「ねぇ、アスラン。ちょっと散歩しない?」
「こんな時間にどこへ行くんだ?」
ナナとカガリと三人での夕食を終え、その日の公務の報告や翌日のスケジュール確認をした後だった。
部屋に戻るなり、ナナは無邪気な顔でそう言った。
「ご飯食べ過ぎちゃって」
「そんなに食べてないだろ」
「いいからいいから!」
ナナに腕を引かれ、また廊下に出た。
ナナはきょろきょろと辺りを見回している。二人でいるところを、家の者に目撃されないためだ。
「よし、こっち!」
護衛と、警護対象者……二人でいてもおかしくはないのだが、今、アスランの手はナナにしっかりと掴まれている。
これでは護衛と警護対象者でなく、ひと目で親密な関係とわかってしまうだろう。
だったら逆に普段通りにしていればよいのだが、ナナは手を離さなかった。
「監視カメラに映らないルートを知ってるの」
ナナは得意げにつぶやき、一番奥の階段を下りて応接間を通り、別の廊下に出てから厨房の裏を抜け、勝手口の横の窓から外に出た。
「こっちこっち」
使用人が倉庫に行くような時しか使わない細い通路を通り、屋敷を回り込むようにして、中庭に出る。
そこはよく手入れのされた花園だった。
「あーいい匂い!」
ナナの背丈を超すほどの庭木が何千本も植えられ、様々な花をつけている。
もっとも、この時間に花弁を開いている種類はそれほど多くはなかったが、土の匂いや葉の匂い、下草の匂いに交じってかすかに花の香りが漂っていた。
「あっちまで行ってみよう!」
ナナは迷路のような庭木の間の小道を走り出した。
こんなふうに、子供のようなナナの姿を初めて見たので、アスランは少々戸惑わざるを得なかった。
「アスラン、早く!」
響かぬように抑えられた声が、曲がり角の向こうから聞こえた。
ナナがどこにいるのかわかっていた。屋敷の中からこの中庭を眺めたことが何度もあるからだ。古めかしく簡素ではあるが、優美な趣きのある石造りの噴水があった。
水は止まっている。ナナはすっかり乾いたふちに腰を掛けていた。
「ここにいると、まるで森の中にいる気分になれるんだよ」
ナナは屋敷を背にしていた。
見えるのは庭の木々たちばかりだ。
庭木の迷路はまだ少しばかり続いていて、その向こうにちょっとした林がある。
が、こうして暗がりの中、視線を低くしてみると、確かに森が何処までも続いているように見えた。
「まぁ、星はそんなに綺麗には見えないけどね」
ナナの言う通り、やはりここは街から少し離れただけの場所なので、星は良く見えなかった。
だが、空を仰いで目を細めるナナは綺麗に見えた。
「いつもあんなふうにスパイごっこのようなことをして、ここへ来ていたのか?」
カメラを避けて壁づたいに歩いたり、息を潜めたり……ナナの身のこなしはあまりに慣れ過ぎていた。
おそらくもう何度も、こうして夜にひとりでここへ来ていたのだろう。
「ああいうのは得意なの!」
ナナは面白そうに笑った。
そして、こういう行動をとるのは、なにもアスハ邸だけでなかったことを告白する。
「私、ウズミ様に引き取られてから、MSのテストパイロットを解任されちゃったでしょう? だからモルゲンレーテの研究所に行くこともなくなって……ていうか、禁止されちゃって」
伸びをしながら、ナナはそう古くもない思い出を語る。
「でも、新型の開発状況がどうしても気になっちゃって……。だって私、一応開発チームの一員だったんだから当然でしょう?」
アスランは小さくため息をついた。
「それで、モルゲンレーテの研究所にまで潜り込んでいたってことか?」
「そうそう!」
言い当てられ、ナナは笑った。
「研究所は子供の頃から出入りしてるからね、どこに監視カメラがあるのか全部頭に入ってたし。ゲートでは、受付の人に『研究チームに呼ばれてきました』って言えば通してもらえたから」
アスランはナナの行動力に呆れつつ、気になったことをたずねた。
「そんなに、MSの開発状況が気になったのか? もう、パイロットとして乗ることはないはずだっただろう?」
ウズミの養子となったのは、研究者である父親が亡くなったからだった。
その時点でテストパイロットを務める義務など無くなったはずだ。それに、アスハ家の人間ともなれば、モルゲンレーテ社に入社する義務も軍に入る義務も何もない。
「だって……」
が、ナナは少し目を伏せて言った。
「やっぱり、それが“戦争”に使われるものだってわかっていても、完成しなくちゃ意味がないでしょう? ちゃんと父の設計した通りのものにならなくちゃ、いつか来る“敵”から国を護れない……それに……」
その横顔を見て、アスランは悟った。
「国を護るのは私の役目だったから」
ナナはずっと……子供の頃から、テストパイロットをさせられていて、ずっとこう思っていたのだ。
自分こそが、MSに乗って国を護る。
だから、誰よりも上手く操縦できるように訓練する。
それこそが、自分の役目であり、存在意義なのだ。決して……誰かに無理やり決められた生き方ではない……。
初めは「無理やり」のはずだった。
だが、ナナはそんな受動的な自分が嫌だったのだ。
だから、ナナはそれを己の意志に変えた。やらされるのではなく、ちゃんと自分の志を持って生きて来たのだ。
そうでもしなければ悲しすぎる……と、自虐的になったこともあっただろう。
が、小さなころから、ナナはそうして自分自身の歩く道を選び取ってきたのだ。
「問題はね、妙に懐いたカガリがいっつもついて来ちゃってたこと!」
ナナは腕を組んで口を尖らせた。
「あのコ運動神経は良いくせに育ちが良すぎるから、マーナの尾行を巻くのとか、カメラを避けて歩くとか、ほんと下手くそで……。あのコのせいで何度も見つかって怒られちゃったっけ」
憤慨しつつもとても楽しそうだった。
「それでもやめなかったんだな」
「もちろん!」
そこでナナは、アスランの顔を覗き込みながら言った。
「ヘリオポリスに行ったのもそう。新型MSが向こうで完成して、新造艦に搭載されるって聞いたから」
「自分の目で確かめようと?」
「うん。あー、あの時もカガリがくっついて来ちゃったんだけどね」
「それで、戦争に巻き込まれたのか……。オレたちのせいで」
胸が疼いた。
だがナナは、からからと笑った。
「そうだね、そのおかげでアスランやキラに逢えたのか……!」
自然と、二人の視線が合わさった。
まっすぐなナナの瞳には、後悔の欠片もない。
「モルゲンレーテに忍び込んでこっそりデータ見たり、シミュレーターに乗ったりしてたから、あの時すぐにグレイスを動かせたんだよ。スパイごっこも役に立ったってことでしょ?」
そんなナナに、『出会えてよかった』などと無責任なことは言えなかった。
「あ、ちなみに今更だけど、私イージスも完ぺきに乗りこなせたからね! もちろん、ストライクとバスターと、デュエル……はちょろかったかな」
だから、そっとナナの頭に手を乗せた。
「アスラン?」
『よく、がんばったな』もまた、無責任すぎて言えなかった。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
そのまま静かに髪を撫ぜた。
ナナの頬が少しずつ赤く染まるのが、暗がりの中でも見えた。
「アスラン……!」
照れて怒ったように言うが、手を払いのけようとも、身体を避けようともしないナナがとても愛おしく思えた。
「そろそろ戻ろうか。またあのルートを辿ってな」
二度、大きく瞬きをして、ナナは唇を噛んだままうなずいた。
その仕草が子供のようで、おかしくなって笑った。
「今度はオレが先に歩こう」
そう言うと、ナナはいつもの“企み顔”に戻って、上目遣いでこう言った。
「ちゃんと覚えてるの? 警護担当さん」
「カメラの位置くらいちゃんと覚えましたよ、特別平和大使殿」
一瞬見つめ合った後、二人して笑った。
そうして手を繋いだまま、また誰にも見つからないように部屋へと帰った。