見果てぬ宇宙(そら)の夢   作:亜空@UZUHA

51 / 105


 

 ずっと、悪夢の中にいるようだった。

 脳内ではぐるぐるとあの戦慄の光景が渦巻いて、目の前のことを受け入れられない。

 横になっても眠れない。かといって、何も手につかない。誰とも話したくない。これからどうすべきか考えようとしても、すぐに散っていくフリーダムの姿がまぶたに蘇るため、思考は停止してしまう。

 時間の感覚すら失いかねないような状態で、アスランはミネルバの次の目的地であるジブラルタルに着く前の多くの時間を、自室に引きこもって過ごしていた。

 だが、ジブラルタルに着いたらすぐに、ミネルバは次の指令を受けるはずだ。

 その時には、己のすべきことを明確にしなければならない。

 艦長の言う通り「割り切る」のか……。

 それが「進む」ということなのか……。

 ナナが何を望むのか、もうわからなくなっていた。

 せめて一時でも、悪夢から逃れよう……。

 そんな思いで、アスランは医務室に向かった。

 薬に頼ってでも、一度頭をクリアにする必要があった。

 

「アスラン……?」

 

 が、またもその通路で遠慮がちな声がかかる。

 

「セア……」

 

 出会った頃のように、彼女は壁にピッタリと身を寄せて怯えていた。

 無理もない。あのシンとの一件以来、艦の誰もが自分を腫れ物のように扱っていることを知っている。

 

「診察か?」

 

 興味があったのではない。

 ただ、ここから医務室までの数メートルを一緒に歩かねばならないのかどうか、確認したかっただけだった。

 

「あ、は、はい……」

 

 仕方がない。お互いに出くわしたのを不幸な偶然と思うことにしよう……。

 アスランは何も言わずに再び歩き出した。

 セアの躊躇いがちな足音が、少し後ろで聞こえる。

 

「あ、あの……」

 

 セアはかすかに口を開いた。

 

「アスランは……どこへ……?」

 

 同じ方向に向かっていることが不安なのか、それとも不快なのか、彼女は掠れた声で問う。

 

「医務室だ」

「ど、どこか悪いんですか?」

 

 それが心配なのかわからずに、アスランはため息のようにつぶやいた。

 

「眠れないから……何か薬でももらおうと思ってな」

 

 自嘲気味になったのが彼女にどう伝わったのか、思いやる余裕はない。

 

「そう……ですか……」

 

 セアはそうつぶやいたきり、口をつぐんだ。

 重苦しい沈黙が数十秒続いて、ようやく医務室に辿り着いた。

 ドクターは不在だった。艦のドクターも、セアの専属ドクターも。

 

「あ、診察時間は10分後なので、もうすぐドクター・リューグナーが戻って来ると思います……!」

 

 セアが言い訳するように早口で言った。

 応える気にならず、黙って椅子に腰かけた。

 あと少し……。

 居心地は悪いが、沈黙のほうが何か話すよりはセアにとってもマシな状況だろう。

 アスランはそう判断し、所在なく壁を眺めることにした。

 だが。

 

「あ、あの……」

 

 接触を嫌うはずのセアが、また口を開いた。とても迷いながら。

 

「せ、先日の……、作戦の件ですけど……」

 

 「先日の作戦」が何を意味するのか……。

 彼女がいくら遠回りな言い方をしても明確だった。

 そして、今は一番話したくないことでもあった。

 だが、顔を背けるアスランに対し、セアは声を震わしながらもこう言った。

 

「あ、アスランは……、どう思いますか?!」

 

 横目で彼女を見た。

 ドクターの机のところに立ったまま、両手で上着の裾を握りしめている。かすかに頬を紅潮させ、歯を食いしばり、まっすぐにこちらを向いている……。

 こうして必死に己の中の怖れと戦う姿は、やはり、ナナには似ていなかった。

 だが、それでも眼差しはナナを思い起こさせるのだ。

 

「どうって……」

 

 アスランはあからさまに顔を背けた。

 彼女が傷つくかもしれないとは思ったが、今はナナの面影を見たくはなかった。

 

「アークエンジェルを……討ったこと……です……」

 

 最後の方は萎みつつも、セアは食い下がった。

 「今はその話をしたくない」と言う気力さえも、アスランには無かった。

 

「あの艦は……、確かに、戦場を混乱させて、撃つのか撃たないのかよくわからなくて……。あのフリーダムのせいで、ハイネは……戦死……しました……けど……」

 

 彼女は何を言おうとしているのだろう。自分から何を聞き出したいのだろう。

 セアが無理をしてまで語ることの真意を、アスランは測りかねた。

 

「だけど……、あの……」

 

 彼女は今にも泣き出しそうだった。

 そんなナナとは似ても似つかない姿を、アスランは再び見つめる。

 

「あの艦とフリーダムは……、本当に、私たちの……敵……だったんでしょうか……」

 

 この間と同じ難問をぶつけて、今度は彼女が目を逸らした。

 

「わ、わかってます! 司令部からの命令なんだから、敵としてみなすのは当たり前だって……! 司令部があのアークエンジェルとフリーダムを恐れて、排除しようとするのもわかります……! で、でも……」

 

 彼女のこの葛藤は、アスランが持つそれとは違っていた。

 純粋な少女が、芽生え始めた己の理念と、理想や正義と、そして軍の規律との狭間で揺れ動く様はとても危うかった。

 彼女は自分の足で、新たな道を歩こうとしている最中だ。自分で考え、立場を理解し、葛藤しながらも歩く道……。

 それはかつての自分が歩いた道だ。

 対して自分は……、歩いて来た道を失い、新たな道も見えていない。これまでの道が音を立てて崩壊し、闇の中にいるようだ。

 だから、彼女に自分の思いなんて告げることはできなかった。

 彼女が「わかっている」と言ったことが、彼女の立場としては正しいのだから。

 

「でも、フリーダムは……、ミネルバを助けてもくれました……。ベルリンの街も……、守ろうとしていたんだと……思います……」

 

 が、セアはアスランが想像したのと別のことを言った。

 

「あの艦は、本当は……、戦いを……終わらせようと思って戦っていたんじゃないんでしょうか……?」

 

 問いかけに、答えられるはずもなかった。

 セアが言ったのは、()()では思ってはいけないことだ。そう思ってしまったとしても、その後に「だからといって……」が続かなければならない。

 が、セアは続きを言わない。

 思いは宙ぶらりんの状態にしたまま、アスランに続きを押し付けている。

 だから少し、意地の悪い質問を返した。

 

「だったら君は……」

 

 途中でやめようと思ったが、全てを吐き出してしまった。

 

「もしアークエンジェルとフリーダムが沈んでいなくて、またミネルバの前に現れた時、君は命令が下っても撃てないというのか?」

 

 迷いを持ったまま引き金に手をかけることの危険性を、アスランは良く知っている。セアにはそんなふうになって欲しくなかった。

 彼女には、悪夢の中から抜け出すことのできない自分のようにならず、早く答えを見つけて欲しかった。

 いや……。

 単純に、セアの答えが聞いてみたかった。何の慰めにも参考にもならなくとも、純粋な心を持った軍人なら……どう答えるか。わかっていても聞きたかった。

 セアは、もうほとんど涙声で言った。

 

「わ、わかりません……」

 

 やはり、答えなど出るはずもないのか……。

 アスランの中に、利己的な失望が滲む。

 

「この間も、私……、レジーナには出撃命令が出なくて……、実はとても安心したんです……」

「アレは撃ちたくなかったか?」

 

 そうして、理不尽な皮肉をぶつける。

 だが、醜い心を突き刺すように、セアは言った。

 

 

「だって、アレは……、『ナナ様の翼』……だから……」

 

 

 自然と目が見開かれた。

 椅子がぎこちない音をたてた。

 

「ナナ……の……?」

 

 セアはうつむいたまま、すすり泣くように言う。

 

「ナナ様が……おっしゃっていたんです……」

 

 彼女が語ろうとしている「ナナ」が、自分の知っているナナなのか……。

 本当に知りたくて、思わず立ち上がった。

 セアは一瞬肩を震わせ、わずかに後ずさった。

 

「え、演説の後……、公式じゃないお言葉として、わたしたち士官候補生に向けて、話してくださったんです……」

 

 だが、意を決した様に語った。

 

「目指す未来に立ちはだかる者が現れたら、それとは戦わなければならない……。そのためにはどうしても力が必要で、残念ながら今はそれを手放すわけにはいかない……」

 

 その言葉はどれも澄んでいて、ナナの言葉と確信できた。

 

「だけど、その力は絶対に正しく使わなければならない。正しく使うということは、今、願っている未来のために使うこと。憎しみや欲望のためだけじゃなくて、願いのために使うこと……」

 

 久しぶりに心が震えた。

 

「そうすれば、その力は“武器”ではなく“翼”になる……。誰かを殺すための“武器”じゃなく、未来へはばたくための“翼”になる……」

 

 セアの光る瞳が、こちらを見た。

 

「『だからみなさんも、プラントの“武器”でなく、人々の“翼”であってください』って……、そう、おっしゃったんです……!」

 

 両手を握りしめ、訴えかけるようにそう言った。

 その瞳に強い意志は浮かんでいなかった。が、とても綺麗な光を放っていた。

 

「私は……そのお言葉が本当に嬉しくて……。私の前に、道を照らしてくださったようで……、本当に嬉しかったんです……」

 

 光の粒が、頬を伝った。

 

「この間も言いましたけど、私……、軍人の家系だから、自分も軍人にならなくちゃって、特に志もないまま士官学校に入って……。でも、あの戦争が終わって、平和な世界にならなくちゃいけないのに……、軍に入っていいのかなって……。本当はわからなくなっていたんです……」

 

 セアはまつ毛を震わしながら、一生懸命に自分の言葉を話した。

 

「だから……、ナナ様のお言葉がとても嬉しくて……。どんな軍人になればいいのか、どういう意志を持つべきなのか、示してくださったようで……。ナナ様にはとても感謝しているんです……」

 

 そして、手の甲で涙を拭う。

 

「わ、私……、ナナ様の面影がある……なんて言われてきて、勝手にナナ様に憧れを抱いてたんですけど……、初めてお会いして、お言葉をいただいて……、本当に尊敬しました……!」

 

 その仕草は、どことなくナナに似ているように思えた。

 

「あのっ……、ですから……」

 

 凝視されていることに気づいて、セアはまた慌てたように早口になる。

 

「わ、私は、あのアークエンジェルが『ナナ様の翼』として存在していたんじゃないかって思えてならないんです……! 戦うための力じゃなくて、戦いを止めるための力……。そのためにナナ様はあの艦を……」

 

 最後まで言わずに口ごもった。そして、うつむいてまた遠慮がちにこう問う。

 

「って……、わたしなんかが勝手に思ってるだけなんですけど……。アスランも……、きっとそう思っていらっしゃるのではないかと……。というか……、アスランは、『答え』をご存知ですよね……?」

 

 セアの思いが真実かどうか、アスランはもちろん知っている。

 が、答える前に、力が抜けた。

 

「そうか……」

「え……?」

 

 脱力したまま、椅子に腰を下ろす。

 

「ナナは……、ちゃんと『種』を撒いていたんだな……」

 

 それが目の前で証明されたことが、本当に嬉しかった。

 ナナが死の直前まで撒き続けた種が、確かに目の前で芽吹いている。たとえたった一粒でも、嬉しかった。

 

「良かったよ……、本当に……」

 

 素直な感情だった。

 公にされない、「演説」とは違う、ナナの言葉。直接向き合っている若い軍人たちに向けた、真摯な想い。

 それはちゃんと届いていて、受け継がれていたのだ。

 

「でも……」

 

 が、セアは顔をくもらせ、再び拳を強く握り合わせた。

 

「今の私は……、何もできません……」

 

 示された道を歩けない苦しみを、セアは抱えている。

 それは当然のことだった。願う未来に辿り着くための道は、平坦ではないのだ。たとえナナが導いたとしても、歩む者自身が越えなければならない障害は存在する。

 

「私は……」

 

 すがるような目で、セアは言った。

 

「どうすれば……よいでしょうか……」

 

 答えなど存在しない……。セアの問いは重すぎる。

 

「すまない……」

 

 互いに視線を逸らした。

 

「オレにも……、オレも今、その答えを見つけ出せずにいる……」

 

 セアに答えられるくらいなら、こんなふうに情けなく医務室になど来ていないのだ。そもそも、“ここ”にはいなかったかもしれないのだ。

 

「そ、そうですよね……。すみません……」

 

 かすかに失望を滲ませたセアの声が、無力感を増幅させる。

 だが、それでも何ひとつ、気の利いた言葉は出てこないのだ。先輩としても、上官としても、年上の男としても……。

 たとえば、上官ぶって彼女を「たしなめる」こともできるはずだ。MSのパイロットでしかない今は、本部の命令に従うべきだ……と。ナナの想いを受け継ぐのは素晴らしいことだが、今はまだ、迷いながらでも前に進むべきだ……と。

 ただ彼女が戦場で命を落とす確率を下げるためだけなら、そう言えるはずだ。

 が、それでは、懸命に芽吹いたものをこの手で摘み取るような気がした。

 ナナが悲しむ気がするのだ。

 きっとナナも、今のセアのように迷いながら進んだだろうに……。

 それでもセアの背中を押すような台詞は言えない。自分がそれを言うのは、無責任な気がした。

 

「セア……」

 

 出口を見いだせないまま、アスランは再び意地悪な問いを口にした。

 

「君は、議長の考えをどう思う?」

 

 議長が指示した道を歩くのが、この制服を着ている者の生き方だ。

 が……、それを躊躇っているから、迷路に放り込まれたようでいる。自分も、セアも。

 だから、性根が腐っていると自負しながらも、そう問いかけた。

 

「え……」

 

 セアは驚いたような顔をして、それから唇を噛んだ。

 それが答えだ。

 彼女はやはり、自分と同じ迷路にたたずんでいる。シンのように、議長の言葉に賛同していない。レイのように議長を信じていない。ルナマリアや他のクルーたちのように、受け容れてもいない。

 不幸なことに、彼女は立ち止まって動けないのだ。自分と同じように。

 

「わ、私は……」

 

 だが、彼女は自分よりも強いとアスランは思った。ちゃんと思いを言葉にしようとしている。戸惑いながらも、今ここで、何かをさらけ出そうとしてくれている。

 

「議長の……、お考えは素晴らしいと思います……。でも……」

 

 きっと、この艦では口にしてはいけないようなことを、彼女は自分に打ち明けようとしていた。

 だが。

 

「ナナ様の……」

 

 セアがまたナナの名を口にした時、閉ざされていた扉が開いた。

 

「……あら……」

 

 初めに自分を見つけ、次にセアの姿を見つけて、顔をしかめたのはドクター・リューグナーだった。

 

「どうされたのですか? アスラン・ザラ」

 

 鋭い棘を隠そうともせず、彼女はアスランを見下ろした。

 

「あ、いえ……」

 

 その視線の鋭さに、一瞬言葉を失う。

 

「あの、ドクター・リューグナー。アスランはよく眠れないので何か薬が欲しいそうです……!」

 

 何故か、セアが代わって言った。

 そのセアにも、ドクター・リューグナーは探るような視線を向ける。

 

「わかりました。軽い睡眠薬を用意します」

 

 それ以上は特に何も聞かず、ドクターは薬品棚に向かう。そして、セアに向かって言った。

 

「セア、これから検査をします。すぐに検査室に入りなさい」

「え?」

 

 セアは驚いた声を上げた。

 

「今日は、検査の日じゃ……」

「最近は検査する時間がなかったでしょう。ジブラルタルまでまだ日がありますから、今のうちに検査をしておきます」

「で、でも……」

「艦長には私から報告しておきますので。早く検査室へ……!」

 

 有無を言わさぬ態度に、セアは困惑していた。

 ドクターは薬をアスランに手渡すと、視線だけで「早く出て行け」と言う。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 そう言った時にはすでに、ドクターは奥の検査室へセアを押し込んでいた。

 会話を聞かれていたのだろうか……。

 だとしたら、自分はどうでも良いが、セアにはまずいことになるだろう。

 部屋を出て、薬のケースを握りしめる。室内の物音は聞こえなかった。

 次にセアと会った時には、ちゃんと謝ろう。

 そう思った。

 いたずらに彼女の混乱を膨らませただけのような気がするからだ。言わなくていいことも言わせてしまったと思う。

 が、やはり、それ以上、気の利いた台詞が再会までに思いつくとは思えなかった。

 睡眠薬(こんなもの)に頼らなければならないような情けない男が、何か言える立場ではないと、そう思った。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。