ウマ娘の進化論 ─なぜウマ娘の愛は重いのか?─   作:粋成

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本作品に登場する人物・団体・名称等は架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、本作品で語られている技術・歴史等も架空のものです。鵜呑みにしないでください。


神様になったウマ娘

 ウマ娘と言われて読者諸君の多くが思い浮かべるのは、やはりトゥインクル・シリーズやドリームトロフィー・リーグを走る競走バだろう。中には他のスポーツで活躍するウマ娘を想像する物好きや、甘酸っぱい初恋を思い出す人もいるかもしれないが。

 

 諸君らが思い浮かべたウマ娘(初恋のあの子を除く)は、みなメディア露出の過程で巧妙に偶像(ウマドル)化されている。歌って踊れる彼女たちの可憐さや愛嬌は誰もが知っているが、その本質、つまりはウマ娘という生物の正体についてはあまり知られていない。

 

 なぜウマ娘たちは速く走れるのか?なぜ耳が頭頂部にあるのか?その尻尾は何のためにあるのか?なぜ揃いも揃って美形なのか?

 ──誰もが一度は考えるような疑問に答えられる人は、奇妙なまでに少ない。本書ではそんなウマ娘たちの謎めいた実態について、専門家へのインタビューを交えて迫る。

 

 

◇◇◇

 

 

神様になったウマ娘

 

 

 例えばあなたが街中を歩いていて、通りすがりにウマ娘の姿を見かけたらどう思うだろうか。

 珍しいな、別嬪さんだな、ええもん見たわ、良いトモのつくりをしているからあの娘は走るぞ、等々人によって感想は様々に違うだろう。けれども、ウマ娘の姿を見てネガティブな感情を抱く人は滅多にいない。

 いや、全くいないという訳ではないが。事実、私の知り合いにもウマ娘に恨みを持つ人はいる。ただしその原因は痴情のもつれであって、彼女が恨んでいる相手は特定個ウマ娘に過ぎない。関係のない娘を見て嫌な事件を思い出す事はあるかもしれないが、ウマ娘全般を敵対視しているのでは決してない。

 

 少なくとも、私の知る限りでは、ウマ娘そのものを嫌っている人間は1人もいない。

 当たり前に感じる人が大多数だろう。可愛くて、愛嬌があって、ゆらゆらしっぽがチャーミングなウマ娘をわざわざ嫌う理由がない。彼女たちを嫌いになれる人間は血が通っていない。そう思ったのではないだろうか。

 

 だが待ってほしい。冷静に考えてみよう。

 世の中には犬や猫でさえ嫌いな人がいると言うのに、ウマ娘が嫌いな人が1人もいないと考えるのはあまりにも早計ではないだろうか。犬や猫が苦手な知り合いは簡単に思いつくのに、ウマ娘が苦手な人は1人も思い当たらないのはあまりにも不自然ではないだろうか。

 けれども、やっぱりウマ娘嫌いの人は思いつかない。どうにも変な気がする。

 

 恐らくだが、『ウマ娘=いいもの』という考えを人々に根付かせるナニカが世の中に存在している。

 

 良い事か悪い事かの議論はさておき、そう考えてしまうのも仕方がないだろう。

 では、その正体は一体なんだろうか?軽く分析してみよう。

 

 人々の考えを均一化させる手段はいくつか数え上げることができる。例えば教育、例えば道徳、例えば宗教。

 宗教は現代日本では存在感が薄く、道徳は客観的分析が難しい。ひとまず一番わかりやすい教育を考える。

 

 我々が受けた教育には、どんな形でウマ娘が登場していただろうか。

 いくつか例は挙げられる。小学校の国語の教科書には少年スーホと白毛のウマ娘の物語が載っているし、歴史の授業では偉大な複数のウマ娘について学ぶ。学校以外の場面でも、童話や絵本にはウマ娘が登場するものが多くある。ボーイ・ミーツ・ウマ娘は物語ジャンルの一角を担っているので、記憶に残っている人も多いだろう。

 だが、ウマ娘を礼賛するような内容ではなかったはずだ。あくまで人間の友として、もしくは歴史の登場人物として扱われただけで、それ以上の意味は含まれていなかったように感じる。

 

 ならば、宗教や道徳に原因があると考えるべきだろう。

 

 宗教に登場するウマ娘と言われてまず思いつくのは、ウマ娘の間で信じられている三女神伝説。他にも、滋賀県にある賀茂神社はウマ娘を祀った神社として有名だし、ケルト神話のエポナ神はウマ娘の姿を(かたど)っている。古くからウマ娘は信仰対象の一つだったのだろう。

 また、ウマ娘を尊重し敬うべきという道徳心は、この記事を読んでいる誰もが持ち合わせているはずだ。

 孔子の時代にはすでに確立していたこの道徳観は、産業革命から大戦にかけての時期に動揺はあったものの、今なお我々の意識の根底に存在している。

 

 現代社会に偏在するウマ娘を崇拝するかのような価値観の源はこちらにあると考えて良いだろう。

 ならば、新たな疑問が生まれる。

 

 人間はいつ、どうしてウマ娘を崇めるようになったのだろうか?

 

 ここまで来ると無学な私には太刀打ちができない。大人しく専門家の手に委ねることにしよう。

 今回インタビューを行ったのは大英博物館の理事の1人であるC氏だ。文化人類学と考古学を専門とする彼女は、国外出身でありながら英国勲章を受章するほどの功績を挙げている。そんなC氏から見た人間とウマ娘の歴史について、深く話を伺ってみた。

 

 

◇◇◇

 

 

 ──人間がなぜウマ娘を特別視するようになったか、いきなり答えを出そうとしても上手くいきません。まず最初に考えるべきなのは、大昔の人間とウマ娘とがどのように関わりあっていたかです。

 

 古い時代から順番に振り返っていきましょう。人間とウマ娘が共同生活を送るようになったのはおよそ10万年前と推測されています。当時の人間はようやくアフリカ大陸を抜け出し、世界中へと版図を広げている最中でした。

 当時の生活は非常に過酷でした。地球にとてつもない寒さが襲いかかり、大地からは食料になる動植物の姿が激減していました。そんな中でウマ娘は人間の力を借り、時には反対に力を貸し、協力して生存を試みたのです。

 

 中にはウマ娘を養うだけの力がなかった為に、泣く泣くウマ娘と別れたコミュニティもあったことでしょう。しかしその一方で、ウマ娘とともに暮らせるだけの余力があった部族は多大なリターンを得ることができました。

 ウマ娘の優れた身体能力は狩りの場面で真価を発揮しました。人間ならば協力して包囲網を作らないと捕えられない大型の野生動物であっても、ウマ娘ならば走るだけで追いつくことができます。彼女たちは絶大な戦果を挙げ、人間たちの信頼を得るようになりました。

 

 それから何万年かが過ぎて地球が暖かくなると、人間は原始的な農業と畜産の技術を手に入れました。狩猟と採集でその日の食料を得ていた時代は終わり、安定して大量の作物を収穫できるようになったのです。

 人々の生活の質はぐんと上昇し、人口はどんどん増加します。もうウマ娘の食い扶持を気にする必要はありませんでした。

 

 明日のご飯の心配が無くなると、人間たちは余計なことを考えるようになります。隣の集落の畑の様子が気になったり、コミュニティの中で誰が一番偉いのかを考えるようになりました。

 すると、人間同士で争いが起こり始めます。隣の青い芝生を手に入れる為、もしくはいけ好かない部族の長を蹴落すため、人々は獲物たる動物に向けていた刃を仲間のはずの人間に対して使うようになったのです。

 

 ウマ娘はそんな中でも重要な役割を担いました。より美味しいご飯のためであったり、最愛の人のためであったり、目的は様々だったと思われますが、彼女たちは人間に混ざって戦いに参加していました。

 その活躍ぶりについては……想像に難くないでしょう。当時の遺物からもウマ娘が戦場で恐れられていた様子がわかります。

 

 さらに長い年月が過ぎると、人間は密集して暮らすことでより高度な社会を作り上げるようになります。都市の誕生です。

 紀元前5000年ごろのメソポタミア地方を始まりに、エジプトや中国、ヨーロッパやインドなどでも同時多発的に発生した都市国家では、およそ数千から数万人の人口を擁していたと推計されています。

 人々は細かく役割を分担し、専業化によってさらに豊かさを増しました。そうすると貧富の差も広がり、人々の階級が明確に分かれ始めます。

 

 地域を問わず、当時のウマ娘たちはかなり上位の階級として扱われていたようです。発掘されたウマ娘の埋葬跡からはとても豪華な副葬品の数々が見つかっています。

 

 さて、ここまでを振り返ってみた限り、都市国家が登場した頃には既にウマ娘は非常に丁重な扱いを受けていたことが分かります。

 それでは、都市の成立より前の時代に彼女たちは具体的にどんな役割を担っていたのか、なぜ尊敬されるに至ったのか、もっと深く掘り下げてみましょう。

 

 とは言っても、狩りや戦争でのウマ娘の大活躍は既に触れていますし、彼女たちが尊敬された理由がそこにあることは容易に想像が付くと思います。何を今更当然のことを、と考える方もいるでしょう。

 ですが、一つ忘れてはいけない前提があります。今までの分析は全て『ウマ娘と共存してきたコミュニティ』についての話だという事です。

 

 ウマ娘の高い身体能力を目の当たりにした人々が彼女たちを敬うのは自然な事です。しかし、ウマ娘がいない生活を送ってきた人々にとってはどうでしょうか?

 彼らからすれば、他部族のウマ娘は狩場から動物を根こそぎ持って行くライバルであり、戦場で暴れ狂う恐ろしい敵であったことでしょう。ならば、彼女たちは忌まわしい存在だと考えてもおかしくありません。

 仮にそうであった場合、多くの部族が集まった都市国家でウマ娘が素直に受け入れられたとは考えづらいです。ウマ娘を讃える人々とウマ娘を忌む人々の間で対立が起きる可能性は十分に考えられます。

 

 けれども、事実がそれを否定しています。古代都市国家においてウマ娘は大切にされ、その扱いを巡って人々が対立していたような跡もなければ、反ウマ娘の人々だけが集まったような都市も見つかっていません。

 

 では、ウマ娘がいない集落で暮らしていた人々は、なぜあっさりと彼女たちを受け入れることができたのでしょうか?

 その秘密は、交易と宗教にありました。

 

 まずは交易について話しましょう。

 都市国家が成立する前の時代にはまだ金属を加工する技術がなく、人々は石器を用いていました。彼らにとって質の良い石とは何よりも大切なもので、頁岩や黒曜石のような便利な石は遠くの産地からわざわざ輸送してでも欲しい逸品でした。

 実際に、今のイラク中央部にあるメソポタミアの遺跡からは、何百キロと離れたトルコやアルメニアで産出された黒曜石の石器が多数発見されています。石器時代の昔から交易は非常に盛んだったのです。

 

 その交易を担っていたのがウマ娘でした。遥か遠くの採石地で生産された黒曜石は、各地の集落に暮らすウマ娘たちが主となってリレー方式で運搬していたようです。

 つまり、ウマ娘がいないコミュニティであっても、交易の場面で彼女たちと接する機会があったのです。大切な黒曜石を運んでくれるウマ娘は人々にとって大変ありがたい存在でした。もしかすると、普段会うことがない分その姿が神々しく感じられたかもしれませんね。

 

 物質のやり取りがあるならば、文化の交流もあります。黒曜石の交易路に沿ってゆるい文化圏が生まれました。

 当時の文化とは即ち宗教でした。宗教と言っても、現代の世界宗教のような堅いものではありません。もっとファジーで、生活に密着したものです。生死観や信仰だけでなく、生活の知恵や道徳など、ありとあらゆるしきたりを含んだものが当時の宗教だったのです。

 

 宗教についてもう少し詳しく解説しましょう。

 石器時代の集落といえど100人単位の人間が暮らしているならば、彼らを纏める決まりが必要となってきます。しかし、法律という概念は当時まだ誕生していません。その代わりに使われたのが宗教だったのです。

 例えば近くの危険な山についてだったり、毒があって食べてはいけない動植物について、人々は宗教を媒体にして情報を発信しました。生活の知恵は宗教として受け継がれていたのです。

 

 この名残は現代でも発見することができます。

 例えばユダヤ教の「蹄が分かれているが、反芻(はんすう)しない動物は食べてはいけない」という戒律は、ウシのような反芻する動物の方がより少ない飼料で育てる事ができるために生まれたと考えられています。逆に言うと、ブタのような反芻しない栄養効率の悪い動物なんかを育てたら飼料の作物を余計に消費してしまうから辞めておけ、という忠告がそこにあったのです。

 原始宗教の一環として、このような経験則がたくさん伝えられていました。

 

 さて、生活のノウハウが詰まった原始宗教の中で、ウマ娘はどう扱われていたのでしょうか。

 狩りに、戦に、交易にと大活躍する彼女たちをこき使う訳にはいきません。それまでネックだった食料問題が解決してしまった以上、ウマ娘が逃げ出して別の集落に移り住む事だって可能になったのですから。

 人々は、出来るだけ彼女たちの機嫌を損ねないようにしつつ、上手く()()()()()必要がありました。

 

 個人をコミュニティから離れづらくする手段にはいくつか候補があります。極端な例だと家族を人質に取ることも選択肢に入りますし、穏便なやり方では単に居心地を良くすることも有効です。

 人質作戦はウマ娘の反感を買うので選べません。──実際にその選択をしたコミュニティは存在したかもしれませんが、人質作戦が広く採用された形跡が無いことから失敗したのだろうと推測されています──人々はもっとポジティブな方法でウマ娘を縛り付けなくてはなりませんでした。

 

 結果から言うと、選ばれた手段は神格化でした。

 責任を背負わせれば、人はコミュニティから逃げ出しづらくなります。現代社会でよく見られる構図は石器時代でも通用しました。

 ウマ娘を神聖な存在として扱い、人々の畏敬を集めさせれば、それはウマ娘を縛り付ける責任の鎖へと変化します。慕ってくれる人々がいるのに集落から離れるなんて酷いことはウマ娘にはできませんでした。

 まるで彼女たちが嫌々神様役をやっていたような表現をしましたが、実際はノリノリでやっていたことでしょう。崇められて嫌な気持ちになる人は少数派ですし、仮に私がその立場だったら間違いなく乗り気になりますから。

 

 ともかく、人々はウマ娘を信仰対象と置くことで、彼女たちをコミュニティに縛り付けることに成功しました。

 こうして生まれたウマ娘信仰は、その後大きな盛り上がりを見せます。

 

 大量の獲物を狩って帰る姿や畑仕事で何人分もの仕事をこなす姿は豊穣神に例えられ、戦場で八面六臂の活躍を見せる姿は戦神に例えられました。

 儀式で使われたのであろう、ウマ耳や尻尾を模した装飾品やウマ娘の人形は、世界各地の遺跡から発見されています。また、負傷した跡のある人間の埋葬跡から同様の装飾品が発見されたこともあります。勇敢だった戦士に死後もウマ娘の加護があるように祈ったのでしょうか。

 

 おそらく最盛期の頃にはウマ娘信仰の文化が作られた理由はすっかり忘れ去られていた事でしょう。

 人々はよく分からないけれどウマ娘を崇め奉り、ウマ娘もよく分からないまま儀式の中央で微笑んでいたはずです。誰も意味を理解していない伝統が受け継がれるなんてのは、宗教に限らずよくある事ですから。

 

 まあ、誰も本意を理解していなくても、宗教は宗教です。

 ウマ娘が暮らす集落を中心地として興った信仰文化は、交易のネットワークに乗って各地に伝播します。ウマ娘を擁した集落には勿論のこと、ウマ娘が暮らしていない集落に住む人々にもその文化が伝えられました。

 おそらく彼らには独自の土着宗教があったはずですが、どうやらウマ娘信仰で上書きされてしまったようです。明らかに人間よりも優れた能力を持つウマ娘を見せられたら信じる他にはありませんものね。

 日常的にウマ娘と出会うことのない人々にとって、彼女たちは偶に姿を現す神秘的な存在です。ひょっとすると、ウマ娘が身近でない分、彼らの方が信仰心は篤かったのかもしれません。

 

 このようにして、石器時代に生きた人々の間にウマ娘を特別視する価値観が広がりました。

 お陰で、後の時代に都市国家が成立した時に意思統一が容易にできたのです。人間にとってウマ娘は神聖で特別な存在だという考えは、もはや出自を問わず共通のものとなっていました。

 

 残念なことに、ウマ娘を神格化する風潮は都市の発展とともに衰退してゆきました。人口増加によってウマ娘の労働力としての価値が相対的に下がったからです。

 しかし、全てが跡形もなく消滅した訳ではありません。今でも各地域の神話やおとぎ話には沢山のウマ娘が登場していますし、外界に触れることなく暮らしてきた民族の中には未だにウマ娘信仰を色濃く受け継いでいるものもあります。

 もっと身近な例を挙げるとすれば、勝利のVサインが分かりやすいでしょう。近年では平和を表すピースサインとして使われることも多いこのハンドサインですが、元はウマ耳を表現したものだったと考えられています。戦争に勝った男たちは、自らの活躍ぶりを戦神であったウマ娘に例えて表現していたのです。

 他にも沢山の例が思いつきますが、キリがないので程々にしておきましょう。先史時代に生まれたウマ娘信仰の文化が、形を変えて現代に受け継がれている事はよく理解してもらえたと思います。

 

 今回頂いた質問への答えはこれで充分でしょう。

 ですが、実はまだ話せていない内容があるので、もう少しお話を続けます。

 

 今までの話を聞いて疑問に思った人も居るのではないでしょうか?

 「交易ネットワークを通じてウマ娘信仰の文化が広がっていったのは理解した。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?さっきの理屈は通用しないはずだ」と。

 

 非常に的確で鋭い指摘です。

 今までの議論は全て、近所の集落のどれかにウマ娘が暮らしているという前提の元で行われていました。では、その前提に反した地域、つまりウマ娘の空白地帯では何が起こるのでしょうか?

 

 まず最初に、そのような空白地帯が存在したのかどうかを解説しましょう。

 

 結論から言うと、ウマ娘が全く住んでいない空白地帯は間違いなく存在していました。

 具体的な例を挙げると、チベット高原やアンデス山脈一帯のような非常に標高の高い地域がそうでした。

 人間よりも沢山の酸素を必要とするウマ娘にとって、高地の薄い空気は猛毒のようなものです。

 世界最高峰のエベレストに登頂した人間が1000人単位でいるのに対して、ウマ娘が世界の頂に辿り着いたのはたったの2度しかない事からも、彼女たちの高山への弱さが伺い知れます。

 人間ならば適応できる高地であっても、ウマ娘は暮らす事が出来ませんでした。こうしてウマ娘だけがいない空白地帯が出来上がったのです。

 

 空白地帯に住む人々は独自の文化を創り上げました。

 狩りも戦争も交易も男の手によって行われるために、他の地域よりも男尊女卑な傾向の風習が発達します。

 当然ですが、ウマ娘を信仰するような文化は生まれません。彼らはそもそもウマ娘に会う機会が無いのですから。

 ただし、彼らの文化にウマ娘が一切登場しない訳ではありませんでした。なぜなら、目にする機会がほとんど無いだけで、ウマ娘自体は外界に間違いなく存在するのですから。

 

 それでは、空白地帯に住む人々にとってウマ娘とはどのような存在だったかを考えてみましょう。

 

 彼らにとってウマ娘とは居るはずのない余所者です。

 言い換えれば、ウマ娘がいるという事実は外部からの侵入者が他にもいる可能性を意味しています。

 わざわざ交易ネットワークを外れてまでやって来た余所者が善良で素直だとはとても思えません。空白地帯に住む人々にとって、ウマ娘とは戦争を意味する存在でした。

 

 戦争を意味するウマ娘は、空白地帯では災いをもたらす忌まわしい存在として扱われました。現地の土着宗教にもそれが色濃く反映されています。

 実際に、チベットやアンデス地方に残された古い宗教の中には、ウマ娘が悪魔として描かれる一派が存在します。その宗派の悪魔にはウマ娘のような尻尾が生えているのです。

 我々の常識では、尻尾が生えているのは神や天使だけですよね。けれども、チベットやアンデス地方では悪魔に尻尾が生えているのです。住環境の違いにより価値観が逆転し、宗教観までもが正反対になった非常に面白い例と言えるでしょう。

 

 ……という風に、ウマ娘のいない地域では全く違った価値観が育まれていたのです。

 植民地時代の侵略や現代のグローバル化によってそれらの古い風習は大部分が喪われてしまいましたが、今でもチベットやアンデスの奥地にはウマ娘に排他的な人々がひっそりと暮らしているのかもしれませんね。

 

 

◇◇◇

 

 

 もう何年も前のことになるが、一度だけ、登山を志すウマ娘の取材のためにボリビアの首都ラパスを訪れた事がある。

 アンデス山脈のすぐ近くにあるラパスは、標高およそ3700mの高地に位置している。富士山頂に街があるようなもので、何の準備もせずに訪れると大変苦労する事になる。

 到着した空港で見た、各所に設置されている酸素ボンベが今でも記憶に残っている。

 

「世界のてっぺんから見える景色を、私も眺めてみたいんです」

 

 そう語ったあるウマ娘は、高地トレーニングのためにラパスで生活を始めたのだという。人間の私でも歩くだけで息切れするような環境に滞在する彼女は、いざという時のために酸素ボンベを常に携帯していた。

 何故そこまでして。浮かんだ疑問は、山について語る彼女の純粋な瞳によって氷解した。

 

 その瞳は、デビューを間近に控えたウマ娘と同じ輝きだった。

 レースを目指すウマ娘が毎日のトレーニングをちっとも苦に思わないように、世界最高峰を目指す彼女も極限環境での生活を厭わなかったのだろう。

 たとえそのトレーニングがやり過ぎだったとしても、止める権利は私にはないと感じた。

 

 しかし、そんな彼女からはどことなく寂寥感が漂っていたように思えた。

 常識はずれな高度で行うトレーニングに同行者が居なかった故だろうと当時は考えていたが、今になって振り返るとそれは半分しか正解していなかったようだ。

 よく思い出してみると、ラパスの街にはウマ娘の姿がなかった。

 100万人近い人口がある都市なので、滞在中に5人ぐらいは見かけてもおかしくないはず。けれども、いくら記憶を掘り起こしても、高地トレーニングに勤しむ彼女以外のウマ娘を見た記憶がなかった。

 どうやらラパスは『空白地帯』であったらしい。

 

 先のC氏の話を疑っていたわけではないが、こうやって実体験と擦り合わせながら考えると、まるで石器時代の文化変遷を目の当たりにしたような気分にさせられる。

 本当に1万年近く前の世界ではウマ娘たちが祭り上げられていて、一方で彼女たちを忌んだ人々が実在したのだ。

 もしかすると、ラパスに住む彼女は薄い空気だけでなく、当時から残るウマ娘への偏見とも戦っていたのかもしれない。何年も過ぎた今になって、ふとそう思った。

 




ウマ娘という明らかに身体能力で上回る存在がいるならば、宗教の在り方も大きく変化しているはず
しかし有史以降をテーマにすると考える要素が多過ぎてすごく大変なので、今の所極力触れないようにしています。世界史は分からない…
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