アイツの距離が近すぎる   作:ぽむQ

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前回、前々回と比べてだいぶ長くなってしまいましたが、今回が最後の回想になります。




#3 俺とキミの決して縮まらない距離

 あームラムラする。間違えた、ドキドキする。

 時刻は午後9時をまわったところで、俺は自宅のリビングで絶賛悶々としている最中だ。ソファに座って気晴らしにスマホの動画を見たり、好きなアニメや漫画の新情報を追ったり、Twit○er開いて閉じてまた開いたりしたが、どうにも落ち着かない。

 趣味の世界に没頭しようにも、俺のいるリビング(ここ)からわずか数メートル先の脱衣所及び浴室から響く流水音がそれを遮断してくるのだ。

 なぜなら、今この瞬間俺の家の風呂を使用し、生まれたままの身体を洗っているのは……上原歩夢(俺の好きな人)だからだ。

 

「……っ」

 

 もし親が家にいてくれればまだ良かった。父さん母さんがうまい具合に茶化してくれて、俺がそれに突っ込み、なんだかんだで上原が上がり、帰ってゆく……。そんな感じに滞りなく終わって欲しかったのだ。

 だが現実はこうだ。いま家には俺と上原(アイツ)の二人きり。俺は彼女が来る前に風呂掃除も兼ねてシャワーを済ませていたため、無駄に十分すぎるほど身体が火照っている。そして今風呂には……上原が、その……裸で………。こんな「何も起きないはずがなく」なんて言葉が似合いすぎる状況もそうはないだろう。

 ただ同年代の女の子が風呂入ってるだけ。そう、それだけの話なのに。ここまで意識しちまうとは……。我ながら童貞極まってんなぁ、と思う。

 

 『(ゆー)くん』

 

 どれだけ必死に振り払っても、脳は勝手に上原(かのじょ)の声や表情(かお)反響(リフレイン)させてくる。俺を「ゆーくん(その呼び名)」で呼ぶ可愛らしい姿を……。

 

「………(ゆー)くん、か」

 

 スマホの画面とにらめっこしつつ上原を意識するという無駄極まりない二刀流(マルチタスク)をこなしながら、俺は自分の呼ばれ方(ニックネーム)を反芻する。

 「ゆーくん」。上原にそう呼ばれたのは5歳になるかならないかの時だ。俺が呼ばせた、と言った方が実は適切なのだが。

 俺はガキの頃から(今もガキだろとか言うな)その名前ゆえに「悠」を「ゆう」と呼び間違えられるケースが多かった。その度に「はるか」だと訂正するというのがある種お決まりのパターンになっており、その繰り返しは俺が「ゆう」と呼ばれることを嫌うには十分すぎるほどの回数をこなしていたと思う。

 

 上原もその「呼び間違い集団」の一人だった。当然俺は「はるかと呼べ」と口酸っぱく言った(はず)なのだが、彼女は納得いかない様子だった。「はるかくん」より「ゆーくん」の方が言いやすい、みたいなことを言われたのは覚えている。人間(ひと)の名前の呼称難易度なぞ知ったことかと思ったが、最終的には俺が折れた。

 

「あゆむ!これからは、おれのことを『ゆーくん』とよべっ!!」

 

「え…いいの?」

 

「ああ!とくべつに、ゆーくんを()()()する!!あゆむにだけ、とくべつだからなっ!!ほかのやつにはよばせんなよ、やくそく だっ!!」

 

 なんて一幕があった。今思えば「好きな人に特別な呼ばれ方をされるのは嬉しい」という下心が見え見えだ。恥ずかしすぎる。けど正直なところ、その特別な呼び名、幼稚園の頃に交わした雑な約束が10年以上適用されていること、彼女が俺をそう呼ぶ唯一(オンリーワン)の存在であることはめちゃくちゃ嬉しく思っている自分がいる。

 ……まぁ、向こうは俺の事なぞ異性(おとこ)とは見てないんだろう、せいぜい仲良しの親戚って感じだろうな。そうじゃなきゃあのバグじみた距離感に説明がつかないから。

 

 まあそんなゆーくんの馴れ初めはともかく、俺は今この状況から一刻早く脱したいのだ。シャワー音から彼女の身体を夢想してしまうこの地獄から抜け出したい。ばしゃばしゃとお湯が弾ける音で彼女の柔らかな感触を思い出したくない。上原の女の部分を意識したくない。頼むから早く終わってくれ……そんな事をぐるぐると考えていたときだった。

 

 

どんっ…!!

 

「……ん?」

 

 浴室の方から響く何かが床に落ちた、いや、倒れる音がした。シャンプーの容器でも落としたか?……いや。そのぐらいじゃこんな音はしない。()()()()()()()()()()()()()———。

 

嫌な予感が頭を掠めた。

 

「……まさかな」

 

 俺はソファから身体を起こし、音のした方へ歩を進める。そして脱衣所にたどり着いた俺はノックで反応を伺った。

 

「おーい、大丈夫か?」

 

「……」

 

「上原ー?」

 

「……」

 

「おい……上原?……上原っ!

 

反応はない。嫌な予感が加速するのを感じた。俺は脱衣所をドアを乱雑に開け、浴室のドアの正面に立つ。そして改めて、一番近い距離で彼女を呼んだ。

 

「上原、聞こえるかっ!おいっ!!」

 

「……」

 

「上原!!」

 

「……」

 

 この距離でこの声量、聞こえていないはずがない。

 

「……あ」

 

 ドア越しからうっすらと見える人影。タイルの床に()()()()()()()()()()()()()()のが確認できた。

 全身の血が冷えていくのを感じる。心筋梗塞?脳貧血?心臓麻痺?どこかの医療ドラマで聞いたような恐ろしい病名(ケース)が頭の中を駆け巡る。もう躊躇などしていられなかった。

 

「おいっ!………歩夢!!

 

 俺は彼女を助けるために浴室のドアを開けた。ある種の正義感に酔っていた俺は、いま彼女がどんな格好をしているのかも、タオルを持つことすらもわすれてしまっていた。

 

「あゆ……っ!!」

 

———それが、浅はかだった。俺は自らの目でハッキリと、残酷なほど鮮明に確認した。歩夢が倒れていること、そして彼女が()()()()()()姿()でいることを。

 

 透き通るほど白い肌、

 

 細くしっとりした手足、

 

 上気し、ほんのり赤い顔、

 

そして——彼女の「女」たる部分を、俺は見てしまった。

 

 「……っ!!!」

 

 一瞬で正気を取り戻した俺はバスタオルを彼女の身体にかけ、それを遮断した。

 

「歩夢!聞こえるか!!……歩夢っ!!!

 

 何度も何度も名前を呼び、彼女の頬を軽く、ぺちぺちと叩く。

 

「ん………ゆーくん……?」

 

やがて、彼女は意識を取り戻してくれた。それだけで俺は安堵した。

 

「歩夢っ…」

 

「あ、……ごめん。わたし………のぼせちゃったみたい………」

 

「無理にしゃべんな。……とりあえず、運ぶ」

 

 俺は上原をお姫様抱っこでベッドまで運んだ。気恥ずかしさなど感じてる余裕は無かったし、むしろ罪悪感の方が強すぎたともいえる。

 彼女の裸を見てしまった数秒。その僅か数秒の間、俺は救護義務を忘れていたから。——()()()()()で、見てしまったから。

 

 

 

 

 

 上原の意識が戻って1時間ほど経った。幸いにも体調の悪さはないようで、完全なる「のぼせ」だったようだ。俺のベッドに寝かせ、熱くなりすぎた身体を冷やし、水分を補給させ……とにかく回復に努めた1時間だった。

 その甲斐があったのかなかったのかはわからないが、彼女自身歩けるまでには体力が戻り、後は自分の家でゆっくり休ませることにした。

 

「今日はごめんね。それと……ありがとう」

 

「別に、普通に助けただけだ。……それに、俺こそごめん」

 

「……うん」

 

「ちゃんと記憶から消すから、許してくれ」

 

「無理に消さなくてもいいのに…」

 

「ダメだろ……」

 

「いいの、わたしがのぼせちゃったのも悪いし」

 

「お前は悪くねえよ。……とにかく、本当にごめん」

 

「わたしは気にしてないよ。それに、嬉しかった」

 

「……何がだ」

 

「歩夢って呼んでくれたの、すごく久しぶりだったから」

 

「ああ…あれは、その、あれだ。緊急時は文字数を減らした方がいい、的な……」

 

「もうっ、素直じゃないなあ」

 

「じゃかあしい」

 

「ふふっ、ごめん。……じゃあ、おやすみなさい」

 

「……おう、おやすみ」

 

 

 

 

 

 

「……寝るか」

 

 無事に上原を送り届け、激動の1日を終えた俺は完璧に疲れ果てていた。

それに、先程のハプニングを脳内フォルダから完全消去するのに多大なエネルギーを消費してもう限界だ。

 

 今日はもう寝てしまおう。そう思って俺はベッドに身を預ける。

 

———つくづく俺は浅はかだ。そのベッド、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……っ!!」

 

 布団に潜った瞬間、()()()()()()()()()がする事に気づいた。そしてそれが彼女の、「お風呂上がりの上原」のにおいであるという答えに行き着いた瞬間、消したはずの先程の光景が脳内に蘇る。

 

ダメだ。

 

この布団で寝てはいけない。

 

今すぐでなければならない。

 

上原(アイツ)の距離が近すぎる。

 

幼馴染のにおいに包まれて寝るとは何たる変態か。

 

クラスの男どもと同じ思考じゃないか。

 

さっさと出て、リビングで寝よう。そうだ、そうしよう。

 

——頭ではわかっているはずなのに、身体が動かない。

 

それどころか、気づいた時には俺は、掛け布団を抱きしめていた。

 

何やってんだ俺。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

俺ものぼせてしまったかな。身体がどうしようもなく熱い。

 

それだけじゃない。至る所に血が集中していくのがわかる。

 

このどうしようもない熱を、吐き出したい。

 

そう思った瞬間、俺の脳内にこびりついた「さっき見た光景」がより一層鮮明になる。

 

ダメだ。絶対にダメだ。

 

「それ」だけは、やってはいけない。

 

だけどこの火照りを鎮めるにはこれしかない。

 

家には誰もいないから、何をしたってバレない。

 

……バカ、そこじゃないだろ。

 

ずっと好きだった上原を、そんな目で見てはいけない。

 

いけない、いけない……。

 

 

 

「……歩夢」

 

 無意識に彼女の名前を呼んでいた。普段は気恥ずかしくて呼べないくせに。

 

「歩夢っ………あゆむっ……っ…!」

 

 布団を抱きしめる力がより一層強くなる。そして俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「歩夢………っ!……ぁ、…っ歩夢、ぅ……!!はぁ……っ!!」

 

 ———本当は気づいていた。

 

俺自身、彼女を「女」として見ていたことに。

 

ただそれを認めたくなかった。認めたら、俺たちの関係が汚れてしまう気がしたから。

 

だけどずっと、心の奥底ではずっと、歩夢を意識していた。歩夢の「女の部分」に、男として魅力を感じていた。

 

認めたくなくて、見ないようにしていて。

 

今日、偶然それを目の当たりにして。

 

気付かされてしまったんだ。

 

俺が歩夢に抱いている気持ち。

 

決して綺麗とは言い難い、欲望にまみれた気持ち。

 

そのすべてを、俺の心に溜まったそれを吐き出したい。

 

それがどれだけ最低なことだとしても。

 

もう、止められない。

 

歩夢への気持ちが、抑えられない。

 

頭の中が歩夢に支配されていくのを感じる。

 

歩夢の裸以外の情報がかき消される。

 

歩夢の声以外の記録がぼやける。

 

歩夢の顔以外のデータがリセットされる。

 

理性でそれを止められるほど俺は大人じゃなかった。

 

 

 

 

 

 

「歩夢っ……っ!好きだ…っ!!…あっ……っ!はぁ……!」

 

 

歩夢のことが好きだ。

 

 

「あゆ、むっ……っ…すきだ……大好きだっ……!!」

 

 

歩夢の恋人になりたい。

 

 

「歩夢っ……あゆ、む…ぅ……!!っあ、はぁ……あああっ………!!」

 

 

歩夢を本気で抱きしめたい。

 

 

「すきだ……!!あゆむっ………すきだっ……っあ、……ふっ、ぅ……ん……くっ、あぁっ……!!」

 

 

歩夢とキスがしたい。

 

 

「んっ……はっ、はっ……!あ、っ…!…ああっ……っく、…うぅ……!!」

 

歩夢のすべてを貪りたい。

 

 

「はぁっ……はっ、くっ………!?……うぅ、あ、っ…!!…っ…!!…あ、あああっ…!!!!、あゆむっ……歩夢っ……!!!あゆ……む、っ…… してる……愛してるっ…!!」

 

 

歩夢と、セックス———。

 

 

「っ…!!!歩夢っ……!!!……くっ、はぁ…….っあ……!!!……あっ……うああああああっ!!!」

 

 

 

 

 

 

すべてが終わったあと、俺は盛大に嘔吐した。

 

罪の大きさに耐えられなかったからだ。

 

俺は、許されざる過ちを犯した。

 

ずっと好きだった彼女を、使()()()()()()()

 

彼女との関係を、自分でぶち壊してしまった。

 

欲望のままに、想像の中で歩夢を犯した。

 

こんな身勝手な男が付き合いたいだの恋人になりたいだの片腹痛い。

 

俺は歩夢に近づいてはならない。

 

近くにいては、いけない。

 

彼女の中から消えなくてはならない。

 

だけど、離れたくない。

 

勝手に壊しておいてまた繋がりたいなんて、なんとも自己中心的な野郎だ俺は。

 

だけど、もし許されるのなら。

 

もうこれ以上近づかないから。

 

今の距離だけは、残しておいてほしい。

 

歩夢の特別にはならないから。

 

せめて、今まで通りの幼馴染。決してこれ以上縮まらない距離だけは、残してはくれないだろうか。

 

その罪の証として、俺はもう二度と君を名前で呼ばないから。

 

だから、これが最後。

 

さよなら。そして何よりも。

 

 

———歩夢、ごめん。

 

 

 

 

 

 あの日からだった。悠くん(あなた)歩夢(わたし)を遠ざけたのは。別に、急に冷たくなった訳じゃない。話し方も反応もいつも通りだった。

 けど、あなたの距離が遠くなった。わたしの身体が近づくのを避けるようになった。わたしに触れられる状況を回避するようになった。

 

 原因は分かってる。あの日わたしは彼の家のお風呂を借りて、思いっきりのぼせてしまった。男の子(あなた)の家で二人きり。そんな()()()()()()()()()状況(シチュエーション)を必要以上に意識しちゃって、緊張しちゃって、いつも通りに振る舞えなくて……気がついたら倒れてしまっていたの。

 それを悠くんが助けてくれたんだけど……そのとき、わたしは裸だったわけで……。その、見られてしまった。

 それはもう状況から言って仕方ないし、全く怒ってないし、そもそもわたしが助けてもらったんだからそういう事言っちゃダメだと思うし…。

 事情はどうあれ、わたしが彼を揺さぶってしまったこと。彼自身がそれをずっと気にしているのが気がかりだった。

 だからどうにかして戻りたかったの。今まで通りの関係に。わたしには何ができるのか必死で考えた。

 

 わたしが思慮を巡らせている中で、彼はがむしゃらに剣道に励んでいた。まるでブレーキが焼き切れた車のように。彼のオーバーワークっぷりを部長に注意されている光景を何度も目にしていたから、尚更わたしは考えた。多分このままじゃいけない。わたしが直さなければならない……って。

 

 それでね?夏休みの計画表を作ったの。二人で一緒に色んなものを見て、いろんな体験をして、一歩ずつ、少しずつ。私たちの関係を戻していきたい。そう願った。絶対上手く行くと信じていた。

 

 ——だけど。わたしの計画表は何一つ達成できなかった。なぜならあなたは夏休み中、一度も家に帰ってこなかったから。

 

【アキレス腱断裂】 

 

 彼の負ったケガはスポーツ選手として余りに致命的なものだった。本人が受けた説明によると、手術とリハビリをこなせば就学生活には問題ないみたい。……けど、これまで通りの運動をこなせるかはわからない。らしい。

 故障の原因は彼自身のオーバーワーク。そして、彼がそうなったきっかけを作っておきながらそれを止められなかった、わたしの責任。

 夏休みすべてを病室のベッドで過ごすことになった彼に、わたしはなんて声をかけたらいいのか、わたしにそんな資格があるのか、わからなかった。

 

 あなたは「お前が気にすることじゃねえよ」「元々高校ではやらないつもりだったから」って言ってくれたけど、その優しさが辛かった。

 

 あなたがずっと剣道(それ)を続けていたことを、一番近くで見てきたから。そしてそれを、わたしが間接的に奪ってしまった。

 

 あなたは優しいから、私を責めることはしなかったけれど。それでも、わたしがあなたから大事なものを取り上げてしまった事実は変わらない。

 

 「自分(テメー)性的(エロ)さを自覚しろ」

 

あなたの言葉の意味、ようやくわかった。

 

わたしは子供だったんだね。

 

自分がもう「女」なんだってこと、わかってなかった。

 

あなたが「男」だってこと、わかってなかった。

 

いつまでも幼馴染(こども)じゃいられないこと、わかってなかった。

 

わからないまま、子どもの距離感のまま、あなたと一緒にいた。

 

それがきっとあなたには重荷だったんだよね。

 

わたしの距離が近すぎたから、あなたを壊しちゃったんだよね。

 

謝って済むことじゃないけど、本当にごめんなさい。

 

わたしはもう、あなたとの距離は縮めないから。

 

わたしが近づけば近づくほど、あなたを傷つけてしまうから。

 

だから、私たちは今のままでいい。

 

今まで通りのお隣さんで構わないの。

 

近づけないけど離れたくない、なんて。矛盾してるよね?

 

だけどね。わたしたちの今までが0になるなんて嫌だから。

 

せめて、近くて遠いこの距離で、あなたと過ごしていきたい。

 

……それと。ひとつだけ、わがままを言ってもいいかな。

 

「ゆーくん」って呼ぶ許可だけは、残しておいてほしいな。

 

わたしはあなたの特別にはならないから。

 

ただのお友達でいいから。

 

たった一つだけ、あなたがわたしにくれた「特別」だけは、取り上げないでほしいの。

 

それだけで、わたしは十分満足だから。

 

だから、お願い。

 

それと、最後にもう一つだけ。

 

「大好きだったよ、悠くん」

 

そんな恋心(わがまま)を、歩夢(わたし)は心のなかにしまった。

 

 

 

 

 

 

2020年、6月。

 早いもので、あれからもう丸2年が経とうとしている。俺が彼女との距離を壊してしまった、彼女への想いを汚してしまったあの日から。

 俺はあの日以来、とにかく目の前のことに没頭する様に努めた。最初は部活、剣道だ。竹刀を振るっている間だけは、彼女の事を忘れられたから。幸い最後の夏ということもあってか、俺が一心不乱に練習することを誰かに咎められても「自分は大丈夫だ」と言い張って仕舞えば、誰も何も言ってこなくなった。

 俺はひたすら練習した。上原を忘れるために練習した。じっとしていたら、俺がアイツに犯した罪を思い出してしまいそうだから……。

 

『………ん』

 

 

 

 そして、そんな無茶が祟ってアキレス腱をやってしまった。完全なる自業自得だった。

 ずっと続けてきた最期がケガで終わるというのは中々くるものがあったが、元々高校では違うことをしたい、もう朝から晩まで練習漬けの日々は終わりにしたいとも思っていたから、「剣道を続けない」という選択肢自体にそれほど抵抗はなかった……上原はそれを俺以上に気にしていたが。

 上原は何一つ悪くない。すべて俺が自分を御することができなかった事が原因だ。だから、もしもこの事に対して彼女が一ミリでも責任を感じているのなら、俺の口から「お前は悪くない」と言うべきだと思う。……もう2年近く先延ばしにしちまってるが。

 

 

『……き……………くん』

 

 

 上原とは同じ学校、「虹ヶ咲学園」の高等部普通科に進学した。と言ってもうちの高校(ニジガク)は生徒数がとんでもなく多いため、クラスが一緒になることはなく、自然に各々の人間関係が構築されていったのもあってか、段々と疎遠になっていった。寂しさと安堵が入り混じった複雑な心境だった事は痛烈に覚えている。

 

 

『……て……さい……!………たかぎ……くん……!』

 

 さて。剣道を失った俺が次に没頭したのは「勉強」だ。虹ヶ咲学園はエスカレーター式だったものの、俺は部活での推薦を狙ってろくに勉強などしておらず、進学すら危うい状況だったから。図書室や塾の自習室には何度お世話になったかわからない。

 最初は死ぬかと思ったけど、慣れてくればなかなか楽しいものだ。できなかった事ができるようになると言うのはやっぱり気持ちがいい。そんなこんなで進級試験に合格してからも勉強を続け、1年次には学年でもそれなりの順位をキープ、そして———。

 

「起きてください高城くん!!」

 

「うひゃぁ!?」

 

——これからというところで現在、高校2年生となった俺は惰眠から解き放たれる。三つ編みの似合う美女の大声で。

 

「ん、ああ………おはようございます、会長」

 

俺は眠い眼をこすりつつ、俺は自分が長い夢を見ていたこと、現実の俺が昼休み中ずっと生徒会室の妙に質のいいソファで寝ていたことを思い出す。

 

「もう、またお昼寝ですか?生徒会室(ここ)は休憩所じゃないですし、()()許可証(ビザ)じゃないんですよ」

 

 彼女は俺の制服の左袖に留められている()()——去年の今ごろ(1年次の6月)からの付き合いでもう満一年が経とうとしている、『生徒会庶務(俺の役職)』を刻む腕章(バンド)——を見つめ、ため息混じりにそうつぶやく。

 

「いやぁ快適なんで、つい」

 

「まったく……少しは生徒会執行部としての自覚をですね……」

 

 俺を起こした彼女はくどくどとお説教モードに突入する。これは長くなりそうだ。

 さて、今回はここまでにしよう。そして、俺のしょーもない自己紹介の最新版をお見せして終わろう。

 

 俺の名前は高城 悠。虹ヶ咲学園普通科、2年C組に在籍している。1年次に勉強の甲斐あって光栄にも生徒会執行部に選んでいただき、2年連続で『庶務』を務めさせてもらってる。

 

 ———そして。俺の、俺たちの物語はここから始まる。

 

 艶やかな黒髪と、シンプルな眼鏡の奥に鈍く光るグレーの瞳。学園の全生徒の顔と名前を記憶していると噂されている、非の打ち所がない美少女。そして、現在の庶務(オレ)の上役。普通科2年C組在籍の、現生徒会長。

 

中川(なかがわ) 菜々(なな)』の響声(ブレス)に叩き起こされた瞬間(とき)から。

 

つづく




ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回から高校生編スタート、お楽しみに。

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