クレタ沖での戦闘以来、シンとの間にできた溝がどんどん深まっていくのを、アスランは肌で感じていた。
自分に対して失望したような台詞を言われたところまでは良かった。
クレタでの活躍で、シンは今、己の力を過信している。だからその身が危ないほどに自身が溢れ返った時は、ちゃんと諫めてやろうと思った。シンが自身の身を亡ぼさんとする前に……。
だが、事はもっとこじれてしまった。
あの後すぐに、シンは思いもよらぬ行動をとった。
連合のエクステンデッド……捕虜となり医務室で加療中だったガイアのパイロットを、シンは艦から連れ出して、あろうことか地球軍に返してしまったのだ。
気持ちはわかった。
シンが彼女のことを特別に気にかけているのは知っていたし、彼女の病状は悪化の一歩を辿っていたと聞いていた。地球軍に返して、ちゃんとした治療を受けさせたいと、シンは思ったのかもしれない。
だが……、シンはそのためにいくつもの軍規違反を重ねた。
彼女を連れ出すとき、艦の兵士へ暴行を働いた。無断でインパルスを発進させ、敵軍と接触した。
普通に考えて、銃殺刑は免れようもなかった。
「何故そんなことをしたのか……」、いや、「そんなことをしても何も変わらない」と話すために彼が幽閉された営倉を訪れた。
暗い独房の前で、鉄格子越しに話をした。
が、心はすれ違うばかりだった。
あげく、シンを手助けして同じく幽閉されていたレイに、「終わったことを話しても無駄なだけだ」と吐き捨てられる始末……。
艦内は嫌な空気に満ちていた。
敗戦……とはいえないが、甚大な被害を受けていたうえに、規律が乱されて兵士たちは混乱していた。
艦長も苛立ち、副長は困惑していた。
ルナマリアは自身も負傷していたうえ、シンとレイの行動に当惑し……セアは今にも泣き出しそうな顔をうつ向けていた。
さらに状況がこじれたのは、シンに対する司令部の判断が降りてからだった。
司令部がシンに下したのは「不問」。つまり、罪には問わないという信じがたいものだった。
混乱する周囲に対し、シンは鼻で笑った。
司令部には、自分をわかってくれる人がいる……と。
まるでこの艦に、自分の味方はひとりもいないとでも言うかのように。
そんな状況の中でミネルバが司令部から言い渡されたのは、地球軍からの襲撃を受けるベルリンへの援護だった。
ブリーフィングルームに、重い沈黙が流れていた。
コンディションイエローが発令されてから集合したパイロットのうち、パイロットスーツに身を包んで現れたのはシンとセアの二人だけだった。
アスランはセイバーを大破させていたし、ルナマリアは自身の身体に傷を負っていた。レイのザクも今は出られる状況ではない。
あのクレタの死闘を無事に切り抜けたのは、インパルスとレジーナのみであった。
やがてコンディションレッドが発令され、艦長から直々に指令が下された。すでにフリーダムが地球軍と交戦中ということも告げられた。
シンはモニターに向かって反抗的な物言いをすると、共に向かうはずのセアを置き去りにしてドックへ向かった。
かける言葉はなかった。
このままの状態では危険だ……という嫌な予感がした。
シンの腕は確かだし、それはすでに証明されている。だが今の状態で『戦場』に立つのは危険だという予感がしていた。
同じく、ルナマリアも不安げな顔でシンの背を見送った。レイは冷静なまま、ただソファーに腰かけていた。
「あ、あの……」
沈黙の中で口を開いたのはセアだった。
シンに置いて行かれ、取り残されていた彼女は、アスランとルナマリアに向き合った。
そして。
「だ、大丈夫ですから!」
笑みを浮かべてそう言った。
「セア……?」
彼女を良く知るはずのルナマリアでさえ、戸惑うほどの明るい声。
「シンと私とで、ちゃんとこの艦を護ってみせますから、安心してください!」
両の拳を握って、細い肩をいからせて、精一杯こちらを安心させようとしている。
「ベルリンの町から地球軍を追い出して来ます」
だが、目もとや口元は密やかに引きつっていた。
「シンと無事に帰って来るので、待っていてください!」
明るく強い声。戦闘前には見せないはずの、自信たっぷりの笑み。強気な発言。
全てが、アスランの知っているセアではなかった。
「セア……」
そして、ルナマリアも。
「ルナ、傷に触るからじっとしてなきゃダメだよ! アスランも、そんなに心配しないでください。胃が痛くなっちゃいますよ!」
セアはにこにこと笑って、最後にレイに声をかけると走り去った。
「あのコ……」
しばらくして、ルナマリアが吐息をついた。
アスランにもわかった。セアは彼女なりに自分の立場を良く考えたのだ。
機体も無事で、怪我もしていない自分がしっかりしなければならない……と。戦力が大きく削がれたこの艦で、自分は皆を護るべき立場なのだと。
少し変わってしまったシンのサポートをして、残された者たちの不安を拭って、戦って、ちゃんと帰って来る……と。
それだけじゃない。
彼女はこの歪な艦の空気も変えようとしている。あえてらしくない元気で強気な発言をして。
恐らくは、最も苦手な作業だろうに……。
「正直ショックですよ」
ソファーに腰かけながら、ルナマリアがため息まじりに。
「あのコにあんな生意気なこと言われちゃうことになるなんて」
その顔は本当にショックを受けているようでもあり、どこか嬉しそうでもあった。
アスランも腰を下ろした。
また一粒、己の無力さを噛みしめながら。
「映像出ます」
ただひとり、セアの態度に何も感じていないようなレイが、冷静にモニターを操作した。
そこに、信じられない光景が映し出された。セアの精一杯の笑顔すら、消し飛んでしまうような……。
焼け堕ちた都市。
黒い煙と瓦礫の中に、超大型の物体が立っていた。制御を失った兵器のごとく、火を噴き、町を焼き尽さんとしている。
まるで悪魔だ……。
艦長が告げた通り、そこにフリーダムがいた。アークエンジェルも。
インパルスとレジーナは、そこへ飛び込むことになる。
再び嫌な予感が押し寄せた。
セアが目いっぱい勇気を振り絞ってくれた言葉も、もうかすんでしまうほど。
巨大な悪魔は、モビルスーツに変形した。それこそ、本当に世界を破壊しつくす悪魔のようだった。
キラですら手こずっているように見えた。
そこにインパルスが割って入る。レジーナは、カオスと対峙した。
手に汗が滲む。
さすがのレイも、食い入るようにモニターを見つめている。
戦闘は長引かなかった。
何故か、攻撃体勢をとらずにフラフラと巨大MSに迫るインパルス……。
つられたように巨大MSの動きも止まった。シンと巨大MSのパイロットが、見合ったように見えた。
が……、沈黙は一瞬で終わった。
巨大MSはまるで思い直したかのように、再び砲を撃つべくエネルギーを充填する。至近距離に迫っていたインパルスもろとも、周辺一帯を焼払おうとしているように見えた。
ルナマリアが悲鳴を上げた。聞こえるはずのないシンへ、「逃げろ」と。
だが、間に合わなかった。
そのかわり、砲も放たれなかった。
フリーダムが機体にビームサーベルを差し込んで、発射を止めたのだ。
巨大MSは真後ろに倒れ込んだ。
溜まっていたエネルギー砲は空へと放たれ、インパルスを破壊することはなかった。機体はそのまま大破し、何故か退避もしようとしなかったインパルスは爆風で吹き飛ばされていた。
モニターが真っ黒になった。それほどに、巨大MSが破壊された衝撃は凄まじかったのだ。
「シンは……? セアは無事なの?!」
ルナマリアが叫んだ。
ブリッジからの言葉はなかった。
やがて、映像がクリアになると同時にメイリンの声がした。
≪インパルス、レジーナ、ともに無事です……!≫
続けて……。
≪地球軍巨大MSは大破。隊長機ウィンダムも撃墜を確認。それから……カオスはレジーナが撃墜≫
アスランは今まで止めていた呼吸を再開するかのように、大きく息をついた。
ルナマリアもその場にしゃがみこんだ。
レイも、そっと息を吐いたのが視界の隅に見えていた。