ウマ娘の進化論 ─なぜウマ娘の愛は重いのか?─   作:粋成

1 / 6
本作品に登場する人物・団体・名称等は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、本作品で語られている技術・歴史等も架空のものです。鵜呑みにしないでください。


なぜウマ娘の愛は重いのか?

 ウマ娘と言われて読者諸君の多くが思い浮かべるのは、やはりトゥインクル・シリーズやドリームトロフィー・リーグを走る競走バだろう。中には他のスポーツで活躍するウマ娘を想像する物好きや、甘酸っぱい初恋を思い出す人もいるかもしれないが。

 

 諸君らが思い浮かべたウマ娘(初恋のあの子を除く)は、みなメディア露出の過程で巧妙に偶像(ウマドル)化されている。歌って踊れる彼女たちの可憐さや愛嬌は誰もが知っているが、その本質、つまりはウマ娘という生物の正体についてはあまり知られていない。

 

 なぜウマ娘たちは速く走れるのか?なぜ耳が頭頂部にあるのか?その尻尾は何のためにあるのか?なぜ揃いも揃って美形なのか?

 ──誰もが一度は考えるような疑問に答えられる人は、奇妙なまでに少ない。本書ではそんなウマ娘たちの謎めいた実態について、専門家へのインタビューを交えて迫る。

 

 

◇◇◇

 

 

ウマ娘の『重い愛』の正体とは?

 

 

 『重い愛』とは何ぞや?と訝しがる読者もおられるだろう。恥ずかしながら、かくいう私も数年前まではこの『重い愛』について全く知らなかった。おそらくこの話については、実情どころか存在すらも知らない人が大半だろう。

 では、そんな『重い愛』とはどんなものなのか?業界人の間に伝わる噂によると、なんでも、『ウマ娘、特に中央で走るような速いウマ娘は、気に入った異性に尋常ではなく執着して独占しようとする傾向にある』というのだ!過去にそういったタイプの異性で苦労した経験のある私からするとなんとも嫌な話だ。

 

 この話を初めて知ったのは私が編集部に入りたての頃。先輩のベテラン記者が教えてくれたのだが、当時の私は「まさかあんな無垢でキラキラしたウマ娘が重いわけないでしょう!」と先輩の小粋な冗談を笑い飛ばしたものだ。しかし、ウマ娘専門誌の記者として業界を駆け回っているうちに私は確信した。この話、どうやら()()みたいだ、と。

 

 どうして分かったのか?その答えは取材中のウマ娘達の態度にあった。幸いなことに、私は何度かウマ娘と担当トレーナーへの独占取材をさせてもらったことがあるのだが、その時私に同伴するアシスタントによってウマ娘達は露骨に機嫌を変えるのだ。(ちなみに、ウマ娘の機嫌は耳と尻尾の様子を見ればおおかた察しがつく。わかりやすく耳が後ろに伏せていなくても、尻尾が忙しなく動いていたら機嫌を損ねていることが多い)

 

 取材アシが男性だったら、ウマ娘達は大変リラックスした様子でインタビューに応えてくれる。ステージ上の煌びやかな姿を思い出させるような愛嬌だって見せてくれて、率直に言えば眼福の極みだ。いつまでもその笑顔を見つめていたい!しかし、アシが女性だった場合は途端にウマ娘達が不機嫌になってしまう。中には担当トレーナーに身を寄せたり、アシを睨みつける娘もいる。私まで睨みつけられることもある。明らかに女性に対して強く反応しているのだ。そうなると私は大変居心地が悪いので、最近は独占取材の時には男性アシスタントを呼ぶようにしている。

 まあ、私の感想だとか対策とかはどうでもよろしい。とにかく、ウマ娘達はトレーナーを横にすると女性に対して警戒心を抱くようだ。これだけは間違いない。

 

 そんなのはお前の勝手な推測に過ぎない、愛が重いとまでは言い切れないじゃないか!そう指摘する読者諸兄もいるだろう。私もそう思う。しかし、私は確固たる証拠を入手してしまった。

 先日、「密着!トレーナー24時」と題して、時代をときめくウマ娘たちを担当する2人のトレーナーに独占取材を行ったのだが、その中で二人がウマ娘の『重い愛』について言及する場面があった。まずはそちらの発言をご覧いただこう。

 

 

◇◇◇

 

 

※本人の強い希望により、トレーナー両氏の名前は伏せた状態でお送りします。

 

T氏「ウマ娘ってのは気に入った人間を独占したがるんだよ。実力のある娘ほどその傾向も強くなるって言われてる。なんでかは見当もつかないけど、経験上これは間違いないとオレは思ってるぜ。担当ウマ娘と結婚するトレーナーなんて中央では普通のことで、それを嫌がって抵抗したあげくに『寿()退()()』する例も稀にある。だからオレ達トレーナーは常に担当ウマ娘の感情に気を配らなきゃいけないし、()()()がないなら一定の距離感を保たないといけないんだ。──おい、Oもよく知ってるだろ?実感はしてなさそうだけれど」

 

O氏「ああ、中央トレセンに赴任してすぐ先輩トレーナーから教えてもらった。ウマ娘は嫉妬深く、独占欲が強いと。だからトレーナーは担当ウマ娘との距離感を大切にしないといけないんだ。『人間はウマ娘から逃げられない』とは俺たちトレーナーの間でよく言われている言葉だが、ウマ娘の気性をよく表した名言だと思う」

 

 

◇◇◇

 

 

 いかがだろうか?特筆すべきは、2人が口を揃えてウマ娘の強い独占欲について言及している事だろう。また、T氏の発言によれば、中央トレセンではトレーナーと担当ウマ娘との結婚は非常によくある事で、さらには『寿退職』するトレーナーも一定数存在するようだ。一体なぜ退職することになるのか、本稿では深く考えないようにしておく。

 

 ちなみに、本インタビュー「密着!トレーナー24時」の全文は15日発売予定の『月間トゥインクル』9月号に掲載される予定なので、気になる方は是非こちらもご覧いただきたい。

 

 さて、もはやウマ娘の愛が重いことについては疑う余地は無いだろう。私だって認めたくはないが、もはや信じる他ない。となれば、次に来る質問は一つしかありえない。

 

 一体なぜ?

 どうしてウマ娘の愛は重いのか?

 

 この謎を解明するため、我々取材班はアマゾンの奥地……ではなく、アメリカはウマソニアン博物館に向かった。目的は、ウマ娘研究部長のS博士。ウマ娘学においては右に出るもののいない、まさに最先端をゆく専門家だ。今回、我々はそのS博士からウマ娘の『重い愛』に関する詳しいお話を聞くことができた。

 

 世界の誰よりもウマ娘について知り尽くした人物から見た、ウマ娘の『重い愛』の正体。我々が追い求める謎の答えが、少しずつ近づいてきた。

 

 

◇◇◇

 

 

 ──ウマ娘の『重い愛』についてですか、なるほど。確かに、ウマ娘はヒトと比較して異性に対する執着心が強いことが確認されています。そして、身体能力に優れた個体ほど、その傾向が強いことも。

 昔からウマ娘のこの性質は経験則として知られていましたが、科学的手法によってこれが正しいと証明されたのは、実は今世紀に入ってからのことなんです。

 

 愛というのは情動の1つです。他の情動には怒りや悲しみといったものも挙げられますが、困ったことにどれも数値化できません。

 試しに、怒りの強さを表す時を考えてみましょう。ちょっと怒った、まあまあ怒った、すごく怒った、という風に大小の比較はできるかもしれませんが、1怒り、10怒り、100怒りのように数字で表すことはできませんよね。

 ウマ娘の愛情と、それが原因で起こる執着心についても同じです。どうやら人間より強いようだ、運動能力の高いウマ娘ほど強いようだ、と分かっていても、数字で表すことが出来ない以上証明はできません。どうにかして定量化しようという試みは、残念ながら長い間成功しませんでした。

 

 さまざまな手法が試されて、失敗が繰り返されました。

 ウマ娘たちを集めてアンケートを取った実験では、思春期のような恥じらいと見栄によって結果に激しい誤差が生じてしまいました。ウマ娘の愛情を実際に受けた男たちを集めて行った調査では、俺の愛バが1番だという惚気話しか得られませんでした。だったら俺が直接データを取ってやると言い放ち、何人ものウマ娘たちを惚れさせた若い研究者はある日突然姿を消しました。()()()()()()()()()()()()

 

 しかし、ミレニアムも近づいた頃、ある技術の発達と共に活路が見えて来ました。 

 それは、MRIを用いた脳マッピングでした。脳内血管の血流量を観察することで、脳のどの部分が活発に働いているかを測定する技法です。90年代の終わり頃、ウマンビア大学の研究チームが、この技術を用いてウマ娘とヒトの脳の働きの違いを比較観察することに成功したのです。

 まさに画期的な成果でした。今まで当事者の言葉と行動を観察することしかできなかったのが、血流量の変化という客観的に比較できる値を用いることができるようになったのですから。世界中のウマ娘研究者がこの手法に飛びつきました。

 もちろん、私もね。

 

 後はあっという間でしたよ。まずは、一人でリラックスしているウマ娘と恋人が隣にいるウマ娘の脳内血流を比較することで、ウマ娘の愛情を司る脳の部位が特定されました。

 次に、恋人とハグをしている時のウマ娘と、恋人が他の女性やウマ娘と話している姿を見た時のウマ娘とで脳内血流を比較することで、愛情を原因とした様々な感情が沸き起こる様子が記録されました。その中には、怒り、悲しみ、嫉妬、独占欲、他にも様々な感情が含まれているはずです。また、それぞれの情動を細分化して引き起こすことで、各感情をどの部位が司っているかも特定されました。

 これらの成果により、ウマ娘の様々な情動は脳内血流の変化から分析できるようになったのです。それこそ、私たちが長い間求めていた感情の定量化に他なりませんでした。

 

 さて、必要な道具は手に入りました。あとはウマ娘の『重い愛』について証明するだけです。幸いなことに私たちが手に入れた武器は非常に強力だったので、ウマ娘の愛情が強い事と、運動能力が高いウマ娘ほどその傾向が強くなる事は容易に証明できました。

 しかし、これらの分析を行う中で、私は新たに非常に興味深く謎めいた結果を得たのです。

 

 それは、ウマ娘の愛情の強さがある一つの遺伝子によって決定されているというものでした。

 初めてこの事実を発見した時、私は信じられない気持ちでした。なぜなら、この結果はウマ娘の愛情の強さと運動能力の関係についての従来の説を真っ向から覆す事実だったからです。

 それまで、ウマ娘の愛情の強さは運動能力が関係していると考えられていました。ウマ娘でもヒトでも、幼少時の脳の発達には運動が非常に重要な役割を果たしていることが知られています。研究者達はこの事実を元に、幼い頃からたくさん運動をしてのびのびと育ったウマ娘ほどさまざまな脳機能がよく発達して、結果的に愛情をはじめとした情動を司る部位が過剰に育ってしまうのではないかという仮説を立てていました。

 つまり、ウマ娘ははじめから愛情が強くなるように生まれてきたのではなく、ヒトよりも沢山運動するが故に、自然と愛情が強くなるよう育ってしまうという考え方です。この説を、当時の多くのウマ娘研究者が支持していました。

 

 しかし、今回の発見はその説を完全に否定するものでした。遺伝子によってウマ娘の愛情の強さが決められているのならば、ウマ娘は最初から愛情が強くなるように生まれてくるという事になります。幼い時の運動量は全く関係がなかったのです。

 私がこの事実を発表するとウマ娘学会は大騒ぎになりました。今まで信じていた定説がひっくり返されるのは、数学者や物理学者にとっては堪ったものではないでしょうが、我々のようなウマ娘学者にとってはワクワクする大事件です。

 いったいなぜそんな遺伝子が存在するのか?どうしてウマ娘は愛情が強くなるよう生まれてくることを選んだのか?新たに生まれた大量の謎を、ウマ娘学者達は一斉に考え始めました。激しい議論がそこら中で交わされる光景に、ステージ上の私は人生で一番の達成感を覚えました。

 

 ──あれから20年近くが経ちました。発見の功績を評価された私は、ありがたい事にウマソニアン博物館で研究をする機会を得ました。当時私の研究助手の一人だったウマ娘は、二児の母として私と暮らしています。時が過ぎてあらゆるものが変化しましたが、今でも私が追い求める謎は変わっていません。

 

『なぜウマ娘の愛は重いのか?』

 

 現在もその謎は完全には解明されていませんが、研究は日々進歩しています。では、現在最も支持され、説得力のある説を紹介しましょう。舞台は考古学です。

 

 ウマ娘はいつからいて、どうやって登場したのか。実はその源流は全くの謎に包まれています。現在知られている最古のウマ娘の痕跡は、中央アフリカでおよそ15万年前の地層から見つかった長い尾骶骨(びていこつ)を持つ全身骨格です。

 しかしこの時点で、ウマ娘は当時のヒト──人類学のお話なので、正確にはHomo sapiensと呼ぶべきでしょう。しかし今回は専門家向けではないので、便宜上ヒトと呼ぶ事にします。原人や旧人と呼ばれる種は今回のお話にはちょっとだけしか出てこないので、その都度説明する方が手間も少ないですしね──とは全く異なった体のつくりをしています。ヒトとは比べ物にならない長さの尾骶骨(びていこつ)もそうですし、頭蓋骨の頭頂部に開いた穴はウマ耳があったことを示しています。

 

 もしもウマ娘がヒトから分かれて進化したのであれば、ヒトとウマ娘の中間的な特徴を持った骨格が見つかるはずです。しかしながら、ちょっとだけ長い尾骶骨(びていこつ)や、上側頭部に耳の痕跡を持った骨格は一つも見つかっていません。15万年以上前の地層からもヒトの骨格はいくつも見つかっていることを考えると、あまりにも不自然です。

 このままでは、ウマ娘はある日ひょっこり尻尾と耳を持って生まれてきた事になります。もしもそんなことがあれば進化論は崩壊します。ダーウィンは進化論を唱える時にウマ娘の存在に大変苦労したそうですが、彼がこの現状を知ったらすぐさま進化論を取り下げるかもしれません。

 

 ウマ娘の誕生の謎について話すと長くなりますし、話の本筋でもないので置いておきましょう。ともかく、ウマ娘はおよそ15万年前から存在していました。そして、ヒトと共に生活していたことが分かっています。

 

 さて、詳しい方ならこのあと何が起きるかご存知でしょう。そう、ヒトの脱アフリカです。それまでアフリカの森に住んでいたヒトの祖先は、約10万年前に森を出て世界中を旅し始めます。中東へ、ヨーロッパへ、インド、アジア、オセアニア、そして南北アメリカ・・・

 ヒトは文字通り世界中に広がっていきました。その痕跡は、世界各地に散らばる遺跡からも垣間見ることができます。そして同時に、ヒトと共に旅をしたウマ娘の姿も窺い知ることができます。

 この時からウマ娘はヒトの隣人でした。当時は他にも旧人──ネアンデルタール人が有名ですね。ヒトことHomo sapiensとは全く別の種として、Homo neanderthalensisなどのように分類されています──と呼ばれる様々な種の人間がいましたが、ウマ娘の痕跡が存在するのはヒトの残した遺跡のみです。旧人の隣にウマ娘はいませんでした。

 

 さて、ヒトと共に旅を始めたウマ娘達ですが、最初から仲良くヒトと旅をしていた訳ではなかったようです。

 例えば、南イランのある地域でウマ娘の骨格だけが密集して発見されたことがあります。ウマ娘の数はヒトと比べてかなり少ないことを考えると、偶然集まったとは思えません。おそらく彼女達は何かのきっかけでヒトの集団を離れ、ウマ娘だけ集まって旅をしようと試みたのでしょう。この娘たちは残念な結果に終わってしまいましたが、きっと似たようなことを試みたウマ娘達は少なからずいたはずです。

 それどころか、ウマ娘と人が敵対していたかのような痕跡すらも残っています。数年前にカスピ海の西部で発見された洞窟遺跡で、明らかにウマ娘とヒトが争う様子を描いた壁画が残されていたことが話題になりました。複数の絵画を使って表された物語は、襲いかかる数名の恐ろしいウマ娘を前にヒトが武器を持って抵抗するも、力及ばず何人かの男が連れ去られるさまを描いていました。()()()()()()()()()()()()()()()()

 ちなみに、どちらの遺跡もヒトの世界進出ではかなり初期に通った地域に存在しています。おそらく、旅に出てしばらくの間はウマ娘はウマ娘で独自に生きていこうと頑張っていたのでしょう。

 

 結局、ウマ娘はヒトと共に旅をすることを選びました。ウマ娘はヒトの雄がいないと繁殖ができないことを考えると当然の結末ですが、最初から全員が素直にヒトに付き従っていたわけではないという事実は非常に重要です。

 ヒトと共に旅をするようになったウマ娘は、ヨーロッパや中央アジア、インドなど様々な方面へ進出していきました。ウマ娘たちが目を輝かせながら未踏の大地を駆け回る姿が容易に想像できます。

 

 しかし、そんなウマ娘達を大きな試練が襲いました。氷期の到来です。

 氷期という聞き慣れない言葉に戸惑う方もいるでしょう。氷河期といえば通じるでしょうか?正確には氷河期の中でも特に寒い時期を氷期、それほどでもない時期を間氷期と呼びます。ちなみに今は間氷期です。ええ、実は今も地球は氷河期なのです。

 それはさておき、旅をするヒトとウマ娘に氷期が襲いかかりました。山は氷河に覆われ、海は凍結し、豊かな草原は不毛な大地に変わります。ヒトとウマ娘は、経験のない寒さに対処しなくてはなりませんでした。北へ向かっていた集団はあまりの寒さに引き返す始末です。

 

 氷期の寒冷な気候では、食料になる動植物も減ります。こんな状況でもヒトはしぶとく生き延びる力を持っていましたが、ウマ娘にとってこの寒さは大ダメージでした。そう、ウマ娘にとって食料問題は存亡の危機に直結するのです。

 ウマ娘はヒトよりもずっと多くの量の食事を摂ります。代わりにウマ娘は人よりも遥かに優れた身体能力を誇るのですが、食糧不足の今、生まれつきの大食らいは足枷でしかありませんでした。ウマ娘ひとりを養う食糧があれば、何人ものヒトを生かすことができました。もはや他に策はありません。ヒトは、生存のためにウマ娘を切り捨てることを選びました。

 氷期以降の遺跡では、それまでのものに比べてウマ娘の痕跡が激減しました。小さな部族の遺跡からはすっかり消え、中〜大規模な部族が残した遺跡から稀に発見される程度です。大所帯で余裕のある生活ができる部族でないと、ウマ娘を食べさせることはできなかったのでしょう。

 

 ウマ娘の身体能力で狩りをすれば、小さな部族なんて簡単に養えるじゃないか!と考える方もいるでしょう。事実、ウマ娘の痕跡がある遺跡からは、そうでない遺跡よりもずっと多くの獲物の骨が見つかっています。ウマ娘は間違いなく狩りに貢献していました。

 しかし、それだけで部族を丸ごと支えることは不可能です。想像してみてください。小さな部族に、何人分もの食料を調達して部族を支えてきたウマ娘がいたとしましょう。もしも彼女が妊娠したら、その部族はどうなるでしょうか?

 

 さて、ウマ娘に冬の時代がやってきました。ウマ娘はひとつの部族に数人しか存在できなくなり、余分に生まれた娘は()()()()ることになりました。そんな中で、ウマ娘同士の競争が始まるのは当然の流れでした。

 競争といっても、殺し合うような戦いではありません。もっと静かで、長期的で、そして当事者達も気づかないような戦いでした。厳しい氷期を生き延びるのに適したウマ娘が後代にDNAを残し、向いていないウマ娘は子孫を残せずに家系が途絶えてしまう。そんな目に見えない競争でした。

 まさに、ダーウィンが提唱した『自然選択説』がぴったりと当てはまります。ウマ娘が自らの意思で争ったのではなく、厳しい環境が生存に向いていないウマ娘を淘汰していったのです。

 

 では、具体的にどんなウマ娘が淘汰され、どんなウマ娘が生き残ったのでしょうか?その疑問を明らかにするためには、ウマ娘の子孫の残し方について考える必要があります。

 

 ウマ娘に男性は存在しません。ヒトの男性とつがいを作り、繁殖します。これは15万年前から変わらない真実です。すなわち、ウマ娘はヒトの男性がいなければ存在することができないと言えます。

 一方で、ヒトの男性はウマ娘がいなくても問題ありません。ヒトの女性がいれば良いのですから。ヒトの男性と女性が結ばれあうのは、ヒトがまだヒトでなかった頃、生命の誕生以来受け継がれてきた変わらない事実です。ヒトの男性にとって、ヒトの女性をつがいにするのは当たり前のことでした。()()()()()()()()とつがいを組むなんて、有り得ないことです。

 それでもウマ娘は子孫を残すことができました。当時のヒトの男性がウマ耳や尻尾に目覚めたのか、それとも()()()で子を成したのか、今となっては分かりません。とにかく、上手いことやっていました。

 

 ヒトがまだアフリカの暖かい森にいた頃、ウマ娘は誰でも好きなように子孫を残せたはずです。豊かな自然は食べ物で溢れていたので、食糧問題を気にすることなく生活ができたことでしょう。常にヒトの隣にいようが、普段はひとりで行動しようが関係ありませんでした。どんなライフスタイルでも、ヒトの男性さえいれば子孫が残せたのです。

 しかし、氷の大地ではそうはいきません。ウマ娘を養えるほどに大きな部族で生活する娘でないと生き残ることができませんでした。一人で暮らすウマ娘や、その他のさまざまなライフスタイルを持ったウマ娘は寒さと食糧不足の前に倒れてゆきました。

 では、ヒトと共に生きていれば無条件に子孫を残せたかと言うと、そういう訳でもありませんでした。なぜなら、同じ部族の他のウマ娘に勝たなくてはいけなかったからです。食糧が少ない現状で、お互いが共存することはあり得ません。一人が勝ち、残りは途絶えます。

 

 部族内での生存競争に勝つのは、ヒトに気に入られやすいウマ娘でした。ヒト懐っこいウマ娘や、生まれつき運動能力が高く、狩りに参加すれば多大な成果を挙げてくれるウマ娘や、生まれつき見目麗しく、男性を惹きつけるウマ娘などがヒトに気に入られて丁重に扱われました。反対に、ヒトが嫌いなウマ娘や、比較的運動が苦手なウマ娘、それほど美しくないウマ娘は徐々に居場所を失いました。

 そうして淘汰が進むと、ヒト懐っこく、運動能力が高く、見目麗しいウマ娘だけが残りました。その中でも優劣はありますが、もはやヒトには見分けがつきませんでした。時速55kmで走るウマ娘も、時速60kmで走るウマ娘も、どっちも十分すごいから比較する意味がなくなったのです。

 

 争いは次の段階へと移り変わりました。同程度に運動ができ、同程度に美しく、同程度にヒトに気に入られるウマ娘が複数いたとしましょう。その中で一番子孫を残しやすいのは、どんな性質を持ったウマ娘でしょうか?

 

 ようやくたどり着きました。それこそが、『愛の重い』ウマ娘なのです。

 

 愛情が強く、一人の男性に執着し、男性を深く魅了するウマ娘。()()()()()()()()()()()()()()()()()ウマ娘は、新たな競争段階での覇者となりました。

 それまでは不特定多数のヒトに気に入られるだけで生存競争に勝てていましたが、全員が気に入られるようになった新たな環境では、一人の絶対的な支援者──つまり、つがいの男性ですね──を手に入れたウマ娘が勝ちます。その点において、つがいの男性を強力な味方につけることができる、『愛の重い』ウマ娘は強かったのでしょう。

 では、支援者を二人以上作ろうとする戦略はどうだったのでしょうか?一人よりも二人、二人よりも三人の方が間違いなく強いはずです。しかし、結果的にそのような戦略を選んだウマ娘は淘汰されてしまいました。今となってはその理由はわかりませんが、つがいの男性が複数いると、その男性同士で喧嘩するようになったのではないかという説が有力です。先史時代から痴情のもつれがあったとすればとても面白いですね。

 

 こうして『愛の重い』ウマ娘は、氷期の厳しい自然環境の中で生存競争に打ち勝ち、子孫を残し続けてきました。言い方を変えれば、厳しい生存競争を生き残りやすかったのが、『愛の重い』遺伝子を持ったウマ娘だったということです。

 これが、『なぜウマ娘の愛は重いのか?』という問いの答えです。

 

 ──おや、一つ話し忘れていたことがありますね。初めの方で少しだけ言いましたが、ウマ娘の愛の重さは運動能力に比例する傾向にあります。実はこの現象も、先ほどの仮説ならば説明できるのです。

 

 そもそも、ウマ娘が生存競争をする羽目になったのは、氷期の寒さによる食糧不足が原因でした。ということは、寒くない地方では食糧不足も起きず、生存競争にもならなかったわけです。

 赤道付近のアフリカや東南アジアは、氷期が訪れてもそれほど影響を受けませんでした。豊かな自然が残されていたのです。

 ここで暮らしていたヒトやウマ娘は、食料に困ることなく気ままに暮らすことができました。わざわざヒトに気に入られるため運動能力や容姿を磨いたり、愛を重くする必要が無かったのです。そんなことをしなくても生きることができました。

 

 こうして、ウマ娘は二つのグループに分けられました。一つは温暖なジャングルで暮らしていた、争いを知らないウマ娘。もう一つは、厳しい寒さの中を生き延びた、運動ができて美しく、愛の重いウマ娘。両者は全く異なった特徴を持つことになったのです。

 もうお分かりでしょう。ジャングルで暮らしていたウマ娘たちの因子を多く受け継いだ娘に比べて、北方で生存競争を生き延びたウマ娘の因子を多く受け継いだ娘ほど、運動能力が高くなり愛も重くなるのです。

 

さて、大変長くなってしまいましたが、私からお話できるのは以上です。ウマ娘の重い愛について、そして運動能力と愛の重さの関係について、理解の助けになれば幸いです。

 

 

◇◇◇

 

 

 S博士によれば、ウマ娘の『重い愛』は数万年にわたる自然淘汰によって生み出されたものだということらしい。まだまだ真実は未解明で、これから説がひっくり返る可能性もあるとのことだったが、私としては非常に説得力のある話だったように思える。半分も意味がわからなかったからとりあえず同意しているという訳ではない。決して。

 

 ということは、だ。今まで、ウマ娘の愛が重いのはそれぞれの性格によるもので、気性難と呼ばれる娘たち特有のものだと思っていたのだが、実際のところはどの娘も心のうちには『重い愛』を秘めているという事ではないだろうか?

 澄ましたあの娘も、走ることにしか興味がなさそうな娘も、そして読者諸兄の愛バたちも、みな一様に愛が重いわけだ。幻滅する人もいるかもしれないが、私としては非常に萌えるので良い。

 そして素晴らしいことに、S博士の仮説によればウマ娘は一途ということになる。複数人のつがいを作ろうとしたウマ娘は淘汰されたということならば、今のウマ娘たちの祖先になった娘たちはたった一人の男性に添い遂げたことになる。その因子が今も伝わっているということは、現代のウマ娘はみな一途なのだ。

 

 ウマ娘たちはみな一途で、愛情が強く、愛想がいい。それは、数万年前から受け継がれた進化の結晶なのだ。なんと美しく、尊い在り方なのだろうか。浮気がちな人間たちには是非この姿を見習ってほしいものだ。

 いや、嫉妬深さや独占欲の強さは見習わなくていい。都合のいいところだけ見習ってくれれば大丈夫だ。え?贅沢すぎるって?そうかなあ……




皆様がウマ娘の世界について深く考えるきっかけになれば幸いです

ちなみに性格を決定づける遺伝子は実在します。ロシアで行われているキツネの実験が有名ですね。興味のある方は調べてみてね

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。