真新しいモビルスーツに乗り込んで、扱い慣れた操縦桿を握った。
コックピットの構造や操縦システムは、ジャスティスのそれとほぼ同等。若干の変更点やオプションは、すぐに問題なく扱える程度だった。
「アスラン・ザラ。セイバー、発進する……!」
飛び出した先の宇宙も、相変わらず暗かった。
全てが知っている世界だった。久しぶり……だとも思わない。これが自分にとっての現実なのだという感覚があった。
まるでオーブで暮らした日々が、夢であったかのように……。
だが、以前と違うものがある。
それは自分の“立場”と“目的”だった。
ザフトの戦艦からアークエンジェルへ、己の意思で乗る艦を変えたのとは違う。
今は、己の意思であることには変わらないが、“戦う”ことが目的ではなかった。
戦いを“止める”こと。
それが、この力を手にした目的である。
そして立場もまた特殊であった。
もうオーブの民間人などとは言っていられないが、ザフトの一般的な兵士であるともいえない。
決意を伝えた時、『フェイス』という特別な立場をデュランダル議長に与えてもらっていた。
『フェイス』とは、上官の命令に関わらず“己の意志”で行動することを許された者。プラント最高権力者によって、明確にその権限を与えられた者だ。
『君は己の信念や信義に忠誠を誓ってくれればいいよ。いたずらに力を誇示することなく、また必要な時には戦ってゆくことのできる人間だろう?』
議長はそう言って、フェイスの証を手渡した。
国や軍ではなく、己の信念や信義に忠誠を……。
その生き方はナナに……ナナの生き方に少しは近づけるのだろうか。
アスランはそれを願うように心に留め、願いを果たすための新たな力となったセイバーを、地球へと向けた。
行き先は明確だ。議長から乗艦するように言われたのは、あのミネルバだった。
『あの艦にも私は期待しているのだよ。この混乱の中、以前のアークエンジェルのような役割を果たしてくれるのではないかとね』
そう言った議長の真意は、本当のところよくわからなかった。
有能で、乗員たちからの信頼も厚い艦長。赤服を着ることを許された、若くて優秀なパイロットたち。最新システムと新型モビルスーツを搭載した戦艦。
そこには未来を切り開くための、“力”があるように思えた。
だが、アスランはもう知っていた。
未来を造るのは“力”ではなく、それを扱う“人の心”だ。
かつてアークエンジェルは、人の心で動き、戦ってきた。ナナが行き先を示し、皆でそこへ向けて舵を切った。
それと同じことが、あの艦にできるのだろうか。
そして自分はあの艦で、ナナのように“示す”ことができるのか……。
不安がないといえば嘘になる。
だが、アスランは迷わずセイバーをミネルバの元へ向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方、オーブは急速に変化を遂げていた。
カガリはセイラン家に押し切られ、もとより許嫁の間柄であったユウナ・ロマ・セイランとの婚儀を決めた。
目まぐるしく動く周囲に、彼女の心はついて行けはしなかった。
だが、折れるわけにはいかなかった。
思うように動かない時の中で、それでも、自分にできること。自分にしかできないこと。そして、最善の道を選ぶこと……。
姉に教わった生き方から逸れないように、必死で足を動かした。
実のところ、ユウナとの結婚が正式に決まり、具体的に日取りまで定められた時、カガリの心は少しだけ軽くなった。
この馬鹿げていて最善の選択を、自分の口からアスランに伝えなくて済んだから。
アスランはプラントに行ったきり、側には居ない。
セイラン家に入ってしまえばもう、アレックス・ディノという護衛は必要なくなる。
それにきっと、面会すら制限されてしまうのだろう。
だからもう、二人で話すことはないのかもしれない。
そう……ナナの墓前でだけは、二人で素直な言葉を交わせるのかもしれないが。
この色褪せた未来を見つめ、正直、心が軽くなったのだ。
アスランがもう、ナナへの想いを引きずりながら、自分を護るという義務を果たさなくても良くなったから。彼が、自由に生きられるから。
だから、心を締め付ける“悔恨”も薄れゆくはず……。
全ての想いを、文字にすることはできなかった。
だが、大切な弟であるキラに、自分の言葉を綴った。
『アスランには、お前から話しておいてほしい』
それだけ言えば、どういう状況で、どれほど苦渋の決断であったのか、ちゃんと伝わる気がしていた。
キラがきっと、自分の選んだ道を肯定してアスランに伝えてくれるはずだと。
そして、背負ったものを降ろしてもいいのだと……自分の代わりに告げてくれるはずだった。
心が軽くなったおかげで、前よりも物事に憤ることが無くなっていった。
セイラン家の古臭いしきたりも、好きでもない男のささやきも、ただ肌の上を通り過ぎて行くようだった。
全てはオーブのため。
ナナが笑ってくれるとは思わないが、それでも……きっとこの英断を褒めてくれるはずだと思いたかった。
私は私なりに、ナナのように道を選んだ。
そう、言い張りたかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
カガリの手紙は、マーナの手によってキラの元へと届けられた。
ザフト軍の奇襲によって破壊された屋敷の暗がりで、キラは彼女の想いを目にする。
しっかりとした筆圧の、生真面目な文字の羅列。
キラもラクスも、黒い文字と単語の全てから、カガリの想いを感じていた。
その想いのために、カガリは自分の未来を犠牲にしようとしている。
せめてオーブが、いつまでも強い国であるように。オーブがひとつの塊となって、世界の中で生き残れるように。セイラン家に嫁いで、力を得て、首長たちも議会たちもまとまって……。
オーブのため。世界の平和のため。今自分に何ができるのか。
そうやって必死で考えて、「ナナのように」と考えて……カガリは道を選んだ。
本当に、強い人だと思った。
キラも、ラクスも。
が……。
「本当に、これでいいのかな……」
キラは想いを口にした。
カガリが、必死で呑み込もうとしているものを、言葉にした。
「こんなことで、本当にいいのかな……」
誰に問うでもない。
そして答えはもうわかっている。
「キラ……」
ラクスが瞳を揺らしたのを見て、キラはつぶやいた。
「ナナは……きっと怒るだろうな」
かすれた声は、心配そうに見守るマリューとバルトフェルドにも届いた。
「キラ君、あなたは……どう思うの?」
マリューが問う。
「カガリは強い。だからこそ、こんな選択ができたんだ」
息をついて、キラは顔を上げた。
「でも、こんなのダメだ」
一度だけ、カガリの文字に目を落とす。
「もうオーブがあんなことにならないようにって、カガリが必死になって決断したのはわかってる。でも……仕方がないからって、こんな選択をしちゃダメなんだ……!」
カガリの想いを否定するように、キラは再び顔を上げた。
「今度は……僕がナナの声を聞く……」
そして、皆を見回して言った。
「僕は……翼を広げます……」
その“宣言”を耳にして、大人たちは皆、息を呑んだ。ラクスでさえも。
決して力強い声ではなかった。皆を導くような熱もなかった。惑いながらも無理矢理に決意を示すような……不格好な宣言だった。
だが流れた沈黙を、否定の言葉で破るものは無かった。
「今こそ翼を……か」
少し笑って、バルトフェルドが言った。
「もう一度飛ぶのは、今……」
その言葉をなぞるように、マリューも言った。
そしてラクスは、まっすぐにキラを見つめた。
「カガリさんを救いましょう。ナナがくれた翼で」
きっぱりとした声は、彼らの不安と迷いを薙いだ。
言い出したキラでさえも、ほっとしてラクスを見る。
「カガリさんが道を選んだように、わたくしたちも今、道を選ばねばならないのでしょう」
ラクスはそっと、キラの袖に手をかけた。
不安は誰しも持っている。キラにはそれがわかった。
ひょうひょうと立つバルトフェルドも、肩をすくめるマリューも、そして澄んだ声で道を示したラクスも。
が……。
『それでも進む……!』
強気に笑うナナの声が、聞こえた気がした。