死を覚悟して、少しの後悔と、不可思議な希望を抱いたとき……、また救いの手が現れた。
インパルス……シンだった。
彼は二機分の重力を受けることもいとわず、ザクを抱きかかえてアスランを救った。
正直、シンに救われるとはアスランも思わなかった。
命令を受けているわけでもないのに、危険を冒してまで行動を共にし、そして救ってくれるなど……。
憎しみを抱えてただ周囲を傷つけてしまうような少年と思っていたが、彼には深い情があるのだと、アスランは気づいた。
シンのおかげで、無事にミネルバのドックに戻り、心から安堵した。
今しがた死を覚悟して、責任を手放そうとしたくせに、ドックの床に足を付けたとたんにほっとしたのだ。
ザクの足もとで、ルナマリアが待っていた。
カガリはすぐに駆けて来た。
彼女を心配させてしまったことを深く反省しようと思ったが、視線はインパルスから降りたシンを探してしまった。
シンは少し疲れた表情だったが、待っていた仲間に囲まれて笑っていた。
レイも温かくシンを迎え、そして……セアは泣いていた。
シンは困ったように何か言って、セアの頭を不器用な手つきで撫でていた。
ミネルバは、どうにか海上に着水した。
クルーは、非常事態に次ぐ非常事態をくぐり抜け、ようやく束の間の休息を与えられた。
彼らに混ざって、アスランとカガリもデッキに出た。潮の香りと波の音が、ずいぶんと久しぶりに感じられた。
カガリも地球の風景に安心したようで、やっと笑みを見せながら無事に地球に降りられた喜びを語っている。
だがアスランは、それをなかば上の空で聞いていた。
生還の喜びを噛みしめたのはほんの束の間で、耳の奥には、ジンの男が放った言葉が、火傷のように痕を残していた。
『何故気づかぬか!? 我らコーディネーターにとって、パトリック・ザラのとった道こそが、唯一正しきものと……!!』
戦禍を拡大させた、実の父。
憎しみに侵され、ひとつの道しか見えなくなってしまった、怖ろしくも哀れな父。
それでも……それでもナナは、『大切なもの』だと言って、父の形見を渡してくれた。
あの形見の指輪は、オーブの家に置いて在る。
持ち歩くのは、ナナの護り石だけだった。
「大丈夫か? アスラン」
体調が悪いように見えたのか、カガリを心配させてしまった。
「ああ、大丈夫だ」
「けど、ほんと驚いた。モビルスーツで出ていくなんて思いもよらなかったから。心配したんだぞ」
「勝手なことをしてすまなかった」
本当にすまないと思った。
が、決意を彼女に話すべきだったのかどうか、言ったとして彼女は賛成してくれたのかどうか、今もよくわからなかった。
確かめる前に、カガリが言った。
「いや、でもお前の腕は知ってるからな。むしろ、お前が出てくれて良かった」
答えを欲していたはずなのに、その言葉に何故か胸の奥がうずいた。
「ミネルバやイザークたちのおかげで、被害の規模は格段に小さくなった。そのことは地球の人たちも……」
清々しいカガリの声は、途中で遮られた。
「やめろよこのバカ!!」
シンだった。
彼はまたカガリに突っ掛り……いや、現実に何が起こっていたのかをカガリに突き付けた。
誰がユニウスセブンを落としたのか。
何の目的でそうしたのか。
彼らは何を抱えていたのか。
乱暴に、だが正しくそれを突き付けた。
カガリはまだ、純粋で若い。自分の価値観を大切にし、まっすぐに生きている。
それは彼女の最大の魅力でもあったのだが、かつてナナは心配していた。
自分のように歪んだ見方も時には必要だと、自嘲気味につぶやいていたことを思い出す……。
今はまだ、カガリは学びの最中だった。
そもそも、この年で国を背負えというほうが酷な話しだ。
最大の手本であり、側で支えるはずだった父も姉も、もういない。
ナナに後を託された自分もこのザマだ。
だから、シンを止めるべきだった。
カガリを護るべきだった。
だが、何故かアスランに、その気力がわかなかった。
「あれを落としたのは、あそこで家族を殺されて、そのことをまだ恨んでる連中だった! 『ナチュラルなんか滅びろ』って叫んでたんだぞ!!」
めいめいにはしゃいでいたクルーたちも、口をつぐんで二人を見つめていた。
「わかってる、それは……でも……!」
「でも何だよ!」
「それをお前たちが必死に止めようとしてくれたんじゃないか!」
「そんなの当たり前だ!!」
「だが……」
まるかみ合わぬ二人のやり取りに、ため息のように声が漏れ出た。
「……それでも破片は地球に落ちた……」
いくつもの破片が、世界に落ちた。
その詳しい被害の情報は、まだ入って来ていない。
が、巨大な破片は大地を削り、燃やし、そして海は陸を呑み込んだはずだ。
「オレたちは……止めきれなかったんだ……」
この波のように押し寄せる無力感は、己に対するものだけではないはずだ。
「一部の者たちのやったことだとしても、オレたちコーディネーターのしたことに変わりはない」
必死で世界を守ろうとしたナナの……前を向こうと訴え続けたナナの……歩いた道をも消し去られるような無力感だ。
「それでも……、許してくれるのかな……」
許しを……訴え、願い続けたナナの声は、もう世界から消えてしまったのだろうか。
ナナが命を賭して示そうとした未来は、もう叶わないのだろうか。
アスランは、カガリを残してその場を去った。
デッキに多くの人が出払っているせいか、艦の通路は人通りがなかった。
アスランは、うつむいてそこを歩く。とても顔など上げられなかった。
だから気がつかなかった。かなり遠くで立ち止まり、自分を見とめて戸惑う影に。
「あ、あの……」
それでも、声をかけたのは向こうの方だった。
「セア……?」
思い切り壁に背中をくっつけて、身を縮ませながらも、セアから声をかけてきた。
「ええと……」
続く言葉はなかった。
彼女はまだ、自分に対して怯えているようだ。それほど、第一印象は最悪だったらしい。
無理もない。見ず知らずの男に、急に自分でない人間の名前で呼ばれたら……。
それも必死の形相で。
「みんなと一緒に、デッキに出ていたんじゃなかったのか?」
あの時の自分の姿を想像し、アスランは自嘲した。
だから、少し笑ってそう言った。
「い、いえ……。診察があったので……」
セアは両手をぎゅっと握りしめ、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「怪我をしたのか?」
「ち、違うんです。“あの事”故以来……定期的にドクターの……診察を受ける決まりになっていて……だから……」
“あの事故”のことを口にして、セアは徐々に声を小さくした。もともとか細かった声だから、最後のほうはほとんど聞こえなかった。
が、同じようにアスランの心も萎んだ。
“あの事故”のことはまだ、思い出したくはなかった。
恐らく、セアも。
「それで、大丈夫なのか?」
“あの事故”は、一瞬で数百人もの命を奪った。最悪のタイミングで悲劇が起きた。
その犠牲者の中に“ナナ”が居たことなど、頭で理解はしていても、心は未だ信じることができないでいる。
あれはナナだけでなく、自分やカガリ、そしてオーブや世界の運命までもを狂わせた悲劇だった。
そんな中、幸運にも生き残ったというセアを、アスランは純粋に案じている自分に気がついた。
後遺症があるのかもしれない。いや、精神的なダメージからはまだ回復していないように見える。
恐らく最後にナナに会ったうちのひとりとして、セアには不思議と親近感が芽生えていた。
が、セアは驚いたような顔をした。赤の他人に心配されるとは思っていなかったのだろうか。
「あ、はい……なんともありません……」
今までより早口で、彼女は答えた。
「そうか、よかった……」
一瞬だけ視線が合った。
同時に、それを逸らす。
セアはまだアスランを警戒していたし、アスランはナナに良く似た目を見ることに慣れてなかった。
が、セアは、本当は一刻も早くここから逃げ出したいのだろうが、そうしなかった。
自分を上官とでも思っているのか……。
アスランは少し戸惑ったが、自分から立ち去るほうがセアにとっては良いのだろうと判断した。
「みんなはまだデッキにいるようだぞ」
「あ……はい……」
「曇ってはいるが風は心地よかった。君も行ってくるといい」
大人ぶってそう言い、彼女の前を通り過ぎた。
“あの事故”のこと。
セアの身に起きたこと。
事故直前に、彼女が見たナナの姿。
本当は、彼女に聞かねばならぬことはたくさんあった。
が……今は聞きたくなかった。
距離を置いた方がいい。自分にとっても、彼女にとっても、その方がいい。
そう思って、アスランは密かにため息をついた。
その時。
「あの……!」
意を決したような声で、思いがけず引き留められた。
振り返ると、セアがまるで何かに耐えているかのように、唇を噛みしめてこちらを向いていた。
「あの……」
セアは声を絞り出した。
「あ、あなたは……だ、大丈夫……ですか?」
セアは自分を気遣ってくれている。
そういえばあの時も、帰還命令が出たにもかかわらず、傷ついた機体で自分のことを案じていてくれた……。
その礼を、まだ言っていなかった。
「心配かけてすまなかったな」
うまい言葉が見つからず、アスランはそう言った。
「い、いえ……」
「君は無事に帰還できてよかった」
「スラスターが……、まだ生きてましたから……」
セアはいよいよ居心地悪そうに身体を震わしていた。
相手が誰であれ、気遣うことができる“優しさ”は、ナナに似ているな……。
そう思ってしまった時、アスランは本当にこの世界からナナが居なくなってしまったということを実感した。
たとえ姿かたちや本質は似ていても、それは決してナナじゃない。
ナナにはもう、会うことができないのだと。
「オレは大丈夫だ。ああいうのにも、一応、慣れているからな」
純粋に、ナナでない彼女を安心させてやりたくなった。
ナナでない彼女の気遣いに、応えたいと思った。
「慣れ……ですか……」
そう思って言ったのだが、セアはそれを強がりととったのか、半分は自嘲と見抜いたのか……ほんの一瞬、怪訝な顔をした。
が、それをすぐに引っ込めて、勢いよく頭を下げた。
「お、お引き留めしてすみませんでした! 失礼します……!」
そして、ひと息に言うと、こちらを見ずに走り去って行った。
その背はすぐに消えた。
アスランは床に視線を落とした。
この先、セアのように、偶然にもナナによく似た少女に出会ったとしても、それはナナじゃない。無意識にナナの面影を探すのは、よそう。
その決意は、薄い笑みとなってこぼれ出た。
アスランは再び、廊下を歩き始めた。
誰も居ない廊下に響く足音が、再び動き始めた時間を示しているような気がしていた。