その後のミネルバは順調に航海を続け、指令通りマハムール基地に入港した。
あの地球軍の待ち伏せ攻撃による激戦が嘘だったかのように、艦内は平和だった。
シンとは、あれからほとんど言葉を交わさなかった。
たまたま彼の視界に入った時、目を逸らされることは多かったが、それはむしろアスランにとって苦笑の対象だった。
ふてぶてしい態度ではあったが、特に彼から突っかかって来ることはなかったから、アスランは気にしないようにしていた。
あのドックでのやり取りを見ていた者たちも、そこまで不自然な態度をとっているようには見えなかった。
ルナマリアは何かにつけては話しかけて来たし、レイとセアは出逢った頃と同じ様だったから、彼らから特段敬遠されているという感じはなかった。
むしろ、アスランは自分自身が抱える問題で手いっぱいだった。
いや、問題……といってしまうのはすでに“逃げ”だ。
決心はしていたのだ。
ザフトのフェイスとして正しく力を使い、平和な未来のために命を捧げる……。そのためには、迷いを捨て、理不尽なことも貫き、心を殺してでも進み続ける。
そう、ナナに誓ったのだ。
が……時おり、現実の光景が真正面から鋭く突き刺さる。
自分は何のためにザフトの艦に乗っているのか。この先に、本当にナナが目指した世界があるのか。ナナは、今の自分を見て笑ってくれるのだろうか。
ナナの居ない現実は、いつもアスランを惑わせ、不安にさせるから……それと戦わなければならなかった。
ミネルバの艦体が夕日に染められる頃、ひと息ついたアスランはデッキに出た。
入港以来、司令部への挨拶、状況確認、今後の打ち合わせ、セイバーの整備……などなど、慌ただしく過ごしていたから、少しの息抜きのつもりだった。
そこには、シンが居た。
海を見つめていた彼は、振り返るなり気まずい顔をする。
その少年らしさが、少し笑えた。
彼と話しをしよう。
そう、迷わずに思えたから、アスランは彼に歩み寄った。
シンの口調は静かだった。
が、言葉はどれもいちいち棘のある物言いで、アスランは思わずため息を漏らした。
自分が戻ったことが気に食わないのか、殴ったことを怒っているのか……そう聞くと、彼は冷たい声で答える。
アスハの護衛だった人間が、急にフェイスだ上官だと言って現れ、黙って従えるはずがない……と。やっていることがめちゃくちゃだ……と。
それは否定できなかった。
シンの気持ちはよくわかる。
一本の道が見えていなければ、自分の行動は人としておかしいのかもしれない。
が、シンに対して言いたいのは……伝えたいのはそれではなかった。
そして、先のインド洋での戦闘を、今でも正しいと思うのか……と。
アスランはそう問うた。
シンはすんなりとうなずいた。あの戦いは正しかったと、強い意思の籠る目で言った。
それはやはり、アスランには何かを背負って戦う戦士の目には見えなかった。ただ感情だけを込めて、憎しみや怒りだけを込めて撃った者の目だった。
アスランはため息をついた。
そこまで心に闇を抱えたシンが、不憫だった。
だからこそ、こう尋ねた。
「オーブのオノゴロで家族を亡くしたと言っていたな」
「『アスハに殺された』って言ったんですよ!」
シンはすぐさま否定した。
彼の目は、ますます影を濃くした。
「戦争終結後、大使は言っていた。オノゴロで被災した人たちとは対話を重ね、あの作戦の意味を納得いくまで説明し、謝罪するって。悲しみや憎しみは取り除けないけど、オーブがなんであんなことをしたのか、なんで関係ない人間が死ななくちゃならなかったのか、ちゃんと会って説明するって、謝罪するって、そう言ってたんだ……!」
彼の言う『大使』とは、世界連合特別平和大使を務めていたナナのことだった。
シンは徐々に憤りながら、彼女のことを話した。
「だからオレは……少しはそれで救われるのかもって、一瞬思ったんだ。許すことはできないけど、あの時何が起きてたのかちゃんとわかれば、少しくらいアスハのやったことを理解できるのかもって……。けど……」
アスランは懸命に、彼に視線を向け続けた。
次にシンが言う言葉を知っていたから、それはとても辛い作業だった。
「だけど、大使はすぐに死んじゃったないか! 何もかも途中で……希望だけ見せて、いなくなっちゃったじゃないか!」
宙ぶらりんになった想いを、シンはぶつけた。
ナナの死が彼の憎しみを倍増させてしまったのだと、アスランは改めて気がついた。
だがどうしようもなかった。
ナナの死に対して憤っているのは、アスランも同じ……いや、シンとは同じではなかった。喪失感は彼の比でないことは確かなのだ。
が、今改めて、ナナの死が多くの人々をも不幸にした事実を目の当たりにし、今さら眩暈のするような衝撃を受けた。
「だから……」
だが、アスランは懸命に口を動かした。
この動揺を、シン気取られてはいけなかった。胸に渦巻く怒りや悲しみを、少しでも声に乗せてはいけなかった。
ナナのためにも。
「君は、『あの時力があったなら、力を手に入れさえすれば』……そう考えたんだな?」
「な、なんで……」
シンははっとしたような顔をした。
それはアスランの言葉が的中していたことを示していた。
「自分の非力さに絶望したことのある人間は、きっと誰もがそう思うんだ……」
シンの気持ちはわかっていた。
自分もそうだったから、彼の想いはわかるのだ。
ユニウスセブンで母を亡くした時。ニコルを失った時。そして……ナナの死。
容易に浮かぶその残酷な光景を押し留め、アスランはシンに向き合った。
「けど、その力を手にしたその時から、今度は自分が誰かを泣かせる者となる。自分が絶望を植え付ける者となるんだ。それだけは忘れるな……シン」
どうしても、シンに言わなければならないから。
こんな想いをした自分だからこそ、伝えなければならないと思ったから。
きっとナナが居たら、彼にそう言っていたと思うから。
「戦場で、それを忘れて自分勝手な理屈と正義でやみくもに力を振るえば、それはただの破壊者になるんだ」
シンの目から怒りが消えた。
少し戸惑った表情は、少なくとも言葉を受け止めている証拠だと思いたかった。
「君はそんな者じゃないだろ?」
力を正しく使うこと……その難しさと大切さをナナに教わったから、シンにどうしても受け止めて欲しかった。
「オレたちは軍の任務として戦場に出るんだ。喧嘩をしに行くんじゃない。まして破壊をしに行くわけでもない」
何のために戦うのか……それをわかっていないものが戦場に出れば、いたずらに戦禍を拡大させ、憎しみを増やすだけなのだ。
「わかってますよ……! そんなことは……」
シンはムキになったように言った。
足りないものを指摘されて、苛立ったように見えた。
「ならいいさ」
その少年ぽい様子に、アスランの心に張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ。
「それを忘れさえしなければ、確かに君は優秀なパイロットだ」
シンを信じたい。信じよう。
きっと、ナナならこの場で綺麗に笑って、豪快に肩でも叩いて立ち去るのだろう……。
その光景が鮮やかに瞼に浮かび、アスランは穏やかな心のままその場を立ち去った。
「でなけりゃ、ただの馬鹿だがな」
最後に、ナナが言いそうな皮肉をそっと残して。