その日は、戦闘以外で色々と気苦労の多い一日だった。
朝は……起きると
食堂ではフェイスで赤服のハイネと出逢い、
艦に戻り、ようやく落ち着いたかと思うと、また通路でセアに会った。
ルナマリアと出かけなかったのかと問うと、自分は診察があるし、それにルナマリアはなんだか不機嫌そうだから……と小さな声で答えた。
思わずルナマリアは何故あんなに不機嫌なのかと問うと、セアはこう答えた。
『
恐る恐るではあったが、はっきりとした答えだった。というより、朝の事をセアが知っていたことに
聞けば、あの時ミーアの背に隠れて見えなかったが、ルナマリアと共にセアもいたという。
気のせいか、セアの目にも軽蔑の色が浮かんでいるように見える。
が、どうしようもなかった。
一応、「あれは誤解だ」と言ったが、そもそもあれはラクスでなくミーアなのだ。
こうやって弁解のようなことをしなければならないのも馬鹿らしく、今後もこういったことがあるのかと思うとうんざりだった。
そして夕刻……。
気晴らしにドライブに出ていただけのシンから、
もちろん部隊長として駆けつけた。
彼は海に落ちた少女を救助して、海に囲まれた岩場で動けなくなっていただけだった。
大事に至らず安堵はした。が、トラブルを引き起こしがちなシンに対し呆れた。
それに、少女に対するシンの態度には正直困惑した。
キラがラクスにするように……いや、それ以上に、シンは少女をかいがいしく世話していた。
少女は精神的に大きなダメージを受けてでもいたのか、極端に言葉が少ない様子だったが、それを鑑みても、シンのあまりに優しい態度は意外だった。
少女を無事に“関係者”に引き渡してからも、シンは
ミネルバにハイネが正式に乗艦し、雰囲気が一変した。
彼は気さくに人に話しかけるタイプで、そうではない自分は少し戸惑ったが、それでも気が楽になったような感覚だった。
もちろんセアは、自分と出逢った時と同じく、レイの影に隠れるようにしていた。
だがハイネは、そんなセアにも積極的に話しかける。
逃げ場を失った子リスのように、セアはおどおどしながら彼に答えざるを得なかった。
その様子を客観的に見ていて、ハラハラもしたが少しだけ面白くもあった。
きっとセアは、自分にそうであったように、少しずつハイネに心を開くだろう。いや、自分に対するよりずっと早く、ハイネと打ち解け溶けるような気がした。
だが、そんなのんびりとした時間も長くは続かなかった。
ディオキアでのしばしの休息も終わりを告げ、新たな戦闘に出向くべく、ハイネとともにブリッジに上がる。
そこで聞かされたのは、地球軍の援軍としてオーブ軍が来ているということだった。
『アスラン、我々はあなたをザフトの兵士として信頼するわよ。いいわね?』
艦長の言葉に、曖昧にうなずくのが精いっぱいだった。
オーブはカガリの国だ。ナナの愛した国だ。少し前まで、自分の居場所だった。
それと戦うことに、躊躇いを捨てることなどできなかった。
今そこにいなくとも……まるでカガリやナナに、そしてキラやラクスに、刃を向けるような気分だった。
が、ハイネが言った。
「じゃあお前はどこと戦いたい? どことなら戦える?」
その問いに答える術もまた、無かった。
「そういうことだろ?」
言われてはっとした。どろどろとしたものに足首を掴まれて、奈落の底に引きずり込まれるようだった。
自分は、何も変わっていない。変われてなどいなかった。
一体、何と戦うのか……。
ナナが突き付けた問いに、未だに答えられていない……。
失望と迷いを抱えたまま、アスランはパイロットスーツに袖を通した。
バタンという音が更衣室に響いた。
強く閉じられた扉は、勢い余ってまた開く。シンはそれをもう一度強く、今度はしっかりと閉じた。
明らかに彼は不機嫌だった。いや、憤っていた。
その理由は良くわかっている。地球軍にオーブ軍が加わったことが原因だ。
自分と同じように、彼もまた動揺しているのだ。
「シン!」
このままの精神状態で戦場に出すのは、隊長として見過ごすわけにはいかなかった。
だから、エレベーターに乗り込む彼に呼びかけた。
足早に追いつき、乗り込む。
と、操作盤のところにセアがいた。
喧嘩でもしていると思ったのか、彼女は慌てて視線を操作盤に向けると、ボタンを押すことに集中した。
「カガリが……」
かまわず、アスランは口を開いた。
「代表がいたなら、こんなことにだけはならなかったかもしれない」
少しだけ、シンにそれをわかって欲しかった。
それと、少しでも本音を吐き出したかった。
「何言ってるんですか! あんなヤツがいたって……!」
案の定、シンは食って掛かって来た。
「まだできないことは多い。だが気持ちだけはまっすぐなヤツなんだ、カガリは」
そう、ため息まじりに言った。
操作盤を凝視しているセアが、こちらの様子を気にしているのがわかった。
「そんなの意味ないでしょう!」
シンはドンと壁を叩いた。
「国の責任者が気持ちだけだなんて……!」
彼の言葉を否定する気はなかった。言っていることは間違っていないし、わかってもらえるとも思えなかったからだ。
が……シンはこう続けた。
「だいたい、なんで“ナナ”が代表にならなかったんだよ!」
急に、喉を絞められたような感覚になって、シンを見た。
「“ナナ”のほうが世界中から慕われてたし、信用できた! あの人の言っていることなら、オレは……オレだって信じられたんだ……!」
シンの言葉で今さら知った。
同年代の若者が、ナナのことを何と呼んでいたのか。親しげに“ナナ”と……そう呼んでいたことを、初めて知った。
そして……。
「シンは……本当はオーブが好きだったんじゃないのか?」
シンはナナを信じたかった。オーブを、自身の未来を、ナナに託したかったのだ。
そう……、一個人としての自分のように。
だが、その思いは残酷にも裏切られた。
アスハに家族を奪われ、悲しみの中で希望を託したのに、ナナはあっけなく逝った。懸命に見つめようとしていた未来を断たれたのだ。
だからシンはアスハを恨み、オーブを嫌悪している……。
それを知って今思うのは、彼がそれほどオーブを愛していたのではないかということだった。
アスランは思いのままに彼に問う。
と、シンは驚いた顔をした。が、力いっぱいに否定した。
「そんなことありませんよ!!」
彼の叫びが狭い空間に響いた瞬間、扉が開いた。
シンは肩を震わし、真っ先に出て行った。
また、ため息が出た。
正直、この状況でこれ以上彼の心情を慮ってやることは不可能だった。今は、自分のそれで手いっぱいで……。
「あの……」
自分が降りるまでずっとボタンに手をかけていたセアが、珍しく口を開いた。
「ああ、悪かったな……。あの調子じゃあ、戦闘に集中できないんじゃないかと思って声をかけたんだが……逆効果だったみたいだ」
困った顔をしたセアに、自嘲しながら言い訳をする。
言い争いや大きな声は、たぶん彼女は苦手なはずだった。
が。
「いえ、あの……」
エレベーターを降りた後もセアは何か言いたそうにしている。
先に行きかけた足を止め、アスランは振り返った。
「わ、私も……思います……」
セアは床を見つめたまま、懸命に言葉を絞り出していた。
「あの……そうではないんですが……ええと……」
要領を得なかったが、アスランは黙っていた。
と、少しだけ視線を上げて、彼女は言った。
「私も、“ナナ様”が代表だったら……オーブはこんなことにはなっていなかったと……そう思います」
声が漏れそうになった。
最初、自分はシンに「カガリが居れば、オーブはこんなことにならなかった」と言ったはずだ。
が、セアは「自分もそう思う」としながら、「ナナが代表だったら」と言った。
何故彼女が、わざわざ怯えながらも不可思議な同意を示すのかわからなかった。
「す、すみません……!」
セアは勢いよく頭を下げると、ヘルメットを落としそうになりながらも走り去った。
一体どういうことなのだろう……。シンもセアも、「ナナがオーブの代表だったら」……と言っていた。
そうか、セアはシンに同意していたのだ……。
ひとつ、納得する。
が、わだかまりが残った。
そもそもアスランは、カガリが代表として相応しくないと思ったことはなかった。
初めからナナがカガリを代表にするつもりで「代行」を名乗っていたことを知っていたし、ナナの意志はいつも聞かされていた。オーブの理念とウズミの遺志を継ぐのはカガリしかいない……とは、ナナの口癖でもあったのだ。
が、首長たちを初め、議員らのほとんどがナナを代表に推していたことは良く知っている。そのことだけで、行政府がまるで反乱でも起きかねないような空気に包まれたことも目の当たりにしている。
カガリが代表になったのは、ただひたすらナナがそう主張したからだ。
国だけでなく世界の平和を背負っていた彼女の強い言葉は、首長たちをも黙らせた。
だが、以後も首長たちはナナの代表就任を熱望し続けていた。
それは水面下でささやかれていたようだったが、一護衛にすぎないアスランの耳にも届いていた。いや、肌でそれを感じていた。
だから当然、カガリもそんな視線に耐えながら、懸命に己の使命を果たそうと身を粉にしてきたのだ。
ナナの死後は、カガリを代表から降ろそうなどと言う人間はいなくなった。
当たり前のことだが、彼らはカガリに従い、支え、慕った。
が……彼らの中に失望があったのもまた事実だった。
それでも、アスランはカガリの他に代表に相応しい者は無く、また彼女に何ら落ち度はないと思っている。
シンに語ったとおり、彼女にはできないことがまだ多い。ナナのように語れなく、割り切れもせず、思いつくこともまだできない。
しかしナナが期待した通り、彼女はまさにオーブの理念そのものとして生きていた。
まっすぐすぎるところはあったが、それは徐々に、周囲のコントロールを学んでいけばよいと……その日に向けて彼女を支えようと、そう思っていた。
だから、こんなふうにカガリを否定されて面食らっていた。
ナナが優れていてカガリが劣っているとか、そんなふうに考えたことはなかった。
が……シンとセアはそう思っているようだ。
そしてそれがまさに、首長たちが思っていることでもあったのだ。
やけに生々しかった。
コレと戦ってきたカガリのことを思って、今さら胸が痛んだ。
そして、それほどまでに大きな期待を背負わされていたナナを想って、改めて胸が痛んだ。
そうして、脳の片隅で自分もまた思ってしまった。
(ナナがオーブの代表だったら、こんなことには……)
さんざん他人の口から聞かされていた。
『ナナが居れば、世界はこんな戦争にはならなかった』
その台詞が霞んでしまうほど、今、二人が言った台詞は生々しく鋭いものに感じた。
(ナナ……カガリ……)
二人の一番近くに居ながら、自分はなんと無力だったことか。
指の力が抜け、ヘルメットが床に落ちた。
向こうでセアが振り返った。驚いた顔で、こちらを見る。
「なんでもない。行こう……」
それを拾い上げて追いつくまでずっと、彼女はこちらを見つめていた。
「あ、あの……」
彼女は何か言いかけたが、黙ってその前を通り過ぎた。
彼女の目には、後悔が浮かんでいた。先ほどの“台詞”に対する後悔だ。
それはきっと、彼女の優しさなのだろう。
だが、それと向き合う覚悟が持てず、アスランは彼女の言葉に耳をふさいだのだ。
様々に入り乱れる感情の整理がつかないまま、ダーダネルス海峡での戦闘が幕を開けた。