「無理を承知でお願いいたします。私にも、モビルスーツをお貸しください」
アスランはブリッジでそう申し出ていた。
元はザフトとはいえ、今は他国の民間人である自分に、その許可が下りるとは到底思えなかった。
案の定、艦長のタリア・グラディスは嫌悪感を隠さなかった。他のクルーたちも、あからさまに怪訝な視線を送って来る。
が、アスランにもう、迷いはなかった。
ナナならば、きっとこうすると思ったからだ。
「カナーバ前議長のせっかくのはからいを、無駄にするつもり?」
「わかっています」
戦後、軍法会議で死罪を言い渡されてもおかしくはなかった。
カナーバ前議長による超法的特別措置のおかげで、反逆罪に問われるどころか自分の希望がかなえられ、オーブにわたって民間人として生きることができた。
前議長に掛け合ってくれたのは、もちろんナナだ。
彼女はいわゆる三隻同盟に加担したオーブ軍だけでなく、キラたち元地球軍や、自分たち元ザフトの人間の自由までもを勝ち取ってくれた。それこそ身を削って、ギリギリの状況で難しい交渉をしてくれたのだ。
それを今、無駄にしようとしている……。
が、それでも、ナナならこうすると思ったのだ。
「でも、この状況を黙って見ていることなどできません」
ナナは決して、地球に落ち行くユニウスセブンをただ見つめることなどしない。
そんな時に己の立場など考えない。
何色の制服を着ているかとか、どこの国の艦に乗っているだとか、考えるようなことはしない。
ただ自分にできること……それを第一に考えて、とにかく動く。
たとえそれが、常識はずれの突拍子もないことだったとしても、それが必然と思えば平然と選び取ることができる。
そして常に、ナナが選んだ道は正しかった。
何故ならきっと、彼女にはわかっていたのだ。
選ぶ時点で正しい答えはわからなくとも、今自分はここで何を護るのか……それだけは、はっきりとわかっていたからだ。
地球を護りたい。
世界を護りたい。
ナナが望んだ未来を、守りたい。
アスランは今、それだけを思っていた。
「お願いします……!」
ナナの分の想いもこめて、アスランは深く頭を下げた。
アスランはエレベーターの中で、ひとりため息をついた。
まだ何も成し遂げていないのに、酷く疲れを感じていた。
やるべきことはこれから……、まだドックに向かっている途中だというのに。
当然、グラディス艦長はアスランの出動を認めなかった。
が、それをデュランダル議長が覆したのだ。
議長権限の特例によって、アスランはザクへの搭乗と粉砕作業支援作戦への参加を認められた。
カガリには相談していない。ナナならばそうすると思って黙ってここまで来た。
それも確信なのか言い訳なのか……、ふと心が揺らいだ時、エレベーターは止まった。
ドックに入るとすぐに、紫紺の羽根つきの『ガンダム』が目に入った。
そのコックピットに乗り込もうとするのは、パイロットスーツに身を包んだセアだ。
今さら、アーモリーワンで強奪部隊と交戦していたMSのパイロットが、あの気弱そうなセアであったことに驚きを覚える。
自分たちの代だったら……恐らく、“赤服”に入るどころか、パイロットの適性試験にも不合格となっただろう。
アスランは彼女の姿を横目で見て、宛がわれたザクに乗り込んだ。
訓練を受けたはずもないこの非常時に、彼女はついて来られるだろうか……。
そんな心配が過ぎった時、事態の急変を知らせるアナウンスが入った。
ただ落ちて行くだけだったはずのユニウスセブンで、戦闘が行われているという。
敵はアンノウン。それと戦っているのはジュール隊……イザークの部隊だった。
「どういうことだ?!」
アスランはブリッジに問い合わせた。
が、モニターに映るメイリンの顔も困惑していて、返って来る言葉も歯切れが悪い。
ただ、今回の任務が『ジュール隊の支援』であることに変わりなしと、そう告げられただけだった。
さらに……その空域にはあのボギーワンが現れたという。
≪状況、変わっちゃいましたね≫
操縦桿を握る手が、わずかな迷いに震えた。
それを煽るかのように、ルナマリアからの通信が入る。
≪戦闘だなんて危ないですよ? おやめになります?≫
それが本気の嘲笑なのかはわからない。
いや、どうでも良かった。
「馬鹿にするな……」
マイクには拾えないくらいの声で、そうつぶやいた。
迷いは消えた。
己の腕に自信がないわけではない。
いや、たとえ“敵”と交戦しても、簡単に落とされるわけはないとわかっている。
そうではない。
この決意を……ナナを想って得たこの答えを、馬鹿にするなと言いたかった。
やがて、アスランの乗った機体は、シンのインパルスらとともにユニウスセブンへと近づいた。
事前の情報通り、そこでは戦闘が行われていた。
破砕作業を行う部隊と、その支援を行う部隊。それを妨害する謎の部隊。
そして……アーモリーワンで強奪された三機。
その場へ行って、もはや引き金を引かぬわけにはいかなかった。
≪あれをやらなきゃ、作業ができない!≫
ルナマリアの言う通り。
破砕作業を邪魔する者は、何としてでも排除しなければならない。決して、ユニウスセブンを地球に落とすわけにはいかないのだから。
アスランは心を決めて、あの緑色の新型と交戦した。
やめろ……こんな無意味な戦いは、もうやめろ……。
そう心で強く願いながら。想いをぶつけながら。かつて母と暮らしたこのユニウスセブンの上で、操縦桿を握りしめた。
シンは青の新型と、ルナマリアは黒の新型と交戦中。
そして、レイとセアはそれぞれ作業を妨害するジンと戦っているのがモニターで確認できた。
そうして、緑の機体と何度目かの火花を散らした時だった。
空間が歪んだ気がして足元を向くと、ゆっくり、だが確実に、巨大なユニウスセブンが真っ二つに割れていた。
だがそれは降下を止めたわけではなく、二つになっても今まで通り地球へと落ちて行く。
「駄目だ、もっと細かく砕かないと……!」
その声が、イザークとディアッカに届いた。
≪貴様……! こんなところで何をやっている!!≫
相変わらず突っかかって来るイザークに、アスランは少しほっとした。
実際、叱責されてもおかしくない状況ではあった。
今、ザフトのパイロットスーツを着て、ザクに乗り、ザフト兵と共に戦っていても、自分はあくまでオーブの民間人。
この矛盾を、イザークは腹立たしく思っていることだろう。
が、それが何故だか安心したのだ。少しも変わらないでいてくれる、友の姿に。
かつて同じ隊で戦った仲間との連携は、時が経ってもずれることはなかった。
イザークの機体、ディアッカの機体、そしてアスランの機体。
全てがあの頃と違っても、向かって来る敵に対してあの頃と同じように応戦した。
青と緑の機体も強かった。少し粗削りで、だが荒々しく攻撃的なところは、いつかの地球軍の新型を彷彿とさせた。
幸い、“また”彼らを撃たずに済んだ。彼らの艦隊、ボギーワンから帰還信号が放たれたのである。
気づけば、機体の位置は限界高度に達していた。これ以上降下すれば、地球の引力の影響を受けて、機体はコントロール不能になる。
アスランは一度、この状況を経験していた……。
それを知ってか知らずか、新型の三機はあっさりと返っていた。
それを見届けたタイミングで、帰還信号はミネルバからも出される。
続いて、モニターにミネルバからの通信が入った。
≪本艦は大気圏に突入し、降下しつつ艦砲で対象の破砕を試みる。速やかに帰還せよ≫
戦艦の砲撃……その威力は、アスランも十分にわかっていた。
だからこそ、それでは不十分なのではないかという疑問がすぐに湧く。
ちょうど、破砕機が目に入った。ユニウスセブンの地面に設置している途中で邪魔が入ったのか、それとも放棄されたのか、作業の途中で捨て去られていた。
迷うことなく、アスランはそこへ機体を向けた。
≪あ、あのっ……!!≫
そこへ、咳き込んだような声が聞こえた。
モニターに映し出されたのは、レジーナだった。セアが乗るその機体は、片方の翼と腕をもぎ取られていた。
「セア……?」
彼女に話しかけられたのは初めてだった。
話しかけられるとも思っていなかった。
≪あ、あの……≫
いや、セアは状況に戸惑っているのか、かける言葉がみつからないのか、それ以上何も言わない。
そこへ、インパルスがやってきた。
≪何をやってるんです。帰還命令が出たでしょ! 通信入らなかったんですか?≫
おそらくセアが言おうとしたことを、シンが怒鳴るように言う。
シンの登場に少し安心したのか、ほっとしたようなセアの息づかいが聞こえた。
「ああ、わかってる。君たちは早く戻れ」
アスランは二人に言った。
実際、身体への圧は徐々に増していても、とても冷静だった。
自分がやるべきことがわかっている。
≪は?! 何言ってるんですか。一緒に吹っ飛ばされますよ?!≫
≪も、戻りましょう……!≫
だから、自分を案じてくれている二人にこう返す。
「ミネルバの艦主砲といっても、外からの攻撃では確実にダメージを与えられるかは確実じゃない。これだけでも……」
一瞬、二人は言葉を呑んだ。
決意が伝わったようで良かったと思っていると、シンがまた叫ぶように言った。
≪セアはすぐに帰還しろ!≫
≪え……?≫
そうして、シンは破砕機に取り付いた。
≪シ、シン!!≫
シンの行動にセアは驚いていたが、アスランもまた同じだった。
≪セアは早く戻れ!≫
≪わ、私も手伝う……!≫
そしてセアもまた、近づこうとした。
だが。
≪いいから戻れって!≫
シンは乱暴に言うが、彼の言っていることは正しかった。
「セア」
最初の出会いで取り乱したのは自分の方だった。
だから今さらではあるが、アスランは落ち着き払った声でセアに言った。
「その機体の状態では、これ以上の高度では持ちこたえられない。すぐにミネルバに帰還するんだ」
セアからの返事はなった。まだ、迷っているようだった。
が、そんな時間はなかった。
「おそらくミネルバは、こちらの状況は把握できていないだろう。君が戻って、艦長に報告してくれないか?」
アスランは幼い子に対するように、できるだけ穏やかに言った。
≪大丈夫だ、セア。オレたちもすぐ戻る!≫
相変わらずぶっきらぼうにシンが言った時、セアは決心したように応えた。
≪わ、わかった……≫
ノイズが混じり始めたセアの声は、それでも今までで一番強く聞こえて来た。
≪二人とも、必ず戻って来て……!≫
セアはすぐに去った。
彼女の機体はひどく鈍重に見えた。もう、限界高度まで達しようとしている。
見たところ、シンのインパルスにはレジーナほどのダメージはないようだったが、それでもこれ以上の圧の中で彼が耐えられるか……。
「シン、君も戻れ」
もう一度、アスランはそう言った。
答えはなかった。とうとう通信が途絶えたのではない。
代わりにこういう呟きが聞こえた。
≪あなたみたいな人が、なんでオーブなんかにいるんだよ……!≫
憎しみと迷いの籠った呟きだった。
その理由は彼の口から吐き出されたのを聞いている。
が、その本当の意味を、自分はまだわかっていないのではないか……。
落ち行く墓標の上で、アスランは果てしないシンの憎しみを感じていた。
二年ほど前のことを、必然的に思い出した。
自分はイージスに搭乗して、地球軍の艦隊を攻撃していた。
高度計を睨みつつの、激しい戦闘。旗艦すら盾にして、地球へ降下するアークエンジェル。
自身とニコルは、限界高度でヴェザリウスに戻ったが、イザークとディアッカは執拗にストライクを追い詰めていた。
重力と戦いながら、キラは必死に抵抗していた。
ナナのグレイスも……。
四機が不思議なほどゆっくり落ちて行くのを、ヴェザリウスのドックで見ていた。
誰かの機体が、圧に負けて潰れるのだろうか。大気圏に入った瞬間、燃えて散るのだろうか。その前に、誰かが撃たれるのだろうか。
そんなふうに、やけに客観的な視点でその光景を見つめていた。
そういえば……ナナの手のひらにあった火傷は、その時の戦闘が原因だったと、本人が言っていた。
あの、二人だけの島で。
『ちょっとドジっただけ」』
軽い口調でそう言っていたのは覚えている。
だが実際、ナナはあの時、何を思いながら落ちていったのだろう。
今さら、それを聞きそびれていたことを思い出す。
また、後悔か……。
アスランはひっそりと自嘲した。
だが、そんな間すら、彼には許されなかった。
破砕機を支えている彼とシンに向けて、攻撃があったのだ。
忘れていたわけではないが、この状況でまだ、ここに残って戦おうとする者がいることに、アスランは驚いた。
ジンが三機。
自身のザクもそうであるが、決してシンのインパルスのような最新鋭の機体ではない以上、これ以上高度を下げた位置から無事に再上昇できる保証はなかった。
それでも、ジンは破砕作業を妨害するべく、激しい攻撃を浴びせて来る。
それほどの執念とはいったい……。
アスランは考えを止め、シンと共に再び戦闘を開始する。
が、答えはすぐに明かされた。
敵の叫びが、聞こえたのだ。
≪我が娘のこの墓標……、落として焼かねば世界は変わらぬ!≫
≪ここで無残に散った命の嘆き忘れ、撃った者らと何故偽りの世界で笑うか! 貴様らは!!≫
落とす、焼く、世界を……。
撃った者、偽りの世界……。
そして。
≪軟弱なクラインの後継者どもと、オーブの魔女に騙され、ザフトは変わってしまった!!≫
オーブの魔女……?
≪何故気づかぬか!? 我らコーディネーターにとって、パトリック・ザラのとった道こそが、唯一正しきものと……!!≫
パトリック・ザラの……とった道……。
「ナナ……」
アスランは思わずつぶやいた。
ようやく理解した。
これは、深い憎しみだ……。
シンの中に感じた、果てしなく深い憎しみだ……。
ナナはこれを見つめていた……。
互いに乗り越えようと、ナナは声を枯らして呼びかけた。消し去ることなどできないが、少しずつ前に進もうと。その先にあるものを示そうと、命を懸けていた。
アスランは今、底知れぬ虚無感に襲われようとしていた。
身体が大きく揺れた。
もう、機体が赤く燃える中、最後のジンが、ザクの足にしがみついていた。
≪我らのこの想い、今度こそナチュラルどもに……!!≫
どうして戦わなくちゃいけないの……と、キラと自分のために、ナナは泣いてくれた。
あの涙は、今に何も残さなかったのか……?
操縦桿を握る手から、力が抜けた。
だがその時、赤く燃えるインパルスが、ザクの足ごとジンを切り離した。
そしてそのまま、ザクの手をひっつかんで上昇する。重力に逆らって、とても鋭く力強い動きに見えた。
が……その手も、間もなく離れてしまった。
あっという間にインパルスの姿は視界から消えた。
すでに、ミネルバの位置もわからない。
モニターに映るのはただ、燃えながら落ちる巨大な塊と、その残骸。そして青い星、地球だけだった。
この青さは……ナナの護り石に似ている……。
頭の片隅で、やけにのんびりとした自分がそうつぶやいた。
同時に、手を動かした。ザクも、設計上は単機で大気圏を抜けられる耐久性を備えているはずだった。
大気圏への突入角度を調整。排熱システム起動。自動姿勢制御システム作動。
マニュアルはまだ、しっかりと頭に入っている。
なんとしてでも帰りたかった。
地球へ……。
いや、帰るというのはおかしい。
自身の故郷はすぐ近くで燃えているユニウスセブンだし、今帰るべきところはカガリの待つミネルバだ。
が、アスランは「帰りたい」と思っていた。
そしてその衝動だけが、頭と手を動かしているように思えた。
が、ジンとの戦闘で受けたダメージはあまりに大きすぎた。
ただひとつ、機体を護っていた盾ももう、燃え尽きたガラクタになって手から離れて行った。
スラスターは動かない。激しい速度で落下する機体を留める手段は、何もなかった。
眼前に、白い雲。その遥か向こうには、海が見えた。
とても深い蒼色をしていた。
だから、恐怖はなかった。
やるべきことは、やったと思っている。
何かを成し遂げられたわけではないけれど……だが、立ち止まらずに進もうとした。
護るために動くことができた。
そんなふうに変われた自分が嬉しかった。
きっとナナも、笑って迎えてくれるだろうと、そう思った。