思い出さないようにしていた、思い出のひとかけらだった。
他愛もない夜でも、アスランにとっては特別な夜だった。星は輝いていなくとも、あの時間は輝いていた。
今もよく覚えている。
あの夜のナナは、色々な表情を見せてくれた。
強い意志のために、責任と義務という強固な鎧をまとっていた彼女が、自分の前で徐々に心をさらけ出してくれるのは、この上ない喜びだった。
もっと、たくさんの彼女の顔が見たかった。もっと、触れていたかった。もっと、話がしたかった。
それは叶うものだと思っていた。
どんなに進む道が険しくとも、どれだけ苦しみが待っていようとも、その想いは無くならないと。むしろ二人の力となって、互いに与え合って生きていけると……そう思っていた。
が、その望みが幻想だったのかもしれないとアスランが思うようになったのは、その夜からたった二日後のことだった。
急に遠ざけられた。
いや、理由はまともだった。
だがそんな気がした。
『カガリのことが心配なの。私は大丈夫だから、カガリのほうについてあげて。お願い……!』
その日、二人がまた議論していたことは知っていた。
いつものように意見をぶつけ合い、折り合いがつかなかったことも、部屋から出て来た二人の顔を見てすぐにわかった。
いつものこと……だった。
二人ともまっすぐで、互いの気持ちもわかるから、なおさらこういうことは多かった。 それぞれが自分の役割を理解し、真剣に取り組んでいる証拠でもあった。
だから、こうして意見がまとまらず、けんか別れのような雰囲気で話を終えることは良くあったのだ。
そういう場合、不機嫌なナナをなだめるのもアスランの役目だった。
言葉はいらなかった。ただ、側に居てナナの愚痴を聞く。
意見も不要だった。
本当に、ただ黙って聞いているだけで、ナナはすっきりとした顔になるのだ。
『まぁいっか。後でもう一回話してみようっと』
呆れたようにそうつぶやいて、肩をすくめて笑うのだ。
が……その日は、ナナの表情はいつまでたっても晴れなかった。
それどころか、いつも堰を切ったように出る愚痴や嘆きも、ちっとも出ては来なかった。
ただ深くため息をついて、言ったのだ。
『カガリのことが心配なの。私は大丈夫だから、カガリのほうについてあげて。お願い……!』
と。
目を合わさなかった。うつむいて、悲しげで……とても疲れていた。
真っ先に思ったのは、「自分がなにかしでかしたのか」ということだった。
だが……それならば、ナナははっきりと言うはずだ。もうすでに、そういう絆はできていると確信していた。
だから次に、カガリと相当キツいやり取りをしたのかと思った。
二人とも、互いに鋭い言葉をぶつけることがある。それがエスカレートして、話し合いから言い合いになり、意地の張り合いになったのかと思った。
ともにまだ十代である。そんな若い二人が国を背負っているのだから、重圧から思いをぶちまけてしまうことは仕方がないと思っていた。
だが、ナナはカガリを気遣っている。
いや……それはいつものことで、至極当たり前なのだが、なんだかいつもと違って見えた。
表情も、声も、いつものそれではない。
とにかく、とても……傷ついたような悲しみを浮かべていたのだ。
『カガリに何か言われたのか?』
思わずそう聞いた。
カガリを悪く思うわけではなかったが、目の前のナナの姿に少々慌てていた。
『違うの。ただ……』
ナナは無理に微笑を浮かべて、淡々と説明した。
翌日から、二人とも公務で行政府を離れること。
ナナはヨーロッパでの会議に出向き、カガリは首長たちに招かれて、各国を遊説すること。
もっとも、これは以前から決まっていたため、アスランも承知のスケジュールだった。
だから、明日からはナナについてヨーロッパへ旅立つべく、すでに警備計画書を作成し、準備を万端にしていたのだ。
だがそれを、ナナはカガリの方について行けという。
『カガリがここを離れるのって初めてでしょう? だから心配で……』
たしかに、カガリが代表に就任して以来、行政府のあるこのオーブ中心地を離れることは初めてだった。
あくまで首長国連邦の国内とはいえ、外遊は初の体験となる。ナナが気をもまないはずはなかった。
しかし、もちろんカガリのほうにも相当数の警護班をつけている。軍の警備部も同行する。
自分がそこに加わらずとも、十分な警護体制のはずだった。
が、疑問を口にしても、ナナは頑なに言い続けた。
『お願い、アスラン。あのコ、見た目よりずっと緊張してると思うの。警護っていうより、気心の知れたアナタが側にいてくれたら、きっと大丈夫だと思うから』
そして、自分は大丈夫だからと言う。
『私はもう慣れたから大丈夫。それよりあのコのことが心配で、スピーチの内容が飛んじゃいそうなことが不安なくらい』
ひどく顔色の悪いまま、ナナはアスランの腕を掴んだ。
『お願い、アスラン……!』
最後には切実な願いとなった。
それを、断るわけにはいかなかった。
ナナの願いなら、叶えるしかない。
できることならナナの側で支え、護りたかった。
が……今回は、ナナの不安を取り除くほうを優先すべきと判断した。
それは正しい選択のようだった。
彼女の依頼を了承すると、ナナは嬉しそう……というより、安心したような顔をしたのだ。
それを見て、アスラン自身も安堵した。
色々と抱え込み過ぎているナナから、ひとつでも不安を取り除きたかった。その細い肩に乗った荷を少しでも軽くできるなら、自分が存在する意味があると思えた。
だから、己の欲求は抑えた。
ナナがそうしたように、自分も今しなければならないこと、求められていることを最優先としよう。
そう決意した。
今となっては……その選択を後悔している。
いや、選ぶ答えはそれしかなかった。だからこそ、無念で仕方がないのだ。
アスランはベッドから起き上がり、ベランダに出た。
懐古しているうちにかなりの時間が経ったように思えたが、それでもまだ空は暗いままだった。
が、今さら電気をつける気にもなれず、かといってあの夜と同じような風に当たっているのも忍びなく……アスランは再び身体を布団にねじ込んだ。
あの夜を思い出したからか、夜風に当たったからか、それとも解けない謎にまた後悔を噛みしめたからか……急激に意識が沈んで行った。
無理もないと、冷静に自嘲する。
開戦からこっち、特にセイバーで地球に降りてからずっと、まともに休んだことはなかった。身体の方は貪欲に睡眠を欲していたのだ。
心は塞いで、その欲求を満たすことにした。
もしかしたら、夢で彼女に逢えるかもしれない……と思いながら、アスランは静かに息を吐いた。
残念ながら、夢はみなかった。
少しの安堵と失望をぼんやりと感じながら、身を起こす。
と、すぐ横に布団の盛り上がりがあった。
そこに居たのは、ラクス……ではなく、ミーアだった。
彼女はぐっすり眠っている。
驚かないはずはなかった。思わず叫んで、ベッドから落ちた。
その音で、ミーアは目を覚ます。眠たげながらも起き上がった彼女は、寝間着姿だった。
いったいいつからそこに居たのか、どうやってこの部屋に入ったのか、いやそもそも目的はなんなのか……。
驚きと色々な思いが混ざって、幸か不幸か、ナナの余韻はすっかり消えてしまった。