プラントと地球の間に、かろうじて繋がれていた糸。
ナナが懸命に、太く、長くしようとしたそれを、誰かが切ってしまいそうな緊張感。
プラントへ向かう途中も、アスランはそれを肌で感じていた。
それでも、心は落ち着いているつもりだった。やるべきことをみつけ、それを信じ、行動した。
自ら一歩踏み出す選択をしたことで、少しは平静な気持ちで前を向いたと思えていた。
プラントに到着し、デュランダル議長との面会を果たすべく、評議会へ赴いた。
いくら待たされても、整然としたままでいられた。
そこで、「ラクス」に出会うまでは……。
ここにラクスがいるはずはなかった。彼女は今、キラとともにオーブにいる。
が、出会った「ラクス」は、どこからどう見ても、「ラクス」だった。
仕草や口調はまるで違った。「ラクス」は本物のラクスよりも快活で、仕草は優雅さに欠けている。
第一、ラクスは今も昔も、自分を見つけて全速力で駆け寄って来たり、何の前触れもなく抱きついたりなどしなかった。
だが、姿かたちと声は、アスランの良く知るラクスそのもので……。
平静を保っていた心は、激しく動揺した。
一度波が立った心は、なかなか穏やかにはならなかった。
彼女と別れても、疑問があぶくのように発生して収まらなかった。
そんな思いのまま、ようやくデュランダル議長との面会を果たす。
だがそこでまた、アスランの心は大きく揺さぶられた。
議長から聞かされたのだ。地球軍がプラントへ向けて、核攻撃を行ったと……。
にわかには信じられなかった。確かに、オーブを出た頃にはいっそう緊張が高まっていたという認識はあった。
が……いきなりの核攻撃とは、あまりに想像を超えた暴挙に思えた。
議長室のモニターには、真実を告げるニュースが映された。見覚えのある核の光が無数に咲く宇宙の光景も……。
「問題はこれからだ……」
目の前に座る議長は、落ち着いていた。
それはまだ、アスランにとっては救いだった。
「それで……プラントは……?」
懸命に心を落ち着け、そう問う。
「この攻撃……宣戦布告を受けて、プラントは今後どうしていくおつもりなのでしょうか……」
それは、当初議長に対して投げかけようとしていた問いよりもずっと重いものになっていた。
「我々が報復で応じれば、世界はまた泥沼の戦争となりかねない。むろん私だって、そんなことにはしたくない」
アスランの脳裏には、文字通り「泥沼の戦争」が思い出される。
「だが、事態を隠しておけるはずもない。知れば市民は皆、怒りに燃えて叫ぶだろう。『地球を許せない』、『ナチュラルに報復を』と。そうやって今また先の大戦のように進もうとする針を、どうすれば止められるというんだね?」
ずきずきと痛む頭に、何故か自然と、次に議長が言う言葉が思い浮かんだ。
「この世界にはもう、ナナ姫はいないのだから」
自身の予測と一言一句違わぬ言葉に、奥歯をぐっと噛みしめた。
ナナと親しいはずもない人と、果てしない喪失感を共有していることは、悲しい事実だった。
「しかし……」
が、だからこそ……アスランは進まねばならなかった。
「それでも……、怒りと憎しみだけで、ただ撃ち合ってしまったら駄目なんです!!」
この喪失感を埋めるものは何もない。
だからせめて、心の中で生き続ける彼女に自分の言葉を重ねて……少しでも覆うしかないのだ。
「これで撃ち合ってしまったら、世界はまた、あんな得るもののない戦いに呑み込まれていってしまう……! どうか、それだけは……!」
「アレックス君……」
吐き出した“自身”の言葉に迷いはなかった。
だから、議長の呼びかけを否定する。
「オレは……オレは、アスラン・ザラです!」
アレックスの“盾”は捨てた。
ナナがくれたその“盾”を、ナナを想って捨てたのだ。
「二年前、どうしようもないほど戦争を拡大させ、愚かとしか言いようのない憎悪を世界中にまき散らした、あの……パトリックの息子です……!」
ナナから受け取った父の指輪は、引き出しの奥にしまいこんだまま、懐かしむようなことはまだ一度もない。
未だ父を少しも許すことはできないし、理解もできない。
ナナが望んでくれたようにはなっていない。
「父の言葉を正しいと信じ、戦場で“敵”の命を奪い、友と殺し合い、間違いと気づいても何ひとつ止められず、全てを失って……。なのに、父の言葉がまたこんなっ……!」
だからこそ、そんな父の元で、示された道を盲目的に歩んでいた過去の自分の愚かさに憤る。
そして、それがナナに許されてきたのだという実感も、今は空虚でしかなく、やり場のない怒りを沸き立たせるだけだった。
アスランは、想いのままに叫んでいた。
「もう絶対に繰り返してはいけないんだ! あんなことはっ……!!」
「アスラン!」
議長に呼ばれ、我に返る。
知らずと膝の上で握りしめていた拳が、少し震えていた。
虚しかった。
想いのままに叫んだ言葉さえも、ただナナの声に重ねていただけのような気がした。
だが議長は、冷静に語った。
ユニウスセブンのテロリストが言った言葉を、気に病む必要はない……と。ザラ議長ももともとは、プラントを護り、よりよい世界を作ろうとしていたのだろう……と。
「想いがあっても、結果として間違ってしまう人はたくさんいる。またその発せられた言葉が、それを聞く人にそのまま届くとは限らない。受け取る側もまた、自分なりに勝手に受け取るものだからね。想いを常に正しく体現し、そのまま言葉にして人々に伝えることができたのは、私の知る限りナナ姫しかいない」
議長がナナに対してそこまで尊敬の念を抱いていたというのは意外だった。
だがそれ以上に、父を……あのザラ議長やテロリストたちのことを、こんなふうに言う者がいたことはもっと意外だった。
それも、現プラントのトップである最高評議会議長が、である。
「ユニウスセブンの犯人たちは、行き場のない自分たちの思い正当化するために、ザラ議長の言葉を都合よく利用しただけだ。『自分たちは間違っていない。ザラ議長もそう言っていたから』とね」
彼はさらにこう言った。
「だから、君までそんなものに振り回されてはいけない。彼らは彼ら。ザラ議長はザラ議長。そして、君は君だ」
議長の言葉は、不思議と心を震わせた。
ナナの言葉を聞いた時のように、胸が熱くなるわけではない。
ラクスの言葉を聞いた時のように、心が穏やかになるわけでもない。
「今こうして、再び起ころうとしている戦禍を止めたいと、ここに来てくれたのが君だ」
が、議長の言葉には彼女たちのように清廉な心が込められているという気がした。
「アスラン。こうして君が来てくれたということは、嬉しいことだよ」
議長は少し笑った。
「ひとりひとりのそういう気持ちが、必ずや世界を救う」
まるで……。
「夢想家と思われるかもしれないが、私はそう信じているよ」
まるで、ナナの言葉のようだ……。
そう思えてしまったから、アスランは曖昧にうなずくしかなかった。
その時だった。
≪みなさん……≫
モニターが映す映像が、急に切り替わったのが、光の加減でわかった。
はっとして振り向くと、そこには「ラクス」がほほ笑んでいた。
そして部屋には、聞き慣れた声が響く。
≪わたくしは、ラクス・クラインです≫
“彼女”はラクスの顔で、ラクスの声で、ラクスのように市民に語りかけている。
≪怒りに駆られたまま思いを叫べば、それは新たなる戦いを呼ぶものとなります。最高評議会は最悪の事態を避けるべく、今も懸命な努力を続けています。ですからどうかみなさん、常に平和を愛し、今またより良き道を模索しようとしている皆さんの代表……、最高評議会とデュランダル議長を信じて、今は落ち着いてください≫
最後の文言が無ければ、まるで……本物のラクスとさえ思えてくる。
「笑ってくれてかまわんよ」
ラクスの演説が終わると同時に、デュランダル議長は自嘲するように言った。
今さらながら、先ほど出逢った「ラクス」のことを思い出す。
「我ながらこざかしい手段だと情けなくもなるが……。だが、仕方ない。彼女の力は大きいのだ。私のなどより遥かにね」
そして議長は、少し躊躇いがちにこう言った。
「馬鹿な事をと思うだろう……。だが今、私には彼女の力が必要なのだよ。手を取り合って共に平和のために立つべき“友”であるはずだった、ナナ姫を失った今はね」
その言葉で、アスランは理解した。議長が「ラクス」を作り上げた理由を……。
わかってしまったから、疑問も否定の声も上がれずにいた。
すると議長は、まっすぐにアスランの目を見て言った。
「また、君の力も必要としているのと同じにね」
「私の……?」
とっさに聞き返した。
ラクス、「ラクス」、ナナ……。
議長が必要とする名と同列に、自分が挙げられたことは理解できなかった。
「一緒に来てくれるかね」
議長はそう言うと、扉へ向かって歩き出した。
アスランは戸惑いながら、その背を追った。
部屋を出る前に、つけっぱなしのモニターを振り返った。
「ラクス」は海の見える丘で、美しい声で歌っていた。
何の説明もなく、軍の基地へと連れられた。
途中からは敢えて聞かずともわかってしまった。
議長が向かっているのは、開発中、あるいは試運転中の機体を治めておくためのドックだ。
イージスやジャスティスを受け取る時に来たことがあるからわかる。あの時と、建物の造りはまったく同じだった。
議長は淡々とした仕草で、とある機体の前へとアスランを案内した。
装甲が作動していない、眠ったままのグレイのモビルスーツ。
「Z-GMF、X-23S、セイバーだ」
それを見上げて、議長は機体について説明した。
「性能は異なるが、例のカオス、ガイア、アビス、とほぼ同時期に開発された機体だよ」
そして続けざまに、想いもよらぬ言葉が投げかけられる。
「この機体を君に託したい……と言ったら、君はどうするね?」
そう問われる予感はあった。
でなければ、わざわざこんなところまで自ら案内したりはしないだろう。
が、その意図は読めなかった。
「私に、ザフトに戻れとおっしゃりたいのですか?」
にわかに芽生えた警戒感。
その本能に従い、アスランは低く問い返す。
「そういうことではないな……。ただ言葉のとおりだよ。これを君に託したい」
議長はアスランに向き直った。
「手続き上はそういう立場になるのかもしれないが、今回のことに対する私の思いは、先ほどの“私のラクス・クライン”が言っていたとおりだ。だが、様々な人間や組織の思惑が複雑に絡み合う中では、願いどおりに事を運ぶのも容易ではない」
また、ナナの言葉を聞いているような不思議な感覚に陥った。
「だから願いを同じくする人に、共に立ち上がってもらいたいのだ」
アスランは敢えて顔を上げ、議長の目を見た。
「できることなら戦争は避けたい。だがだからといって、武器もとらずに一方的に滅ぼされるわけにもいかない」
胸につかえるものがあった。
オーブもまた、そんな葛藤を繰り返していたことを、アスランは知っている。
争いに加わらない中立国という立場でありながら、モルゲンレーテはモビルスーツや戦艦、武器の開発を続け、その技術の水準は常に世界トップクラスを誇っている。
自国を護るためとはいえ、強大な力を持ち続けている。それが、世界にとって脅威となることを知っていて……。
ヘリオポリスでは国民に秘匿したまま、新型のモビルスーツを開発していた。
ザフトだった自分たちクルーゼ隊がそこを攻撃し……、そうしてオーブは火の粉をかぶり、世界中で戦禍が広がった。
だがこの矛盾に、ナナは意外にも頭を悩ますことはなかった。
彼女も言ったのだ。「力が無ければ護れない」と、はっきり言っていた。
決して、自分自身がその力を成長させるための“道具”であったからとか……そんな特殊事情による考えではなかった。
まして、戦争でオーブが受けた脅威を取り除こうというためでもなかった。
ナナは両の眼で、現実を深淵まで見つめていた。
だから知っていた。
争いの無い、真の平和への道のりが、まだ遠いことを。
人はまた、きっと過ちを繰り返すはずだと。
そしてそれでも、人は願う未来へ向かって進まなければならないのだ……と。
早急に軍縮を進めることを訴えるカガリとは、その点では真っ向から対立していた。
ただナナは、カガリの曇りのない理想を否定することもなく、まるで彼女の影になるようにして、新たな力を蓄えていた……。
「そんな時のために、君にも力のある存在でいて欲しいのだよ」
ナナは……ほんとうは自分にそう言いたかったのではないだろうか。
デュランダル議長に言われ、そう思った。
「先の戦争を体験し、父上のことで悩み苦しんだ君なら、どんな状況になっても道を誤ることはないだろう」
アスランはとうとううつむいた。
そんな大それたことを言われても、否定する気概はなかった。
「我らが過った道を行こうとしたら、君もそれを正してくれ。だが、残念ながら今はそうするにも力が必要だろう」
「残念ながら」……。
その言葉が、重く心にのしかかり、もう一度、「セイバー」を見上げる。
それは不思議と、まっすぐにこちらを見下ろしているように思えた。
「急な話だから、すぐに心を決めてくれとは言わんよ」
アスランはまた、顔を背けた。
そう言われて初めて、きっぱりとこの場で拒絶できない自分に気づいてしまったのだ。
「だが、君にできること、君が望むこと。それは君自身が一番良く知っているはずだ」
議長は慈悲深い笑みを残し、その場を去って行った。
その後姿を見送るうち、急に疲れを感じた。
並々ならぬ覚悟でカガリと離れ、プラントへやってきたつもりだった。
だが……その覚悟すら無かったことにするかのように、予想に反することが起きすぎた。
アスランは再びセイバーを見上げた。
まだじっと、それはこちらを見つめていた。