あれから10日間。
ルナマリアはずっと頭の片隅に熱を抱えていた。
ナナの声はとても軽快で、表情も重厚なストーリーを語るにしては終始穏やかだった。
最後に投げかけた言葉は、ナナの優しさと、願いと、希望に満ち溢れていた。
悲しみや怨み、怒りはひとかけらもなかった。そればかりか後悔さえも、ルナマリアは感じ取ることができなかった。
それでも、あのスピーチはルナマリアの心と脳に強く影響を与えた。
まるで流行りの病にかかったかのように、少し熱っぽくて上の空のような10日間を過ごした。
その間、ナナからの連絡はなかった。
全世界に向けてあれだけの発表をして、対応に追われているに違いない。ナナのことだから、きっとひとつひとつのことと真摯に向き合っているのだ。ときに細かいことまで気にしすぎてしまうほど……。そう、自分たちのことのように。もしかしたら、自分たちのような存在が他にもいるのかもしれなかった。
だが、こうも考えた。
自分とシンが、この先のことを考える時間をくれているのではないだろうか。二人で……、そして、それぞれで。
そんな気遣いも、ナナならあり得なくはないと今なら思える。
そうしてそのおかげで、ルナマリアは十分に自身の将来について考えることができた。
もともとそういう機会を与えられてはいたのだが、シンのことを気にしたり、戦後の複雑な心境を抑えられなかったりで、あまり現実的に考えることができていなかった。
が、未来を向くナナを見て、その言葉を聞いて、自分の“道”を考えることができた。
まずは“足元”を……そしてその先に延びる道を……。
どうしたいか。どうなりたいか。どうありたいか。じっくりと考えることができた。
そして、それはシンも同じだった。
意外……と言っては彼に失礼かもしれないが、彼もこの間にちゃんと考えて答えを見つけていた。
だから案外自然に、そして素直に、二人でこの先の未来の話をすることができた。
優柔不断なところはまだ隠していたいので、ルナマリアが先に意思を伝えた。
「私、ザフトに戻って、プラント側の人間としてこの世界を生きて行きたい」
自分の得意なことは、モビルスーツを動かすことくらい。裁縫だって料理だって、絵だって歌だって、他人に対して無条件に愛想よくすることだって、他の職業に必要なことは何ひとつ向いていない。ファッションやメイクに多少は興味があるが、それが好きかと問われればそうでもない。学生時代は活発で勉強もできる優等生的な扱いをされてきたが、勉強はどちらかといえば嫌い。その場しのぎでテストの点数は取って来たが、今も頭に入っているのはモビルスーツや軍に関することくらいだ。
だから、今から他の職業を……と考えようとしても、なにひとつ思い浮かばなかった。
やはり軍人なのだ。自分は。
この戦争で心身ともにダメージを受けたが、やはりそこに戻るのが自然だと思っている。
メイリンのように機械に強くはないから、今さら技術部に行く気もない。だから、軍に戻れたならパイロットへの復帰を希望するだろう。
が、だからといって……。
「だからといって、地球やオーブやナナと敵対するつもりじゃないの。ううん……むしろ私はナナの意志に添いたい。一緒にナナが目指す世界に向かって歩きたいと思ってる。だからね……、だからこそなのよ」
ナナの言葉は胸に響いた。本気で心を動かされた。決して表面だけではない、芯の部分まで。
そして心の底からナナの目指す未来へ行きたくなったのだ。
だから最初はナナの側で何かできたら……そう思った。けれどどうしても、自分がナナに必要なピースであり得るという想像ができなかった。
このオーブでどう過ごすか……漠然として答えはない。きっと、ずっとナナに頼ることになる。示されることになる。
それでは駄目だと思った。
せっかく自分の道を選ぶ権利をくれたナナに、その手助けをさせるわけにはいかなかった。どうしても、自分で一歩を踏み出したかった。そしてナナとセアの“友”として、並んで歩いて行きたかった、
だからプラントの軍へ戻ることにした。
たとえ今はそこに居場所はなくとも、最初はちょっとだけナナの手を借りることになったとしても……。きっといつか隣を歩く。その強い“意志”を自分のなかに見つけることができたとき、やっと目の前が開けた気がした。
「私はナナの、それからセアの友達として、一緒に歩いて行きたいの。目指す場所は同じ、同じことを願ってる。それが良くわかったから。だけど、これからはナナに手を引っ張られるだけじゃ駄目でしょう? ちゃんと隣を歩いて……私だって少しはナナの支えにならなくちゃ……」
気恥ずかしさは捨て去って、ちゃんとシンの目を見て告げることができた。
やはりあの戦争以来、少しは大人になれているのかもしれない。
だから……、最後に付け足す言葉を、今の今まで口にするのを迷った言葉を、シンに言うことにした。
意志は言葉にして示すことで、より強い決意になる。光は強く、力は大きくなる。
それを、ナナに教えてもらったから。
「それとね……」
一回だけ瞬きをして、もう一度シンの目を見つめた。
驚くほど静かな視線が、まっすぐこちらを向いていた。
心臓が高鳴った。が、今この瞬間から逃げるのは嫌だった。
息を吸って、その言葉を言う。
「シン……、私、あなたと生きて行きたい」
これで全部だ。今持ち得る意志と決意は。ナナに伝える前に、言うべき人に言うべき言葉は。
少しの沈黙がその自信を揺るがしたが、自分らしくいたかった。
「さ、さぁ、これで私の希望は全部話したからね! 次はシンの番よ!」
多少ぶっきらぼうになってしまうのは仕方がない。「意志」を「希望」と言ってしまうのも。
照れと焦りとほんの少しの迷いがそうさせてしまうのだ。
だが後悔はない。シンの意志や決意がどうであれ、全て口に出し示したことに少しも後悔はない。
あとは、ちゃんと覚悟を持ってシンの言葉を聞くだけ。
「オレは……」
シンはゆっくりと話し始めた。
少なくとも、「まだ決めきれていない」とか、「どうでもいい」とか、「ルナに合わせる」とか、情けない様子ではなかった。
こっそりと安堵する。
そして、
「オレも、プラントに戻る。ザフトに戻る」
彼は言った。
「……って言っても、オレももうオーブを恨んでるとかじゃない。オレもルナと同じ……。プラント側の人間として、ナナが言う平和な世界を目指して行きたいと思う」
安堵はじんわりと胸いっぱいに広がる。
「じゃ、じゃあ……シン……」
「うん。ほぼルナが言ったことと同じ。全部……先に言われた……」
少しだけ不貞腐れたような、ばつが悪そうな顔をする。
今までなら「子供っぽい」と思ったが、そうではなかった。
「ナナの話聞いて、そんな未来だったらいいなって思えたからさ。そこに向かって一緒に歩いて行きたいなって……。確かに今はナナがみんなの光だけど、オレたちはルナが言ったように『一緒に』歩かなくちゃ駄目だってわかってる。もう……友達だし……」
彼はちゃんと、大人の顔で自分の思いを静かに述べた。
「そっか。よかった……!」
単純な台詞しか出てこなかった。
が、心からそう思っている。
目尻が熱くなったが、ぎゅっと目を瞑って堪えた。
その目元を、不意にしっかりと見つめられた。
「シン……?」
そして彼は目を逸らす。
今度は子供っぽい顔をしている。
「それと……」
彼は言った。
「一緒に生きていきたいっていうのも……同じ……」
ぼそりと、呟くように。
「え?」
意味はすぐに理解したのに、思わず聞き返した。
「だから……」
すると彼は、意を決した様にこちらを見て、
「これからも……一緒に生きよう、ルナ……」
律儀にもう一度そう言った。
さっき堪えた涙は、あっけなく目尻からこぼれ落ちた。
「う……うん!」
急いで拭いながら答える。
彼はこんな自分をよく知ってる。鈍感なようで敏感なことを自分も良く知っているから。
涙は止まらなかった。それでも、彼は少し照れたような顔のまま、ずっと側にいてくれた。
翌日、ナナからメールが届いた。
改めて今後について話したいから、家に来てほしい。迎えに行く……という。
ナナは「家」と言うが、アレは「屋敷」や「館」と言わねばならないレベルだ。このマンションを宛がわれる前は、数日間そこで過ごしていたからわかる。
ナナの自宅である「アスハ邸」は、ルナマリアからすれば豪邸だ。数日やっかいになっても、果たしてどのくらいの広さなのか全容を全く把握できなかった。自分とシンで2部屋を借りても部屋はあり余っていたし、ナナやアスハ代表の部屋はまた別のフロアにあった。
もちろん使用人も何人もいる。つまり、人が多い……。
だからナナは話をするときにこちらに来てくれているのだと思ったが、今回は「来てほしい」と言う。
なんとなく、『正式な話』をするからだと思った。だから自分も心構えをする。
ちゃんと伝えられるように。想いが届くように……。
シンはいつもどおりだったが、彼もちゃんとナナにまっすぐな目で話をすると信じている。
そして約束の日。
迎えに来たのはアスランだった。
「すまないな。事情があってナナは来られないから……」
護衛か誰かをよこすと思っていたので、少しだけ動揺した。
久しぶりに会う彼は、少し疲れているように見えた。
あの演説以降、ナナは多忙を極めていることだろう。“一般人”としてもその予測はついた。だから、彼女をサポートするアスランもいろいろと気苦労が絶えないことだろう。
車内はとても静かだった。
とはいえ、アスランが気を使ってときどきと話かけてくれる。
シンは相変わらずそっけなかったが、失礼な態度はとらなかった。
アスランが運転するのは意外にもマニュアル車で、そのシフトレバーやハンドル捌きが気になっているようだった。
思ったよりも変な緊張感に包まれないうちに、車はアスハ邸のエントランスに着いた。
やはり広い……。少し歩くと次々と使用人に挨拶をされる。
まるで昔の貴族の城のようだとか、そんなことをアスランに言うと、彼は少し笑ないながら“重要文化財”にはなっているらしい……などと答えてくれた。
そんな話をしているうち、以前に泊まったのとは違うフロアの、応接室のようなところに通された。
「少し待っててくれ。ナナを呼んで来る」
そう言ってアスランが出て行くと、すぐに飲み物が運ばれてきた。
高い天井と歴史的価値がありそうな調度品を見回しながら、ナナを待つ。遠慮なく口に運んだアイスティーは、かすかにハーブの香りがして心地よかった。
だからその時は……、そんな姿のナナと再会するとは夢にも思っていなかった。