見果てぬ宇宙(そら)の夢   作:亜空@UZUHA

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護り石<最終話>

 ナナとの約束を果たすべく、アスランは“あの島”に来ていた。

 ここ数日ぐずついていた天気も、今日のこの日に相応しい快晴だ。

 

「変わらないな、ここは。何も……」

 

 ひとりそうつぶやいて、そっと息をついた。

 波の色、風の香り、砂の白さと空の高さ……、全てがあの日と同じに思える。

 急激に懐かしさがこみ上げた。

 あの日の記憶が薄れたことはない。これまで何度も記憶と感情をなぞるように思い出してきた。

 それでも、やはりこうしてあの日と同じ場所に降り立ち、実際にあの日と同じ景色の中に身を置くと、強烈な懐かしさを感じるのだ。

 懐かしさとは……。この場合、鈍い痛みを伴った。

 思い出の中には幸福な時間がある。いくつもいくつも重ねた時間だ。が、悲しみの記憶も確かに存在している。

 葛藤、後悔、嫌悪、憎しみ、罪、償い、そして……別れ。ここへたどり着くまでにそれらは確かに刻まれている。この心、記憶に。

 幸福な記憶と悲しみの記憶。どちらが自分の中に多く存在しているのかはよくわからない。幸福な記憶を“正の記憶”、悲しみの記憶を“負の記憶”と呼んでよいものかもわからない。

 どちらも等しくあるような気がする。

 ナナに出会えた幸福は、戦争が要因でもある。この場で抱いた感情も、葛藤を生むしかなかった。

 幸福と悲しみは表裏一体……そんなに単純なことでもない気がする。

 不意に胸が痛んで、服の上からそっとあの石に手を置いた。

 ナナがくれた護り石。気分が揺らいだときはこれに触れてナナを感じることが、もうずいぶん前からの癖になっている。

 

「そろそろ行くか……」

 

 あまり情けない顔をしているとナナにどやされる……。そんな気がして口角を上げた。

 ここまで乗ってきたヘリを一度振り返り、あの日と同じように歩き出す。あの日、イージスを降りて歩き出した時のように。

 ただ忠実に再現した。それがナナとの約束だった。

 違うのは、警戒心と銃を手にしていないこと。それと……あの日とは比べものにならないほど胸いっぱいに詰まった感情。

 

「ここら辺だったか? いや、警戒しながら歩いていたからもう少し……」

 

 歩いたルートも歩幅もスピードも確実に再現する。ナナが見ていなくても約束はちゃんと果たさねばならない。

 

「あの岩の向こうの……浜だったな」

 

 銃を手に、視界に入るわずかな異物も逃さないといった緊迫感さえも蘇えらせる……。

 乗っていた輸送機が突然、戦闘態勢に入った。搭載しているイージスで脱出しろと言われ、戦闘には加わらずに戦闘空域を離れた。この島を見つけて不時着をした。救難信号を発信し、島に降り立った。上空から見た限り、民家などの建造物は見えなかった。とても小さい島だ。が、近くで戦闘が起きたばかり。今は戦争中だ。何が起きるかわからない。兵士として最大限の警戒をしながら辺りを哨戒する……。

 銃を握る手に怯えはおろか焦りもない。落ち着いて、岩の向こうをのぞき込む。

 と……。

 シダの茂みから人影が現れた。

 小柄なその人は地球軍のパイロットスーツを着ている。ということは、その人は“敵”だった。何らかの機体のパイロットと判断するには迷うほど小柄で華奢な少女だったとしても、その姿は“敵”だった。

 当然、銃を向けた。戸惑いがないと言えば嘘になるが、躊躇いはなかった。

 彼女もこちらの気配に気がついた。そして“彼女”も銃を……。

 

 そこまで鮮明に思い出したとき、“彼女”は銃を捨てて……いや、銃の形を作った手を開いて頭上に挙げた。そして満面の笑みでこちらに向かって両手をぶんぶんと振った。

 

「ナナ……」

「あ、ごめん! アスランが現れるタイミングがばっちりだったから嬉しくなっちゃって!」

 

 髪の色、目の色……あの日と同じナナだ。

 あの日と違う服を着て、あの日より弾む声で、あの日見せなかったとびきりの笑顔でそこにいる。

 駆け寄って抱きしめたかった。

 が、約束だからとどまった。

 

「『そっくりそのまま完璧に再現しよう』と言い出したのはナナだろう」

「ごめんごめん!」

 

 アスランが操縦するヘリでここへ来て、ろくに話をする間もなくナナは駆け出した。『あの日の出会いをそっくりそのまま完璧に再現しよう』と言って。わざわざナナがあの日不時着した海岸まで走って行ってしまったのだ。

 こうして仕方なく忠実にあの日の行動を再現したというのに、あの日の感情すら蘇らせたというのに、ナナはあっけなく“今”に時を戻す。

 少しほっとしたのだが、敢えて不貞腐れてみた。

 あの日の自分と違って、今の自分があまりにも幸福だから。それを持て余してさえいるから。

 

「ここからやり直し!」

 

 だがナナは、あの日の感情を再現することをサボっているようだ。楽しげに笑いながら両手を大きく開き、勢いよくパンっと合わせると、また指で銃を作ってこちらへ向けた。

 

「まだやるのか?」

 

 愉快な気持ちと呆れた気持ちと、ほんの少しの焦りが相まってため息が出た。

 

「あたりまえでしょう!」

 

 ナナは口をとがらせる。

 

「ここからが重要なシーンじゃない!」

 

 確かに……今まではただの序章にすぎない。

 ナナが再現したがっている“出会いの章”はここからだ。

 

「いい? アスランも構えて!」

「あ、ああ……」

「じゃあ再開ね! スタート!」

 

 ナナはそう言うと、そのまま視線を林の方へずらした。細かい仕草も再現している。

 アスランの方もよく覚えていた。

 互いに銃口を向け合っている状態で、ナナは目を逸らしたのだ。そして木々の梢の向こうに見つけた。イージスを。

 その瞬間だったはずだ。

 気づかれた……と知ると当時に、撃つか撃たれるかの状態で視線を外すなどあり得ないと思いながら引き金を引いた。彼女の手元……銃だけを狙って。

 ナナは両手を開いた。手元から銃が弾かれたのだ。

 そしてこちらをじっと見つめた。

 アスランはまだ銃を向けている。それでも無防備にナナは立っていた。

 その口が静かに開いた。

 

「アスラン……ザラ……?」

 

 心臓がドクンと鳴った。

 ナナは演技が下手くそだ。いつもは辛くても平気なふりを難なく演じてみせるくせに、今日の大一番ではとても下手だ。大根役者にも程がある。

 あの日のナナはただ静かに佇んで、無防備にこちらを見つめて、震える声で、不思議そうに自分の名を呟いた。何故か小さく笑って……。

 なのに、今は昂ぶる気持ちを抑えながら、確信を持ってその名を呟いている。

 そのしっかりとした視線も、上がった口の端も、力強い瞬きも、少しもあの頃と重なりはしなかった。

 衝動を抑え切れなかった。知ってか知らずか、先に演技を放棄しているのはナナの方だ。

 だから“銃”を捨てて走り出そうとした。

 が、視線でそれを止められる。

 

「アスラン、まだだよ。アスランの番でしょう?」

 

 ナナはこの期に及んでまだ“台本”通りにやろうとしているのか、小声でそう言ってくる。

 

「あ、ああ……」

 

 今更気恥ずかしくなったので、一度咳払いを挟んだ。

 

「ナナ……イズミ……か……?」

 

 あの時のように戸惑いながら言うのは難しかった。それに、やはり演じるのは恥ずかしかった。

 が、それがかえって合格点だったらしい。

 ナナは満足そうに笑った。そして……急に全身の力を抜いてその場に倒れ込んだ。

 

「ナナ……!」

 

 あの時の儚げな笑みとは違った。とても満足げな笑みだ。

 が、アスランの走る速度はあの時と同じだった。

 

「ナナ!」

 

 ちゃんと、ナナの体が砂に落ちる前に抱き留めた。

 あの時は名前など呼ばなかった。肯定されたであろう名でも、積極的に口にするのを躊躇っていたのだ。が、今は違う。もう呼び慣れた名だった。

 

「ここまで再現することはないだろう」

「だってここが重要なんだもん! 私気を失ってからのこと覚えてないし」

「だからといって急に倒れるなんて……。危なかったぞ……!」

「大丈夫だよ! ちゃんと受け身とるつもりだったから。でもありがと、キャッチしてくれて」

「ああ……。なんとか間に合ったが……」

 

 腕の中のナナはくったくなく笑う。

 

「じゃあ、私はここに寝っ転がってるから、アスランはさっきの場所からもう一度初めて」

「何をだ?」

「だから、私がぶっ倒れた後のこと。ちゃんと再現しなくちゃ」

「まだやるのか?」

「うん! ここからが重要なんだってば!」

「…………」

「お願い! アスラン!」

 

 一瞬、言葉に詰まった。

 この時の出来事は幾度となく二人で話をしてきた。が、やはり細かいところまでは伝え切れていなかったようだ。

 そしてそれをナナは全て再現しようと言っている。

 

「わかった……。全部再現するんだな」

「うん。じゃあ私はここに……」

 

 ナナは砂の上に横たわろうとして身をよじった。が、アスランの腕は反対にナナの肩を強く抱いた。

 

「え?」

「このままで大丈夫だ……」

「え?」

「ちゃんと再現している……」

 

 ナナは少し考えて意味を理解したようだった。

 

「え? あの時もこうしてキャッチしてくれたの?」

 

 澄んだ目がこちらを見上げる。

 

「なんで?」

「なんで……と言われても……」

「なんでわざわざ見ず知らずの子を助けたの?」

「見知ってはいただろう。名前も……知っていた」

「でも……、“敵”の子だよ?」

 

 試すような視線ではなかった。純粋に答えを求めているようだった。

 

「わからない」

 

 だから、正直に答えた。

 

「とっさに体が動いたんだ」

 

 しばしの沈黙。いや、波の音だけが聞こえた。

 

「そっか……」

 

 ナナはまた満足そうに笑んで、体の力を抜いた。

 

「じゃあこの後は? 岩のところに運んでくれたんでしょう?」

 

 やれやれ、まだ続けるのか……。そう思ったが口には出さなかった。

 ナナの戸惑いを感じられたことで、ようやく少しだけ楽しくなってきた。

 

「ああ」

 

 ナナを抱き上げた。

 あの時、こちらの腕は強ばっていて、ナナの四肢に力はなかった。今はちゃんとナナの体が腕に沿っている。

 

「だいぶ体重も戻ったようだな」

 

 一時、見ている側が絶望を感じるほど痩せ細ってしまった体が、今はもうちゃんと重みを感じられるようになっている。

 

「アスラン!」

 

 ナナは口を尖らせた。

 

「女の子に『重くなった』なんて失礼だよ!」

 

 こちらの意図をわかっていて、ナナは敢えて憤慨して見せた。

 

「明日からもちゃんと昼食をとるんだぞ」

 

 ナナは明日からオーブの大学に通う。もちろん一般入試をパスした。

 少し心配だったが、スカンジナビア王国の王族たちが多く留学しているので警備はオーブ国内随一だ。アスランがついて行くわけにもいかないから、政府や軍から私服警護官を派遣する。ナナは断ったがカガリと二人で説得した。本当にもう、“何か”があってはいけないから。

 

「大丈夫だよ! キャンパスの食堂のメニュー、すっごくおいしそうだったでしょう? 毎日何を食べようか迷っちゃうな~」

 

 キャンパスの見学にはアスランも同行した。危険な場所がないか、不穏な空気はないか、事前に察知しておきたかったからだ。

 自由で活気に満ちた学生たちの世界は、なんだかとても懐かしかった。

 プラントの士官学校は自由とはほど遠かったが、それでもニコルやイザーク、ディアッカ、ミゲルたちと過ごしたあの時間が懐かしく思えたのだ。

 ナナにもそんな時間を手にして欲しかった。自宅と父親の研究所を往復するばかりで、ほとんど学校に通わず、顔を出しても白い目で見られた……と、ナナは笑いながら語っていた。だからこれからは、友達を作ったり、勉強を教え合ったり、一緒にランチをしたり……“普通の女の子”の時間を過ごして欲しかった。

 

「ねぇ、アスランもたまにおいでよ。非番の日に。外部の人も食堂を利用できるって学校案内のパンフレットに書いてたよ! 一緒にご飯食べよう!」

「オレはいい。友達作るんだろう? 邪魔はしない」

「えー、たまにはいいじゃない」

「……たまに、なら」

 

 本当は毎日でも付き添いたかったが、ナナの時間を尊重した。

 それでもたまには様子を見に行こうと思う。軍の非番の日に。

 

「楽しみだな」

「うん!」

 

 ナナの希望に満ちたキャンパスライフはアスランにとっても楽しみだった。

 ナナが誰にどんな影響を受けて、どんな風に成長していくのか……。その変化を毎日見守ることができるのはとても貴重なことだと思えた。

 

「でも、不安なこともあるよ」

 

 そんなナナがぽそりと言った。

 

「不安?」

「うん。まず友達ができるかが心配……」

 

 過去のトラウマはナナの希望に少しだけ陰を落としている。が、それでも今のナナならば心配ないと確信していた。

 

「それから、勉強についていけるか……」

 

 そこは問題ないと思うが、試験勉強に付き合ってみて気づいたことがあった。ナナは典型的な文系だった。幼少期からMSの開発に携わってきて、周囲はどちらかというと理系の大人たちに囲まれていた。そういった中でも、ナナの思考パターンは文系のそれだった。

 だから数学や物理、科学さえも苦手意識があった。はじめは点数も芳しくなく、ナナ自身本気で入試に危機感を抱いていた。

 アスランにとってそれは意外なことだった。カガリも驚いていた。

 が、あれほど世界中の人々の胸をうつ演説をしてきたナナである。もちろんその原稿はナナが考えていたし、それを見ずとも適切な言葉を選んでわかりやすい構文で話すことができていた。だからそのナナの傾向にはすぐに納得した。

 

「入試の自己採点は良い結果だったんだ。ちゃんと講義を聞いて、努力すれば大丈夫だろう」

 

 実際、入試の時期にはその不安は消えていた。ナナは記憶力が良い。だから出題の傾向を抑え、ポイントを記憶することで点数を取ることができた。

 

「そうだね、私には優秀な家庭教師がついてるし!」

 

 ナナはアスランの首にしがみついて言った。

 

「なるべく友達に聞くんだぞ? 同じ講義を受けている人に聞いた方が答えは確実なんだ。それにオレはそんなに高度な教育を受けたわけじゃない」

 

 頼られるのは嬉しいが、本心からそう答えた。

 

「それは、そうするけど……でもアスラン、受験勉強のとき『ここがわからない』って問題と資料を見せたら10分くらい読んだ後に解き方を把握してわかりやすく教えてくれたでしょう? どうしてもわからない課題が出たときは教えてね?」

 

 あまり自信はなかった。月の幼年学校とプラントでの学園生活、そして士官学校で受けた教育はたかがしれている。大学の過去問が解けたのはナナのために必死だったからだ。

 それでも頼られるのは嬉しいので「わかった」とうなずいた。

 

「時間もらうんだから、たっぷり勉強しなくちゃね!」

 

 ナナは光る波を眺めながら言った。

 

「たっぷり勉強して、それから今度こそちゃんとカガリの役に立つ人間にならなくちゃ!」

 

 カガリがナナから『大学で勉強したい』という新たな目標を聞いて喜んだのは、決して自分の役に立つ教育を受けるからではない。ナナの新たな生き方を歓迎したのだ。

 それは自分も同じだった。が、ナナの最終目標がそれである以上、全力で応援しようと思っていた。

 

 そんな希望に溢れた話をしているうち、あの場所にたどり着いた。

 

「このへんだったっけ?」

「ああ、そうだな」

「寝かせて寝かせて」

 

 岩と岩の間の比較的平らなスペースに、望み通りナナを寝かせた。

 

「あの時、ナナを運びながらオレは途方に暮れていた。 “助ける”ような格好になってしまっているが、この後はどうしたものかと……」

 

 ナナがご丁寧にぐったりと横たわって両目をつぶるので、思わずあの時の鮮明な記憶を言葉にしていた。

 

「少しやけくそ気味な思いでイージスまで戻り、非常用パックを取ってきた。……そこまでは再現しなくていいんだろう?」

 

 ナナは片目を開けてうなずいた。

 

「うん。行かないで、ここにいて。私がへばってたときの話、もっとして。イージスに戻ったとき、手で傘を作ってくれたんだよね?」

「ああ。日差しと風を避けたかったからな」

 

 アスランは齟齬を指摘されないよう、ひとつひとつ行動を思い出しながら話した。

 

「それから……とりあえず毛布をかけて、タオルを濡らしに行った。冷たい水は海水しかなかったから迷ったが……。ないより良いと思った。熱があったからな。なんでこんなヤツにパイロットスーツを着せて出動させてるんだ……と地球軍に苛立ちながら、火を起こせるよう乾いた草木を拾いに行った。体を温められるように……」

 

 忠実にあの時をなぞったつもりだったが、ナナは吹き出した。

 

「ねぇアスラン、行動が全部“私のため”っぽいんですけど!」

 

 言われてみて気がついた。あの時は“敵”の姿だったナナのため、日差しを遮り、毛布を掛けて、火を起こそうとしていた……。

 

「“敵”のパイロットでも弱り切っていたからな……。それにキラの情報を聞き出したかった。地球軍のことも……」

 

 言い訳じみた口調を承知で呟くと、ナナはとうとう笑いながら起き上がり、顔を近づけてきた。

 

「アスランがそうしたのは“優しい”からだよ! 目の前でぶっ倒れたのが“キラのことを知ってる敵”じゃなくてもちゃんと助けてあげたと思う」

 

 果たしてそうだったのか……。自分ではわかるはずもない。

 そもそもナナに対する特別な想いの始まりはこの場所だと思っている。だとすれば出会った瞬間から特別な感情があったのか、ナナの言うとおり他の人間でも同じことをしたのか……。

 

「ねぇアスラン、最初に交わした会話覚えてる? 私、ぼーっとしてたせいか覚えてなくて……。向こうからアスランが現れたとき、私起きてたよね?」

 

 ナナが視線を向こうへやったので、思考を止めた。答えは出ない。この奇跡の出会いの仕組みは誰にもわからないのだ。

 

「ああ、たしかオレは『気分はどうだ?』とか言いながら、少し怒った気がする。『そんな体で…‥』と」

「うんうん。それで?」

「本当に覚えてないのか?」

「うーん、ぼんやりしすぎてて……」

「……それから、パイロットスーツが濡れたままだと熱が上がるから脱ぐように言って、タオルをまた濡らしに行った」

「ああ、そっか! そのくらいから覚えてる」

 

 ナナは岩の方に目を向けると、少し思案してからそこへ移動した。

 

「このへんだったよね? 私、借りた毛布にくるまって座ってた……」

「ああ」

 

 隣には座らなかった。

 まだ早い。大切な会話がここであった。

 

「ねぇ、アスラン」

 

 しっかりと見つめ合ったまま、少し時間が過ぎた。

 次にナナが零したのは意外な言葉だった。

 

「あの時からきっと、あなたは特別な人だった」

 

 そのような胸が熱くなる言葉をもらったのは初めてではなかった。

 が、とても意外だった。

 

「あの時から……?」

 

 あの出会いは奇跡だった。それが“始まり”だったとナナが言うのは、今日が初めてのことだった。

 

「あなたが、“敵”の姿をした私を助けたこと……。あなたは『キラを返すと言ってくれたお礼』って言ったけど、それだけじゃなかった」

 

 挑発的な目をしたナナが瞼に浮かぶ。

 弱っているのに強い光が確かにそこにあった。そしてかすかな悲しみも。

 が、迷いはない。戸惑いはない。まっすぐな目をしていた。

 

「私はそれが“答え”だと思っていた。戦争をしていて、立場や姿は敵どうしでも……、本当は敵じゃないって。それに気付けば戦いはきっと終わるって。そう思ってたけど、どうすればいいのかわからなくて、グレイスで戦ってた。だからあなたがあからさまに戸惑いながら、私のことを助けてくれたのが嬉しかった。『今は敵じゃない』って言ってくれたのが、すごく嬉しかった」

 

 “あからさまに戸惑う自分”には覚えがある。

 “敵”のくせにキラをこちらに返すと言ってくれ、ラクスにも強い印象を与え、弱った体で戦場に出て……、それで何もかも捨て去ったようなむき出しの心をぶつけて来る“敵”の少女。

 戸惑わないはずがない。

 

「ナナ……」

 

 ようやく隣に腰を下ろし、手を握った。

 もう、そこに傷跡は残っていない。ドクター・リューグナーらが“セア”にするときに綺麗に消し去ったのだろう。

 だが覚えている。赤黒い火傷の痕。その色も、深さも、熱も……。そして。そこに滲んだナナの冷たい涙も。

 

『今は……お前は俺の敵じゃない……』

 

 そう呟いたときに零れた滴。それを見て心は確かに震えた。

 

『アスランは……優しいね。キラもあんなに優しいのに……。なんでっ……二人が戦わなくちゃいけないの……っ!?』

 

 そう吐き出したナナの声が、胸に突き刺さった。

 その冷たさと棘は、今もまだ残っている。戒めのように。

 ときおり実感するのだ。あの時のナナがなければ、きっと自分はここにはいない。生者の世界にも、ナナの隣にも。

 自分にとってもナナが“答え”だったのだ。

 だから、当然……。

 

「オレにとっても、あの時からずっとナナは特別だ」

 

 何度か言ったことがあるはずだ。

 それでもナナは、心が跳ねたような顔をして……それからゆっくり微笑んだ。

 

「あんまり好きな言葉じゃなかったけど……」

 

 ナナは珍しくはにかみながら言った。

 

「これって……『奇跡』っていうより、『運命』だね」

 

 この出会いを『運命』と表現したナナから目が逸らせなかった。

綺麗で、可愛らしくて、それでいて強烈な強さを秘めていて、その姿に身動きがとれない。簡単に同意することさえできなかったのだ。

 

「ナナ……」

 

 満たされた状態で、アスランはその小さな手のひらの、傷があったところを親指でなぞった。

 

「アスラン、手当てしくれたよね。“敵”なのに優しかった」

 

 ナナは茶化すように言って笑う。

まだ言葉は出てこなかった。あれは優しさだったのだろうか。よくわからない。ただ、今と同じ……胸が詰まって苦しかったのを覚えている。

 

「ナナに……死んで欲しくなかった」

 

 ようやく零れたただの真実に、ナナは静かにうなずいた。

 

「うん……」

 

 そう。これはただの真実。あの時も、今も。

 だからやっぱり、あの出会いは『運命』なのだとアスランも強く想う。

 

「あの状況でよく寝たな。オレたち」

 

 ようやく可笑しくなって、岩に背中を預けた。

 

「うん! 私、たしかアスランに思いっきり寄っかかってた気がする……!」

 

 自分も確かに、その体温を心地いいと思いながら眠りこけていた気がする。

 

「ああ、重かった」

「え? 嘘でしょう?!」

「おかげで肩が凝って……」

 

 こんな場所で、明るくなってイージスのアラートが鳴るまで眠っていた事実に、二人でしばらく笑い合った。

 

「それじゃあ、最後の“儀式”を始めますか!」

 

 ここまでの全ての記憶を一通り巡って満足したのか、ナナは急に改まっていった。

 “儀式”と言われたが、アスランにとって想定内だった。ナナがここで最もしたかったことは話さずともわかっていた。

 

「この辺りか?」

「もうちょっと海側じゃない?」

「このへんか」

 

 立ち位置を入念に確認したのは戯れだ。互いにはやる気持ちを抑えているのがわかった。

 

「じゃあ……」

 

 どちらからともなくそう言って、少しだけ口を閉じて見つめ合った。

 あの時と同じ距離。が、違う距離感……。

 アスランは首飾りをゆっくりと外した。そして名残惜しさを誤魔化すように青い石をそっと撫ぜてから、ナナに手渡した。

 ナナも石を撫ぜた。愛おしそうに。

 そしてあの時と違う台詞を言った。

 

「ありがとう、アスラン」

 

 目を伏せて、急に大人びた顔で。

 その言葉を贈られたのも初めてではない。むしろ一方的に送り付けられたこともあった。そのたびに返そうと、応えようとしてきた。

 だが今は戸惑った。

 

「ナナ?」

 

 ナナは言った。

 

「あなたのおかげで……母さんと、また話すことができた……」

 

 その石のもともとの持ち主のことを、ナナは思い浮かべていた。

 ナナと母親との間にあったことを、ナナは隠さずに語ってくれた。あっけらかんと、その希薄な関係性について話してくれた。憎しみはなかった。ただナナは、母親のことを哀れでかわいそうだったと言っていた。そして、自分を捨てて新しい人生を選んだことを良かったとも言っていた。

 が、先の戦争の後、その姿を世界に示すようになってから届いた母親からの知らせに応えることはなかった。

 ナナは遠慮していたのだ。

 母は今までのことを気にして連絡をしてきている。だから気にしなくていいようにこちらは応えない。敢えて他人でいよう……と。それに要人となってしまった自分に関わることは、静かな普通の暮らしを望んでいた母には良くないことだろうと。

 ナナはそう母親を気遣っていた。

 決して、かつて娘を捨てた母親が、娘が有名人になった途端に連絡をしてきた……とか、自分を捨てたくせに……とか、そんな負の感情を抱いてはいなかった。

 だがナナの一番そばにいて、アスランにはその感情の深部にある“戸惑い”が見えたのだ。

 大人びた心情でいたとしても、その心のどこかに「今更母に会ってどうすればいいのかわからない」という戸惑いがあった。

 それを指摘することはなかったが、カガリからの情報とも照らし合わせてそう“分析”していた。

 が、アスランはナナが母親と再会した方が良いと思っていた。

 当然、アスランとしてはナナの母親に対して憤りを感じている。幼い娘を置いて他の男と出て行くなどありえない。

 それでも、ナナ自身が言っていた。

 

『どんなに失望しても、父が生きてたら、私もアスランと同じことをしたと思う』

 

 アスランが父と話をしにプラントへ行き、銃で撃たれて帰って来たとき。

 そして、停戦時の混沌とした状況でもこう言ってくれた。

 

『今はまだ、お父さんのこと許せないかもしれないけど……でも、いつかは許せる時が来るかもしれない。だから……それは大切に持っていて』

 

 そう言って父の形見の指輪を渡してくれた。

 ナナは自分の父親のことを重ねていた。だが母親だった同じことではないのか?

 アスランはそう思った。

 母親と話し、意志を伝え、今は許すことができなくてもいつかは……。

 そう思うと、母親の立場も気遣うことができた。だから、母親からのコンタクトに対してこっそりアスランが応じることにした。カガリにだけ許可を取って、ナナには言わなかった。

 そして母親に他意がないことをアスランが会って確かめた。

 ナナの様子は向こうには伝わっている。毎日毎日その姿が配信され、弱っていく様子から危険な状態まで……そして諦めない姿と、回復していく様が見て取れたのだから。

 母親はナナによく似ていた。が、予想通りナナのような強さはなかった。

 それだけに、心から娘に対して申し訳ないと思っていることがわかった。

 被害者意識、偽善、自己満足……少しでもそれが垣間見えたらナナとの再会は拒否しよう。そう決めていた。

 だが、そうではなかったからアスラン自身も救われた。付き添って来ていた男も良い人間だった。

 3度の面会で、母親がナナを再び傷つけることにはならないと判断し、アスランは再会のセッティングをした。

 当日、それを伝えるとナナは憤慨した。怒ってもいた。

 が、しばらく考えて再会を受け入れた。

 わかっていたのだ。決着をつけなければならないことを。母娘の関係と、そして自分の感情に。

 それだけじゃない。ナナは大変思慮深く慈愛に満ちた人間だ。アスランも、そういう部分を心から尊敬している。

 だからナナは思ったのだ。母親を安心させなければならない……と。自分は大丈夫だ。体も回復し、今は幸せに暮らしていることをちゃんと伝えなければならないと。

 再会はぎこちない始まりだったが、母親の涙は徐々にナナが抱える戸惑いを溶かしたようだった。もちろん、アスランはナナがその場で母親を許す必要がないと思っていた。が、ナナはちゃんと口に出して思いを伝えた。

 演説のように柔らかく、時に鋭くて強い言葉ではなく。ぽつぽつと、繋がらない心からの言葉を。

 途中、席を外したが、別れの頃には母親にも笑顔が見られた。ナナの表情も格段に柔らかくなっていた。

 もちろん、“仲良し母娘”の距離感とはほど遠い。が、それでも互いにすっきりとした顔をしていたし、再会の約束もしていた。

 ぎこちなくとも、ちゃんと“母と娘”の姿だった。

 

「私は、母とは二度と会わなくても平気って本気で思ってたけど、母と話せてすっきりしたのは確かだし、新しい人生に向かうのに勢いづいたのも確かだと思う」

 

 ナナはナナらしい言葉でそう言って笑った。

 

「ありがとう、アスラン」

 

 まだ若く、“誰かの子供”に戻ることができたナナは、とても眩しかった。

 

「オレはナナのことを誇りに思う」

 

 少々堅すぎる台詞になったが、ナナは照れくさそうな顔をした。

 そしてそれをかき消すように、とうとうあのシーンの再現に戻った。

 

「じゃあ、コレ……!」

 

 首飾りを掲げて、

 

「これ、あげる」

 

 あの時の台詞を言う。

 

「きっとあなたを護ってくれるよ。これからもずっと……!」

 

 付け足された一言を噛みしめて、アスランはゆっくりと首を傾けた。

 掛けられた首飾りはずっとそこにあったはずなのに、ナナの温もりをまとっていて何故だか新鮮な気分だった。

 

「あの時、『戦争が終わったらキラとラクスと私たち4人で逢えたらいいね』って言ったけど、戦争が終わる前にそうなったし、誰も死ななかったし、その後はカガリも入れて5人で話すことができた……」

 

 想いが落ち着かない内に、ナナは静かに語り出した。

 

「その後私だけ離れちゃったけど、また再会して、みんなと逢えて、アスランとも逢えて……。今はすっごく幸せ。信じられないくらい」

 

 指先で石をくるくると触りながら、目を細める。

 

「この石の導きのおかげなんかじゃないってわかってるけど、ここでのあなたとの出会いが私の中では一番特別だから……やっぱりこの石はスゴイって思う」

 

 最後は子供っぽく笑いながら、こちらを見上げた。

 当然心臓が高鳴ったが、それを懸命に押さえつけた。

 

「幸せなのか? 信じられないくらい?」

 

 疑いはない。不安もない。欲もない。意地悪をしているわけでもない。それでも聞いてみたかった。

 

「うん! とっても!」

 

 息を吸うような自然の行為で確かめたのに、ナナはとびきりの笑顔をくれた。

 

「ああよかった! ちゃんとここで伝えられて!」

 

 そしてここへ来た本当の目的を明かした。

 

「伝わった?」

 

 答えるまでもない。ナナはちゃんと伝えてくれていたし、ここ来たかった本当の目的も初めからわかっていた。そのくらい、今はナナのことを深く理解しているつもりだ。

 ただひとつ、問題なのは……。

 

「ナナの気持ちはちゃんとわかっている。が……オレの想いもちゃんと受け止めてくれているか?」

 

 予想外の問いだったのか、ナナは少し驚いた。自分に与えられるものに対して無頓着なのはナナの悪い癖だ。

 だが、すぐに肩をすくめて笑った。

 

「うん、大丈夫! アスランが私のことを好きすぎてどうしようもないってことはちゃんとわかってるから!」

 

 からかうように言うがさらりと受け流して満足した。

 この顔を見れば本気で言っていることはわかるし、ナナが照れていることもわかっていた。

 だがからかうように言うのはずるいと思ったので、唐突にナナの頬にキスをした。

 了解はいらないことになっている。今は自然な流れだった。

 

「アスラン……!」

 

 それでもナナは顔を赤らめて頬を隠した。

 

「どうした? ちゃんとわかってるんだろ?」

 

 こんどはこちらがからかってみる。

 

「ふ、不意打ちはずるい!」

「そうか、悪かったな。ナナのことが好きすぎてどうしようもなかったからつい……」

「もう!」

 

 ナナはますます赤くなった顔を隠すように、アスランに抱きついて胸に顔を埋めた。

 しばらくそのままでいた。

 波の音と風の音を聞きながら、もう一度あの日のことを最初から思い出した。ナナもきっと、目の前の青い石を見つめながらそうしているはずだ。

 そして……。

 

「ナナ」

 

 少し名残惜しかったが、体を離してナナを上向かせた。

 

「なーに?」

 

 心なしかまどろんでいるような目をしているのは、やはり過去の記憶を遡っていたせいか……。

 

「オレからも渡したいものがある」

 

 それで、変な緊張感を抱くことなく、渡したかったものを差し出せた。

 

「これ……」

 

 ポケットから出したのは小さい箱だ。誰がどう見ても、入っているものはアレしかない。

 

「これを、ここで渡したかった」

 

 蓋を開けて見せると、ナナの目はそれをじっと見つめた。

 

「綺麗……」

 

 波にかき消されるほどのささやきに胸が詰まった。

 

「アスラン、この石……」

 

 心を落ち着けて、あの頃よりずっと豊かになった心で、それを箱から取り出した。

 

「護り石と同じ石?」

 

 ナナの目に青い光が浮かぶ。

 

「いや。ナナの母さんに聞いたがはっきりとしたことはわからなかった。だが5代前から受け継がれたこととその時に住んでいた土地を聞くことができたから、鉱物のデータベースを調べて、近しいものから選んでこれにした」

「そっか、母さんも詳しくは知らなかったんだ。でも……モルゲンレーテのラボに出さなかったの? 職権乱用ってやつで」

「まぁ、エリカさんに相談することも考えたが……。これはオレたち以外に触らせたくなかった」

「ああ……そっか!」

 

 素直に告白すると、ナナは笑ってますますそれに顔を近づけた。

 

「でも、おんなじ色。おんなじ石じゃない?」

「オレもそう思う」

 

 こっそり息を吸って、改まった。

 

「ナナ」

 

 見上げた顔が眩しすぎて咳払いを挟みたかったがこらえた。

 

「明日から、ナナは新しい道を歩き始める。そしてこれからもナナには自由に羽ばたいて欲しい。だから……これをつけるのはいつでもいい。オレからの“約束”の証しに持っていてくれ」

「アスラン……」

「これからもずっと、オレはナナを護り続ける」

 

 ナナはゆっくりと瞬きをした。そしてにこりと笑って左手を突き出した。

 

「じゃあ、今!」

 

 “約束”の意味をわからないわけではない。立場上、そう簡単なことでもない。

 だが、ナナはきっぱりと言った。

 

「忘れたの? 私はあなたがいるから自由に羽ばたけるんだよ?」

 

 “約束”が束縛になることを、アスランは知っている。ナナの立場、将来、つかの間の学生生活を考えたうえでの表現だった。

 が、ナナには迷いはない。

 

「これを……つけてくれるのか?」

 

 間抜けな問いにも、ナナは大きくうなずいた。

 

「その代わり一生外さないから、アスランもちゃんと覚悟してよね!」

 

 その言葉に怯むはずもなかった。

 

「ああ、オレはずっとナナのそばにいる」

 

 思い描いていたとおり、ナナの左手を取り、その薬指にそれを通した。

 きつくなく、緩くなく、ちょうど良い。

 プラチナの輪に、青い石が強烈に光った。

 

「綺麗……」

 

 ナナはそれをまじまじと眺めてまた呟いた。

 そして。

 

「ね、やっぱりおんなじだね」

 

 その少し潤んだ視線に促され、首飾りを掲げた。

 ナナはその石の隣に指輪を並べ、見比べる。

 

「色味も、色の深さも、光り方もおんなじ……」

 

 アスランにもそう見えた。指輪が届いてから何度も見比べたが、自信はなかった。が、今は全く同じ石であると思えた。

 

「ありがとう、アスラン。“約束”をくれて」

「オレの方こそ、ありがとうナナ。こんな一生をくれて」

 

 用意していた台詞とは違ったが、自然に言葉が出た。

 

「これからはこれが私の護り石だね」

「お互い護り合えるな」

「一生ね!」

「ああ……。ずっとそばに……」

 

 ナナはぎゅっと目をつぶってアスランにしがみついた。そしてくぐもった声で「幸せ」と呟いた。

 それから二人で顔を見合わせて笑い合った。

 この奇跡の島で重なった二人の運命は、この先もずっと寄り添い続けると……そう思えた。

 




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