ミネルバのドックは騒然としていた。
三機のMSが大破、あるいは中破し、その修理の目途が立っていない。行き交うクルーたちも、進まぬ作業に苛立ちと困惑を隠せずにいたのだ。
アスランは、もはや自立もままならずただ転がっているだけのグレーの塊を横目にため息をついた。
キラに壊されたものは、もう元には戻らない……。それを失った自分には、もう力はない……。
目の前の一本道が、霞の中に消えていくようだった。
部屋にいても落ち着かず、かといって機体整備の口実も失ってしまったので、アスランはドック内を見下ろせる通路にたたずんでいた。
することも無い、考えても答えが無い、友もいない、ナナも……。
自嘲することさえ疲れて、眼下の喧騒をぼんやりと眺めていた。
いったい、ここで自分は何をやっているのだろう……。
再びこの赤服に袖を通した時の想いさえ忘れてしまった。
「アスラン!」
ルナマリアが現れた。
怪我を負っているが、彼女は明るい。だがその明るさに、今は目が痛むだけだった。
彼女の言葉に曖昧に返答した。
ひとりになりたかったが、そう言う気概も立ち去る気力も持ち合わせていなかった。
が、シンの独断行動に対する不満をつぶやいていたはずの彼女が、不意に言った。
「アスランは優しすぎるんですよ。まぁ、そういうところも私は好きですけど……」
初めて彼女の目をちゃんと見る。
彼女が言った「優しすぎる」という単語がどこから来たのか、よくわからなかったのだ。
唐突に凝視されて居心地が悪くなったのか、ルナマリアは若干躊躇いながらも、己の考えを言った。
「せっかく権限も力も持ってるんですから、もっと自分の思った通りに動いてもいいのにって思います」
それはまぎれもなく、自分に向けて言ってくれた言葉だった。
それが心に響いた。誰かの言葉が心に届くのは、久しぶりのような気がしていた。
「力……、権限……」
初めて聞いた単語のように、口内で復唱してみる。
だが、その意味を考える間は与えられなかった。
突如、ドック内にデュランダル議長の声が響き渡る。
プラントからの緊急メッセージだった。
ルナマリアと二人で、急いで待機所へ駆け込む。
メインモニターの前には、すでに人だかりがあった。シンとレイ、そしてセアの姿もあった。
モニターに映された光景に、目を疑った。
初めて見る光景ではない。だからこそ、驚愕した。
これは、自分たちしか目にしないはずの映像だ。
つい先日の、ベルリンでの戦闘の映像……。街を破壊する悪魔のようなデストロイと、それに立ち向かうインパルス。
だがフリーダムの機影は一瞬たりとも映り込まない。
ベルリンだけではなかった。
連合に強制労働を強いられていた民間人をシンが解放した場面。連合軍に対して怒りと憎悪の言葉を叫ぶ民。
軍が厳重に管理する戦闘ログであるはずの映像が、全世界に流されている。
そして一連の映像の後、デュランダル議長は熱のこもった声で訴えた。
≪何故こんなことをするのです! 誰が、何故、平和など許さぬ、戦かわねばならないと叫んでいるのです?! 何故我々は手を取り合ってはいけないのですか!!≫
それは、今まで目にした議長の姿からは想像もつかないほど、猛々しい姿だった。
周囲のクルーたちの心が、議長に向いているのがわかった。
そして、議長の隣に
彼女はしっかりとカメラを向いてうったえた。
争いを繰り返すことの愚かさを、その先の未来へ進むことの大切さを。憂いのある表情で、祈りを込めたような声で、切々とうったえた。
それはまるで、アスランから見ても本物のラクスのようだった……。
だからこそ……、まるで胸に異物を抱えたような気分になるのだ。
ラクスじゃないラクスが、ラクスのように振る舞うことの矛盾と、異常。周りの人間が彼女に心を打たれているのを目の当たりにして、いっそうそれらを強く感じてしまう。
が、そんな感情さえも、次に映し出された映像がさらっていった。
≪かつて、わたくしの友も、そう願っていました≫
ラクスがそう言って目を伏せた後……。
≪どうか、この先……平和な未来が訪れますように≫
それを、その姿を……薄暗い、息が詰まるような部屋で見たことがあった。
≪私たちはまだ、大きな傷を抱えたままです。そして、深い憎しみも……。でも、そればかりでは、平和な明日は来ません。そのことは、痛みを抱えているからこそ、わかることだと思います≫
オーブの公人の制服を着て、執務室の椅子に腰かけて、凛とした顔で話す、ナナ……だ。
≪全ての人が願うのは、平和な未来のはずです。私はそう、信じています。恨み、憎しみ、疑念はすぐには取り払うことは難しいでしょう。未だ後悔と絶望に身を沈めている人もいるはずです≫
卑怯なナナが遺した、“声”だ……。
≪でも、全ての人に道は続きます。どんなに絶望しても、立ち止まることがあったとしても、人は歩き続けなければならないのです。暗い道の先は、闇でなく、明るい光でなければなりません。今は辛く、苦しくとも、光を信じて歩き続けるのが人だと、私は思います。そしてまた、光を目指すからこそ、辛く苦しい道なのだとも思います≫
ひどく懐かしいものに思えるその強く優しい笑みが、こちらを向いている。
≪どうかみなさん、願う未来へ、進んでください≫
胸が詰まった。喉が締め付けられた。頭の芯が刺すように痛んだ。
思わず、少しよろめいた。
「アスラン……!」
ルナマリアが触れたところに、何も感じなかった。
≪かつて、平和の大使、ナナ・リラ・アスハはこう言いました≫
画面が議長の顔に切り替わっても、アスランはナナの残像に見入っていた。
≪彼女の言葉はまだ、我々の道しるべであるはずなのです……!≫
椅子から立ち上がり、狂気すら滲ませて、議長が叫んでいた。
≪先の戦争後、彼女の言葉に皆さんも決意したはずです。平和な未来を築くと。痛みを乗り越え、必ず明るい未来へ進むのだと……! 彼女は傷ついた我々に、立ち上がる勇気を与え、すすむべき道を示してくれました。あの時うち震えた心は、今も皆さんの中に残っているはずです!≫
アスランは動揺しながらも困惑を覚えた。
議長はナナの想いを再び世界に蘇らせようとしている。
それは理解できた。
あの、オーブの民に向けられた“最期の”映像まで出して来て、ナナの言葉を再び世界に届けようとしている。
が、揺れる心は一段とざわめくのだ。
≪ですが……≫
議長は拳を握りしめ、苦悩の表情でそれを机に打ち付けた。
≪世界は再び争いを始めてしまった……!≫
ラクスが労わるように議長の肩に手を添えた。
≪どうあっても、彼女が示した道に進むことを、邪魔しようとする者たちがいるからです……≫
話が逸れたおかげで、アスランは再び画面を見ることができた。
議長は敵意を浮かべた視線で語り始めた。かつて自分たちミネルバのクルーの前で口にした、『ロゴス』の存在を……。
≪常に敵を作り上げ、世界に戦争をもたらそうとする、軍需産業複合体……死の商人『ロゴス』……! 彼らこそが、平和を望む私たち全ての真の敵なのです!!≫
思わぬ糾弾だった。
ロゴスが古から世界で暗躍してきた組織ということは、アスランも理解していた。
だが、歴史上そういった組織がこれほど公に名指しで糾弾されることがあっただろうか。
この驚きで逆に冷静さを取り戻すと、周囲の困惑が伝わって来た。
顔を見合わせ、聞き慣れない『ロゴス』の単語をつぶやく者たち。ルナマリアも理解しきれない表情で画面を見つめている。
≪このユーラシア西側の惨劇も、彼らの仕業であることは明らかです。そして……≫
自らの興奮を抑えるように、議長は椅子に座り直した。
そして両手を机上で組み合わせ、押し殺したような声で言った。
≪平和の大使、我らの架け橋、人々の光であったアスハ大使を……≫
「アスハ大使」の名を聞いた瞬間、ぞっとした。
思わず、後ずさった。が、耳をふさぐことは間に合わなかった。
≪我らから奪ったのが彼ら『ロゴス』であるという可能性を、私は抱いています≫
開けてはいけない蓋が、醜い音を立ててずらされたような気がした。
≪我々の同胞やオーブの皆さんが巻き込まれたあの“事故”は、本当に不幸な事故だったのかと、未だ疑問に思う人々も多いはずであり、私もまたそのひとりなのです≫
「ア、アスラン……!」
“遠く”でルナマリアの声がした。
視界のふちが陰った。
が、議長の視線と声だけははっきりと、アスランの目と耳と心と脳に突き刺さる。
≪プラントとオーブの調査団の報告では、紛れもなく、施設の管理体制の不備による事故でした。が、私は『ロゴス』に仕組まれた可能性を念頭に置いたうえで、もう一度、あの事故を調査するつもりです……!≫
痛い……、痛む……、が、それがどこか、もうわからない。
≪何故なら、皆を平和な未来へ導かんとしたアスハ大使こそが、『ロゴス』の天敵だったからです……!≫
ひどく遠い場所から、議長がこう言い放つのが聞こえた。
≪世界の真の敵、『ロゴス』を滅ぼさんと戦うことを、私はここに宣言します!≫
それが議長の真意なのか、これから世界がどうなるのか、そんなことは考えられなかった……。