また、本作品で語られている技術・歴史等も架空のものです。鵜呑みにしないでください。
ウマ娘と言われて読者諸君の多くが思い浮かべるのは、やはりトゥインクル・シリーズやドリームトロフィー・リーグを走る競走バだろう。中には他のスポーツで活躍するウマ娘を想像する物好きや、甘酸っぱい初恋を思い出す人もいるかもしれないが。
諸君らが思い浮かべたウマ娘(初恋のあの子を除く)は、みなメディア露出の過程で巧妙に
なぜウマ娘たちは速く走れるのか?なぜ耳が頭頂部にあるのか?その尻尾は何のためにあるのか?なぜ揃いも揃って美形なのか?
──誰もが一度は考えるような疑問に答えられる人は、奇妙なまでに少ない。本書ではそんなウマ娘たちの謎めいた実態について、専門家へのインタビューを交えて迫る。
夜空にぽっかりと浮かぶ月。
時代や場所を問わず世界中の人が見上げてきたこの天体には、様々な物語が宿っている。
──天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
かつて遣唐使として大陸に派遣され、優秀ぶりが唐の皇帝に気に入られたお陰でついぞ故郷に還ることのできなかった阿倍仲麻呂は、遠い異国の地で見た月に故郷を思った。
私が今見ている月は、きっとふるさとに残した家族や友が見た月なのだ。もはや帰ることはできないが、月が今でも私と故郷とを繋いでくれている。
筆者も取材のために国を離れ海外に行くことは多いが、そんな時はふと月を見上げてこの歌を思い出す。そうすると、
一方で、月をじっと眺めていると新たな発見もある。
月にはウサギがいる。いや、月にいるのはカニだ。いやライオンだ。そういった話を聞いたことはないだろうか?
それぞれ中国、ヨーロッパ、中東の言い伝えだ。古くから各地の人々は月を見上げ、その表面の模様に親しみのある動物の姿を見出した。それぞれが全く違った答えを出しているところに文化の差を感じて非常に興味深いが、それは置いておこう。昔から月とはそれほどまでに身近で、話のたねになる存在だったのだ。
言うまでもないが、日本だとこれが「月にはウマ娘がいる」という話に変化している。むしろ他の地域で全く違う生き物に例えているのが不思議でならない。カニやライオンはまずスタート地点が違うから許すとして、なぜ古代中国の人はウマ耳とせずにウサギ耳にしたのだろうか?
ともかく、古来から月は観察の対象でもあった。人々はそこに身近な動物の姿を発見して後世に語り継いできたのだ。現代に生きる我々も、彼らが月面に描いた生き物の姿を見つけることができる。
こんな風にして、月は人々から長い間親しまれてきた。どうやっても届かない、見上げる事しかできない遠い存在の月に、人は様々な意味を持たせてきた。
当然のことだが、人間の手が届く場所として、実際に足を踏み入れる場所として月を見た者はいなかった。月は我々人間とは全く違う摂理の中で生きている存在だ。そのはずだった。
しかし、この旧い価値観は近年になってがらりと変化した。
およそ100年前にヴェルヌの「月世界旅行」が有名になると、月は夜空の象徴から人類の目標へと変化した。
それから50年ほどで人類は地球を脱出できる力を手に入れ、そこから僅か10年で実際に月に降り立って見せた。月面の荒涼とした大地の様子は世界中に生中継され、そこに住んでいたウマ娘やウサギたちは古代のおとぎ話の住人になった。
人類の叡智と技術は、遠く離れた月をも現実の存在として受け入れるようになったのだ。
人類が初めて月面に降り立ってから50年以上が過ぎた。その間にも科学技術は進歩し、月という存在はますます身近なものになっている。
超大国が全てを注ぎ込んだ有人月面探査ミッションは数回で終結し、それ以降月面の大地に立った者はいない。しかし、今や多くの国や企業が再び月に人を送り込もうと動き始めている。
世界一の大国がなりふり構わず予算を投入して実現できたような計画を、一企業がやろうというのだ。しかも、荒唐無稽な夢物語としてではなく、現実的な目標として。それほどまでに人類は力をつけている。
しかし、ウマ娘に関しては話が違う。
人間は月面に足を踏み入れたし、宇宙ステーションでは今も複数の宇宙飛行士が生活している。なのに、その中にウマ娘は含まれていない。短時間の飛行で宇宙の景色を眺めたウマ娘は何人か存在するが、数日から数ヶ月を要する本格的なプロジェクトに参加したウマ娘はいない。
この格差は一体なぜ生まれたのか?ウマ娘が宇宙に挑むことを阻んでいるものは一体何なのか?
人類を月に送り出すことに成功した唯一の組織、連邦の宇宙開発局ならば答えを知っているはずだ。世界最大の宇宙センターがあるヒューストンへと向かう飛行機の中、筆者はやはり月を眺めていた。
今日も月は静かに佇んでいる。
なんと今回の取材にはA船長が応えてくれた。50年前のあの日、人類で初めて月に降り立った人物だ。
もうかなりの高齢のはずだが、予想に反してかなり若々しい印象を受けた。真っ白に染まった髪や顔に深く刻まれた皺の数々は間違いなく老いた者のそれだったが、情熱と希望で
沢山の過酷な宇宙プロジェクトに参加し、月面の景色を実際に見てきた当事者として、ウマ娘が宇宙に進出できない理由をどう考えているのだろうか。
──結論から言いますと、ウマ娘の肉体は宇宙旅行に向いていません。高い身体能力を得たウマ娘は、その代償として宇宙空間に適応する力を失ってしまったのです。
私は宇宙開発の黎明期をこの目で見てきましたが、初めからウマ娘が
しかしながら、技術が進歩して一つのミッションに何日もかかるようになると、ウマ娘たちは宇宙開発計画に参加できなくなってしまいました。宇宙での滞在日数が長くなるにつれて、宇宙船の技術的制約やウマ娘の健康に関わる問題が浮上したからです。
まずは、技術的制約について話しましょう。
人類が安全に宇宙に滞在するため必要なものはなんでしょうか。
空気?水?食料?他にも沢山ある?ええ、その通りです。あなたが思い浮かべたものはどれもが欠かせないものです。先ほど挙げた3つ以外でも、例えば船内の温度は一定に保つ必要がありますし、船が人間ミキサーにならないよう回転を抑えなくてはなりません。宇宙で安全を確保するためには、微に入り細を穿つような気遣いが必要なのです。
とはいっても、温度や回転の問題は制御機器を入れるだけで済むので簡単に解決することができます。大した問題ではありません。
しかし、空気や水、食料についてはそう簡単に済む問題ではありませんでした。
ウマ娘は人間の10倍以上*1のカロリーを必要とします。もちろん、水や空気も同じぐらい必要です。
1時間だけ大気圏を飛び出すような最初期のミッションならば、空気の確保はある程度融通が効きました。1時間分の酸素タンクも10時間分の酸素タンクも大した重荷にはならないからです。おかげで、参加したウマ娘はちょっとお腹が減るぐらいで済みました。
しかしながら、何日間も宇宙に滞在するような探査では、この差が非常に大きな障害となります。
例えば、宇宙空間を3日間航行するミッションを行うとしましょう。このミッションの参加者にウマ娘を起用したとすると、宇宙船に搭載すべき各資源は人間の1ヶ月分にもなります。もの凄い量です。こんな事をするぐらいならば、人間を乗せて1ヶ月飛ばせたほうが明らかに将来の発展につながりますよね?
極めて合理的な判断のもと、ウマ娘は次第にパイロットに選ばれなくなりました。
彼女たちは運動能力に長け、コミュニケーション能力も良く、反射神経や咄嗟の判断にも優れています。宇宙飛行士としては最適の人材でした。ですが、人間よりも遥かに高い基礎代謝という変えようのない体質によって、ウマ娘たちは宇宙飛行士になる道を閉ざされてしまったのです。
とはいえ、これは昔の話です。現代の宇宙ステーションでは水も空気も船内でリサイクルできますし、生産だって行われています。更に地球からどんどん物資を追加補給できるため、食料問題もあってないようなものです。
ということは、現代の技術ならばウマ娘を宇宙に送り出すことは簡単なはずです。しかし現実はそうではありません。今になっても宇宙ステーション計画に参加するのは人間だけの専売特許になっていて、そこにウマ娘が参加したことは一度もありません。
何故そんな状態になっているのでしょうか?
この謎を解き明かすためには、ウマ娘を取り巻くもう一つの問題、宇宙空間が引き起こす健康被害について考える必要があります。
実は、宇宙飛行に伴う健康被害は人間にもウマ娘にも共通して起きる問題です。宇宙ステーションに長く滞在した人は全身の骨や筋肉が衰える、といった話は聞いたことがあるでしょう?あれは代表的なわかりやすい例のひとつです。
ウマ娘も、人間も、宇宙空間に滞在すれば必ず身体をおかしくします。これは現代の技術では避けることのできない問題です。
では、なぜ宇宙空間で人類は身体をおかしくしてしまうのでしょうか?まずは、その理由について説明しましょう。
人類が宇宙船に乗って地球を脱出した時、真っ先に直面するのは重力の変化です。
それまで一瞬たりとも途切れず伸し掛かっていた重力が、突然無くなってしまうんです。ふわふわと浮遊感を楽しむ人もいるでしょうが、肉体はこの変化をただ楽しんでいる訳にはいきません。
人類の肉体からすると、無重力状態なんてものはあり得るはずのない異常事態だからです。
我々人類は長いあいだ重力のある地上で暮らしてきました。そのため、身体の機能も重力が存在する前提で作られています。
例えば、体液分布の調節機能。人間の身体の60%は水分でできていますが、その水分は均等に分布している訳ではありません。重力に従って、体内の水分は下へ下へと向かおうとします。なので、人間の身体にはそれに対抗して体液を上半身へ押しやろうとする機能が備わっています。
一つ例を挙げるとすれば、骨格筋のポンプ機能がわかりやすいでしょうか。骨格筋が運動によって収縮するときに、文字通りポンプのような働きをして全身の血液を心臓に戻そうとする働きです。このポンプ機能は特にふくらはぎの筋肉で強く見られ、そのためふくらはぎは『第二の心臓』と呼ばれることもあります。
このように、人体には重力に抗って体液を運ぼうとする力がはたらいているのです。
しかし、無重力状態ではこのしくみが仇となります。
重力がないので、体液は身体中に均等に広がります。今までのように、下へ下へと集まろうとすることはありません。しかし、人類が進化の過程で得た体液を上半身へと送り出す機能は、そんなの知ったこっちゃないと体液をどんどん上半身に送り出します。すると、人体はどうなるでしょうか?
そうです。体液が上半身に偏りはじめるのです。
宇宙飛行士の顔はぶくぶくと膨れ上がり、反対に足はフラミンゴのように細くなります。いきなり大量の体液が押し寄せた脳は、全身の水分量が多すぎると誤解し、必死に尿を生産して排出しようとします。全身の器官が正気を失い、はちゃめちゃに動き始めるのです。
とはいえ、これらは致命的な症状ではありません。慣れない環境に肉体は戸惑いを見せますが、1~2週間もすれば適応し始めます。むくんだ顔はいつの間にか元に戻り、用を足す頻度も地球にいた頃と同じぐらいに戻ります。
『体液シフト』と呼ばれるこの現象は、我々宇宙飛行士の間で名物として楽しまれるほどに身近で、大したことのない身体反応です。ええ、
ウマ娘の場合は話が別です。彼女たちは体液制御機能が人間よりも発達しているために、無重力状態で起こる『体液シフト』の影響力が人間よりも大きくなるのです。
ウマ娘たちは揃って血圧が高いです。とは言っても、塩分の取りすぎが原因で起こるような不健康な高血圧ではありません。彼女たちの高い運動能力を支えるためには全身の筋肉に、速く、大量の血液を送る必要があるため、はじめから血圧が高くなるように身体がつくられています。これは避けようのない、仕方のない事です。
生まれつき血圧が高いウマ娘たちは、その分全身の体液調節機能もよく発達しています。もちろん先ほど紹介した筋ポンプ機能も例外ではありません。全身に酸素を運んだ血液を一刻も早く心肺へと戻すため、ウマ娘の筋肉はどくどくと力強く血液を汲み上げています。
では、そんなウマ娘が無重力空間に放り込まれたらどうなると思いますか?
もう想像がつくと思います。……いや、ちょっと待ってください。どうしてそんな嫌そうな顔をするんですか?一体何を想像しているんですか?
まさか『マーズ・アタック!』の宇宙人を思い浮かべたりしていませんよね?そんな、破裂するわけないじゃないですか!ちゃんと彼女たちは生きて帰ってきてますよ!
説明に戻りますよ。
無重力空間で『体液シフト』を味わう事になったウマ娘は、人間と同じように顔がむくみ、足は細くなり、尿量が増加します。ここまでは人間と同じです。人間よりもこの症状は強く現れますが、どれも命の危険には繋がりませんし、ましてや破裂するなんてことはありません。
しかし、体液の偏りが人間よりもずっとひどくなるウマ娘の肉体では、この他にも様々な潜在的リスクがあるのです。
例えば、眼球に起こる問題です。
初期の宇宙開発プロジェクトに参加したウマ娘たちのうち何名かが、ミッション中や帰還後に視力の異常が起きたと訴えました。近くのものが見え辛くなったり、視界がぼやけたりすると言うのです。
すぐさま彼女たちは精密検査にかけられ、そこで驚くべき事実が発覚しました。
彼女たちの眼球は、まるで内側から強く押されたかのように歪んでいたのです。中には脈絡膜や網膜が剥がれかけているウマ娘もいました。
この異変の原因がわかったのは数年後のことでした。地上で擬似的に『体液シフト』を引き起こす実験を行ったところ、被験者たちの眼球の周辺に変化が起きることが見つかったのです。
体液が偏ることで普段よりも沢山の水分が上半身に集まると、そのぶん上半身の内部圧力も高くなります。この圧力の変化が、眼球を内側から圧迫して歪ませた原因でした。
ウマ娘にとって『体液シフト』とは、内部から身体が破壊される可能性のある危険な現象だったのです。
現在ではこの他にも、脳内出血や、脳そのものが圧迫されて機能障害が起こる可能性も指摘されています。幸いにも、これまで宇宙に行ったウマ娘たちにそのような悲惨な事例は起こりませんでした。しかし、短時間のミッションで眼球に障害が出たのです。長期間の宇宙滞在がどれほどのリスクを伴うのかは想像に難くないでしょう。
『体液シフト』のリスクが正しく認識された今、危険を冒してまで彼女たちを宇宙に送り出すわけにはいかなくなりました。
この問題への対処法──最低でも人間向けのもの──が見つからない限りは、ウマ娘たちが宇宙に進出することはないでしょう。
では、どうすれば『体液シフト』を克服することができるのでしょうか?
この現象が無重力状態によって起きている事を考えると、克服するには宇宙空間で重力を作り出すのが最も効果的だと思われます。
それを実現するのは回転する宇宙コロニーかもしれません。それとも
残念ながら、ウマ娘が宇宙を旅するようになるのはずっと先のことになりそうです。しかし、彼女たちの体質を克服する技術が開発される頃には、間違いなく宇宙開発技術は大きく進歩しています。
未来のウマ娘たちが宇宙に何を見るのか。現代に生きる我々には想像することしかできませんが、恐らくその光景はロマンに溢れた素晴らしいものになっていることでしょう。
ウマ娘の歩みは月に届くどころか、地球を抜け出してすぐのところで止まっていた。
人間よりも遥かに優れた身体機能が仇となって、彼女たちが宇宙へ進出することを阻んでいたのだ。なんと皮肉で無情な運命だろうか。
まるで優秀すぎたが故に故郷に帰ることができなかった阿倍仲麻呂のようだ。
彼は届かぬ望郷の思いを月に乗せたが、宇宙に行かせてもらえなかったウマ娘たちも同じように、届かぬ宇宙への憧れを胸に月を見上げたのかもしれない。
彼女たちは物言わぬ月に何を見たのだろうか。宇宙を旅する自身の姿だろうか、それとも宇宙から同じように月を眺める人間の仲間の姿だろうか。今となってはわからないが、その無念さは想像できる。
どうやら、その月にウマ娘が足を踏み入れるのもずっと未来のことになりそうだ。
もしかすると、月に人間が住む時代になってもウマ娘は地球から出られないかもしれない。昔の日本人が語り継いできた月に住むウマ娘のおとぎ話は、様々な夢物語が科学によって実現された未来でも、変わらずおとぎ話であり続けることだろう。
A船長は自宅のリビングで、取材で話した内容を
──「『体液シフト』のリスクが正しく認識された今、危険を冒してまで彼女たちを宇宙に送り出すわけにはいかなくなりました」か。
確かに妥当な理由に見える。平等な権利を叫び、野生動物をも哀れむことができる人類にとって「かわいそう」とは大きな動機になる。「かわいそう」が大衆を動かした例なんて、数え挙げれていけばキリがない。
だが、宇宙開発ではそんな甘い理屈は通用しない。
ロケットには夢やロマンがあるが、その実情はほとんど人体実験のようなものだ。
特に初期の宇宙開発は酷かった。東西の大国が競争していたこともあり、政治的理由で飛行士が打ち上げられたこともあった。
東の大国では200箇所以上の欠陥が判明している宇宙船をそのまま打ち上げたことがあるが、その理由は国の政治的記念日だったという。もちろんその時の乗組員は還ってこなかった。
連邦では安全性を重視していたお陰でそんな
東の大国に負けることは許されなかったし、いつぞやの大統領が宣言したおかげで10年以内に月に行かなくてはならなくなった。
大気圏をようやく抜け出せる
そんな中で、「宇宙飛行士が事故にあったらかわいそう」だなんて理屈は通用しない。するわけがない。そんな甘ったれた事を考える奴は邪魔でしかない。
もちろん、これはウマ娘でも同じだ。「ウマ娘を宇宙に送り出して病気になったら可哀想」だって?そんな理屈は通用しない。本当に病気になってから考えればいいし、酷い症状が出たところで
本来、宇宙開発競争とはそういうものだ。
なのに、人類はウマ娘を宇宙に送り込む事をあっさりと諦めてしまった。さっきの記者は健康問題で納得して帰ってくれたが、やはりどこかおかしいのだ。
多少のデメリットや障害なんて無視されるべきなのに、2つの大国は健康問題
だって、ウマ娘の宇宙進出を辞めた本当の理由は別にあるのだから。
恐らく真の理由が世間に知られることはない。関係資料は今でも国防省の奥深くで誰にも見られず厳重に秘匿されているし、当時の事件に関わった者の中で生き残っているのは俺だけだ。
そして、俺ももう長くない。数年もすれば真相を知るものはこの世からいなくなり、そこに何か秘密があるという事実だけが残されるだろう。
政府の誰かがその資料を見て真実を知ったとしても、まず閲覧した本人が信じないだろう。仮にそいつが内容を本気で信じて、あたり構わず喧伝して回ったとしても、人々は与太話だと考えてまともに取り合わないに違いない。
それほどまでに荒唐無稽で、冗談のような話なのだ。
「ウマ娘が人類よりも先に月に到達していて、しかも月面を生身で歩き回っていた」だなんて、一体誰が信じるっていうんだ?
だが、俺はこの目で見たのだ。前人未到のはずの大地に、明らかに自分以外の足跡が残されていたのを。足跡と一緒に残されていた何本かのウマ毛を。
これがウマ娘のいた証拠でなくて何だと言うのか?
東の大国に先を越された?もしもそうだったら、見栄と権威を大事にする彼の国が黙っているはずがない。俺のもとにそんな情報が入ってこなかった以上、その理屈は通らない。探したけれど赤い旗は見つからなかったし、そもそもウマ毛を残す意味がわからない。よってこの可能性はほぼゼロだ。
第三国?ナチスの月面基地?そんな話を信じるぐらいなら、東の大国のせいにした方がよっぽど現実的だ。
だとしたら、やはり月面にウマ娘がいたと考えるほかにないだろう。しかもこの謎のウマ娘は宇宙服を着ていなかったようだ。そうでなければ、ウマ毛が月面に残ることはない。記念品としてあらかじめ準備していたものを置いていった可能性もあるが、だとしたらもっと丁寧に置いていくはずだ。乱雑な足跡の上にばら撒くわけがない。
でも、本当に?俺は目の前の光景を信じることができなかった。一緒にミッションに参加した2人の仲間も、地球の管制オペレーターも、誰も信じようとしなかった。
けれども、動かぬ証拠は目の前にある。だったら信じるしかない。人類にとって偉大な一歩になるはずだった俺の歩みは、ただの一歩になってしまった。
こうして、白昼夢のような現実は公式文書に残された。
さて、そうなると困るのは今後の宇宙開発計画だ。今後、ウマ娘を宇宙に送るべきか否か?
俺はこのミッションを最後に引退したので詳しくは知らないが、東西の大国はこれ以上送らない事を選んだようだ。連邦で月面探査計画と並行して計画されていたウマ娘向けミッションは結局表舞台に出てこなかったし、東の大国からもウマ娘に関する発表は何もなかった。
ウマ娘が生身で宇宙に耐えられた場合、今まで積み重ねた研究と資金が全て無駄になる。お偉い方はそれを恐れたのだろうか?それとも、ウマ娘という存在の底知れないポテンシャルに恐怖を感じたのだろうか?理由はわからないが、とにかく例の事件をきっかけにウマ娘は宇宙に行かせてもらえなくなった。
そして、50年以上経った今でも、その決定は覆っていない。
A船長はふいに立ち上がると、書斎へ向かった。
彼愛用の机には、月から持ち帰ったサンプルのひとつが隠すように仕舞われてある。連邦宇宙局の目を潜り抜けて何とか持ち帰った逸品だ。
宇宙について、世界の真理について、深く思索を巡らせたくなった時、彼はいつも
透明な袋に入った
窓からはきれいな満月が見える。人々はこの天体を綺麗だと思うだろうが、彼にとっては意地悪で何となく好きになれない存在だった。
初めて月に降り立った人類
苦笑いを浮かべたA船長は、手元の袋に目を落とした。
透明なビニール越しに見える一本の芦毛は、満月のような銀色の輝きを帯びていた。
月が綺麗だったので書きました。
体液シフトを再現しようとして長時間逆立ちをするのは危険なのでやめましょう。緩い斜面で頭を下にして寝転がるぐらいがちょうどいいです。実際の再現実験もそうやって行われています。
https://twitter.com/WasteWording/status/1418536855432155136?s=20
注釈内リンクができなかったのでここに貼っておきます。眉唾程度に読んでください