それからしばらく、アスランは感情を押し込めて務めを果たした。
時々ナナにメッセージを送ると、遅ればせながらもちゃんと返信があった。
文面はいつものナナらしく簡潔だが、特にそっけない感じはなかった。
互いのやるべきことを……。
そう自分に言い聞かせ、アスランはカガリの側で日々を過ごした。
古い慣習や物分かりの悪い政治家たちに憤慨するナナを宥めていたように、カガリにも同じことをした。
カガリは少しずつ緊張をほぐし、勝気な笑みを取り戻していった。
ナナの考えは正しかった。
自分にも代表首長の役に立つことがあったのだ。そう思わずにはいられなかった。
だが、その日だけは、どうしてもナナの公務に同行したかった。
終戦記念日を過ぎ、各地で開かれていた平和を祝う式典もひと段落した頃、ナナはプラントから呼ばれていた。
それはこれまでのような議員たちとの会談ではなく、ザフトの軍学校の訓練兵たちへ、これからの未来へ向けてのスピーチをと請われてのことだった。
平和な未来を築く若い兵士たちに、言葉を……。
戦争のない世界を目指しつつ、それでも軍籍に名を連ねようとする者たちへ、ナナの言葉は大きな意味があるように思えた。
ザフトは変わりつつある。
アスラン自身、そう思った。
今は教官の誰も、「ナチュラルども」などと言う言葉を使わないのだろう。
当然、ナナはプラントからの依頼を受諾した。
『戦うことを仕事にしようとしてるコたちに、戦争をしない未来にしましょうって言うのもなんかヘンな感じだけど、でも、私が思ってることを伝えればいいよね?』
久しぶりに二人で話した時、ナナは明るい声でそう言った。
ナナも、プラントやザフトが変わり始めたことを感じ、喜んでいるようだった。
『また5日ほど出て来るけど、あのコをお願いね、アスラン』
いつものように、ナナに同行したい思いを、アスランは飲み込んだ。
自分が何も言わずにうなずけば、ナナは安心して宇宙に飛び立つことができるのだ。
それを良く知っていた。
そして出発の前夜。
薄い雲の隙間から見える小さな星粒を、なんとはなしに眺めていた時だった。
部屋のインターホンが鳴った。
ここはアスランが希望して、軍司令部内の官舎に与えられた部屋であり、軍人ではなくアスハ家の私設警護部隊に所属する彼を直接訪ねるような者は、今まで一度もなかった。
が、驚くべきはそれだけではなかった。
モニターに映っていたのは、すまし顔のナナだった。
「どうしたんだ?」
「急にごめん」
ドアが開くなり、二人は同時に口を開いた。
「ナナ、出発は早朝だろう? 休まなくていいのか?」
わざわざ訪ねて来てくれたというのに、疑問よりも心配が口をついて出た。
「ちょっと話したいことがあって」
心臓が高鳴った。
そのくらい、ナナから時間を作って話をすることは稀になっていた。
平静を装いながらナナを部屋に入れ、ライトをつける。
「暗い部屋でなにしてたの? もしかしてもう寝てた?」
「いや、ちょっと星を……」
「星? 今夜は曇ってるよね?」
「雲が切れたところから、たまに少しだけ見えるんだ」
「そうなの?」
ナナは以前と変わらぬ様子で、すたすたと窓辺に寄った。
さっきまで自分がいたところで、同じように星を見上げようとするので、アスランはまたライトを消した。
「あ、ほんとだ……うっすら見えるね」
なんとなく遠慮して、側に立つことは控えた。
ナナはすぐに振り返り、こう言った。
「星なんて、久しぶりに眺めたかも」
深い意味はなかったのだろうが、アスランにとってそれは、ナナが夜空を見上げる暇もないほど忙しいことを意味するものだった。
「ちゃんと寝てるのか?」
「もう……、アスランは心配ばっかり」
つい出てしまった言葉に、ナナは苦笑した。
「アスランは?」
「オレは何も問題ない」
「そう? 代表首長の護衛も、けっこうハードでしょ?」
「まぁ、そうだが……」
アスランは言葉を濁した。
「ナナの激務に比べれば」と言いかけたが、それではナナが怒る気がしたのだ。
「カガリは……うまくやってる?」
少し間を置いて、ナナは言った。
それで、アスランはこの突然の訪問の訳を理解する。
姉妹がこのところまともに顔を合わせていないことは、アスランが一番わかっている。
二人のスケジュールがすれ違いっぱなしであるのに加え、二人はしばしば意見を衝突させることがあった。
アスランからしてみれば、ナナの言っていることは九割がた正しい。
が、合理的なものの考え方をするナナに対し、そう割り切れないカガリの心も理解できた。
だが結局、ナナが一番大切なのはカガリだから、必ず後でカガリに優しく接する。
カガリも賢いので、頭が冷えれば正しい決断を受け入れることができる。
そうしてぶつかり合いながらも、二人は懸命に国や世界を背負って歩んで来た。
今日も、ナナはカガリの様子を心配して、宇宙へ出発する数時間前というのに、ここまで足を運んで来た。
「カガリなら大丈夫だ。議員たちとも、うまく渡り合ってるよ」
ただのボディーガードであるアスランには、カガリの仕事の内容までは伝わって来るはずがない。
が、会議室から出て来るカガリは、戦場から戻った兵士のような顔をしていることが多い。
ナナのようにしゃんと背筋を伸ばして、頬には微かに興奮の色を残していた。
彼女はちゃんと戦って来たのだと、その顔を見ればわかる。
若い娘だからといって、首長や議員たちにやり込められているはずはなかった。
「そう、よかった」
たった一言で、ナナは安心したような顔をした。
よほどカガリを案じていたのだろう。カガリ付きの秘書官たちからもそれとなく情報を得ているのだろうが、自分の言葉がより説得力があるようだった。
「キラとラクスは元気だった?」
ナナは窓によりかかりながら、そう尋ねた。
「ああ」
「マルキオ様や子供たちも?」
「ああ、元気だった」
ナナは「そっか」と小さくつぶやき、もう一度、窓越しに空を見上げた。
「ナナ、何か飲むか?」
「ううん、もう戻るから」
「そうか……明日は早いんだったな」
ナナの意識がいったいどこにあるのか、アスランにはわからなかった。
“カガリの心配”が8割くらいを占めているだろうが、あとは友人たちへの気遣いと、明日向かう宇宙でのこと。
目の前の自分の姿は、本当にナナの視界に映っているのだろうか。
そんな傲慢な疑問が浮かんでしまう。
「明日からの護衛チームは?」
それをかき消すように問うと、ナナはゆっくりとドアに向かって歩きながら答えた。
「心配しないで、アスラン。もちろん、グラン隊長のチームに同行してもらうよ。それに、いいって言ったのに、軍部からもチームを送ってくれるらしいから」
「ナナは最近護衛の数を減らしすぎだ。もう少し用心した方がいい」
「だけど、だいぶほとぼりも冷めてきたでしょう? このぶんだと、しばらくすれば私はお役御免かもね」
冗談なのか本気なのか、よくわからないことを笑いながら言って、ナナは扉のボタンに手を置きかけた。
そして、引き留める言葉も出せずにただ見送るだけのアスランを振り返り、あの言葉を言った。
「あのコをお願いね、アスラン」
もう平然とうなずくことには慣れていたはずなのに、ナナの視線があまりにまっすぐで、すぐに返事ができなかった。
「あのコを護って」
引き寄せられるように、ナナの前に立った。
「お願い……」
もう一度ナナが言った時、アスランはナナに触れようとした。
が、とても近くにいるというのに、何故か遠く感じて……動きかけた手は止まってしまった。
「わかった、約束する」
やっとのことで、そう告げる。
心に嘘はなかった。
だが、かすかな迷いはあった。
「ナナも……気を付けろよ」
それを心配の言葉で濁した。
心配はしていても、迷いは見せてはいけないと心得ていた。
「私は大丈夫! 悪運は強いほうだし」
ナナは笑い飛ばすように言って、とうとう扉を開いた。
今さら、二人を廊下の明かりが照らし出した。
「それじゃあ、おやすみ」
「ああ……」
明かりのある方へ、ナナは一歩遠ざかる。
「ナナ!」
身体は動かなかったが、声は出た。
様々な言葉が巡る脳内から、最後にひとつだけ取り出した。
「戻ったら、少し二人で話さないか?」
ナナは身体を半分だけこちらに向け、口を開きかけた。
何かを言おうとして、一瞬の間を置いた。
「うん、そうだね」
そうして返された言葉は、アスランの望みを肯定するものであるのに、何故だか悲しげに聞こえた。
「ナナ?」
「ごめん、アスラン」
ナナは不思議なことを言った。
「ごめん」などとナナが言う必要性が見当たらなかった。
いや、仮に、自分と話す時間が持てないことを「ごめん」と言っているのなら、それは大きな誤りだ。
たとえそうだったとしても、ナナが謝る必要性など皆無であった。
「あの約束は、ちゃんと覚えてるから」
ナナは二人の間に流れた奇妙な空気を和ぐように、ほほ笑みながらそう言った。
「二人であの島に行こうねって話」
あの夜にした大切な約束を、ナナは覚えていた。
そしてそれを、今、口に出して言った。
「ああ」
アスランは深くうなずいた。
ナナは視線を遠くへやった。
何を見つめているのかはわからなかった。ただ今は、その瞳に、自分は映っていなかった。
「いつか、行こうね……」
「いつか」がとてつもなく遠い未来に聞こえた。
あの島が、とんでもなく遠い場所に思えた。
「必ず行こう」
ふと、あの時に戻りたくなった。
今よりもずっと、お互いにとって辛い時期だったはずなのに。
それでも……あの時のほうが、この手でナナを守れる気がしていた。
「おやすみ」
ナナは廊下を歩き出した。
アスランの手が届くところから、離れて行ってしまった。
「おやすみ、ナナ」
情けない声は、まっすぐ伸ばされた細い背に届くことなく、床に落ちた。
そして、これがナナと交わした最期の言葉となった。