「おはよう、ナナ!」
食堂に入るなり大あくびをしたナナに、カガリが元気よく声をかけた。
「ナナ、おはよう」
アスランも、読んでいたニュースの記事から目を話し、挨拶をする。
「おはよ……」
ナナは眠そうにつぶやき、のろのろと席に着いた。
「カガリ、今日の予定は……?」
「またスケジュール確認しないで寝たのか?」
「うーん、明日のことは明日っていうポリシーだからね」
ナナは今にもテーブルに突っ伏さんばかりであった、
「私は朝から行政府で閣僚会議、午後は軍部視察だ。ナナは午前中から大西洋連邦の幹部と対談だろ?」
「ああ……そうだった」
「明日からヨーロッパでの臨時平和会議だぞ? 準備できてるのか?」
「あー、それは移動中になんとか……」
「開会の式典で演説しなきゃならないんだから、ちゃんと用意しておけよ」
「うん……あとでやる」
すでにこの光景を何度も目にしていたアスランだったが、改めて笑いたい気分になった。
いつも涼しげに己の任をこなして来たナナだったが、実のところ、“スイッチ”が入っていない時のナナはすこぶる面倒くさがり屋なのだ。
こうしていつも、カガリに叱咤激励されて、朝食後にようやくエンジンがかかるといった具合だった。
毎晩、遅くまで演説の原稿やら調べものやらで疲れ切っているのもあるだろうが、カガリによると、ナナは「朝はとにかく寝起きが悪く、前々からこんなカンジ」だそうだ。
「あ、それとナナ、首長たちが平和条約締結について、ナナから国民にメッセージを送って欲しいって言ってたぞ」
「ええ? なんで私が?」
「みんながそう思うのがあたりまえだろう? あちこち駆けずり回ってプラントと地球軍に調印させたのはナナなんだからな!」
「調印式で演説したじゃない」
「それはそれ、だ。オーブの国民はオーブ代表としてそれを成し遂げたお前の言葉を聞きたがっている」
「そんなの冗談でしょ?」
「冗談なんかじゃない。なんでそんなに嫌がるんだ?」
「だって面倒くさいし、目立つのやだし……」
「さんざん表に出ておいて今さら何言ってるんだ……」
「それに、前にも国民の皆さまに向けてお話したでしょう」
「それはオーブの代表代行として、交渉役の責務を果たすって宣言したときだろう?」
「いやいや、その後にも」
「ああ、あれは私が代表になったときの祝辞じゃないか……」
「もうみんなの前でけっこうしゃべってるから、私の顔なんか見飽きてるでしょう」
「そういう問題じゃないって」
のんびりとサラダを食べ始めたナナにため息をつき、カガリは困った顔でアスランを向いた。
「ナナ、国民がお前の言葉を聞きたがっているのは本当だ。皆に応えてやるのも責務のうちだと思うぞ」
「でもさ、私が報告したことをカガリが発表してくれてるんだから、それでよくない?」
助け舟を出してやるが、ナナはのらりくらりと交わす。
カガリがふくれかけたのを見て、アスランはついに切り札を出した。
「カガリは代表として国民の希望をお前に伝えてるんだ。応えてやったらどうだ?」
ナナの目の色が変わった。
「そっか。代表の指示なら断れないか……」
カガリは畳みかけるように言う。
「そ、そうだ。私は代表の立場で、ナナの演説を国営放送で流した方がいいと思ってるんだ」
ナナは手を休めて少し考えた。
口元のパン屑が下に落ちた時、口の端を少し上げて言った。
「わかった。じゃあ、ヨーロッパから帰ったら、その報告ってことで話そうか」
カガリは『しめた』と言った顔をして、アスランを見た。
アスランもほっとした。
何故なら、これほど重要な事案でも、ナナならほんとうにキャンセルしかねないからだ。
「そのかわり、原稿は手伝ってね、アスラン」
不意に、ナナがアスランのほうをまっすぐ見た。
口もとに不敵な笑み。
「オ、オレはただのボディーガードだ。演説の原稿なんて……」
「私はろくに学校に通ってないただの女の子なんです! 難しい字とか読めないし、だいたい根っからの理系だから言葉も良く知らないんです!」
ナナは駄々っ子のように口を尖らせた。
いやいやさんざん世界に対して自身の言葉を発信しておいて、いまさら何をいっているんだ……とアスランは突っ込みたくなった。
今まで、ナナは何度もカメラの前で演説を行ってきたが、それは決して稚拙なものではなく、聞く者の心に響く言葉であったと思う。
たしかに、政治家が使うような難しい言葉や高度な文法表現はなかった。
が、だからこそ、まっすぐで真摯な言葉は魅力的でわかりやすく、人々に理解されたのだと思っている。
アスラン自身も、それが近しい人間であるのが不思議なほど、ナナの演説には大いに感動をしていた。
それだけに、今さらナナが自分の言葉に自信がないように言うのは納得がいかなかった。
「だが、機密の問題があるだろう」
アスランはなだめるようにそう言った。
国を代表するような人間の演説原稿に、いち民間人にすぎない自分が介入すれば、問題になることは目に見えていた。
「大丈夫大丈夫。どうせ全部が世界中に発表された後で、同じことをオーブ国内で報告するってだけでしょう? 平和条約のことだってとっくに発表になってるんだし。ってことはぜんぜん機密じゃないから大丈夫!」
わかっていないわけではないのだろうが、ナナは軽い口調で言ってスープを飲んだ。
アスランはもう一度、嗜める言葉を探したのだが、祈るような睨むようなカガリの視線に負け、素直にうなずくことにした。
「よし、これでみんな同志ね!」
ナナは勝ち誇ったようにひとりうなずいた。
これでナナは、完全に目を覚ましたようだった。
とりあえずこれでよし……アスランはカガリと視線を合わせ、同時に小さく息を吐いた。
ヨーロッパ各国訪問を終え、ナナは約束通り、国営放送にて演説を行った。
ナナが会見以外でカメラの前に立つのは、約三か月ぶりのことだった。
結局、その手元に在る原稿に、アスランの言葉などひとつも入ってはいなかった。
ナナが移動中に、一時間ほどでそれを作成してしまった。
もちろん、アスランは約束通り手伝った。それは、ナナの質問に順次答えて行くというだけのものだった。
たとえば……こういうことを言いたいのだが、より良く伝えるためにはどんな表現がいいか、などの相談や、こういう意味の熟語はなかったか……などの問いだ。
言うべきことについては、ナナの中でとっくに決まっていた。
重い腰さえ上げてしまえば一騎当千……アスランは密かにそう思っていた。
今回も、ナナの言葉は国中によく響き渡った。
ナナはいつも、何よりも平和に対する強い意志を前面に押し出していた。
本人にそんなつもりはないのかもしれないが、ナナは言葉で、声で、そして視線で、見る者、聞く者にまっすぐ伝えようとしていた。
皆にうったえかけるということに関して、ナナはラクスにアドバイスをもらっていた。
プラントにいる頃、ラクスも平和の象徴としてよく皆にメッセージを投げかけていた。
ナナはそんなラクスに憧れていたのだと、アスランにもそう漏らしていた。
だが、ナナの言葉はラクスのそれと大きく違っていた。
平和、融和、そして希望を、優しく、癒すような声で皆にうったえかけるラクスに対し、ナナの言葉は鋭く、時に乱暴で、衝撃的だった。
だがその鋭さや荒さが熱を放ち、明かりとなって皆の目を覚まし、未来を照らすように思えた。
何よりも、ナナ自身の平和な未来に対する強い意志と渇望を、皆は見せつけられることになるのだ。
だからこそ、ナナが正規の教育を受けていない十代の少女だったとしても、その言葉にはとても強い説得力がある。
そして、ナナ自身が戦争の第一線で全てを目にして来たこともまた、皆に与える影響が大きかった。
アスランはそんなナナの演説を、カメラに収まらない会場の入り口付近で聞いていた。
もちろん、暴漢など不審者には目を光らせつつではあったが、またナナの声に引き込まれていた。
あれほど面倒くさがっていたくせに、ナナは誠心誠意、心をこめて国民に語りかけている。
会場の議員たちも、首長らも、記者も、放送局の者たちも、皆、息を潜めてナナの言葉に聞き入っている。
その最後に、ナナは笑みを浮かべた。
「平和条約はまだ締結されたばかりです。私たちは、平和な未来への第一歩を踏み出したばかりです。これから先、どれほどの困難が私たちの道に立ちふさがるかはわかりません。きっと、平坦な道ではないでしょう。大切なのは、どんなに高く分厚い壁にぶち当たろうとも、皆でそれに立ち向かっていくことです。辿り着きたいのは皆、同じ場所のはず……」
いっさい手元の原稿に目を落とさず、まっすぐカメラを見て言った。
「だから、みなさん……これから何が起ころうとも、今願っている未来を見失わず、手を取り合って進んでいきましょう」
ナナが言い終えて、一瞬、沈黙が流れた。
そして次の瞬間、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
議員や記者たちは、もれなく椅子から立ち上がっている。目頭を押さえている者も少なくはなかった。
ナナの後ろで控えていたカガリも、うっすら涙を浮かべていた。
ナナは会場を隅から隅まで見渡し、悠然とうなずきながらそれに応えた。
そして、最後に少女のような笑みを残し、壇上から降りて行った。
アスランには全てが完璧に思えた。
パトリック・ザラの子息として、公人の振る舞い方は良く知っている。
そんなアスランにとっても、全くの素人であるはずのナナの立ち居振る舞いは完璧に国、いや、世界を背負う要人としてのそれであった。
ナナは笑顔でカガリと握手を交わすと、軍部のSPに守られて退場した。
控室で再会したら、きっとナナはこう言うのだ。
「あ~かったるかった。ほんと苦手なんだよな、ああいうの。あんまりカメラ映り良くないって自覚してるし。この間なんか、ちょっとおでこがテカってたもんね。もうちょっと照明とか配慮してくれないかな……」
そうぶつぶつと文句をいって、自分の残した功績には目もくれないのだ。
「愚痴でも聞きに行くか……」
アスランはそう思いながら、ぐったりとしたナナが待つ控え室へ向かった。