「ユウナ様はどうぞ脱出してください……!」
相手の胸倉を掴んで、トダカはそう言った。
怯えていた。無知だった。虚飾まみれの虚しい権威だった。
それを全て知っていた。
自分だけでなく、副官も、他の兵士たちも、国民も……。
だが、彼が今のオーブの長だった。
「ミネルバを落とせとのご命令は、私が最後まで守り通します!」
その長が命じたことは、自分だけで実行しようと決めた。
艦と兵たちを失った責任も、自分ひとりが負うつもりだった。こんな無意味なことを、他の者にさせられるわけもなかった。
「これで、オーブの勇猛は世界中に轟くこととなりましょう!!」
欲しいものはくれてやろうと思った。
彼のためなどではない。オーブという愛すべき国が、失われないために。
「総員、退艦!!」
トダカはそう命じた。
共に残ると主張するアマギに、“後のこと”を全て託した。
“何”の後か……。
軍の……ではない。
「すでにない命と思うのなら、想いを同じくする者たちを連れてアークエンジェルへ向かえ!!」
国の……でもない。
「それがいつかきっと、道を開くことになる……!」
少し前まで、世界の一番先で平和への道を切り開いていた“あの方”の背が見えた。
「我らは進むべき道を知っているはずだ。“あの方”が示してくださったのだから……!!」
―――――――――――――――
「それで、実際はどう思う?」
国の外交を担い、『世界連合特別平和大使』でもあるその方が、気さくに話しかけるにはずいぶん身分が違い過ぎた。
「は、はぁ……」
トダカは軍人らしからぬ、気の抜けた返答を漏らした。
「アークエンジェルのこと、本当は反対だったりする?」
だが相手は十代の少女が持つような爽やかな空気をまとい、「近所のおじさん」にでも話しかけているかのようだ。
「い、いえ……」
「トダカ一佐、ちゃんと考えてくれてる?」
少し怒ったような口調も、どこか余裕がある。
気軽に聞くには重たい内容の質問なのだが、あくまで世間話といった体でいた。
「は、はい。失礼しました!」
まっすぐな彼女の目を見て姿勢を正し、トダカは先日アスハ家の私邸で知らされたアークエンジェル計画についての感想を述べた。
もちろん、反対ではないこと。あの屋敷で述べたことは、建前やおべっかではないということ。そして、計画に込められた意志を尊重することを伝えた。
「そっか、よかった」
護衛部隊の視察に来ていた世界的重要人物……ナナ・リラ・アスハはそう言って笑った。
「あの時は大勢いたでしょう? ひとりひとりの個人的な意見をちゃんと聞けなかったから」
その姿は普通の少女のようだった。
「それでは、他の者たちにもそれぞれ確認にまわるのですか?」
「確認って……固いな。そのつもりだけど、トダカ一佐には一番最初に聞いておきたかった」
「わたくしが最初で?」
「そう。だって護衛部隊でしょう? もしかしたらアレと最初にやり合う可能性があるから」
ナナは腕を組み、ブリッジの中を見回した。
この護衛艦隊空母『タケミカズチ』のブリッジにいるのは、ナナと自分だけである。副官を含め、あの秘密の会合を知らぬ者は下がらせていた。
「もし本当に……」
トダカはひとつの疑問を口にした。あの日から考えていた、具体的な疑問だった。
「ナナ様がアークエンジェルで立つことがあれば……私はこの艦でお供してよろしいのですか?」
ナナはまっすぐこちらの目を見て、すぐに噴き出した。
「ダメに決まってるでしょう? この艦はオーブを護る艦なんだから!」
「しかし……」
たしかにあの時、ナナはこう言っていた。
『私の理想は……、もしそうなったとしたら、ここにいるあなたたちと私で……“内”と“外”でオーブを護っていきたいって……そういうことなの』
ナナがアークエンジェルで発ち、外からオーブを護るのなら、自分たち軍人は内側から国を護る……それが理想だと。
だが、あれ以来、トダカは疑問を抱いていたのだ。
ナナと想いを同じくするのならば、軍としてもとるべき道があるのではないかと。
ただ一辺倒にオーブという国を護るためだけに力を使うだけじゃなく、世界を護るためにできることもあるのではないかと。
実際、ナナはオーブだけを護ろうとしてアークエンジェルを“私的に”蘇らせていたわけではなかった。世界の平和のため、争いを削ぐために、その力を使おうと考えていたのだ。
だったら、それに手を貸すことは許されるのではないか……。
その想いを伝えたかった。
軍人は特に口下手なものである。自分もその一人だと自覚している。
「でも、トダカ一佐……」
だから言葉を探しているうちに、ナナが先に口を開いた。
「想いを同じくするのなら……」
窓の外の海を眺めていた。その先に広がる、真の平和を見つめているようだった。
とても大人びて見えた。
国民に向けて話す時とも、国連で演説するときとも、秘密のドックで意志を告げたときとも違う、母性すら滲ますような優しい顔だった。
「進むべき道が……きっと同じに見えると思うの」
思わず息を呑む。
何故、そうまで確信できるのか。若い身空で、ここまで来るのにいったいどれほどのことがあったのか。
そう思わざるを得なかった。
「大事なのは想いだと思う」
ナナは急に無邪気に笑った。
「諦めちゃダメ。強く想って、それを繋げないと……“先”へは進めないよね」
うなずくことすらできなかった。単語のひとつひとつが、胸をうつようだった。
「だからトダカ一佐」
姿勢を正す暇もなく、ナナは疑問に対する答えを告げた。
「あなたがどう判断しようとも、想いが同じであれば、それは間違いではないと思います」
彼女の言葉には覚悟があった。
実際、未来についてどの程度の想像ができているのかはわからない。何を想定してアークエンジェル計画を立て、自分たち一部の軍人にそれを明かしたのかはわからない。
それでも彼女は、何があっても揺るがぬ覚悟ができている。
想いをぶれさせない、意志を歪めないという覚悟が……。
「……なんて、ベテランの軍人さんに対して偉そうに言うとこじゃないよね!」
ナナの快活な笑い声が、ブリッジに響いた。
いつもへの字に下がるトダカの口元も、つられて上に上がった。
「ナナ様」
ベテラン軍人の……その自分の持つ“覚悟”の、なんと浅かったことか。
そう思うと笑うしかなかったのだ。
それに、これからはその“覚悟”も本物になると思うと嬉しかった。
「ようやく、私にも“本物の覚悟”ができました」
トダカはそれを告げた。
「私がどう進もうとも、あなたと想いは同じです」
ナナは何も言わず、満足げにうなずいた。そして、右手を差し出した。
迷わずそれを握る。
細くて小さい、少し冷たい少女の手だ。
「ありがとう、トダカ一佐」
礼なんてとんでもない。“真の覚悟”を持たされて、軍人としてこの上ない喜びだった。
だから、黙って眼を伏せる。
「他のみんなの真意も……そうだといいけどな」
ナナがそう言うので、それは心配ないはずだと答えた。ティリングを初め、皆、自分のように思い知ることになるのだ。復活したアークエンジェルの前で聞かされた意志が、自分が思っているより固く強く、清いものだということを。
「まぁ……そういうことにならないようにするのが、当面、私のシゴトなんだけどね!」
また普通の少女のような口調でつぶやいて、ナナは海を見つめて笑った。
波は穏やかで、日の光を受けて煌めいていた。
海を見慣れたトダカの目に、その光景は最も美しく映った。
―――――――――――――――
『想いを同じくするのなら……すすむべき道が……きっと同じに見えると思うの』
炎に包まれ始めたブリッジでひとり、トダカはあの日のことを思い出した。
『あなたがどう判断しようとも、想いが同じであれば、それは間違いではないと思います』
その言葉を胸に、こんなにも国から遠く離れた海まで来た。ユウナ・ロマ・セイランという、どうしようもない指揮官を戴いて。地球軍の犬のようになり下がって。撃ちたくもないザフトの艦を撃って。
なんとしてもオーブを護ろうとした。再び燃え上がった戦いの火を鎮めたかった。
ナナの言葉がなければ……もうとっくに軍を退いていた。辞めるという行為でもって、今のオーブに反旗を翻したかった。
だが……想いは胸の奥で強く光り続けていた。
ナナと同じ想い。
ナナはいなくなってしまっても、それは確実に遺り、受け継がれたのだと思いたかった。
だから、部下たちに託した。
自分はもう終わってしまう。誰かがこの戦いの後始末と責任を負わなければならない。それはユウナなどではなく自分の役目だ。
悲しくはない。胸を張ってブリッジに立ち続ける。
ナナと同じ想いを持って、オーブの立ち場を護った。取り返しのつかないほどに犠牲が出てしまったが、せめてこれ以上は増やさずに終わらせよう。
カガリは救えなかった。
ナナのいないアークエンジェルと、共に進むことはできなかった。
だが、想いは貫いたという清々しさがある。
そしてそれを、部下たちに引き継いだということも……。
「ナナ様……」
あなたがいれば……。
考えないようにしてきたことを敢えてつぶやいて、誰も居ないブリッジで笑う。
目の前に、ザフトのMSが現れた。パイロットの姿はもちろん見えない。声も聞こえない。
が……ほとばしる激しい怒りを感じた。
猛々しく、荒々しく、それは太刀を振りかざした。
アークエンジェルにはカガリがいる……。きっとまだ、ナナの意志はそこにある。
彼らは進み続けるだろう。ナナが示し、目指した道へ。
とても満足な気分で、トダカは最期を受け入れた。
怒りの刃が立てた炎は、とてもとても、熱かった。