ウマ娘の進化論 ─なぜウマ娘の愛は重いのか?─   作:粋成

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前話が想像以上に反響があって嬉しかったです。ありがとうございます
なお今回はかなりヘビーな内容の模様(生物学が苦手な人は一旦飛ばすのもありだと思います)

本作品に登場する人物・団体・名称等は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、本作品で語られている技術・病名等も架空のものです。鵜呑みにしないでください。


「ウマ男」って本当にいないの?

 ウマ娘と言われて読者諸君の多くが思い浮かべるのは、やはりトゥインクル・シリーズやドリームトロフィー・リーグを走る競走バだろう。中には他のスポーツで活躍するウマ娘を想像する物好きや、甘酸っぱい初恋を思い出す人もいるかもしれないが。

 

 諸君らが思い浮かべたウマ娘(初恋のあの子を除く)は、みなメディア露出の過程で巧妙に偶像(ウマドル)化されている。歌って踊れる彼女たちの可憐さや愛嬌は誰もが知っているが、その本質、つまりはウマ娘という生物の正体についてはあまり知られていない。

 

 なぜウマ娘たちは速く走れるのか?なぜ耳が頭頂部にあるのか?その尻尾は何のためにあるのか?なぜ揃いも揃って美形なのか?

 ──誰もが一度は考えるような疑問に答えられる人は、奇妙なまでに少ない。本書ではそんなウマ娘たちの謎めいた実態について、専門家へのインタビューを交えて迫る。

 

 

◇◇◇

 

 

「ウマ男」って本当にいないの?

 

 

 ウマ娘にまつわる怪談や都市伝説は数多く存在する。「深夜に人気のない山道を運転していると、明らかにこの世のものではないウマ娘が走って追いかけてくる姿がサイドミラーに映っていた」だとか、「ウマ娘は人間の仲間じゃない。あいつらはずっと昔に宇宙からやって来たんだ」とか、「八艘飛びができた義経はどう考えてもウマ娘。だからモンゴルに行って大活躍した」みたいな、そんな怪情報は枚挙に暇がない。

 そういった話のほとんどはまともに信じられていなくて、精々が酒の肴になったり、改変されて遊ばれていたりする。本気で信じたところで笑われるのがオチだ。

 

 しかし、中には妙に信憑性があって、なんだか知ってはいけない世界の一端を覗いてしまったような気分にさせられる話もある。

 本気で信じている人は一定数存在するし、笑い飛ばそうとしても頭の隅っこに引っかかってうまく笑えない。もやもやした気分を誰かと共有したくて、でたらめだと分かっているのに誰かに話したくなる。そうやって人々の間でまことしやかに語られる一つの都市伝説があった。

 

「男性のウマ娘、いわば『ウマ男』は、誰も見たことがないだけで実在する」

 

 いや、いないじゃん。実在するならみんな知っているはず、だってその『ウマ男』にも両親がいるから。それに、こうやって存在自体が都市伝説になっているのが実在しない何よりの証拠だろう?

 全くもってその通りだ。私もこの業界にいて長いが、この手の噂を聞くことはあっても「ウマ男」について具体的な話はひとつも入ってこなかった。ただ実在するかどうかだけが語られ、見た目だとか性格だとかに話が至ることは一切なかった。こんなもの、存在しないのと一緒だ。

 

 しかし、理性とは裏腹に私の心はざわめくのだ。まるでその先にある踏み入ってはいけない領域を恐れるかのように。

 考えてみると、どうにも妙な気はする。噂話というのはえてして尾鰭がつくもので、数日の間に内容ががらりと変わってしまうなんてのはよくある事だ。

 なのに、「ウマ男」に関わる話題にはそういった気配は全くない。普通なら「ウマ男」には角が生えているだとか、うなじから背中まで髪が生えているだとかいった突拍子もない話の盛り方をされるはずなのに、何年経っても実在するかどうかしか語られていない。

 あまりにも不自然だ。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 このもやもやした気持ちを追い払うためには、噂の真偽を徹底的に検証すべきだろう。しかし、この業界に数十年と居る私でも尻尾すら掴めない難敵だ。ただ闇雲に探し回ったところで骨折り損になるのはわかりきっている。

 だから、アプローチを変えてみる。今までの伝手とゴシップに頼ってきた自分を捨てて、新人記者の気分で挑んでみせよう。

 

 決意を胸に飛行機のタラップを昇る。向かった先は英国のクリーク研究所、ウマ娘医学の世界最高峰だ。くだらない噂話は叡智のパワーで粉砕するに限る。

 

 

◇◇◇

 

 

 W教授と落ち合ったのは、ロンドン市内の某所にある寂れたカフェだった。

 

 ほぼ無人の店内には、たった今入ってきた客に気づかないかのような素振りで退屈そうにテレビを眺める店主が一人だけ。驚く私に、取材にはぴったりの店だろう?と言ってW教授はウインクしてみせた。

 沢山の栄誉ある肩書きの割にはお茶目な印象を受けたが、その青い瞳に宿る知性の色は紛れもない本物だ。ウマ娘医学界を何年にもわたって牽引し続けた頭脳からは一体どんな答えが得られるのだろうか。

 

 薄いアメリカンコーヒーを注文した私にW教授は物言いたげな眼差しを送っていたが、私が単刀直入に質問を切り出すと、ゆらりと尻尾を動かしてからおもむろに話し始めた。

 

 ──ウマ娘の性別の謎について考えるためには、まず人間の性別について理解を深める必要がある。なぜ人間には性別があるのか、どのようにして性別が決定されているのかを知らないことには、ウマ娘の性別について考えたって手がかりすら掴めないだろう?だから、まずは人間の性別について話をしよう。

 おやおや、そんなに身構えなくたっていい。基本的な話から始めるから安心してくれたまえ。

 

 人間という生き物には設計図がある。人間はこの設計図を元に作られて、この設計図を元に育っていくんだ。

 ほとんどの人間には、この設計図が合わせて46枚入っている。そのうちの44枚は2枚セットになっていて──つまり22組あるわけだ──、2枚のうち片方は母親の身体の設計図、もう片方は父親の身体の設計図だったものだ。つまり、人間はみんな父親と母親を半分ずつ混ぜ合わせて作られているという事になる。

 

 ちょっと待ってくれ、だったら残りの2枚は何の設計図なんだ?と思うだろう。そう、この残りの2枚こそが性別を決める設計図なんだ。

 

 性別を決める設計図には2つのタイプが存在する。仮にタイプX、タイプYと呼ぶことにしようか。男性になるか女性になるかは、このXとYの組み合わせによって決まる。

 2枚ともXだった場合、その人間は女性に育つ。そして、1枚がX、もう1枚がYの場合、その人間は男性に育つ。

 2枚ともYになることはあり得ない。なぜなら、母親から受け継ぐ設計図は必ずXだからだ。もしもYが2枚ある人間がいたとしたら、その両親はどちらも男性ということになる*1

 

 この設計図が見つかったのはおよそ150年前のことだ。発見者はこの設計図を染色体(せんしょくたい)と呼ぶことにした。そして、染色体の数や形についてわかってきたのが大体100年前。この時に性別を決める染色体も発見されて、それぞれX染色体、Y染色体と名付けられた。XXだと女性、XYだと男性だ。

 

 人間の性別を決めるシステムはこれだけだ。意外とシンプルだろう?

 母親は女性だからXXで、子供はそのうち片方を貰う。どっちにしろXだ。父親は男性だからXYで、こっちからも片方を貰う。Xを貰う場合と、Yを貰う場合がある。父親からXを貰ったら、子供はXXの組み合わせになるから女性だ。父親からYを貰ったら、子供はXYの組み合わせになるから男性だ。たったそれだけでしかないんだ。

 

 人間の性別について完璧に理解したところで、本題のウマ娘の性別に取り掛かろう。

 

 まずはウマ娘がどうやって生まれるかについての話をしようか。

 ウマ娘は、ウマ娘から生まれる。これは常識だ。反対に、人間の女性がウマ娘から生まれることはない。そして意外と知られていないが、ウマ娘からは人間の男性も生まれる。

 この3つを大切に覚えておいてほしい。ウマ娘の性別の謎を解き明かすための大切なカギになるから。

 

 さて、この3つを踏まえた上で、ウマ娘の性別について簡単に推測してみよう。どうしてウマ娘には女性しかいないのか。

 細かい辻褄合わせは一旦置いておくとして、大枠についてはほとんどの人が一致したのではないだろうか?

 

 「ウマ娘に女性しかいない理由は、性別を決定する染色体に存在する」

 

 およそ100年前、人間の性別の謎を解き明かした科学者たちも同じことを考えた。彼らは染色体の知識という新たな道具を手に、今度はウマ娘の性別の謎を切り崩しにかかったんだ。

 先人たちがどのようにしてこの謎に取り組んだのか、順に追っていくことにしよう。

 

 研究者たちが真っ先に探りを入れたのは、ウマ娘のX染色体だった。顕微鏡で観察しても見た目に違いはないが、こいつが人間のX染色体とは違った働きをすることで女性をウマ娘化させているのではなかろうか?

 仮説をもとに、ウマ娘の持つX染色体をU染色体と呼ぶことにした。つまり、U染色体を1つでも持った女性はウマ娘に育つと考えたんだ。

 すなわち、性染色体の組み合わせがUUの子供とXUの子供はウマ娘として生まれることになる。一方で、UYを持った子供は人間の男性になる。ということは、Y>U>Xの順に命令が優先されるわけだ。U染色体はX染色体を押しのけて子供をウマ娘にする力があるが、Y染色体が子供を人間の男性にしようとする力には勝てない。

 

 しかし、この説には弱点があった。もしもこの理論が正しいなら、人間の女性からウマ娘が産まれてしまうことになるんだ。

 ウマ娘から生まれた男性の性染色体はUYだ。仮にこの男性と人間の女性──XXだね──が子供を作ったとしよう。

 子供の染色体はXYかXUになるわけで、XYなら人間の男性が生まれる。これは問題ない。しかし、XUだとウマ娘になってしまう。人間からウマ娘が産まれることはないので、この理論は間違っていることになる。さて困った。

 

 この欠陥を(おぎな)うため、様々な説が提唱された。その中には、U染色体はこっそりX染色体を食っていて、代わりに自分のコピーを置いているなんていう荒唐無稽な説や、そもそもU染色体なんてものは存在しなくて、ウマ娘になるかどうかはもっと他の要因によって決定されているという説もあった。

 しかし、どの説も支持を得ることはなかった。あまりにも根拠に乏しかったからだ。顕微鏡で染色体の()()を眺めることしかできなかった当時では仕方のないことだけれども、証拠もなく仮定を積み重ねただけの説ではいくら説得力があっても信頼することはできなかったんだ。

 

 学会はすっかり煮詰まってしまった。いつまで経っても進まない議論に見切りをつけて別のテーマに移る研究者が続出し、ウマ娘の性別の謎は謎のまま放棄されてしまった。

 大きな進展があるのは、それから50年近く経ってからのことになる。

 

 ──英国で世界初の体外受精による出産に成功したのは1978年のことだった。母親の卵巣から卵細胞を直接取り出して、体外で受精させてから子宮に戻すというものだ。母親の排卵がうまくいかなかったり、父親の精細胞が虚弱だったりで不妊に悩む夫婦でも子供を作る事ができるという革新的な技術だ。当時はよく『試験管ベビー』なんて言われて持て囃されたもんだ。聞き覚えのある人もいるのではないだろうか?

 初成功をきっかけに、この体外受精は世界中で行われるようになった。不妊に悩む多くの人間やウマ娘が体外受精で救われたんだ。

 しかし、体外受精が普及してからしばらくした頃、衝撃的な事件が起こった。

 

 体外受精を利用したある一人のウマ娘から、人間の女性が産まれてきたんだ。

 

 ありえないことだった。

 今までの理論を根幹から覆すような、あってはならない現象が起きてしまった。ならば、何故そんな事が起きたのかを究明しなくてはいけない。それが科学者の使命だ。

 

 出産に立ち会った医師は、すぐさま産まれた赤ちゃんから採取した染色体を分析にかけた。すると非常に興味深い結果を得ることができた。

 その女の子には、性染色体が1つしかなかったんだ。普通の人間の女性の性染色体はXXだが、その赤ちゃんは1つのX染色体しか持っていなかった。

 

 以前から、性染色体を1つのXしか持たない病気は「ターナー症候群」の名で知られていた。女性に特有のもので、背が伸びないとか、子供が産めないとか、首が異常に幅広くなるとかいった症状が知られている。この病はウマ娘でも人間でも起こる事が確認されていた。

 つまり、性染色体が1つしかないからといってウマ娘になれないというわけではない。性染色体が1つしかなくても、ウマ娘から生まれてくる女性は例外なくウマ娘に()()()()()()()

 

 例外というものは、えてして謎を解くためのヒントになるものだ。沈黙していた学会はにわかに活気付き、それまで全く違う分野で活動していた研究者までもが、今回の事件をきっかけにウマ娘の性別の謎について考えるようになった。

 先人の遺した説が次々と掘り起こされ、50年の時を経て様々な角度から再検討された。しかし残念ながら、ターナー症候群の存在すら知られていような古い時代に立てられた予想はほとんど役に立たないと結論づけられる。

 

 ならば、我々も新しく手に入れた武器を使おうじゃないか。当時の研究者たちが遺伝子という新たな知識で戦ったように。

 そういうわけで、学会に最新鋭の技術が投入された。DNAの配列を読み解いて個人を特定する技術だ。ウマスター大学のJ博士が発明したこの新技術は、発表されるや否や例の女の子の分析に使われた。

 分析したところ、この女の子が持つX染色体は父親から受け継いだものだと判明した。ウマ娘である母親から貰えるはずのX染色体が貰えなかったわけだ。

 比較のために、他のターナー症候群の人間やウマ娘たちの染色体も分析された。すると、こちらは特にばらつきが見られなかった。1つしかないX染色体が父親由来だったとしても、ウマ娘の子供ならばちゃんとウマ娘として産まれてきていた。

 

 複雑になってきたので状況を整理しよう。こんな風になるわけだ。

 

母親性染色体子ども
 体内受精  体外受精 
ウマ娘XY男性
XXウマ娘
Xのみ(母由来)
Xのみ(父由来)ウマ娘女性
人間XY男性
XX女性
Xのみ(母由来)
Xのみ(父由来)

 

 さて、この表を見れば明らかだろう。ウマ娘から人間の女性が生まれてきた原因は、体外受精にある。

 体外受精の処理をする中で、本当はウマ娘として産まれてくるはずの子どもが人間として生まれるように変化してしまうわけだ。それでは、一体何がいけないのだろうか?体内受精と体外受精での違いに答えはあるはずだ。そこで、一つの事実が注目を浴びた。

 

 それは、ウマ娘と人間の体温の違いだ。

 

 ウマ娘の基礎体温は人間よりもかなり高い。彼女たちは人間よりずっと多くのエネルギーを摂取しているから、放出される熱エネルギーも人間より多いんだ。

 もちろん胎内の温度もウマ娘の方が高い。人間のお腹にいる胎児は37℃ぐらいの羊水の中で育つが、ウマ娘のお腹にいる胎児は40℃近い環境で育つことになる。その差は無視できないほど大きい。

 けれども、それまでの体外授精は人間の体温に合わせて行われてきた。ウマ娘の子供を作る場合であっても人間と同じ37℃の環境下で作業を行っていたし、それでも問題なくウマ娘が産まれてきていた。だから今まで体温の違いは無視されてきたんだ。

 

 しかし今回の例が起きてしまった以上、温度の違いを無視することはできなくなってしまった。それ以降、体外受精でウマ娘の子供を作るときは、ウマ娘の胎内に合わせた環境下で行う事が取り決められた。

 それからもターナー症候群の患者は何例か確認されたけれど、ウマ娘になるはずの運命を捻じ曲げられた子供は一人もいなかった。やはり原因は温度にあった。もう体外受精で失敗することはない。そういうことになった。

 何年かして、受精卵を母親の体に戻す前に染色体検査ができる手法が開発されると、ターナー症候群のような染色体に異常がある赤ちゃんは()()()()()()()()()()()()()()。たった一度だけの間違いは教科書の中の事件になり、人々の記憶からは薄れていった。

 

 一方で、30年以上経ってもこの出来事を反芻している人もいる。私たち研究者だ。 

 研究者たちは、たった一度の例外を手がかりにウマ娘の発生の謎を解き明かそうと議論を重ねてきた。いつかのように様々な説が提唱され、そして消えていった。しかし前のように議論が停滞することはなかった。急激な科学技術の発達が次々と新たな手がかりをもたらしたからだ。

 

 例えば、ヒトゲノムが解読されて、X染色体のDNA配列は人間でもウマ娘でも(ほとん)ど変わらないという事がわかった。

 

 例えば、蛍光タンパク質を利用した実験で、ウマ娘のX染色体は人間のそれとは全く違う場所が活性化されている事がわかった。

 

 他にも様々な新技術によって発見が進み、ウマ娘の性別にまつわる議論は大いに盛り上がることになる。

 中でも特に大きな進歩をもたらしたのは、iPS細胞の発明だった。

 

 ここまでの新発見によって、ウマ娘も人間もX染色体そのものに違いはないことがわかっていた。一方で、X染色体の振る舞いが人間とウマ娘で全く異なっている事もわかっていた。

 人間とウマ娘の違いはこのX染色体の働きの違いにある。もはや誰もそのことを疑わなかった。しかし、いったい何がX染色体の働きを変えているのかが分かっていなかった。X染色体が自分から働きを変えているのかもしれないし、外部の何かがX染色体の働きを変えさせているのかもしれない。

 これは、人間とウマ娘の胚を準備して比較実験をすれば簡単にわかる話だ。しかし、一つの命の源となる人間やウマ娘の胚を用いてむやみに実験をすることは国際的に固く禁じられていた。だから、研究者たちは実験をせずに理論だけで語るしかなかったんだ。

 

 iPS細胞はこの制約を吹き飛ばしてくれる存在だった。

 このiPS細胞は、体細胞の役割を『リセット』することで作られる。たとえば皮膚の細胞は皮膚としての役割に特化するため、本来持っているはずの他の機能をすべて制限してしまっている。しかし、こいつを加工して皮膚としての役割を忘れさせれば──『リセット』させれば──、元々持っていたすべての能力が復活するんだ。こうして出来上がったiPS細胞は、まるで胚のように人体を丸ごと一つ作れるだけの能力を持っている。

 つまりiPS細胞を使うことで、生命の素になる胚を丸ごと犠牲にする必要があった実験が、少量の皮膚だけを材料にして行えるようになったんだ。

 これならば、命の価値がどうこうと文句を言って来るお偉い方も何も言えまい。好き勝手に実験ができるというわけだ。

 

 やっと机上の空論から解放されて自分の理論が正しいと証明できる!そう考えた研究者たちは、一斉にiPS細胞を用いて検証を始めた。

 染色体を入れ替えてみたり、温度を変えてみたりとさまざまな実験が行われた末に、一つの説が支持を集めるようになった。

 

 『ウマ娘の胎内には、X染色体を変質させる()()が存在している。しかし、温度が低いと、この()()は活動を停止してしまう。また、Y染色体はこの()()に干渉して、変質したX染色体を元に戻す力を持っている』

 

 ちょっと複雑だが、これならいろんな辻褄が合うんだ。

 

 例えば、この理屈なら100年前に唱えられたU染色体説の欠陥も補う事ができる。

 当時の表し方で言えば、ウマ娘から生まれた男性が持っているU染色体は『何か』によってX染色体に戻されることになる。Y染色体を持っているからだ。つまりウマ娘から生まれた男性の性染色体はUYではなくXYになるわけで、これなら人間の女性からウマ娘が生まれるような矛盾が起きなくなる。

 

 それだけではない。ウマ娘からターナー症候群の人間が生まれて来た事件も、この理屈で説明がつくんだ。

 父親由来の1つのX染色体しか持っていない受精卵でも、ウマ娘の体温では『何か』の力でX染色体が変質する。だからターナー症候群でもウマ娘の子供はウマ娘になるんだ。しかし、これが体外授精によって低い温度下で行われた場合、『何か』は寒すぎて仕事を果たせない。そうなると、たった1つのX染色体は変質できずに、そのまま人間を作ろうとする。だからあのような現象が起きてしまうんだ。

 

 というわけで、今わかっている事実を元にするとこの説が一番妥当だ。しかし、何故こんなに面倒なシステムなのかは分からない。少なくとも進化の過程でここまで()()()()()()()()()()仕組みが出来上がるとは考えられない。──もしかすると、ウマ娘というのは何者かが後から強引に付け加えた存在なのかもしれないね。

 

 おっと、まるで宗教じみた話をしてしまった。

 ともかく、ウマ娘の胎内にはX染色体を変質させるような『何か』が存在しているわけだ。だったら次に我々がすべきは、その『何か』を特定して説が正しいと証明することだ。

 

 私は日本のあるウマ娘と手を組んで、この『何か』に挑んだ。

 人間とウマ娘の体細胞や卵細胞、子宮の粘膜などを比較して、ウマ娘のみにあるはずの『何か』を抽出することを狙った。ウマ娘研究における最も大きな障害はウマ娘の数の少なさによるサンプル不足だが、幸いにも私たちは()()()()()()()()調()()()()()()()()()

 おかげで研究は凄まじいスピードで進み、我々はこの『何か』の第一発見者として名付ける権利を得る事ができたんだ。

 

 さて、ではこの『何か』──ウマムスコンドリアと名付けられた微生物について説明しよう。

 

 ウマムスコンドリアは、ウマ娘の体にのみ存在する微生物だ。特に骨格筋と卵巣に密集しており、他の部分には(ほとん)ど存在しない。

 実はこのウマムスコンドリアについて、どんな働きをするのかはまだ完全に解明されていない。卵細胞中にいる時はX染色体を変性させる力があるとわかっているが、骨格筋でどんな働きをするのか、なぜ骨格筋に集まるのかは全くの未解明だ。

 ウマ娘の筋力を上げる役割があるのかもしれないし、ウマ娘の筋肉に効率よくエネルギーを供給しているのかもしれない。ただ乳酸を食べに行っているだけかもしれない。けれども、ウマムスコンドリアはウマ娘の骨格筋にたくさんいる。

 

 そして、ウマムスコンドリアの単離や培養は非常に難しい。卵細胞からウマムスコンドリアを摘出することは可能だが、せいぜい数匹のために卵細胞を犠牲にするのは割に合わない。何より、培養を試みても全然増えないため実験に使うこともできない。

 おかげで我々が存在を証明するときも大変苦労させられた。今後の研究を進めるためには、筋細胞からウマムスコンドリアを摘出する方法か、よく増える培養の方法の発見が不可欠だろうね。

 

 そして興味深いことに、ウマムスコンドリアはY染色体の存在に気づくと、X染色体を人間用に戻してから卵細胞を出て行ってしまう──ウマムスコンドリアの単離に成功したのはこの現象のおかげだ──。何故なのかまだ解明されていないが、とにかくそうなる。だから、ウマ娘から生まれた男性はウマムスコンドリアを持たないし、X染色体は変質前の人間用になっている。

 

 ウマ娘の性別について現在わかっているのはこれだけだ。ウマムスコンドリアについての研究は今なお進められているから、今後も新たな発見があるだろう。このインタビューを読んでいる日本の若者たちも、ぜひ我々の戦いに参加してほしい。

 

 ──おっと、肝心の話をまだしていなかったね。「『ウマ男』は存在するけれど、誰も見た事がない」だったかな?

 

 結論から言うと、『ウマ男』は一度も見つかっていないし、今後も()()()生まれてくることはない。もしも可能性があるとすれば、ウマ娘用の変質したX染色体とY染色体が共存した場合だ。しかし、ウマムスコンドリアがいる以上そんなものは存在し得ない。

 ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だからある意味その噂は正しいと言えるだろう。

 

 誰も見た事がないからといって、存在しないとは言い切れない。まだ試していない選択肢が残っている以上、『ウマ男』が存在する可能性も消えてはいないんだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 どうやら叡智のパワーはまだ噂を粉砕するには足りなかったようだ。

 返ってきたのは、実在するともしないとも言い切れない灰色の回答だった。しかし有難いことに、なぜその結論に至ったのか、今後どのような可能性があるかについての明確な情報は得る事ができた。

 

 今まで私が抱いていた漠然とした『ウマ男』に対するモヤモヤした気分は、染色体とウマムスコンドリアという2つの存在に対する好奇心へと変化していた。

 これは間違いなく良い傾向だ。正体のわからない不安よりは、正体のはっきりした謎の方がずっと精神衛生に良い。今日はよく眠れそうな気がする。

 きっと『ウマ男』の噂が頭の片隅にこびりついていた読者諸兄も同じ気分のはずだ。

 

 叡智のパワーは噂話自体を粉砕することはできなかったが、噂によって揺らぐ心を落ち着かせる効能は持っていた。

 そして、くだらない噂話を真剣に信じている人達の口を塞ぐのにも使えるだろう。ぜひお試しあれ。

 

 

■■■

 

 

 先日の記事はなかなか評判が良かったようで、あれ以降『ウマ男』にまつわる噂はぱったりと消えてしまった。おかげで俺は気分良く仕事ができている。

 どうやらお偉い方の評価も高かったみたいで、この歳になって急に海外出張が増えた。今もヨーロッパ各地で行われるレースの取材のためロンドンにいる。数ヶ月前の俺が知ったら驚くだろうな。

 

 ──そうだ、せっかくロンドンに来たんだし、W教授に一言でもいいからちゃんとお礼をしておこう。

 

 ふと浮かんだ考えは、我ながら名案に感じた。コネクションを保っておくのは重要だし、もしかしたら二匹目のドジョウが眠っているかもしれない。そして何より、W教授のおかげで最近の仕事が順調なので純粋にお礼を言いたかった。

 すぐさま教授のいる研究所にコンタクトを取った。きっと向こうも忙しいだろうから、精々が短い伝言を残すぐらいになるだろう。しかし、俺のその予想はいい意味で裏切られることになる。

 

「明日の夜、例の喫茶店で」

 

 返ってきた返事に俺は仰天した。

 

 そして当日の夜。相変わらず人の気配のない喫茶店で俺はW教授と向かい合っていた。

 事前に調べておいた舌が絡まりそうな名前のお茶を注文する俺を、知的な青い瞳は微笑ましいものを見るかのように眺めている。

 向こうから招待してくれたとはいえ、なんだか申し訳ない気分になって俺はつい確認してしまった。

 

「その、申し出はありがたいのですが……良かったのですか?教授は忙しいでしょう」

「私は大丈夫です。それとも、お嫌でしたか?」

「まさか!予想外で驚いただけで、すごく嬉しいですよ!」

「それは良かった。ちょっと最近は研究が煮詰まっていたのでね、何もかも忘れておしゃべりする時間が欲しかったのですよ」

 

 そう言うW教授の表情には少し疲れが見て取れた。どうやら難題にぶち当たって苦しんでいるようだ。前回会った時には澄んでいた瞳も今はすこし翳って見える。

 だったら、気分転換になるような話題を提供しよう。運がいいことに俺はそういうのが得意だ。なんたって話題を追うプロだからな。

 

 ウマムスコンドリアの共同研究者が日本にいたこともあってか、W教授は意外と親日家だった。俺の話題の引き出しは日本国内のことに集中していたけれど、幸いにもそれが結構ウケていた。日本のウマ娘の勝負服の話なんかは特に面白がっていて、やたらとブランドについて細かく質問してきた。まさか注文するわけじゃないよな?

 

 話に花が咲き、そろそろいい時間になってきた頃。俺は先日のインタビューを纏めていた時にふと浮かんだ疑問について考えていた。

 しかし、それは教授の仕事に関係すること。せっかくの息抜きなのに質問をぶつけるのは流石に悪いだろう。

 そう考えていると、俺の悩んでいる様子に目敏くも気づいたのか、W教授の方から俺に声をかけてきた。

 

「何か悩んでいるようですね。先日のインタビューに関係することですか?でしたら遠慮せずに聞いて構いませんよ」

 

 むしろ、ずっと他の話をしてくれたのが意外でしたね。そう言ってくすりと笑うW教授の言葉に甘えて、俺は疑問をぶつけてみた。

 

「先日のインタビューのあとに少し気になったんですが──先生の話によれば、ウマムスコンドリアはX染色体をウマ娘用に変化させる力があるんですよね。そして、反対にウマ娘用のX染色体を人間用に戻す力もある。だとすると、ウマムスコンドリアが存在しない人間の女性の卵細胞に、ウマ娘用のX染色体を入れたらどうなるんですか?……俺の考えが正しければ、この卵細胞ではY染色体とウマ娘用のX染色体が共存するはずです」

 

 W教授は俺の質問を聞くと、表情を硬くしてこう返した。

 

「あなたも良く知っていると思いますが、実験目的でヒトやウマ娘の遺伝子を操作することは国際的に禁止されています。確かにあなたの考えは理に適っているし、私も同じようなことを考えました。けれども、そんな実験を行うことは許されていません。人道に反していますから」

 

 本当はここで引くべきだったのだろう。しかし、俺はゴシップを追う記者の本能として食い下がった。食い下がってしまった。

 

「そんなことを言って、本当はこっそりやってたりするんじゃないですか?人体実験だって昔から禁止されていても実例があるじゃないですか」

「……再度繰り返しますが、そのような実験は許されていません。行われていない()()()()()()()()()

()()()()()()()()()?」

 

 俺が問い詰めるように言葉を重ねると、W教授は一瞬黙って瞑目した。

 2人の間を、張り詰めた静寂が覆う。

 

「ええ、行われていない()()()()()()()()()。……それでもあなたは進みたいのですか。真実を知る覚悟はできていますか?」

 

 もちろん。軽率にそう答えようとした俺の言葉は、W教授の目を見た瞬間に喉の奥へ引っ込んでいった。

 叡智の光で輝いているはずの青い瞳は、今は底の見えない絶望を宿していた。俺はこの目を知っている。裏社会に通じた記者がよくこんな目をするんだ。好奇心のあまり触れてはいけない真実を知って、世界のすべてに絶望するような、知ってしまった自分を責めるような、そんな目だ。

 

 そうか、この人はきっと後戻りできないところまで進んでしまったんだ。俺が「ウマ男」の噂を追いかけたように、この人は生命の謎を追いかけて、そして()()()()()()()んだろう。

 一体何を見たのか俺には想像もつかない。けれども、これ以上踏み込むと俺までもが戻ってこられなくなるだろう。W教授もそれは望んでいないはずだ。

 

「……いえ、結構ですよ。それにしても先生もなかなか冗談がうまい」

「よく言われます。演技派だってね」

「そりゃあいいや。先生は見栄えもいいから、いい役者になれますよ」

 

 役者ですか。ぱちくりと目を瞬かせるW教授からは、さっきまでの危うい雰囲気はすっかり失われていた。ひとまずの危機は脱したようだ。

 

「ええ。こっちではどうか知りませんが、日本には女優をやってるウマ娘がそこそこいるんですよ」

「へえ、そうなんですか。彼女たちも勝負服を着るんですか?」

「勝負服を着るのはレースを走るウマ娘だけですよ。女優ウマ娘の場合は──」

 

 何事もなかったのように、再びよもやま話で盛り上がる。けれども、俺は話しながら全く違うことを考えていた。

 

 そういえば、「ウマ男」の噂って妙に統一性があったんだよな。やたらと尾鰭がついたりせずに、ただ存在の有無だけが語られていた。「ウマ男」の噂を聞かなくなったから忘れていたけれども、結局あの現象はなんだったんだろうか。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()──

 それだ。

 

 「『ウマ男』は、誰も見たことがないだけで実在する」なんていう、研究の最先端でギリギリ見えそうな景色を見事に表したような噂を流せるのは何者だ?()()()()()()()()()()()()()()()実験は俺でも思いつくような内容だから、世界中の研究者が気づいているはずだ。しかし、国際的に禁止されているはずの実験結果を公表することはできない。だとしたら、彼らはどんな形で情報を公開する?

 

 じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()実験によって産み出されたものは……

 

 打算通り二匹目のドジョウは存在した。けれども、こりゃあ記事にできないな。

 ころころと表情を変えて楽しそうに笑うW教授を眺めながら、俺は内心で苦虫を潰したような表情を浮かべたのだった。

*1
仮にYYの組み合わせで無理やり子供を作ろうとしても絶対に成功しません。X染色体が一つも存在しない胎児は成長できずに胎内で死んでゆくことがわかっています




今になって考えるともっとシンプルで美しいモデルが作れそうな気がしますね

非メンデル型遺伝まで考えると脳がパンクするので勘弁してください。そこ突っ込まれると泣いちゃいます

7/16 03:47
間違って最後の場面が丸ごと抜けている旧版を投稿していたので差し替えました。
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