TSアル中悪役令嬢は破滅を御所望です   作:激辛寝具

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20話後にロレナが死んだらというIFです。
重くて救いようのない話なのでご注意ください。


IF まちがいさがし

 今日と変わらない明日が来ることを、ミアは疑っていなかった。

 メテウスを倒してから数日が経った頃、フィオネが怪我をした。怪我自体はすぐに医者によって治されたのだが、精神の方に悪影響が出たらしい。彼女が仕事のできる精神状態でなくなってしまったため、ミアたちが以前のように巫女たちの仕事を引き受けることとなった。

 

 その日も、ミアは普段通り魔物の出た場所に訪れていた。以前よりも成長したミアは、今更普通の魔物に苦戦することはないと思っていた。事実、その日の魔物は大した問題もなく全滅させることができた。

 ミアは自分の成長を実感して、喜色満面であった。そんなミアを、ロレナはいつものように呆れた顔で見ていた。

 

「ミア。あんまり笑ってると、魔物を殺すのが楽しい狂人と間違われますわよ」

「でも、嬉しいものは嬉しいよ。私、強くなったでしょ?」

「ま、そうですわね。以前よりは強くなったと言えないこともないですわね」

「でしょ? ロレナさんもそう思うでしょ?」

「う、うざいですわ……」

 

 ミアは鬱陶しそうな顔をするロレナにまとわりついた。青い瞳は相変わらず、吸い込まれそうなほどに綺麗である。その瞳をじっと見つめていると、不意に、ロレナはひどく驚いた表情を浮かべた。何かあったのだろうかと思っていると、ロレナに突き飛ばされる。

 ぱりん。そんな軽い音の後、何かが破裂する音が響いた。

 生温かいものが、ミアの全身に降り注ぐ。ミアは目を見開いた。呼吸が止まるのを感じる。

 

「あ……」

 

 自分のものとは思えないほど、か細い声が喉から漏れる。

 ロレナの胸に、穴が空いている。そこから吹き出した血液が、止めどなくミアに降り注いでいる。濃密な血のにおいを感じた。ロレナの体に空いた穴の向こうから、鈍色の空が見える。

 

 ミアが動けずにいると、ロレナはミアに覆いかぶさった。一拍遅れて、ロレナの体にいくつもの穴が空く。ミアの服に染み込んでいく血の感触が、ひどく遠い。青白くなった彼女の顔が、息がかかるほど近くに迫った。そこでようやく、ミアは正気を取り戻した。

 

「ロレナさん!」

 

 喉が張り裂けそうなほどに、ミアは叫ぶ。

 

『ミア』

 

 焦点の合わない目で、彼女はミアのことを見つめている。彼女の喉からは、声にならない声が漏れ出している。もはや、喋ることもままならないのだろう。しかし、ミアの耳には確かに彼女の声が聞こえてきていた。それが風魔法によるものなのだと、ミアは少し遅れて気がついた。

 

『私の指差す方向に、魔物がいるわ。私が生きている間に、愛の力で倒しなさい』

 

 ロレナは淡々と言う。ミアはロレナの指差す方向に目を向けた。この体勢では、魔物がどこにいるのかはわからない。だが、彼女が指差すということは、そこに魔物がいるのは間違いないということなのだ。

 

「でも……!」

『いいから、早く』

 

 魔物を倒さなければ、ミアもロレナも死んでしまう。それはミアだって、わかっている。

 ミアは立ち上がり、その方向に向かって走り出した。光線をいくつも飛ばしながら、必死に駆けていく。遠くの茂みが光り、ミアにかけられた防御魔法が吹き飛ぶ。だが、そのおかげで、どこにいるのか目星がついた。

 

 ミアは光った場所に向けて愛の力を放った。しかし、いつもより力の勢いが弱く、そこまで届くことなく消えてしまう。ミアは思わずロレナの方を振り返ろうとした。

 

『振り返らず、行きなさい。私に構っていると、あなたも死にますわよ』

 

 彼女の声に押されて、ミアは駆ける。その間、魔物からの狙撃によって体に傷がついていく。だが、それに構わず走り続ける。そして、ついに潜んだ魔物を見つけ、ミアはすぐに光線を放った。

 

 魔物の消滅と共に、静寂が訪れる。ミアは辺りを見渡した。魔物の気配は感じないが、ここにいたら危険だろう。ロレナの探知にも引っかからないような魔物が潜んでいる可能性が高いのだ。彼女を連れて、早く逃げなければならない。

 

 ミアはロレナの元に戻った。彼女はほとんど虫の息であった。見たところ、肺も心臓も弾け飛んでいる様子なのだ。それで即死していないのは、何か魔法を使っているためなのだろうか。

 

 ミアは治癒魔法を使えない。それに、もし使えたとしても、ロレナは治癒魔法が効かない体質なのだ。ミアは心が絶望に覆われていくのを感じた。それでも、歯を食いしばって彼女の体を抱き上げ、歩き出す。

 

「ロレナさん、寝ちゃ駄目ですよ」

 

 彼女は目を閉じている。もはや、助からない。ミアは咄嗟にそう思ってしまった。もしラインがこの場にいたらどうにかなったのかもしれないが、ミアたちが呼ばれた村には、普通の魔法医しかいない。どう考えても、彼女の治療が間に合わないのは明白だった。

 

 いやだ、と思う。

 こんなところで、こんなにも簡単に、彼女が死んでしまうなんて、嘘だ。

 これが悪い夢だったら。そう思うが、彼女から伝わってくる感触が現実だと告げていた。

 

「ロレナさん、この村にも、美味しいお酒があるらしいです。だから、後で一緒に飲みましょう? 血液全部アルコールになるまで、付き合いますから」

『……ミア』

 

 彼女の体からは、急速に熱が失われていっているようだった。ミアは痛いほどの無力感に苛まれた。もし、自分がラインのような力を使えたら。もっと強かったら、ロレナを守れたかもしれないというのに。そう思ったが、もうどうにもならない。

 

『私のことは、忘れなさい』

 

 ロレナの声で、血液が沸騰しそうになるのを感じた。

 

「いや!」

『あなたには、私なんかよりもずっと良い人がいますわ。その人と一緒なら、あなたはどこまでだっていける』

「そんなの知らない! ロレナさんと一緒にいられれば、どこにだっていけなくていい! ロレナさん以上に良い人なんて、この世のどこにもいないの!」

 

 ロレナの体から、血が滴り落ちる。ミアの体から落ちた血液が、彼女のものと混ざって見えなくなる。ミアは頬を涙が伝うのを感じた。

 

『……馬鹿ね。私みたいな悪人しか見てこなかったから、そんなことを言うのよ』

 

 不意に、柔らかな光がミアを包む。それは治癒魔法だった。傷ついたミアの体が治っていく。見れば、ロレナは微かに笑みを浮かべているようだった。

 

『あなたには自由の翼があるわ。その翼は、私に縛られていいものではない』

「聞きたくない、そんなの。もうやめよう、ロレナさん。そんなことより、もっと楽しいことを話そうよ。ほら、ロレナさんの大好きなお酒の話とか……」

 

 ミアは村に向かっていく。魔物の攻撃は、今のところない。

 

『そういう話は、もう十分ですわ』

「十分じゃないよ! まだまだ、話したいこと、話さないといけないこと、いっぱいあるのに!」

 

 ロレナは何も言わない。ミアは子供のように駄々をこねた。

 

「やだ、やだやだやだ! いかないで、ロレナさん! 私、ロレナさんがいないと駄目なの! ロレナさんがいなくなったら、何もできないよ! いいの? ロレナさんが死んじゃったら、私……」

 

 話している途中で、ミアは気がついた。ロレナはもう、身動ぎ一つしていない。ミアはその体を、ひどく重く感じた。

 

「ロレナさん?」

 

 彼女は返事をしない。

 

「ロレナさん、ロレナさん! 起きてください!」

 

 その体を揺らしてみるが、血が流れ落ちるのみで、他には何の反応も見せない。ミアはそこで、彼女が死んでしまったのだと悟った。しかし、認めたくなくて、必死に彼女の名前を呼んだ。だが、やはり何の反応も見せない。

 

 強くなったと思っていた。

 これからはロレナのことを守れると、そう思い込んでいた。だが、結局、ミアは何も成長していなかったのだ。

 

 ロレナを守りたいと思いながらも、彼女の能力に依存していたために、このような事態になったのだろう。本気で守るつもりだったのならば、彼女を頼るべきではなかったのだ。

 

 だが、全ては後の祭りである。ミアはぼんやりと空を見上げた。泣き出しそうな空が、ミアを見下ろしている。

 一足先に、ミアにだけ雨が降っているのだろうか。ミアの両頬には、とめどなく温かい水が伝っていた。

 

 

 

 

「ねえ、ミア。聞きたいことがあるんだけど」

 

 あれから一月ほど経ったある日、寮の廊下でフィオネに声をかけられた。彼女は気まずそうな表情を浮かべながら、ミアに近付いてくる。

 

「何ですか?」

 

 彼女が何を話そうとしているのか、ミアには察しがついていた。しかし、こちらから話を進めたいとは思えず、何もわからない体で質問をした。

 

「その……ロレナのことで……」

「お断りします」

 

 ミアはそう言って、彼女の横を通り抜けた。

 

「待って!」

 

 彼女はミアの背中に声をかけてくる。だが、止まる理由がなかった。

 

「……ロレナがどうして死んじゃったのか、知りたいの。友人として」

「なら、私はあの人の術者として、それを拒否します」

 

 ミアは思わず立ち止まり、振り返った。

 

「人の死にずかずかと踏み入ることが、友人としてすべきことなんですか?」

 

 ひどく冷たい声が出る。フィオネは泣きそうな顔でミアを見つめていた。それを見ても、ミアは彼女に同情することができなかった。

 

「……それに。あの人の最期は、私だけのものです」

 

 死なせてしまった罪も、彼女が最期にかけてきた言葉も、全てはミアだけのものである。生きている間、ロレナはきっと他の巫女に、ミアの知らない顔をいくつも見せてきたのだろう。だから、あの時のことだけは、ミアしか知らない顔として心の中にしまっておきたかった。そこにだけは、誰にも踏み込ませない。

 

「話がそれだけなら、もう行きますね。仕事がありますから」

 

 ミアは一人で巫女と術者を兼任している。ロレナから受けた愛を自分の心に再現することで、擬似的な愛の力を生み出し、それによって魔物を倒しているのだ。ミアはあれから、さらに強くなった。

 

 風魔法や治癒魔法を覚え、ロレナのように戦えるようになった。どれだけ傷ついても死ぬまでは止まらなくなったし、大抵の魔物は敵にすらならない。

 

 だが、ミアは全ての魔物を滅ぼすまで止まらない。ロレナを死なせてしまったのはミアの責任だが、それでも、魔物が憎かった。ミアは魔物を絶滅させるためなら、何でもするつもりである。

 

 人がいる限り魔物がいなくならないのなら、人類を滅ぼすつもりである。そして、憎しみに支配された自分を最後に殺し、永遠に魔物が生まれない世界を造り上げるのだ。それがミアの贖罪である。

 

 ミアは踵を返して廊下を歩きながら、フィオネを一瞥した。いつか、彼女のことも殺すことになるのかもしれない、と思う。

 

 だが、どうでもいいことだ。全ては魔物を消滅させるためである。そのために必要なら、自分も他人も殺すだけだ。

 ロレナがいなくなり、自殺する巫女の数は以前とは比べ物にならないほどに増えている。ロレナが守ろうとした人たちなのだから、助けるべきかとは思うだが、ミアはもう彼女たちに何の情も持てなかった。今は魔物を消し去ること以外考えられない。考えたくない。それだけである。

 

 

——

 

 

「フィオネ。……どうだ?」

 

 部屋で手帳に情報を記していると、ヘクターに声をかけられる。フィオネは顔を上げて、そっと手帳のページを手で隠した。

 

「……ん、大体書き終わったよ」

「……そうか」

 

 彼はフィオネの隣に座り、気遣わしげな表情を浮かべた。フィオネはロレナの情報を手帳に記していた。この手帳は、グレイヴの仕事用のものである。この学園で今まで死んでいった巫女の情報が全て手帳に残されている。ここから提出用の資料を作る必要があるのだが、そうする気にはなれなかった。

 

「私、ロレナの名前だけは、ここに書きたくなかった」

「ああ」

「もし……。もし、私が体調を崩してなかったら、ロレナは……」

「やめろ、フィオネ。それ以上考えても、辛いだけだ」

 

 ヘクターはそう言って、フィオネの肩に手を置いた。フィオネも、こんなことを考えても仕方がないとわかってはいる。だが、彼女が死んだ一因がフィオネにもある以上、考えずにはいられないのだ。

 

「わかってるよ、そんなの……。でも、私は……」

 

 手帳に書かれた文字が、滲む。そこでフィオネは自分が泣いていることに気がついた。必死に手で拭うが、涙が止まる気配はない。ロレナが死んだと聞いた時、フィオネは泣けなかった。彼女が死んだという実感が湧かなかったためである。

 

 しかし、こうして情報を整理し、もう二度と会えない彼女に想いを馳せていると、本当に彼女は死んだのだという実感がふつふつと湧いてくる。フィオネは胸に大穴が空いているような感じがした。

 

 ロレナがいなくなっても、世界は続く。だが、フィオネの中にある世界は、終わりが訪れているようだった。生きるのに必要な何かが足りていない。まるで、酸素を失っているかのように、フィオネの心は苦しくなっていた。

 

「ごめんね、ヘクター」

「何の謝罪だ、それは」

 

 ヘクターは強くフィオネの両肩を掴む。

 

「悩んでいるのなら、俺に全部話してくれ。絶対に力になるから」

「無理だよ」

 

 涙で視界が歪んでいる。声を出すのが辛い。いや、呼吸をすることすら、辛くて苦しいことに思えて仕方がなかった。

 

「だって、ヘクターは好きな人を失ったことなんてないでしょ?」

 

 歪んだ視界の中で、ヘクターが悲しそうな顔をしているような気がした。彼の手からは徐々に力が抜けていっている。

 

「フィオネ……」

「……ごめん。こんなこと言ったって、仕方ないのに」

「いや、いい。事実だ。……それに、お前の心が少しでも軽くなるのなら、いくらでも言ってくれて構わない」

 

 ヘクターの優しさが痛い。もう、優しくされるのは嫌だった。誰かを好きになったら、その人を失った時に苦しくなる。愛が深ければ深いほど、失うことが怖くなる。だからもう、フィオネは誰も愛せそうになかった。

 

 もはや、フィオネは巫女として戦えない。ヘクターを愛することができない。死んだロレナのことが忘れられない。希望を失ったフィオネは、普通に生きることもできないのだ。それに、学園からは巫女として戦うことを期待されている以上、どうにもならない。

 

 フィオネはふっと笑って、ヘクターの手に自分の手を重ねた。ずっと一緒にいて、彼のことを見てきたはずだ。そのはずなのに、彼の手が自分より遥かに大きくなっていることに、フィオネは今更気がついた。

 

 ヘクターは大切な家族だ。そんな彼を傷つけることに、罪悪感はある。だが、希望がなくなってしまったフィオネは、もう生きられない。

 

「ヘクター。ちょっと外に出ててくれないかな」

「……わかった。落ち着いたら、食事にでも行こう。いい店、知ってるんだ」

「……うん」

 

 嘘をついた。そのせいで、胸が痛くなる。ヘクターが出て行った後、フィオネは手帳に目を向けた。開かれた手帳の右側のページには、ロレナの情報が書かれている。そして、左側のページには、フィオネのことが書かれていた。

 

「えへへ……」

 

 それを見て、フィオネは笑った。生きて一緒にいることは叶わなかった。パートナーではないから、一緒に死ぬことも叶わなかった。だから、せめてこのような形で彼女と一緒にいたかったのだ。死した後どこにいくのかはわからないが、少なくともこのページの中では、フィオネとロレナはいつも一緒である。

 

 フィオネたちの資料を提出するのは、ヘクターに任せよう。彼ならばきっと、フィオネの遺志を尊重してくれるだろう。

 

 フィオネは手帳を閉じて、手の中に雷の刃を作り出した。それを首に押し当て、一気に引く。鮮血が迸った。革の表紙の上に、血が滴り落ちる。このまま放置していれば、ロレナのところに行けるだろう。

 

 フィオネは目を瞑った。意識が遠くなり、体の感覚が薄れていくのを感じる。フィオネは手帳に手を置いた。そこからは何の熱も感じられないが、そうしていると、ロレナの体温を思い出す。

 死んだ後の世界では、また彼女の熱を感じられるようになればいいな。フィオネはそう思いながら、意識を手放した。

 

 

——

 

 

「聞かせてください、ローレンスさん。巫女の秘密を」

 

 ローレンスの宿に訪れたラインは、静かな声でそう言った。アリアはラインとローレンスを交互に見た。ローレンスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

 

「……やはり、こうなったか」

「やはりって、どういうことですか?」

 

 アリアが尋ねても、返事がない。その代わりに、彼はアリアとラインに目を向けた。

 

「巫女について知ったところで、失われたものが元に戻るわけではない。わかっているか?」

 

 アリアは小さく息をついた。

 

「わかっているからこそ、こうして聞きに来たんです。その先に何が待ってるとしても、私は巫女について知らないといけないんです!」

「なぜ、そこまで……」

「ロレナさんのことが好きだった……ううん、今でも大好きだからです」

 

 アリアは真っ直ぐにローレンスを見つめた。ロレナが死んだことを受け入れるには、一ヶ月以上の時間が必要だった。今も彼女の死を乗り越えられているわけではないが、受け入れなければならないとは思っている。

 

 そして、ただ受け入れるだけでは駄目なのだ。彼女が死んだのは魔物のせいのはずだが、それだけではないような気がした。巫女の秘密が、彼女の死に何か関わっているように思えてならないのだ。

 それを知らないままでは、納得できない。好きな人の死をただの不幸で済ませられるほど、アリアは潔くなかった。

 ラインもまた彼女のことを知りたがっている様子だったので、今日はここについてきてもらったのだ。

 

「……誰にも言わないと、約束できるか」

 

 アリアたちは頷いた。

 

「いいだろう。なら、知るといい。……これは、エールが死んだ後に知ったことだ」

 

 そう前置きして、彼は巫女の秘密について話し出した。巫女は術者から痛みを与えられ、愛を絞り取られているのだということ。それが原因で、巫女の多くが自殺していること。そして、痛みで動けず、魔物に殺される巫女が数多くいること。

 

 エールはどうやら、巫女だったらしい。彼女が唐突に死んだことを疑問に思ったローレンスは巫女について徹底的に調べ上げ、ついに事実を知った、とのことである。巫女と術者はこの国の支柱といえる存在であるため、この秘密は絶対に秘匿されていなければならないらしく、秘密を知ったと関係者に悟られたらただでは済まない、と彼は言った。

 

 痛みが愛だと彼が言い出したのは、秘密を知ったのが原因だったのだろう。彼は自分が巫女であるエールに痛みを与えていたことや、それによって彼女が死んだことを受け入れられなかったのだ。

 

「……これが俺の知っている全てだ。お前たちは秘密を知った。これからどうするつもりだ?」

 

 アリアは立ち上がった。

 

「どうするもこうするも、ないです。……巫女の苦しみを、どうにかします。それを、ロレナさんも望んでいるはずだから」

 

 現実逃避をしている暇はない。ロレナを変えられなかったアリアには、彼女のために何かをする権利がないのかもしれない。だが、それでも、何もせずにはいられないのだ。アリアが死ぬ日がきたら、その時は、ロレナに会って謝るべきだろう。

 

「僕も、協力します。こんな世界は、変えないといけない」

 

 ラインはそう言って、アリアの隣に並ぶ。

 

「そうか。……死なないように」

「わかってます。この命は、ロレナさんにいただいたものですから。……ロレナさんが望んでくれた以上、私はこの命を無駄にはしません」

 

 ロレナがいなければ、アリアはもうこの世にはいなかった。だから彼女のために、できることをするべきなのだ。

 そうでなければ、許されない。

 

 彼女に救われたのに、何も返せずに終わるなんて、許されるべきではない。だから、アリアは進み続けるべきである。

 

 そう思いながら、アリアはローレンスの部屋を後にした。これから具体的に何をするべきなのかはわからない。だが、今は足を動かしていないと、どうにかなってしまいそうだった。足を止めた瞬間、きっとアリアは耐えられなくなる。

 ロレナともう二度と、触れ合えないのだということに。

 

 

 

 

 アリアが三年生になった時、王都が魔物によって襲撃された。襲ってきた魔物の軍を見た時、アリアは絶句した。その中に、ロレナたちが倒したはずのメテウスがいたためである。

 

「やっほー。人類の皆さん。慎重に協議を進めた結果、世界を滅ぼすことになりましたー。ぱちぱちぱちー」

 

 気の抜けた声で、メテウスが言う。王都を埋め尽くさんばかりの魔物が、鬨の声を上げていた。あれからアリアたちは巫女のケアを行ってきたが、それでも、この数の魔物と戦えるほど巫女は多くない。

 

 やはり、ロレナの死が致命的だったらしく、王都立学園の巫女たちは戦意を失ってしまっていた。他の学園から巫女を呼ぼうにも、どこも人手不足であり、どうにもならなかった。

 

 できる限りのことはしてきたつもりだった。しかし、それでも足りなかったのだろう。

 だから王都は、蹂躙された。逃げ惑う人々は魔物によって殺されていき、抵抗していた巫女と術者たちも、徐々に押されていった。アリアは人々の避難を手伝っていたが、恐らく、生き残る者はほとんどいないだろうと確信していた。

 

「ミア様は何をしているんだ!」

 

 逃げながら、誰かが叫ぶ。ロレナの術者だったミアは、今や一人で大群を消滅させるほど強い巫女兼術者に成長していた。王都では、彼女は人類の希望と呼ばれていた。彼女は今王都にいるはずだが、姿を現していない。

 

 その時、門から逃げようとしていた人々が吹き飛ぶ。それは、強力な風によって引き起こされているらしい。吹き飛んだ人々はそのまま風によって全身をずたずたに引き裂かれ、地面に転がった。

 

 血のにおいが辺りに充満する。ざわめいていた人々が、にわかに黙り込む。アリアは門に立つ人の姿を見て、ああ、そうか、と思った。

 

 そこには見覚えのある人物が立っていた。

 赤黒いリボンによって長い銀色の髪を二つ結った、凛々しい顔の少女。血のような瞳には、狂気が滲んでいる。それは、ミア・レックスだった。彼女は今、かつてアリアを傷つけていたローレンスと同じ顔をしている。

 

「な、なんで……」

 

 誰かが声を上げる。どうやら、人々は当惑しているらしい。人類の最大の希望であるはずのミアが人を襲った理由が分からないのだろう。アリアは彼女がなぜ人を攻撃したのか、痛いほどよくわかった。

 

「皆さん! ここは駄目です! 別の出口から——」

 

 アリアは声を張り上げたが、その前に、光線によって人々の姿が消滅する。まるで魔物のように跡形もなく、一瞬でほとんどの人が消されてしまった。アリアは背中に汗が滲むのを感じた。

 

「久しぶりだね、アリアちゃん。私のこと、覚えてるかな?」

 

 彼女はかつてと変わらない声色で言う。光を失った瞳が、無感動にアリアを映している。彼女にとって、アリアは虫よりも価値がない存在なのだ。それは、瞳を見るだけでわかる。

 

「こんなことしても、ロレナさんは戻ってこないですよ」

 

 アリアは静かな声で言った。恐らく、アリアはここで殺されるだろう。だが、それならば、できる限り時間稼ぎをするべきだろう。ミアを引きつけておけば、他の人が逃げる時間くらいは作れるはずである。

 

 アリアは恐怖が背中を這い上がってくるのを感じた。死ぬのが怖い。ロレナが隣にいた頃は、死ぬのも怖くなかった。だが、一人で死と向き合うのは、息が止まってしまうほどに怖かった。

 

「わかってるよ。何回も何回も、考えた。どうすればロレナさんにもう一度会えるか。どうすれば、ロレナさんに褒められるか」

 

 彼女はリボンを触りながら言う。

 

「でも、分からないんだ。だって、ロレナさんはもう死んでるから。声をかけてくれない。何も教えてくれない。……顔も、声も、もう思い出せない」

 

 擦り切れている。そう、思った。アリアは今でも、ロレナの声も顔も、鮮明に思い出すことができている。だが、彼女の心は壊れてしまい、全てを忘れてしまったのだろう。彼女に残っているのは、身を焦がすような復讐心だけなのだ。

 

「だけど、一つ。ロレナさんのために、できることがある」

 

 僅かに残っていた人々を光線で消滅させ、ミアは笑った。だが、その瞳は一切笑っていない。

 

「それは、全てを消すことだよ。ロレナさんを傷つける原因になったものは、全部壊す。全部消す。そうすれば、ロレナさんは……」

「喜ぶわけ、ないじゃないですか」

 

 アリアは血が出るほど強く拳を握りしめた。

 

「何で、ロレナさんのそばにずっといたあなたが、ロレナさんが一番喜ばないことをしているんですか! 誰よりもロレナさんを知ってるはずなのに!」

 

 今更彼女を糾弾しても仕方がないとわかっている。それでも、アリアは思わず叫んでいた。ミアが個人的な復讐のために誰かを傷つけるのは、まだわかる。だが、それをロレナのためと言うのは許せなかった。

 

「ロレナさんは、誰かを傷つけることを望むような人じゃありませんでした。なのに、一番大事にされていたあなたがこれじゃ、ロレナさんがかわいそうです……」

 

 アリアは涙が滲むのを感じた。巫女たちを手助けする活動の中で、アリアは強くなった。だが、今のミアに抵抗することは叶わない。アリアは大きく手を広げ、かつてのロレナのように胸を張ってみせた。

 

「殺すなら、殺してください。あなたの手で、あなたの意志で、あなたのためだけに」

 

 震える声で、アリアは言った。ミアの瞳からは、憎悪が溢れ出しそうになっているようだった。

 

「いいよ。そこまで言うなら、殺してあげる」

 

 ミアはそう言って、アリアに向かって光線を放った。アリアは光線をじっと見続けた。最後の最後まで、目を逸らしてはならない。

 

 そう思っていると、光線が逸れる。少し遅れて、アリアの前に二人の男が現れた。一人はフィオネ・グレイヴの元パートナーであるヘクター・グレイヴ。そしてもう一人は、ロレナの兄であるランドルフ・ウィンドミルだった。

 

「大丈夫かい?」

 

 ランドルフはアリアの方を見て言った。ロレナが死んだ後、彼とは何度か関わる機会があった。だが、彼のこんな顔を見るのは初めてだった。

 彼は顔に怒りを滲ませていた。その怒りは、ミアに向いているらしい。

 

「ミア・レックス。お前は何をしているんだ?」

 

 ヘクターが言う。

 

「……復讐ですよ」

 

 ミアは小さな声で言った。

 

「そう、そうです。最初から、ロレナさんのためじゃなかった。全部、全部私のため。ロレナさんを殺した魔物も、それを生み出した人間も……守れなかった私も、全部憎い。だから全て壊すんですよ」

 

 そう言って、ミアは光線を走らせた。ランドルフは風魔法によって、アリアを遠くに運ぶ。ミアたちの姿が遠ざかり、見えなくなった。それと同時に、辺りに轟音が響いた。彼らの戦いが始まったらしい。

 

 手伝うことはできない。アリアがいても邪魔なだけだろう。アリアは泣きそうになるのを抑えて、走り出した。生き残りの人々を避難させなければならない。そう思い、風魔法で辺りの音を集める。

 

 だが、聞こえるのは魔物の唸り声ばかりである。まさか、皆殺されてしまったのだろうか。

 アリアは立ち尽くした。襲いかかってきた魔物を何匹か倒すが、焼け石に水である。ミアたちが戦う音が、次第に少なくなっていく。数分経った後、完全に戦闘音が止む。アリアは目を瞑った。どちらが勝ったのかは分からなかったが、誰かがアリアの方に向かってきているのは確かだった。

 目を開ける。そこに立っていたのは、一人の人物だった。

 

「……二人は」

「殺したよ」

 

 ミア・レックスは平然とそう言った。随分と変わってしまったな、と思う。最初に会った時も、確かに、少し怖そうな人だと思った記憶がある。だが、ここまで冷酷で狂った人間ではなかった。恐らく、父と同じように愛する者の死によって壊れてしまったのだろう。

 父とは異なり彼女には全てを終わらせる力がある。それは恐ろしいことだった。

 

「ありがとう、アリアちゃん。あなたのおかげで、私は自分の気持ちを思い出した。私がこんなことをしても、ロレナさんは喜ばない。褒めてもくれない。……だから」

 

 光線が走る。アリアは意識が闇に沈むのを感じた。

 

「私が死んだら、ロレナさんに裁いてもらうよ」

 

 最後に聞こえたその声は、ひどく寂しげなものだった。

 

 

——

 

 

 全てが終わった。

 人類を滅ぼし、魔物を滅ぼし、世界に残るのはミアだけになった。

 隣にロレナの姿はない。

 あれから何年経っただろう。ミアは誰よりも強くなった。全てを灰燼に帰す力を手に入れたのだ。だが、きっと未だに、誰かを守る力はないのだろう。求めていたものだけが手に入らない。復讐に手を染めた人間など、そういうものなのだろう。

 

 昔、ロレナと二人きりの世界になったらどうするか話したことを思い出す。あの頃は、彼女のことをもっと知りたかった。彼女が隣にいてくれれば、二人きりの世界でなくても構わなかったのだ。

 

 だが、全ては遠い昔の話である。

 ミアは草の上に寝転がった。優しい風が、ロレナを思い出させてくれそうな気がした。しかし、彼女のことはもう、ほとんど思い出せなくなっていた。

 

 どうすれば良かったのか、ミアには分からなかった。ロレナならどうしただろうか。今のミアと同じ立場だったら、彼女はどんな行動をとっていただろう。

 

 そう考えて、ミアは笑った。

 決まっているではないか。彼女は愛するものが死んでも、変わらずに他者を助け続けただろう。間違っても憎しみに支配されることはなかったはずだ。

 

「ロレナさん、会いたいです」

 

 そう言って、ミアは自分に死の魔法をかけた。これはミアの開発した魔法の一つだった。これを受けた者は、二十四時間以内に死ぬ。だが、死ぬ時間はランダムである。

 

「レックスさん」

 

 聞き覚えのある男の声だった。幻聴のはずはない。だが、この世界に人が残っているはずもないのだ。ミアの探知魔法に引っかからない人間など、いないのだから。しかし、目の前には、確かに知り合いの男が立っていた。

 

「ルイス、先生……」

 

 彼は相変わらずの胡散臭い笑みを浮かべながらミアを見ている。

 

「久しぶりですね。少し、大きくなりましたか。おっと、攻撃はしないでくださいね。無駄な魔法は使いたくありませんから」

 

 ミアはその言葉を無視して、彼に向かって光線を放つ。しかし、光線は彼に触れる直前で消滅してしまう。

 

「おやおや、血気盛んなご様子で」

「どうして……」

「ずっと別の世界にいたのですが、ふと気になって帰ってきたんですよ」

 

 彼はそう言って、辺りを見渡した。

 

「随分と自然豊かになりましたね、この世界は。温暖化とは無縁そうだ」

 

 彼が何を言っているのか、ミアにはよく分からなかった。

 

「いやはや、それにしても君がこんなことをするとは。可能性の未来は、やはり無限と言えるのでしょうね」

 

 ひどく楽しげな声が、耳障りだった。だが、彼は殺せないと本能が告げていた。まさか、最後の最後でこんな障害が現れるとは。ミアは小さく息を吐いた。

 

「そうだ、君も一緒に来ますか? 今、僕たちは鎮魂歌を作っているのですが……」

「……お断りします」

「はは、振られてしまいましたか」

 

 生温かい風が、ミアたちの間を吹き抜ける。

 

「……鎮魂歌って、何ですか?」

「おや、気になりますか。ロレナへの鎮魂歌ですよ。とはいえ、歌と言うのは語弊があるかもしれませんが。気になるなら来てはどうですか?」

 

 彼は手を差し出してくる。ミアは今更、誰の手も取るつもりがなかった。ミアにはもう、死ぬ以外の道は残されていないのだから。

 

「あなたは、ロレナさんの何なんですか」

「主治医……いえ。友人、だったのでしょう。きっと」

 

 ラウロはそう言って、微かに笑った。関わった機会はそう多くないが、その表情は珍しいものに見えた。

 

「彼女が死んでから、退屈で仕方がないですよ。とはいえ、彼女は死にたがっていましたから、いつかはこうなるのも必然だったのでしょう」

「……は?」

 

 聞き捨てならない言葉が聞こえた。ミアは上体を起こし、彼を見つめた。

 

「ああ、知らなかったんですか。彼女は、ずっと死にたがっていたんですよ。学園に入学したときから。もしかすると、もっと前からなのかもしれませんが」

 

 知らなかった。気付かなった。誰よりも好きだったのに、誰よりも彼女のことをよく知っていると思っていたのに。ミアはロレナがまだ生きていた頃のことを思い出した。確かに、彼女は人と距離を置こうとしていたような気がする。それは、彼女が死にたがっていたためなのか。

 

「なんで……?」

「偶然が怖いから、だそうです。事故死したら、幸せを奪われる。ならば最初から幸せでなければいい。偶然によって命を奪われるくらいなら、自分で命を終わらせたい。それが……それだけが彼女の望みでした」

 

 ラウロはそう言って笑った。その瞳には、理解できないほど複雑な感情が絡み合っている。

 

「……あ」

 

 ミアは最初から、何もできていなかったのか。

 彼女を幸せにすることができなかった。死にたがっていることにも気付かず、能天気に彼女と接し続けていた。彼女と自分の間にズレがあるのをわかっていたのに、何もできなかった。彼女はミアにたくさんのものをくれたのに、ミアは彼女に何もあげられなかった。

 

 愛にヒビが入っていくのを感じる。ミアは自分が誰であるのか分からなくなっていった。ミアの愛は、ひどく弱い。愛した人のことを何も知らず、愛した人に対して何もできず、彼女が死んだ後も自分のためだけに動き続けた。結果、ミアには何も残っていない。

 

「恥じることはありませんよ。彼女は自らの望みを誰にも伝えぬまま死ぬつもりだったのですから。……ですが、残念ですね」

 

 何が、と言う間も無く、彼は言葉の続きを口にした。

 

「ロレナは君の中に希望を見出していました。君がいれば、自分が死んでも大丈夫だと、そう思っている様子でしたが……」

 

 心が壊れる音が聞こえた。

 彼女は、ずっとミアを信じてくれていたのか。ミアはそれを裏切り、全てを壊してしまった。彼女を守れなかっただけでなく、その心に気付かず、期待にも応えられなかった自分は、一体何だったのだろう。

 

「う……あ……」

「とはいえ、全ては君の選択です。ロレナにも、僕にも、文句を言う権利はないのでしょう」

 

 ラウロはそう言って、何らかの魔法を使う。彼の前の空間が歪み、全く別の場所の景色が浮かび上がった。そこには、灰色の大地が広がっている。嗅いだことのないにおいが漂った。

 

「本当に、来なくていいんですね?」

 

 ミアは何も言えなかった。

 

「……そうですか。では、いつかまた、会いましょう。次会うときの君は、君でないのかもしれませんが」

 

 そう言って、ラウロは歪んだ空間の向こうに消えていく。その瞬間、心臓が跳ねる。どうやら、死の魔法の効果が出てきたらしい。

 

 結局、何も得ることなく終わってしまった。

 どこで間違えたのだろう、と思う。

 しかし、考えるのも嫌になって、ミアは目を瞑った。もし別の人間に生まれ変わるようなことがあれば、今度は選択を間違えない自分になりたい。そう思いながら、命が終わるのを待った。

 




1章はこれで終了です。
次回の更新は書き溜めがある程度できてからになります。

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