしてどうにか言峰を見上げる。彼女は杖も籠手も投げ出していたが、その代わりに、空いた両手で小型のトランクを抱きしめていた。

「サーヴァントの霊基情報が入っている器はそれか?」

 いまだ敵意の籠もった目で言峰を睨むレオナルドに問う。

 答えはなかったが、それは肯定と同義だった。

「君たちにそれを持っていられると少々困るのでね。渡してもらおう」

「……」

 レオナルドは霞む視界の中、薄い笑みを浮かべてこちらを見下ろす言峰を睨み続ける。

 黙って奪えばいいのに、と、音の出ない喉で毒づいた。

 言峰はレオナルドに抵抗の余力がないことを知って話しかけている。趣味の悪い男だ。レオナルドに取れる選択肢が一つしかないことをわかっていて、いつまでそれを選び続けられるか、レオナルドがいつまで耐えられるかを試しているのだ。

 レオナルドの体から黄色い光が漏れ始める。霊基の崩壊が始まった。

 ここまでか。

 すまない、ホームズ。霊基トランクは届けられない。

 沈みゆくレオナルドの意識——ぼやけた思考で辿るのは、カルデアで起きたここれまでのこと。そしてここで出会った人々の顔。

 マリスビリー・アニムスフィアとその娘、オルガマリー。

 レフ・ライノール。

 職員たち。

 キリシュタリアをはじめとするAチームの面々。

 マシュ・キリエライト。

 シャーロック・ホームズ。

 人理修復のために集った数多のサーヴァントたち。

 ロマニ・アーキマン。

 そして——

「……?」

 ふと、レオナルドは言峰綺礼の視線が自身に向けられていないことに気づく。

 彼は廊下の先を見ていた——先ほど澪標姉妹が立ち塞がっていた方向とは逆側。

 こつん、こつん、と、足音がする。

 誰だ。生き残った職員たちは全員先へ行かせた。ホームズにはシャドウ・ボーダーの護衛を任せている。だからあっちの方向から来る者がいるとすれば、それは全て敵陣営の人間だ。

 味方のはずがない。

 敵だ。

 ……たとえ君でも、敵なんだ。

 とうの昔に、私は君を見限っているし、見捨てている。

 ——嗚呼、だけど、それでも。

 泣いてしまいそうになるのは何故だろう。

 白いカルデアの制服を纏う、赤毛の少女。

 藤丸立香。

 

 

     4

 

 

「コヤンスカヤは失敗したか」

 言峰が呟く。

「——ここは『まさか』と驚くべきなのだろうが、何故かな。『やはり』と言いたくなってしまう。君はそれほどに……巨大な存在だ」彼の口角がつり上がった。

「誰ですか貴方」立香も笑う。

「胡散臭いですね。貴方みたいな人に褒められると死にたくなっちゃいます」

 彼女は悠然とまわりを見渡し、最終的にレオナルドに視点を向ける。死にかけのレオナルドを見て、「ははあ」と納得したようにうなずいた。状況を把握したらしい。

「——球磨川さん、時間稼ぎしろって言ったら、どれくらい保たせられます?」

 そう言った瞬間、言峰綺礼が飛び退く。

 一瞬前まで言峰の立っていた位置に、数本の巨大なプラス螺子が突き刺さっていた。

 ゆらりと立香の前に現れる影。

 詰襟の制服を着た、特徴のない少年。

『時間を稼ぐのはいいが——別にあれを倒してしまっても構わんのだろう?』

「かっこつけてないで、どれくらい保つか教えてください」

『立香ちゃんの方に行かせないようにするの? そうだね、せいぜい一分ぐらいじゃないかな』

「だっさ」

 呆れ顔になる立香。「じゃあ、まあ頑張って一分もたせてくださいね。よろしくお願いしますよ」

『了解、立香ちゃん』

「できればマスターと呼んでください」

 立香が言うと、球磨川は螺子を構えて言峰に突っ込む。球磨川の螺子は苦もなく言峰に躱され、反撃の膝蹴りが球磨川の腹に入り、あえなく吹っ飛ぶ——しかしその間に、言峰・球磨川と立香・レオナルドを隔てる螺子の鉄柵が構築された。

「……」

 廊下の床、壁、天井にこれでもかと打ち付けられた螺子の群れ。言峰にしても簡単に突破できるような代物ではない——特に、球磨川という妨害役をあしらいながらの突破ならば。

 確かに一分はかかる。

 冷静に判断を下した言峰は、球磨川との戦闘を開始した。

 一方の立香は、レオナルドに近づいて彼女の傷の具合を確かめる。

「——うわあ、胸をえぐられてるんすね。じゃあ発声は無理か」

 一目見てそう言った立香は「一方的に喋るんで、聞いてください」と前置きをして、言葉を続ける。

「あなたを許してあげます」

 立香はにっこりと微笑んだ。

「俺を独房に入れたこと、処分を計画していたこと——は、どうでも良いんです。あなたの犯した一番の罪は、()()()()()()()()()()()()()。本当なら二千年ほど拷問を受けてもらいたいのですが、まあ、特別です。串中くんは無傷のまま帰れたようですし、これまでのあなたとの関係とか成果とか、なんか諸々考慮して、水に流してあげましょう。寛大ですよね? 泣いて感謝してもいいんですよ」

 表情だけは昔の立香のまま、「契約を結びましょう」と言う。

「あなたが後生大事に抱えているそのトランク……それを、目的地まで運んで差し上げます。この奥ですよね? 脱出手段……虚数潜航艇シャドウ・ボーダー、ですか。そこまで持っていってあげましょう」

 駄目ですよー、時間がないとはいえ、すぐに崩壊する施設とはいえ、こういうデータはちゃんと工房から消去しとかないと。と、付け足して言う。

「ああ、でも『大嘘憑き』には消去とか無意味かー」

 楽しげに、優しげに、立香の微笑みは変わらない。

「ねえ、ダ・ヴィンチちゃん——俺の奴隷になってくれませんか?」

 そんな言葉を言い放つ時も。

 立香は立香のままだった。

「ただ技術と知識だけを搭載した俺の傀儡になってください。俺だけを見て、俺だけを愛し、俺に打ち捨てられるその時までずっと俺に尽くし続けてください」

 ふざけるな、そんな契約に乗るわけがない。

 レオナルドは立香を睨む。だが立香の舌は止まらず、「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」などとのたまう。

「今後あらゆる手段を用いてカルデアを殲滅します。全力でね」

 やめろ。

 やめてくれ。

 抗議の声をあげようとするが、レオナルドの声帯はもう機能していなかった。「ひゅーっ、ひゅーっ」という音が胸の穴から鳴るだけで、何も言い返せない。

 惨めだった。

 無力だった。

 レオナルドには、何もできない。

「よろしいですね? では、良いお返事を期待しています」

 立香はレオナルドからトランクをひったくる。レオナルドは最期の力を振り絞って抵抗するが、もはや崩壊の始まっている身体だ、簡単に奪われてしまう。

 待て、待ってくれ。駄目だ、そっちに行くな——どうする、残された時間はあと数秒。どうすれば良い。

 

「……ゴ、メン……ネ……」

 

 レオナルドは、そう言った。

「…………」

 立香は無言のまま、しばらくレオナルドを見つめる。

「……なんで」

 ポツリと呟き、俯く。

「なんでだよ」

 レオナルドは魔術を行使し、声帯に空気を通して強引に発声したのだ——そんなことは立香にもわかる。かの天才ならその程度、こんなボロ雑巾みたいな状態でもやってのけるだろう。問題はそれを使って発した言葉だ。恨み言は予想していた。泣き言を言うかもしれないとも思っていた。考え直せと迫ってくる可能性も。だが、なんだ? おい、なんの冗談だ。魔術を使ってまで伝えたかったのが、謝罪の言葉?

 立香は再び顔を上げる。

 その表情は怒りに染まっていた——が、それは一瞬のことで、怒りの色はすっと抜け落ちる。

「許すって言ったでしょう」

 慈愛に満ちた微笑みを浮かべる立香。

 その顔のまま、片足をゆっくりとあげて——もともと霊基崩壊寸前になっているレオナルドの頭を踏み潰した。

 ぐしゃりと。

 レオナルドの肉体がとうとう霧散する。

 神秘的な黄色い光の粒が弾け、何の形跡もなくなった。

「——随分と意地悪なことをするのだな」

 立香の背後に、言峰綺礼。

 廊下を分断していた螺子の群れはどれもこれも折れ曲がり、両断され、砕け散っていた。

 球磨川は奥の方で血塗れになって斃れている。彼のことだ、どうせまた何事もなかったかのように立ち上がるのだろうが、それには今少しの時間を必要としていた。

 そしてその「今少しの時間」内に、言峰は立香を三百回ほど殺せる。

 トランクを奪うなど、造作もない。

「あなたがそれを言いますか」

 立香は言い返した。

 言峰も立香も、双方不敵な笑みを浮かべている。

「君の今の状態は、性質の反転とも違うな。黒化英雄は生来と真逆の人格を持つが、それゆえに整然とした同一性を維持している。しかし君の場合は『反転』ではない。なんと言えば良いのか——そう」

「『歪曲』、でしょう」

 立香が言葉を引き継ぐ。「自分でもわかっていますよ。前の俺を知っている人から見たら、今の俺はきっと壊れている。行儀の良い改造や変換なんかじゃありません。これはただの破壊です」立香は恍惚となり、頬に片手を当てた。「串中くんは、俺をめちゃくちゃにしてくれました」

「串中弔士は、ただただ無造作に君を壊した……その理由を、君は知っているのかね?」

「……囲われているから」

 立香はそう答える。

「外の世界を見たいと願うのは、人として当然ではありませんか?」

「……そうだな。全く以てその通りだ」

 問答を終えると、立香はトランクを地面に置いて両手を広げ、目を瞑る。

「では、ダ・ヴィンチちゃんの答えを聞きましょう。俺をあなたに殺させなければ良し。あなたが俺を殺したら悪し。シンプルな二択です」

「君が死ねば、我々の陣営に入ることはできなくなるが」

「大丈夫です。どうせすぐ生き返るので。このトランクを奪い取って先に行っててくださいよ、あとで追いつきますから」

「……そうかね」

 では——と。

 言峰は拳を握って立香へ踏み込む。狙うは壇中——胸の真ん中。言峰の拳打が撃ち込まれれば、立香の肉体は見るも無残に爆散するだろう。

 その一撃は、はたして。

 立香に届くことはなかった。

 

「——『万能の人(ウォモ・ウニヴェルサーレ)』——」

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチの宝具は長らく攻撃手段の一つとして使用されてきたが、実はその機能の本質は「解析」にあり、防御においてこそ真価を発揮する。リソースの一部をカルデアの運営に割く必要もなくなったとするのならば、レオナルドに仕掛けられるあらゆる攻撃は一瞬のうちに「解析」され、「転用」され、「反射」される——それは純然たる武術である言峰綺礼の八極拳にしても例外ではなく。

 鏡のように。

 言峰の拳は、霊基トランクから臨時再召喚されたレオナルドの籠手と激突し、跳ね返された。

 言峰は笑う。

 立香も笑い。

 レオナルドだけが、笑っていなかった。

 彼女の表情に一切の感情は無く。

 だが何故だか、泣いているように見えた。

「良い子だ、ダ・ヴィンチちゃん」

 立香が褒める。レオナルドは「光栄です」と、機械のように応える。

 そして立香の方を振り返り、片膝をついて傅いた。

壊れた魔術師(ブロークン・キャスター)、レオナルド・ダ・ヴィンチ、参上仕りました——どうぞ気の向くまま、お気に召すまま使ってください。私は、あなたの奴隷(サーヴァント)です」

 頭を垂れてそう名乗るレオナルドは、みかけこそいつものモナリザであり、いつもの「ダ・ヴィンチちゃん」であったが、その中身は、特異な契約によって醜く変えられていた。

 立香と同様、壊れていた。

 

 ごめんよ。立香くん。

 やっぱり、私じゃ君を救えない——

 

 

    5

 

 

 目が開く。

 見知らぬ天井を仰ぎ見るより前に、自身の顔を覗き込む女性の顔を見てしまう。彼女はこちらを見ながら、にこりともしないまま「起きましたか」と呟き、「今がいつだかわかりますか?」と訊いてきた。

「え……」

 自身の喉から声が漏れる。意識はまだ覚醒しきれていない。ただ訊かれたことに答えようと、知っている限りの「今」の情報を思い起こす。

「2017年……12月……」

「はい、ありがとうございます」

 正確な日付を聞くより先に遮り、合っているとも間違っているとも言わず、女性は何事かを手元のタブレット端末に入力する。今ので何がわかるのだろう。自身の健康状態だろうか。次第に頭が冴えてきて、現状を把握し始める。ここは……病室? 寝かされているのはベッドで、この女性は、だとすれば医者か何かか?

「あの……ここは……?」

「ここはヒューストンです」

 女性は素っ気なく回答する。ヒューストン。ということは、ここはアメリカ? 確かに、彼女の言葉は典型的なアメリカ英語だ。

「あなたのお名前をお聞かせ願えますか」

 質問はターン制とばかりに、今度は女性の方が尋ねてくる。人に名前を聞く時はまず自分から名乗るものじゃないのですかなどとは思っても口にできないタチで、素直に答えた。

「……マシュ・キリエライト……だと、思います」

 

 




コヤンスカヤが自力で弱体化なしの『却本作り』を解くとなったら、どんくらいかかるかな。

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