ドクター・リューグナーはひたすら強張った声音で語り始めた。
自身が脳科学と心理学の研究者だったところから……。
ある日、双方の学問を研究する立場として発表した論文が学会の上層部の目に留まったことから、何故かデュランダル新評議会議長が直々に設けた『開発チーム』のメンバーに抜擢された。
そこではコーディネーターに関する遺伝子研究を中心とした人体に関する分野や、薬学などの研究、実験が行われていた。
不思議なことにそこに著名な教授や博士の名前はなかったが、研究内容は間違いなくプラント最高峰のものと思われた。もちろん、リューグナーなどこれまで関わったことがない高度な知識と技術で溢れかえっていた。
それだけではない。ナチュラルが開発した『エクステンデット』の研究資料がスパイによってもたらされ、それについての分析を行い、開発にいかされた。
だが、『開発チーム』と言われつつも、いったい何が“最終目標”であるのかは誰も教えてくれなかった。
それに懸念を抱きつつも探求心には抗えず、徐々に倫理観が崩れていく自覚があった。
ほどなくして、あの事故が起こった。
自身は特段、オーブに対しても地球に対してもナチュラルに対しても、特別な感情を抱いてはいなかった。
先の戦争後に一躍世界に名を馳せた『ナナ・リラ・アスハ』の存在も、特に気に留めることも無かった。
自身にとっては研究が全てであって、正直、世界情勢などどうでもよいくらいだったのだ。
そっちはそっちの専門家がやってくれればいい……と、そう思っていた。
が、さすがにプラントで起きたあの事故には少しだけ感情が揺さぶられた。驚きと、同情。そんな単純な感情を、少しだけ。
気に留めることがなかったとはいえ、『世界連合特別平和大使』の活躍はニュースで見ていた。こちらが気にかけなくとも、ニュースキャスターが頻繁に彼女の姿や声をこちらに伝えて来ていたからだ。
だから、それほど世界に影響を及ぼす人間がプラント訪問中に「亡くなった」と聞けば、さすがに驚いた。
しかも悲惨な爆発事故だ。ザフトの若い学生も多数犠牲になったという。
焼野原になった軍事施設の跡地を見ると、痛ましいと思った。多少なりともそういう感情は持ち合わせていたのだ。
が、世界連合特別平和大使がプラントで亡くなったからといって、やはり自分には関係ないとも思っていた。彼女の本当の存在価値なんて知らない。彼女を失った世界がどうなるかも関係ない。オーブとプラントがどうなるかも関わりがない。たとえまた戦争になったとしても……。
しかし、すぐに事故とは無関係でいられない立場になった。
プラントが正式にあれを『悲惨な事故だった』と発表し、同時にナナ・リラ・アスハの死を全世界に告げ、哀悼の意を表したその数日後……、研究所にそのナナ・リラ・アスハが運ばれて来たのだ。死体でなく、生きた状態で……。
物流トラックに偽装したドクターカーからストレッチャーが降ろされた。そこに誰が乗っているのか最初はわからなかった。
デュランダル議長からの連絡で、“特級患者”の受け入れ準備と……そして例の開発中の研究について実験の準備をしておくようにと言われていた。
研究所の所長ですら、患者……いや、“被験者”の正体を知らされていなかった。そして気にも留めていなかった。皆、ようやく研究の成果を確認できると喜んでいただけだった。
が、8人の医師と20人の看護師に付き添われて来たその“被験者”は、そこにいる誰もが知る人物だったのだ。世間に興味がないリューグナーでさえも……。
“被験者”の皮膚は酷い火傷を負っていた。顔もただれ、髪も燃え、意識はなかった。だから、外見からはわからない。ドクターたちがある程度の治療を施した状態であったにもかかわらず、今にも息を引き取りそうに見えた。
その“被験者”が何者であるのかを告げたのは医師たちでなく、同乗して来たデュランダル議長だった。
彼はあっさり、“被験者”の名を告げた。そして、“彼女”の死の発表は偽りだったと言った。
肌が粟立った。
めったなことでは動揺しないタイプだと思っていたが、この時はさすがに全身に冷や汗をかいた。
そして同時に、この先の未来には“栄誉”と“罪”の両方を手にした自分がいるのだと悟った。恐らく、周囲に突っ立っていた他の研究者たちもそうだろう。ただ単に興味を示して、“栄誉”だけを予感するような愚か者は居なかったはずだ。
そんな中、“被験者”が収容されたICUで、デュランダル議長は特に口止めの台詞で前置きするでもなく、全てを語った。
あの事故の直後、直ちに軍のレスキュー部隊が駆けつけた。が、爆発の威力は凄まじく、形を遺す物はほとんどなかった。
全世界に向けた映像で映し出されたとおり、あのままの光景……燃え残った瓦礫以外は何もない状態だった。
だが、彼らはみつけたのだ。元はモビルスーツのコックピットのパーツだったものを。
この時すでに、評議会を中心とする緊急対策本部が立ち上がっていた。
情報が錯綜し、何より『平和大使』の来訪中の事故ということで、戦時中のような緊迫感が漂っていた。もしかすると彼女に対するテロ行為かもしれない。その犯人がプラント側である場合、ともすればオーブや世界連合から報復を受け、再び戦争が起こる可能性がある。
誰もがその事態を恐れる中、デュランダル議長はレスキュー部隊の隊長に密かに個別の連絡を入れたという。
『世界連合特別平和大使ナナ・リラ・アスハに関することは、どんな内容であっても直ちに直接自分宛てに報告するように』
と。
もちろん、先に情報……、いや“結果”を知り、受け止め、緊急対策本部としての決定をスムーズに行うためだった。対オーブ、世界連合、ナチュラル、地球……ナナを愛する全ての者たちへの第一声を相応しいものにするために。
が、もたらされた“結果”は思いがけぬものだった。
誰もが予想していなかった世界連合特別平和大使の『生存』。
デュランダル議長はとっさに決断したという。この事実を自分の懐に仕舞い込もう……と。
そんな恐ろしい経過を、デュランダル議長は研究員たちの前で惜しげもなく発表した。特に悪びれるでもなく、少し笑みを浮かべながら。
そうしてとうとう告げたのだ。ついに、この『開発チーム』の最終にして最大の目的を。
『ナナ・リラ・アスハを“別人”として生まれ変わらせること』
ざわめきは起こった。天才たちも人の子である。自身の内に残っていたわずかな倫理観に揺すられたのだ。
リューグナー自身もそうだった。
これまでこの開発チームが行ってきた『生きている人間の遺伝子の一部を後から書き換える研究』そして『記憶を操作し、精神、人格を完全に別の人間に書き換える研究』は、まさかこのような形でいかされることになるとは……。
が、やはり、探求心と自己顕示欲が道徳に勝った。
誰もがそうだった。
ざわめきの波はすぐに収まり、皆、デュランダル議長の真の目的を聞くこともせず、意向をまるごと汲み取った。
そうして、医療チームによる救命、生命維持と並行して、ナナ・リラ・アスハの遺伝子及び人格置換プロジェクトが発足した。
『プロジェクト・バハローグ』……いつしかデュランダル議長が正式にそう名付けた。
むろん、これは極秘のプロジェクトであり、ひとりひとり、入所時に書いた誓約書とは別に一筆書かされた。直接、デュランダル議長の目の前で。
それでも、うしろめたさは無かったというのが正直な感想だ。他の研究者も、思い悩む者はなかった。
ただひたすら、研究の成果に向かって邁進した。
ナナ・リラ・アスハを別人にして、デュランダル議長が何をしようとしているのかなんてどうでもよかった。それで世界がどうなるのかも。ナナを失った知人たちが悲観に暮れていることも想像しなかったし、その後、万が一再会を果たしたとしてもどうなるのかなど考えることも無かった。
実験は非常に精力的に進められた。
“被験者”の意識レベルが回復しない状態で、薬物の実験を行った。不完全だった研究が、幸か不幸か徐々に成果を上げ始めた。
これはまだ不完全ではあったが、成功例があったのだ。
『ラクス・クライン』である。
全く外見の異なる少女を、手術と薬物で『ラクス・クライン』に変身させた。
この『開発チーム』の面々は、そちらの極秘プロジェクトにも関わっていた。
もっとも、遺伝子は当然ひとりひとり異なるため、『ラクス』と全く同じ施術はできなかった。が、確実にその経験は生かされた。
頭皮の火傷の回復と共に、少しずつ変わって行く髪の色。瞼の下で変化する瞳の色。
皮膚の治療とともに黒子などを消すことはた易かったから、“被験者”は回復と共に徐々に別人の姿になっていくようだった。
デュランダル議長の指示で、敢えて整形手術で顔を変えることはしなかった。
その理由も、誰も気に留めなかった。聞いても答えは得られなかっただろうが、一番の理由は「整形などつまらない」からだった。
意識レベルが回復してくると、今度は人格再形成の実験も同時に行われた。
ここで、リューグナーの研究が日の目を見た。
完全に覚醒させる前に、脳に軽い電流を流して海馬を刺激しつつ薬品を試す。
さらにエクステンデットの実験を応用し、記憶を別の人格のものとして上書きしていった。
方法は、薬物を投与した半覚醒の状態で映像を見せ続けることだ。父母との生活、友との会話、生育環境で目にしたあらゆる景色……。この開発チームができた時にはすでに存在していた何気ない日常を撮った映像のうち、『10代の少女向け』のVTRだ。
さらに追加で、細かい設定の映像がどこかで作成されて毎日のように送られて来た。途中から『軍人家系で本人も士官学校生』の設定になったのは興味深かった。
そのほとんどが意図的に作成されたCGである。音声もAIが作り出した。が、記憶として擦り込むには十分な出来だった。確実に、“彼女”の一生が絶えずスクリーンに映し出されていた。実験室の外側から見ているこちらも、まるで“彼女”の生い立ちを覗き見ているかのような感覚だった。
映像は断片的であったが、そこに懸念はなかった。“被験者”には、事故の後遺症でところどころの記憶が消失していると言えばよかった。
さらに“思い出”を上書きした後には、新たな性格の上書きも試みた。
相手……たとえば家族や友人たちとの『会話』から、自身が控え目で小心者というイメージを植え付ける。後にVTRは進化して、自身のモノローグが“彼女”の声で流れるようになった。
それを数か月間繰り返した。1秒の休みもなく。
薬物や電流で無理やり半覚醒状態を続けさせたのだから、苦痛を与え続けたことになる。
が、プラントの医療技術と彼女自身の生命力で、彼女の身体は回復していった。
皮膚は元に戻った。その他の外傷も。遺伝子の部分操作という新技術も、薬がうまく作用して彼女の身体に馴染んだ。
最後に見せたのは、“彼女”の最後の記憶となる場面だった。
その日、彼女は士官学校の講堂で友人たちと共に『世界連合特別平和大使』のスピーチを聞いていた。これは実際の映像を使った。
自分が話している映像を見て“彼女”がどうなるか……は、この実験の最後の賭けだったが、全てはデュランダル議長の指示だった。
事故の再現はしなかった。最後の思い出がナナ・リラ・アスハであるように……。それもデュランダル議長の指示だった。
そしていよいよ、彼女を一度眠らせて“事故後に意識を取り戻した”状況を作り出すことになった。
すっかり閉ざされた場所で何か月もの間、極秘の研究・実験に明け暮れていたリューグナーたち開発チームのメンバーと医療スタッフの面々が、固唾を飲んで見守った。
睡眠剤を点滴で投与した後、その効果が切れるのを待って彼女を自然に目覚めさせた。
外から爽やかな風が入る清潔で心地の良い病室で、彼女は瞼を開いた。
一同はその様子を別室でモニタリングしながら、身じろぎひとつしなかった。
やがて看護師が病室へ入り、彼女の覚醒に気づき、声をかける。
まずはまだぼんやりとしている彼女に優しく状況を説明する。士官学校で事故に遭ったこと。長い間、意識が無かったこと。医師たちの懸命の治療のかいあって、もう命に別状はないこと。
そうやって安心させてから、手はず通り問いかけた。『名前を言えるか?』と。
『セア……アナスタシス……です』
彼女は弱々しくも戸惑うことなく、“自分の名前”を口にした。
リューグナーたちは歓喜に沸いた。
デュランダル議長が授けた名を、彼女は産まれた時から自分のものだったかのように名乗ったのだ。
古い地球の言葉で、セア=姫、アナスタシス=復活の……。
さすがに酷い皮肉だとリューグナーさえ思ったが、それを名乗る彼女を見て何故だかしっくりきた気がした。
そこから彼女の周りに広がるのは偽りの世界だった。
不思議と、リューグナーたちチームのメンバーはそれが真実だと受け入れた。
彼女は“セア”だった。
あの強烈な光を放ち、声を響かせ、凄まじい風を起こしたナナ・リラ・アスハの欠片は、セアの中には全く残っていなかった。
彼女は徐々に傷が癒え、体力が戻っても、セアのままだった。最初の絶望を乗り越え、慰めを得て希望を見出しても、セアのままだった。
自分をコーディネーターとして疑わなかった。自ら軍人家系の家に産まれたと、家族のことを語った。ザフトの士官学校に通っていたことも、そこでできた友達のことも話した。
リューグナーが中心となって、何度かテストを行った。本人にはメンタルチェックとことわったうえで、「士官学校で一番楽しかった思い出は?」などと聞いたりした。
セアの答えは、作られた映像の内容そのものだった。あたかも自身の記憶を掘り起こすかのようにして、ゆっくりとそれを語る。真の思い出として、自身の脳を少しも疑わない。
『成功』のに文字に、皆、酔っていた。もちろん、リューグナー自身も。
『奇跡の生還』を遂げた少女の見舞いと称して、頻繁に様子を見に現れたデュランダル議長もご満悦だった。
セアはデュランダル議長に懐いた。
といっても、彼女は“引っ込み思案で控え目な性格”が擦り込まれている。
そう……、はたから見られたナナ・リラ・アスハとは真逆の人格だ。懐くというよりは恐縮しながら信頼を寄せているといったところだったが、デュランダル議長は満足そうだった。おそらくその従順な姿こそが、彼の目的だったのだろう。
そうして薬と誘導と監視の日々が繰り返され、セアは回復した。
そして、頃合いを見計らって議長がモビルスーツのパイロットへの道を示した。
セアは遠慮がちにそれを受け入れ、議長に心から感謝の意を示した。
リューグナーは“担当医”として、彼女の訓練に常に同行した。
正直モビルスーツには興味がなかったが、“被験者”の行動には大いに興味があった。そして責任も。
セアは初めこそ戸惑いを見せたが、すぐにシミュレーターを乗りこなした。モビルスーツの適性検査に進むのにも、それほど困難な障害はなかった。
そのあたりはリューグナーの専門外だったが、彼女が叩き出すスコアはザフトの基準をクリアしていた。
事情を知らされている教官たちはともかく、おそらく彼女の正体を知らない兵士たちも、彼女の腕を認めた。
彼女がナチュラルであると見抜く者は無かった。ナナ・リラ・アスハ本人ではないか……と疑う者も皆無だった。
「似ている」「面影がある」という声は上がった。実際、気さくで無遠慮な者たちは本人にそう話しているのを見た。
これも“試験”だった。そう言われてセアがどういう反応を示すのか……。
リューグナーは目を光らせた。自分が植え付けた人格が揺らぐのは見たくなかった。
が、心配は無用だった。
セアはナナの名が出るたびに恐縮して戸惑い……いや、恐れ戦き、自身の存在を消すかのように身を縮めた。
もちろん、薬の服用は必須だった。彼女の遺伝子に合わせて生成された薬を飲み続けなければ、無理やり書き換えられた遺伝子と彼女の元来の遺伝子が拒絶し合って彼女の身体を壊すだろう。
人格の部分は問題がなかった。あの長かった施術で完全にナナの記憶は封印されている。
あとはフラッシュバックを起こさないよう、余計な刺激を与えず、ナナの記憶に結びつく者から遠ざければよかった。
リューグナーはその監視役だった。
どちらかといえば、開発チームでは末席だった自分が、プロジェクト・バハローグの中心人物になっている……そんな達成感と使命感があった。
当然、その歓喜は表に出すこともない。それがまた、デュランダル議長の気に入る部分だったと自負している。
やがて、セアがパイロットとしての訓練を終えた時……デュランダル議長は彼女に指令を下した。新型モビルスーツ『レジーナ』のパイロットとして、新造艦ミネルバに乗艦するように……と。
リューグナーも、議長からセアの専属ドクターとしてミネルバに乗艦するよう直々に指令を受けた。
いよいよ開発チームの手を離れ、彼女は飛び立つ。これからが本当の『プロジェクト・バハローグ』の始動だと、人知れず心が昂った。
そして誰もこのプロジェクトの本当の意味を深くは考えなかった。
ミネルバにはセアと同じ年頃の赤服の兵士が乗艦していた。
レイ、シン、ルナマリア……彼らのうち、レイはデュランダル議長が目をかけている少年で、『プロジェクト・バハローグ』の“真意”を知る者だと聞かされていた。
戦闘中はリューグナーの目が届かない。そこをカバーするのが彼の仕事なのだと思った。
セアは当然、彼らに対しても初めは“人見知り”をしていた。
事情を知るはずもないシンとルナマリア、彼女の妹のメイリン等は、やはり最初に「アスハ大使に似ている」と言った。同じことを言うクルーも少なくはなかった。
リューグナーは全ての瞬間に目を凝らした。
が、セアは相変わらず“アスハ大使”とは似ても似つかぬ様子だったから、興味を持ち続ける者は一人も居なかった。さざ波はすぐに収まった。
この“成功”にほくそ笑む訳ではなかった。安心もしない。任務なのだから。
だんだんと彼らや他のクルーたちと親しくなっても、セアはセアだった。真の記憶を呼び覚ますことはなく、ナナの影は一瞬たりとも現れることが無かった。
そしてミネルバがめでたく進水式を迎える前日、事件は起こった。
デュランダル議長が訪れているただ中、アーモリーワンへの奇襲があり、セアはシンとともに撃退任務に就くことになったのだ。
リューグナーにはかすかな懸念があった。もっとも、心情的なものではない。研究者として、“被験者”の状態を慮るにすぎなかった。いわば興味や好奇心のような感情だ。
“再び”実戦に出ることは、過去と繋がることになる。その結果がセアにもたらすものは何になるのか……、懸念と興味があった。
しかし、セアは何も変わらなかった。
訓練通りにレジーナを操り、怪我もせずに帰って来た。任務が成功だったかどうかはリューグナーの知るところではない。ただセアがセアとして無事に戻って来ることだけが重要だったのだ。
が、帰還を聞いて密かに安堵と歓喜したのも束の間、また“過去”が現れた。
それは、カガリ・ユラ・アスハの存在だった。
以前は義理の姉妹……という関係のはずである。その特別な繋がりは、科学を越えた何かを産み出すのではないかという懸念と興味を抱いた。
が、やはりセアはセアのままだった。かつての義妹に対しては『アスハ代表』という認識だったし、その存在に怯えてさえもいた。親しみなど一粒もなかった。
念のため検査を繰り返したが、数値は何の異常も示さない。
後に、議長からアスハ代表に付いているボディーガードの男も、かつてナナ・リラ・アスハと親しかった者だ……と教えられたが、彼に対してもセアはただの『知らない男』という認識だった。
ストレスは感じていたようだ。
急に実戦に放り込まれ、艦にはオーブの要人が乗っている。おまけに彼らから“ナナの面影”を感じて戸惑われたという。
対人恐怖症の人格を少々強く埋め込まれ過ぎた彼女にとっては、そうとうなストレスだっただろう。
が、それこそがリューグナーが心血を注いだ開発と研究と実験の成功を意味していたのだった。
やがて、オーブに送り届けたはずのアスハ代表の護衛が復隊し、『アスラン・ザラ』としてミネルバに乗艦した。
過去のピースが目の前にちらついている状態で、セアはどうなるか……。共に戦うという点では、以前より彼との距離は近くなる。また懸念を抱いたが、デュランダル議長の意向なのだから仕方がない。リューグナーは念のため注意をはらった。
メディカルルームの自室に付けた艦内モニターでセアを監視し、アスランと親しく話す様子があればメディカルルームに呼びつけるなどして引き離した。
二人でナナ・リラ・アスハのことを語られるのはまずかった。
アスランにとって『セアはナナと別人である』という認識がある以上、セアという人格を確立させることになった。が、当然のことながらリスクでもあった。
脳への施術は完璧だ。服薬も管理している。検査も問題ない。
懸念はしていたが、リューグナーはセアが壊れることはないと……そう思っていた。
無論、戦況などどうだってよかった。
たしかに艦はクレタで甚大な被害を受けたが、リューグナーが注意すべきはセアへの影響だけである。
セア自身はずっと無傷だった。
周囲がザフトで訓練されたコーディネーターのパイロットであるにも関わらず、セアは遜色なく任をこなしていた。ただひとり、その身体はナチュラルであるのに。
そうしてナナ・リラ・アスハへの畏怖を抱いたのはベルリンあたりだ。
コーディネーターのパイロットが機体を損傷させ自身も負傷していても、セアはレジーナを戦闘不能にさせることはなかったし、自身も怪我を負うことはなかった。そして誰も、彼女がナチュラルの身体であることに気がつかなった。
技術的なことはわからないものの、改めてナナ・リラ・アスハの能力に脱帽した。
議長もそうだった。
セアの報告をするたびに、彼はプロジェクトが順調に進んでいることを喜んだ。そして、リューグナーも感じていたように、ナナ・リラ・アスハとの“相違と一致”に満足していた。
しかし、事態は急速に悪化した。
セアがアスラン・ザラに心を開きつつあったのだ。
実際、そう特別な関係には成り得なかった。ただの上官と部下。同じ隊の仲間。そんな程度ではあった。
が、リューグナーは嫌な予感がしていた。議長からも、「問題は起こらないとは思うがアスラン・ザラだけは気を付けるように」と釘を刺されていた。
何がそうさせたのかはわからない。アスラン・ザラもセアの中にナナを探すような馬鹿な真似はしなかったはずだ。セアだってどちらかといえばレイのほうを信頼していた。
“過去”に二人がどういう距離感だったのか、リューグナーは詳細を知らない。議長からただ「親しい関係だった」と聞かされていただけだし、自身もそういったことに全く興味はない。
だからこそ……だ。
少しの時間、空室にしたメディカルルームに二人がいる光景を目にした瞬間に、強烈な違和感を抱いた。
リューグナーの知らない空気……。それがそこにあったのだ。
その頃から、セアの目つきが変わった気がした。
検査は異常ない。受け答えもいつもどおりだ。視線を彷徨わせ、言葉を慎重に選んで発言する。自分に自信がなく、誰かの指示を求める。一見、変わらず彼女は“セア”だった。
しかし今まで臆病で従順だったセアが……そういうふうに作ったセアが、自分の頭で考えようとしていた。意志をもとうとしていた。
そして疑問と不安を抱いていた。軍へ……本国への。
アスラン・ザラの影響だと思った。それしか考えられなかった。二人が話すようになって、セアが変わったのだと……。ナナ・リラ・アスハの部分がかすかに眠りから目覚めようとしているのかと恐れた。
セアが“彼女”に憧れを抱いていたことは知っていた。むしろそう人格プログラムされていた。
最後の記憶もナナ・リラ・アスハのスピーチのはずだった。
それの映像も繰り返し脳に与えた。何度も、何度も……彼女の一言一句を暗記するほど。
そのほうが「面白い」と議長が言ったからだ。セアにとってナナは憧れだと面白い……と、議長が言った。それこそがプロジェクトの“成功”に繋がる……と。
だからセアがナナ・リラ・アスハのことを誰かに語っても、それはむしろ“成功”だった。議長にとっては。
当然、憧れを抱いている限り、その対象は“他者”である。それを自分であるとは微塵も思うまい。
それでも、セアが“ナナを取り戻す”とは考えなかった。アスラン・ザラも、セアがナナだと知ることはないと思った。
だが、リューグナーにとってその空気は不快だった。命を懸けた研究に対して邪魔でしかなかった。いくら議長が“成功”とおっしゃっても……。
だからリューグナーは、議長への報告書に初めて所見をしたためた。これまでただ事実、結果だけを記述していたのだが、不快感の八つ当たりをするようにして所見を書いた。
その直後、事態は最悪の展開になった。
ジブラルタルの基地からセアが去ったのだ。アスラン・ザラと共に。
自身の懸念の通り、とか、予見した通り……とか、そんな爽快感はまるでなかった。
ただただ驚愕した。プロジェクトの失敗という事実に。
まさかそんなことになるとは思わなかったのだ。
確かに懸念もし、所見も書いたが、セアが自分の手を離れて行ってしまうなど考えもしなかった。
第一報を聞いた時点では、セアが自身の意志で脱走したのか、それともアスラン・ザラにかどわかされたのか、彼の人質として無理やり連れ去られたのか……それはわからなかった。
が、リューグナーは理由が何にせよ、プロジェクト・バハローグが破綻したことを知った。
セアが手元から去ったのは事実。アスラン・ザラのせいで。アスラン・ザラのせいで……。
引き離すべきだったのだ。そう、議長に早く進言すればよかったのだ。毎日監視を行っているのは自分だったのだから。「楽しんでいる場合じゃない」「成功どころか失敗につながる」と、危険を冒してでも強く警告すべきだった。
最悪の展開だ。
レイがシンと共に追撃に向かったと聞いた。
レイはプロジェクト・バハローグの全てを知っている。恐らく自分よりも詳細に。
だからきっと、命を懸けてでもセアを連れ戻すだろう。あるいは……。
酷い嵐の中、その“成果”を聞いて心はもっと荒れた。
『セア・アナスタシスの抹殺』
その続報は議長から告げられた。そしてリューグナーは本部の兵に拘束され、人知れず議長の艦の一室に軟禁され、そのまま宇宙の要塞『メサイア』に収容された。
もちろん、ミネルバのクルーに別れを告げる暇はなかったし、必要だったとも思わなかった。
それからは特に尋問されることもなく、口封じとして抹殺されることもなく、しばらくの間メサイアに監禁されていた。
外からの情報は全く無かった。
相変わらず戦況に興味はなかったが、セアが本当に死んだのかだけは知りたかった。が、それも叶わず……。
曖昧に流れる時間の中で、リューグナーは真剣にプロジェクト・バハローグの真の“成功”とはなんだったのかを考えた。
ミネルバに乗艦する直前、それは議長の口から聞かされていた。
『セア・アナスタシスが戦場で“かつての仲間”と敵として相見えたとき、彼らを動揺させる。特に、あの最強のアークエンジェルとフリーダムがもし現れたのなら、セアを切り札にして討ち取りたい』
聞いたときはなんて稚拙な目的だろうと思った。
“かつての仲間”とやらが都合よく敵としてセアの前に現れる状況になるのか。彼らにセアが対峙して、「ナナ・リラ・アスハに似ている」というだけで動揺を誘えるのか。それがきっかけで戦況を優位な展開に持ち込むことができるのか。
全てが不透明。幻想だ。そう思った。
が、最高評議会の議長ともあろう人が、至極真面目にそれを語る。極秘の最終目的として、セアの専属ドクターとなった自分だけに……。
しばらくはからかわれているのかと思った。真の目的を隠すため、適当な説明であしらっているのかと……。
しかしそうではなかった。
議長は本気だった。本気でこの“仕掛け”をいかそうとしていた。
きっと偶然などではないのだ。彼は予感していたのだろう。いや……おそらく意図的にその状況を作り出す用意があったのだ。
その彼の意図かどうかはわからないが、実際に再び戦争は起こった。そしてセアは最前線で敵と戦い、本当に目の前にアークエンジェルとフリーダムとやらが現れた。
議長が望んだとおりの展開になったにも関わらず……プロジェクトの完成を前に“被験者”を失ってしまった。
議長の怒りはいかばかりか……。
噂では、他の開発チームの研究者たちもメサイアに捕まっていると聞いた。
皆、殺されるのだ。この戦争が終わったら。議長から責めを受け、口封じのために、一人残らず殺されるのだ。
勝っても、負けても。
これは罰なのだろうか。
ひとりの人間の人格を壊し、こちらの意図するそれを植え付け、記憶を奪い、姿も変え、親しい者たちと別離させた。
そのことへの罰なのだろうか。
孤独の中で考えた。
命令されただけ。研究は完成した。実験は成功だ。きっと後世の役に立つ成果をあげたのだ……。何故殺されなければならないのか。罪など無いはずだ……。
あの子のせいだ。あの子が従順であったなら……。いや、あの子は従順だった。環境が悪かったのだ。
想定外のことが起きた。かつて親しかった“義妹”であるカガリ・ユラ・アスハやアスラン・ザラと再会してしまった。何事もないままに二人と別れたのに、アスラン・ザラは再びミネルバに現れた。
初めは彼の存在に戸惑っていたあの子は、徐々に心を開き始めた。それでも実験は失敗ではなかった。うまくいっていた。何故なら、話す機会が増えてもレイたちほどには親しくならなかったのだ。
アスラン・ザラも、当然あの子の姿には抵抗があるように見えた。
それでも警戒はしていた。艦内のカメラをモニタリングして、アスラン・ザラとセアが二人きりにならないように気を付けた。徐々にその機会は増えてはいったが、問題になるほどではなかった。ただ嫌な予感が不快だっただけだった。
それなのに、それなのに……、あの子は少しずつナナ・リラ・アスハへの慕情を膨らませていった。アスラン・ザラの影響か、戦場で感じたことか……原因はわからない。「検査」と称していろいろ調べてもわからなかった。
だから排除したかったのだ。アスラン・ザラを。
そう、あの子は悪くない。悪いのはアスラン・ザラという存在だ。
いや……。彼をあの子に引き合わせた人物だ。デュランダル議長が悪いのだ。
自身の戯れか、計算違いか、思い違いか……そのせいではないか。
せっかく実験は成功していたのに……。
だったら殺される理由はない。やはり自分に罪はない。
死にたくない。生きたい。殺されるのは嫌だ。
自分がこれほど生に執着しているとは思わなかった。だが、怖いというより悔しかった。どうしても、死ぬのは嫌だった。
が、軟禁生活は急に終わりを遂げた。
急に部屋が……いや、要塞全体が大きく揺れ始めたのだ。
機動要塞ということは知っていた。だがそれは、目標に向かって動いているような揺れではなかった。明らかに攻撃を受けている。
メサイアは最後の砦だと思っていた。ザフトの最高にして最強の要塞と聞いていたはずだ。
それが、ある程度の苛烈な戦闘になっても安全なはずの居住区がこんなにも揺れるほど攻撃を受けている。
死を感じてゾッとした。手足が冷え、内腑が震えた。
ザフトが、議長が、負けるわけないと思っていた。議長が唯一懸念していたアークエンジェルは倒したはずだ。
だが、座っていられないほどの揺れになり、ライトが消えた頃、はっきりと死を悟った。
ザフトが負けたわけじゃなく、メサイアが放棄されただけだとしても、自分に待つのは死だけなのだ。
手で扉をこじ開けた。
すでに要塞内のシステムはダウンしていたから、ロックも外れていた。
非常灯だけが灯る薄暗い通路に出ると、同じように隣の部屋、その向こうからも人影が現れた。
開発チームのメンバーだった者たちだ。
が、再会を喜び合うつもりはなかったし、その時間は与えられなかった。
向こうから壁に手をつきながらどうにかバランスを保って歩いて来る兵士。彼は一番近くにいた人を躊躇なく銃で撃った。
撃たれたのは開発チームの所長だった男だ。
悲鳴が上がる。だが、逃げたくても揺れる床に手をついて這いつくばるのがやっとだ。
兵士も同じように身動きがとれないまま、それでも徐々にこちらに向かいながら、またひとりを撃った。
なぜだ……と叫ぶ者がいた。兵士は答えた。「命令だ」と。
やはり……、勝っても負けても、口封じのために皆殺しにされるのだ。
どれほど強く唇を噛んでも、走って逃げることはできなかった。
またひとり撃たれた。
あと二人。
隣の部屋だった男がこちらに向かって走り出そうとして、顔から転んだ。
天井がひび割れ、どこからか煙が漂う。
またひとり、撃たれた。
転んだまま起き上がれぬ男がこちらを見た。絶望の目だ。
自分はああなりたくない。あんな惨めな姿は嫌だ。世界で最高峰の研究を成し遂げたのに。実験は成功だったのに……。
いや、成功ではなかった。
だからこんなめに遭っている。
セア……。
隣の男が撃たれた。ついに、兵士が自分を見る。
セア……。あなたさえ自分の元にいてくれたら……。
銃口がこちらに向いた。
セア……。私があなたをもっとコントロールできていたら……。
下から突き上げるような揺れに、兵士はよろめいた。が、懸命に引き金に手をかける。
セア……。あなたがもっと私を信頼してくれていたら……。もっと私を……。
“何か”に気づきかけた、その時……。
終わりの銃弾は飛んでは来なかった。兵士は引き金を引くことなく、天上から降って来た瓦礫の下に埋まったのだ。
身体が動かなかった。すぐ側にも壁や天井の破片が落ちる。床も割れる。煙も視界を遮る。
セア……。
もう一度、あの子のことを思い出した。
漏れ出そうになった言葉が、自分を突き動かした。
走って、いや、這いつくばって、どこかへ向かった。要塞の構造はわからない。だが、懸命にどこかに向かって進んだ。
どのくらい時間が経ったのかわからなかった。だがそのうちに何故か奇跡が起きて、脱出する兵士たちの集団と出会うことができた。
彼らは自分の抹殺命令を受けていなかった。
傷ついたシャトルでメサイアを出た。
宇宙は明るかった。メサイアが燃える灯りだ。
議長はどうなったのか、周りの誰も知らなかった。ただ戦況は誰もが知っていた。
負けたのだ。ザフトは。コーディネーターは。
泣く者があった。だが彼らと悲しみを共有できなかった。死の間際に知った“最期の言葉”に、ただ失望していた。
シャトルは撃沈を免れたザフトの戦艦に拾われた。そこでミネルバの最期を知った。そして、最終局面がどうであったのかも。
とはいえ、自分は兵士ではないので、他の兵士たちが話しているのを聞いただけだ。
だからアークエンジェルが現れたとか、ラクス・クラインが起ったとか、そういう話はやはりよくわからなかった。
が、議長は死んだ。恐らく唯一自分の命を狙う者は死んだのだ。
誰とも親しく言葉を交わさないまま、非戦闘員として早い段階で本国に返された。
開発チームが居場所だった自分には、帰る場所などなかった。
だが、心配せずともすぐに最高評議会から出頭命令が下った。
議長のいない最高評議会……。そこが今、何を知って何を目的としているのかわからなかった。
だから逃げた。
家族や親せき、友達もいなかったから、研修者の知人を頼って逃げた。もちろん開発チームのメンバーの縁故は避けた。口封じの手がまだ引っ込んではないと考えた。
そのうち、一時的な隠れ家を提供してくれた研究仲間の一人が、ある男を連れて現れた。
シーカーという名のジャーナリストだった。彼はバハローグの事故の真相を追っていると、そう言った。そして……『プロジェクト・バハローグ』の真の目的を探っている……と。
警戒はしたが、抵抗はしなかった。
かくまってくれている研究仲間がシーカーからそう少なくない金を受け取っていることはわかっていたし、このまま永遠に身を隠せることもないと思っていた。
だから、シーカーの話を聞くことにした。いや、シーカーに話をすることにした。
世間では、“本物の”ラクス・クラインが停戦を呼びかけ、事実上そうなっていると聞いた。あれほどの無様な大敗を目の当たりにしたのだから、今さらその結果と現状に興味は無かった。
隔離された日々の中で、余計な情報が入って来ないことは都合が良かった。
が、知りたいことがあったのだ。
おそらく、プラントの人間には知り得ないこと。ザフトの人間でも、その“行方”を知っているとは思えないこと。
だから、シーカーに出す条件はひとつだった。
『セア・アナスタシスの最期を確認して欲しい』
それだけだった。それしか知りたいことはなかった。
ジャーナリストとして世間の裏側まで嗅ぎまわる男なら、あるいはツテを辿って彼女の最期について調べられるかもしれないと思った。
ジブラルタルの基地から脱走したザフトのモビルスーツが友軍に撃沈され、その後どうなったのか……。あの嵐の夜に海上の争いを目撃していた者は少ないだろう。
処理したのはシンとレイだったと聞いた。だから二人に聞くしかない。
二人がどうなったのか知らない。シーカーは二人のうちどちらかを探せるだろうか。レイはきっと口を閉ざすから、シンを当たってくれるといい。どうにかザフトの情報元に接触して……。
恐らく簡単ではないだろう。最高評議会も国防委員会もザフト中枢も未だ混乱しているはずだ。だがシンとレイはエース級のパイロットになっていたはずだから望みはきっとある。そう思った。
それに、ここにいてもいつかは暗殺の手が伸びるはずだ。議長の怨念がまだどこかに残っているかもしれないのだから。
次の生き延びる一手は自分で打たなければならなかった。世界を震撼させるほどの情報と引き換えにしてでも……。
だからシーカーに全て話すことにした。この情報を彼がどう扱うのかはどうでもよかった。バハローグの事故を追って“自分”まで辿り着いた彼の手腕に賭けることにした。
彼は断片的に情報を得ていた。極秘とされていたはずのそれを、確かに握っていたのだ。
研究仲間が漏らしたのだろう。メサイアに捕まっていた者以外に、退職した者もいれば逃げおおせた者もいるだろうから。あるいは、初めにナナ・リラ・アスハが運び込まれたホスピタルの連中か。その両方か。
関わった連中は、議長が死んだことでかん口令が破棄されたたと考えたのだろう。もしくは自分と同じように、自身の命の防衛策をとったか。あるいはただの欲か……。いずれにせよ情報と引き換えにシーカーから大金を受け取った可能性は高いと思われた。
そのおかげか、すでに彼の中ではバハローグの件はナナ・リラ・アスハの暗殺ではなく、本当に事故だったという結論に達していた。
だから自分には、『プロジェクト・バハローグ』ではナナ・リラ・アスハに関する何の研究を行って来たのか……と、そう具体的に問うてきた。そして彼が独自に掴んだという『ナナ・リラ・アスハの“遺体”がデュランダル議長の施設に運び込まれた』という噂の真相を聞きたがっていた。
そこまで知り得ているシーカーに初めから全てを話した。恐らく、彼女があの事故で生き延びたことも、その後に実験の対象になったことも、まだ知らない彼に。
議長が立ち上げた『開発チーム』のこと。その研究内容も。そしてある日、あの事故が起こり、ナナ・リラ・アスハが研究所に運ばれてきたこと。自分たちに議長が命じたこと。『プロジェクト・バハローグ』の実行と、真の目的……。セア・アナスタシスの誕生とその新たな生。再び起きた戦争。そのさ中のセアの様子と、ジブラルタルの悲劇。
シーカーは初め興奮していちいち詳細を確認してきたが、そのうち黙って聞くだけになった。
その頃の彼の顔は真っ青だった。
無理もない。彼は少なくともナナ・リラ・アスハは死んだと思っていた。研究所に運ばれたのは彼女の“遺体”であり、それを使った研究の内容を知りたがっていたのだ。
シーカーは予想もしなかった真実に触れ、まさに驚愕していた。
長い時間だった。コーヒーは二度淹れ替えた。休憩は一度だけ。
両者少しだけ疲れて、渡すべき情報を渡し終えてから、こちらの要求を単刀直入に告げた。
『セア・アナスタシスの最期を確認して欲しい』
と。
シーカーはふたつ返事で了承した。おそらくザフトに想い当たるツテがあるのだろう。
安堵した。いや、素直に嬉しかった。結果がどうであれ……“あの子”の最期をはっきりさせることができるのだから。
と、その時。
シーカーがタブレットの画面をこちらに向けた。これからオーブのアスハ代表による声明が発表されるとのことだった。
自分には興味がなかった。オーブのことは。
が、シーカーの仕事のうちには入るのだろう。誘われるがまま、それを観ることにした。
そして見た。“あの子”を。
“被験者”であり、“被害者”であり……、元世界連合特別平和大使であり、オーブのナナ・リラ・アスハであり……、ザフトのセア・アナスタシスであり、脱走兵であり、自分の……。
今度はこちらが驚愕した。シーカーも彼女の登場に椅子から転げ落ちんばかりに驚いていたが、明らかに自分の方が動揺していると自負していた。息が止まり、全身が震えた。体温は一気に凍り付き、次の瞬間には沸騰していた。
生きていた……。
しかし彼女はセアではなかった。姿形はそうでも、彼女は“被験者”ではなかった。
ナナ・リラ・アスハ……。かつて世界に平和を訴えたその人だった。
初めに思ったのは、「彼女によって自分は訴追されるだろうか」……そんな惨めな思いだ。だが同時に「良かった」と思ったのもまた事実。
大きな波が去ると、意外と冷静な自分に戻っていた。
目的は果たされた。セアの生存は知れたのだ。その行方も……。
が、シーカーに話したことを後悔してはいなかった。
シーカーもジャーナリストらしく最初の動揺をすぐに押し込めて、興奮した顔つきに戻った。そして何かを思いついたような顔をしながら、必ずまた連絡すると言って去って行った。
その言葉を信じてはいなかった。
送り込まれるのはTVクルーか、評議会の“残党狩り”か、ザフトの議長麾下の生き残りか……、またはオーブからの刺客か。
あれほど生に固執していたが、もうどうでもよくなった。
目的は達したのだから当然だった。
だが、そう日も経たないうちにシーカーから連絡があった。彼は切羽詰まった様子で「人生で最大にして最後の選択」を……と迫った。
復活したナナ・リラ・アスハの容態が良くないらしい。オーブのメディカルチームはプロジェクト・バハローグの“副作用”と判断したようだ。もし彼女を救えるのなら、オーブはあなたを保護するだろう……ということだった。
一瞬、返答を迷ったのは、警戒か遠慮か……自分にもわからなかった。
だがすぐに言葉を繋いだ。「オーブへの亡命を希望する。そして必ずナナ・リラ・アスハの治療を成功させる」と。
命が惜しかったのか、懺悔のつもりか……やはり、どちらの感情が強いのか自分にもわからなかった。
だがしかし、シーカーの手引きでプラントを無事に脱出し、オーブに招かれ、ナナ・リラ・アスハに謁見した瞬間に悟った。
「自分がこの人を救わなくてはならない」と。
そこには確かに償いの想いも存在していた。こんな自分でも、ひとりの人間の人生を奪おうとしたことは大罪と理解している。与えられた避けられようのない任務ではあったが、己の倫理観を自らの手で壊して来たのもまた事実。当然、自分にできるのなら償おうと思った。
だがそれ以上に感じたのだ。強烈な使命感を。
理由はナナと少し話しをしてからわかった。何故なら、彼女はあまりに偉大だったのだ。
寛大ではない。偉大だった。
画面越しに受けるナナ・リラ・アスハの視線ではなく、スピーカー越しに聞くナナ・リラ・アスハの声ではなく、直に目にして耳にしてその空気を感じて……この人を死なせてはいけないと思った。
自分にとって、ただの『世界連合特別平和大使』、ただの『オーブの要人』、だったその人が、どれほど大きな存在だったかを肌で感じ、圧倒されたのだ。
遅ればせながら、多くの者が影響を受ける理由がわかった。オーブや地球の物だけでなく、プラントの人間でさえも……。そして彼女を畏れる理由もわかった。「オーブの魔女」などと呼んでいた者たちの心情も理解した。
だから……この人を救おうと思った。治療が済んで、それが成功してから自分が収監されることになっても。プラントに送り返されることになっても。それでもナナ・リラ・アスハという存在をこの手で救おうと思った。
彼女のように尊い人間ではないから、達成感や称賛、感謝を求める気持ちもあった。もちろん命は惜しかった。それでも嘘偽りなく、命を懸けて彼女を救おうと思っている。
ひと息に長い時のことを話したせいで、ドクター・リューグナーの声は最後にはしわがれていた。
その間ほとんど表情を変えなかったリューグナーだったが、最後にそっと目を伏せて、安堵したようにかすかに息をついた。