翌朝、ミネルバはカーペンタリアを出港した。
アスランがグラディス艦長に手渡したデュランダル議長からの指令は、『ジブラルタルへ向かえ』というものだったのだ。
ボズゴロフ級潜水母艦ニーラゴンゴを従え、ミネルバは新たな旅を始めることになった。
そうしてまもなく、コンディションレッドが発令された。
全く予想していなかったわけではなかったが、それはやはり早急すぎた。
≪すでに回避は不可能と判断し、本艦は戦闘に入ります≫
ブリーフィングルームでブリッジとコンタクトをとったアスランは、その事実に唇を噛みしめる。
が、あれこれと考える暇など在りはしなかった。
≪あなたはどうする?≫
グラディス艦長にそう聞かれ、正面から自身の問題に目を向けることができたのだ。
≪わかってるでしょう? 私には、あなたへの命令権はないわ≫
『フェイス』は評議会直属の兵士だ。
個人として単独で評議会から命令を受けるのであって、どの司令部からの命令にも従う義務はない。グラディス艦長はそのことを言っている。
だが。
「私も出ます」
アスランの決断は早かった。
≪いいの?≫
「確かに私は指揮下にはないかもしれませんが、今は私もこの艦の搭乗員です。私も……残念ながらこの戦闘は不可避と考えます」
進め……。
誰かの声を呼び覚ましながら、きっぱりとそう言った。
アスランはセイバーの操縦桿を握った。
迷いはなかった。
進むしかないと、擦り切れた笑みでまっすぐに歩くナナを、よく覚えているから。
敵はウィンダムが30機。そしてあのカオスがいるという。
従順なセアと不満顔のシンを従え、アスランはミネルバのデッキから飛び立った。
どこから現れたのかわからない敵機が、前方の空に黒々とした塊となって飛んでいた。
≪あ、あの……≫
交戦開始直前、セアが恐る恐る問うてきた。
≪カオス……だけですか……? 他の……2機は……≫
セアがそこに気がついたのはアスランにとって意外だった。
正直、彼女が己の判断で行動を起こし、己の考えを率先して口にするようには見えなかったのだ。
「敵の作戦は空中戦だ。地上型のガイアと水中戦を得意とするアビスは加わっていない可能性が高いが……」
提供された資料は完璧に頭に入っている。だから自分の答えには自信があった。
が、セアの行為が意外だっただけに、何かがひっかかかった。
「念のため、ミネルバには注意するように伝えよう」
≪は、はい……!≫
そう言うと、セアは一瞬はにかんだような顔をした。
改めてセアの操縦技術を観察した。
もっとも、アスランはカオスに攻め込まれていたため、それほど余裕があったわけではなかった。
が、見ている限り、セアはひたすら淡々と、マニュアルどおりといった風にウィンダムの群れを散らしていく。
執拗に隊長機とやり合うシンとは違い、冷静に、落ち着いて、レジーナを操っていた。
出すぎもせず引きすぎもせず、少なくとも相当数の経験を積んだパイロットのように周囲が良く見えているようだった。
慌てて、押し込まれそうなアスランやシンのフォローにまわることもない。敵からの攻撃はうまく避けている。
先ほどまで躊躇いがちに声を震わせていた少女とは思えないほど、アスランは同じ戦場にいる彼女に対して安堵感を抱けていた。
対してシンは、あからさまにムキになって隊長機を追って行く。
出すぎだ、下がれと通信を入れても、彼はいかにも実力のある若いパイロットらしく、聞く耳を持たない。
アスランの見たところ、隊長機とシンの腕はほぼ互角……。機体の性能を考慮しても、シンが
ウィンダムの群れをセアに任せ、アスランは何度かシンのフォローを試みた。
が、カオスがそれを阻む。
地球軍にこれほど腕のたつパイロットがいるのか……という疑問が湧いて、“グレイスのパイロット”のことを思い出し、思わずカオスの攻撃を喰らう羽目になった。
そうしているうち、隊長機に振り回されたシンは海面の辺りまで下降して小島に接近する。
アスランはサイドモニターでその光景を見て、瞬時に嫌な予感がした。
≪シン……!≫
それとほぼ同時に、セアがシンに通信を入れるのが聞こえた。
アスランの指示で、三機の回線は常時繋げてある。セアの小さな悲鳴が、アスランの耳元でも聞こえていた。
そして、二人の悪い予感はすぐに的中した。
小島の樹林から突然ガイアが現れ、シンのインパルスに飛びついたのだ。
沈みはしなかったが、インパルスは海面上を吹き飛ばされた。
「シン!!」
浅瀬でガイアに組敷かれたインパルスは、格好の的だった。
隊長機が飛来し、インパルスを狙う。
が、間一髪でアスランの援護射撃が間に合い、敵の攻撃がインパルスに当たることはなかった。
それでもシンは未だ冷静にならず、今度はガイアと喧嘩四つで組み合う。
御親切にも敵機の性能に合わせて、空中ではなく浅瀬での戦闘を始めてしまった。
「シン、さがれ! 敵にのせられてるぞ!」
今度は隊長機とカオスが連携してインパルスを狙う。
「うるさい! オレはやれる!」
シンはそう叫んだ。
そしてガイアに誘われるように陸地へ入り、徐々に島の奥へと足を踏み入れて行く。
アスランの言葉は届かない。ただカオスと隊長機の2機をインパルスから遠ざけることで手いっぱいだった。
≪敵機、撤退しました……!≫
そこへ、セアの不安げな声が聞こえた。
彼女が交戦していたウィンダムの編隊のうち、かろうじて無事だった数機が去って行くのが確認できた。
「セア、よくやった」
≪は……はい……≫
セアの戦功はアスランの目にも明らかだった。
だがセアは戸惑いながらうなずくに留まった。
味方の惨敗を見て、隊長機とカオスはインパルスへの攻撃を止めて撤退した。
ひとつため息をいた。
そしてシンの援護へ向かおうとしたとき、海上で爆発が起こった。
ミネルバではない。
もっと深いところでその“破壊”と思われる爆発は起き、海面が不気味に盛り上がっていた。
次々に浮かんでくる残骸を確かめるまでもなく、それはニーラゴンゴが撃沈したことを意味していた。
カオスとの交戦中、セアの予想通り、ミネルバとニーラゴンゴが海中からアビスの襲撃を受けているという通信が入っていた。
だとしたら、あのアビスのやっかいなパイロットがそれを成したのだろう。
たった一機で、大型潜水艦を……。
ミネルバからすぐに『ニーラゴンゴ撃沈』の通信が入った。
また小さく、セアの息づかいが聞こえた気がした。
が、彼女は何も言わなかった。驚きも嘆きも、悲しみも、彼女は言葉にはしなかった。
アスランは機首を返し、シンの援護へと向かった。
すでにガイアの姿は無かった。撤退の指示をきちんと護ったのだろう。
だがシンはまだ戦っていた。
島の奥地には、ひと目で建設中とわかる地球軍の基地があった。
真新しく不完全なその施設を、シンは片っ端から破壊していた。
「シン、何をやってるんだ! やめろ! 彼らにもう戦闘能力はない!」
逃げ惑う人間たちに、抵抗する意思は感じ取れない。
インパルスと戦えるような戦闘機も出てはない。
すでにウィンダムの奇襲部隊は撤退している。
シンの行動は無意味で非人道的なものだった。
が、やはりシンはアスランの言葉を聞き入れない。
彼はそのまま、地上の
それは、建設中の基地と森を分けるフェンスだった。
そこに群がっていた、民間人と思われる人々がいっせいに走り出す。
駆け寄るのは、一方が男で一方は女や子供だ。
間に深い空堀が存在したが、再会を喜ぶ人々には関係なかった。互いに坂を落ちるようにして下へ降り、土まみれの身体で抱き合っていた。
おそらく、地球軍はこの島の民間人を、基地建設のために強制的に労働させていたのだろう。
それを悟ったシンが、労働者として監禁されていた男と残された女子供を引き合わせるため、間を隔てていたフェンスを取り壊したのだ。
やみくもに命令違反を繰り返しているだけじゃない。シンは人として正しいことを知っている。
だが……。
アスランは深いため息をついた。
この行動が『正しい』とは、どうしても言いきれなかった。
シンに対するもどかしさや憤りが、ただ深まるだけだった。
ふと、同じように空から地上の光景を眺めているはずのセアに、どう思うか聞いてみたくなった。
このような行動をとったシンをどう思うのか……。
だが、セアはずっと黙っていた。
シンに話しかけるでもなく、アスランに戸惑いをぶつけるでもなく、ただただ深紫の機体で飛んでいるだけだった。
ミネルバのドックに戻ると、アスランはシンの得意げな顔を叩いた。
「殴りたいのならべつに殴ってくれていいですよ! けど、オレは間違ったことはしてません!」
燃えるような目が、アスランを睨み上げていた。
「あそこの人たちだって、あれで助かったんだ!!」
そう叫ぶシンを、アスランはもう一度叩いた。
どうしても、あの行動を正当化してはいけない理由を、彼にわからせたかった。
「戦争はヒーローごっこじゃないんだ!」
MSを操る者が、もっと重い責任を負っていることを。もっと、戦争は醜く複雑で、残酷なことを。
「自分だけで勝手な判断をするな!」
そして、一人の軽率な行動が誰かの死を導くという恐怖を。
「力を持つ者なら、その力を自覚しろ!!」
どうしても……シンにわかって欲しかった。
シンは何も応えなかった。
頬を腫らし、奥歯を力いっぱい噛みしめて、怒りに震えて立っていた。
目は合わなかった。合わせようとはしなかった。
アスランは重い沈黙が流れるその場を立ち去った。
今の言葉は、きっとまだ彼の心には響かない。
ルナマリアや整備班の者たちが、困惑した顔で見ている。彼らの心にも、たぶんまだ届かない。
セアだけがひどく悲しげな顔でうつむいているのが、視界の端に映った。
彼女が何を感じているのか、アスランにはわからなかった。