ヤキン・ドゥーエ、およびジェネシスの爆発の後……、その宙域に静寂が訪れた。
あれほど苛烈を極めた戦いは、一瞬にして止んだのだ。
かつてグレイスだった“それ”は、今やMSの形もままならぬ灰色のガラクタとなっていた。
だが、それに乗って、ナナ、アスラン、キラの三人は無事に帰還した。
エターナルのドックは、歓喜に沸いた。
ただの歓喜ではない。
恐ろしいまでの犠牲と、憎しみと、絶望の果ての……喜びであった。
だから皆、泣いていた。
クルーたちも、アスランも、キラも、ラクスも、そしてナナも。
失ったものへの悲しみをしっかり抱えたまま、再会の喜びを噛みしめていた。
命を繋いだことの喜び……。
だが、それを確かめ合うのも、ほんの束の間だった。
ナナが言った。
「アスラン、ちょっと……」
キラを医務室へ送り届け、付き添いをラクスに任せて、二人で廊下へ出た時のことだった。
「ナナ……?」
「ちょっと、こうしてて……」
ナナはアスランの両手をとり、目を閉じた。
もう、涙は消えていた。
ナナはただ、そのまま深く呼吸する。
まだ熱の残る手を握ったまま、アスランはわずかに戸惑いつつも、その姿を黙って見ていた。
数呼吸……。
最後に息を吐ききると、ナナは目を開けた。
「よし……!」
充血してはいるがとても強い光が、そこにはあった。
何度も何度も目にしてきた光だった。
そして、この光に何度も救われ導かれてきたことを、アスランは今さらながらに実感する。
「ナナ……?」
ナナは笑った。
「大丈夫!」
自分に言い聞かせるように、力強く言う。
「アスラン、私……やるから」
ああ……まただ。
アスランは、頭の隅に呆れつつも脱帽する自分を感じた。
「やらなくちゃいけないこと、たくさんあるもんね」
終わっていない……。
たった今、死線を切り抜けたはずのナナは、また戦おうとしている。
今度は別の戦いを。
それは、彼女にしかできない戦いだと予感した。
だからアスランは、ため息交じりにうなずいた。
彼女の力になれない自分が、情けなかった。
が。
「アスラン」
ナナは握った手の力を強め、言った。
「ちゃんと、見ててね」
『見ててほしい』と言うのは、必要とされているからなのだろうか……。
それを、アスランはナナの瞳の中に探る。
「ね、アスラン」
その瞳の中に、不安はない。
絶対の自信もない。
かといって、無理に強がっているようでもない。
ただ……何も示すものがない道を自分の足で歩き出すことを決めた、強い意志だけがそこに在る。
そんな彼女にしてあげられることは……。
「わかった、ナナ」
本当は、何もない。
だが、ナナは言ったのだ。あの時に。
『あなたがいないと戦えない』
こんなにも、強いナナが、あんなに泣いて。
『側にいて』
そう、小さな子供のように願ってくれたから。
「オレも一緒に戦う」
自分にできることなどなくとも、その言葉をナナに贈る。
戦い続けるナナの側に、必ず居続けるという約束を。
「うん!」
ナナはまた笑った。
ほんの少し……ほっとした様に見えたのは、きっと自分の自惚れではないはずだった。
ナナはすぐに、行動を開始した。
まるで、自分の手を握って深呼吸をしていたほんの数十秒のうちに、成すべきことを全て心のうちに書き留めて、整理したかのようだった。
ナナはまずエターナルのブリッジに上がった。
そこでプラントからの停戦宣言を聞いた。
事実上、すでに停戦状態に至ってはいたものの、艦内は安堵に包まれた。
モニターの向こうのアークエンジェル、クサナギの仲間たちも、歓喜に沸いていた。
が、ナナはいつまでも『停戦』の実感を噛みしめてはいなかった。
彼女の無事な姿を目にして泣き崩れるカガリをモニター越しになだめ、ナナはまず、アークエンジェルへと向かうと告げた。
アスランはもちろん、シャトルの操縦をかって出た。
静かな宙を渡る途中。
「先にカガリのところへ行かなくていいのか?」
アスランが問うと、ナナは少し目を伏せて答えた。
「アークエンジェルは……ムウさんを失ってるから……」
その時に初めてそれを知ったアスランは、言葉を失った。
が、ナナはすぐに気を取り直したように言う。
「それに、退艦の挨拶をしてこなくちゃね」
「退艦?」
「まぁ、一応……私は正式には軍人じゃなかったけど、ずっとあそこで一緒に戦ってきたわけだし」
「いや、そういうことじゃなく……」
ここで初めてナナは、決意した自分の身の振り方を明かす。
「私、これからはオーブの人間として動くことにする」
「オーブの?」
「うん。オーブ連合首長国の“代表代行”としてね」
ナナは意味ありげに笑うが、アスランの脳はナナの言葉について行くことができなかった。
「この状況を
その本当の意味を聞く間もなく、二人を乗せたシャトルはアークエンジェルに着艦した。
改めて見てみると、この艦の損傷は三艦の中で最も甚大であることがわかった。
ドッグ内部も、もう機体の換装すらできないような状態だったが、ナナは常に明るい顔で、生き残ったクルーと再会を喜び合った。
そして、ブリッジで……。
ナナはひとりひとりと言葉を交わし、最後に黙ってマリュー・ラミアス艦長を抱きしめた。
ムウ・ラ・フラガを失った彼女は、ナナに抱きしめられたまま、声を殺して泣いた。
ナナは何も言わず、彼女の背なかをゆっくりと撫でていた。
その姿に、アスランは自分の愚かさと幸福を感じた。
あの時、自分の命を捨てていたら、ナナが自分を救ってくれなかったら……ナナをこんなふうに泣かせていたのだろうか。
いや、あの時にナナをあれほど泣かせてしまった自分は、なんと愚かなのだろうと思った。
そして今、ナナの側に居られることの幸福を……強く感じていた。
マリューが落ち着くと、ナナは彼女にも同じことを言った。
「え? 退艦?」
「一応、形式的に」
「そ、それはどういう……」
「私、これからはクサナギに移ります」
「え、ええ、それは……」
「この先、私はアークエンジェル所属のパイロットではなく、オーブの代表代行として動くことにします」
ブリッジがざわついた。
彼らの戸惑いはアスランにもわかった。
ナナが特別おかしなことを言っているわけではない。
公式的にはナナはまだアスハ代表の義娘である。
この緊急事態に『代表代行』を名乗っても、不自然なことではなかった。
が、そのことと、今それを言い出すこととが、すんなりとは結びつかないのである。
「できるだけ早く、プラントと地球軍との停戦協定が成立するには、調停役がいたほうがいいと思うんです」
ナナは静かに、その意図を明かした。
「調停役?」
知っているようで聞き慣れない言葉に、周囲は静まり返った。
「はい。間に入る者がないと、色々決めるのに時間がかかりそうで」
「それで……あなたが?」
「一応、オーブは中立国ですから」
「でも……」
マリューが懸念するのも無理なかった。
「オーブもこの戦いには参加してしまっているでしょう?」
だがアスランには、ナナが成し遂げようとしていることが徐々にわかりかけていた。
「オーブの戦いは、あくまで中立の立場を守るものでした。それは、両軍とも認めざるを得ないでしょ?」
ナナは自信ありげに言った。
それが、この艦のクルーたちに対して安心感を与えようとしているのだと、アスランは知っている。
「逆に、その立場を主張しておかないと、後で色々面倒なことになりそうだし。まぁ、先手必勝ってやつですよ」
「でも、オーブは直接、地球軍に攻撃されているわ。そのことはどちらにとっても簡単にはすまない話だと思うけど……」
「そのことは」
ナナはたっぷりと間を取ってこう言った。
「オーブは地球軍に補償要求を行わないということで、片づけちゃおうと思ってます」
マリューは目を見開いた。
他の者たちでさえ、驚きの声を上げる。
地球軍からの理不尽な要求と攻撃によって、オーブが受けた損害は計り知れないはずだ。
ナナはそれを、不問に処すと言っている。
あれだけの被害を被って、金銭的賠償さえも求めないと……。
だが、次のナナの言葉で、皆一様に黙った。
「こちらもそのくらいの覚悟をみせないと」
渦中に呑まれたオーブの民の気が収まらないことは、ナナも承知の上だ。
もちろん、あの戦いで新たな道をみつけたアスランにも、彼らの気持ちは十分にわかっていた。
だがそれ以上に、ナナは自分の義父を殺された。
自分の国をえぐられた。
当時の地球軍の理不尽さに、彼女はどれほどの怒りを覚えたのだろう。
それでも、彼らの罪を許す覚悟とは……。
それは決して、軽いものではない。
そして、そんなものを持たねばならぬほど、この先の未来も険しい道のりなのだ。
ナナはそう考えている。
「覚悟……ね……」
マリューがつぶやいたナナの言葉に、皆、うなだれた。
「わかってくれますか?」
いつもと変わらぬナナの姿に、彼らはうなずくしかなかった。
「で、でも……オーブの……本国はそれで納得するかしら?」
「それは、帰ってからなんとかするしかないですね」
「そんな……」
「そもそも、私が代表代行を名乗ることも、議会で決まったわけじゃないですし。あっちで猛反発が起きてもおかしくないかも」
再びよぎる不安を、アスランは押し込めた。
ここはたとえ通例や常識を打ち破ってでも、進まねばならない時だった。
今まできっと、ナナがひとりでそうしてきたように。
「でも大丈夫です。本国としても、最優先すべきことは、オーブがザフトとも地球軍とも敵対せず、中立国としての立場を取り戻すことですから」
アスランは小さく笑った。
ナナの言葉は、戸惑いや混乱を一刀両断の元に切り裂く。
それは危うくあっても、あっけにとられるほど心地よいものだと、最近は気づき始めていた。
「わかりました、ナナ」
「それと、もうひとつ」
「え?」
ナナは最後に、声色を強くして言った。
「この艦のこと、それからみんなのこと、私に任せてください」
マリューの目に、再び涙が滲んだのがアスランにも見えていた。
「ええ……ええ……お願いするわ……」
ブリッジに、おそらくヘリオポリス崩壊後からずっと張り詰めていたであろう緊張の糸が、本当に切れた瞬間のようだった。
「ナナ!」
ミリアリアが、ナナに抱きついてまた泣いた。
「ミリ、大丈夫だから、私に任せて、ね? 大丈夫大丈夫……!」
ナナは笑いながら、彼らに向かって『大丈夫』と繰り返し言い聞かせていた。