「基地内に不審者がいるとのことで、その対応としてMSを待機させるようにとの指令を受けました。主力部隊は港へ向かったので、私は念のためこの辺りを警戒するようにと、『本部』から言われています」
セアがこう言っただけで、あっさりとゲートは開いた。
彼女が赤服だったのと、やはり番兵が彼女の名を知っていたから、余計な追及はなかったのだ。
セアはゲートから一番遠い格納庫の前で車を止めた。
降りしきる雨の中に、二人して身を躍らす。一瞬で、乾きかけていた制服はずぶ濡れになった。
セアはまだ、さきほどのゲートでのやりとりの緊張が残っていた。少し震える手でIDをかざし、格納庫の扉を開ける。
そこは、予定通りグフの格納庫だった。
「出られそうですね」
「ああ」
セアはグフの足元にある操作盤の電源を入れた。
その手はすぐに、淀みなくキーボードを打ち始める。
アスランもタラップの設定を始めた。
ボタンの操作をしながら、モニターの鈍い光に照らされたセアの横顔を見る。
髪の先から、雫が何度もしたたり落ちた。
アッシュグレイの髪。バイオレットの瞳。ナナとよく似た輪郭でいて、ナナとは違う……。
この不思議な感情とも、ここでお別れだ。
アスランはふと、そう思った。
先ほどセアに、『ナナと似ている自分を見て不愉快だったろう』と言われ、ちゃんと否定ができなかった。
もちろん、不愉快ではなかった。
大いに戸惑いはした。少しのもどかしさがあった。彼女にナナの面影を見るたびに、彼女はナナではないと言い聞かせるのが癖になっていた。
それが少し、辛かった。
罪悪感もあった。同じく、虚無感も……。
だが、セアが嫌いではなかった。
彼女は、ナナとは違う強さと優しさを持っていた。
だったら……、いったい自分は、セアにどんな思いを抱いていたのだろう。
今さら、よくわからなかった。
当然、ナナへのような特別な感情はなかった。それを求めようともしなかった。
かといって、ただの後輩、仲間……、ではない気がする。
ルナマリア、シン、レイたちとは違う感情があったのはきっと確かだ。
それは、何か……。
今ここにセアがいることが、その答えなのかもしれない……。
そう思って、もう一度セアの横顔を眺めた。
いつからか……、きっと彼女はこんなふうに特別だった。
ガルナハンの町で、シンが強制労働者を解放した時、セアが言った。
『これで……良かったんですよね……?』
何故だか、彼女がつぶやいた疑問にとても安心したのを覚えている。
クレタ沖でアークエンジェルやフリーダムと対峙した時、セアは凄むような声で聞いて来た。
『フリーダムは敵ですか?』
敵じゃないとしどろもどろに答えると、セアはフリーダムに一切の攻撃をしなかった。
あの時は、彼女の言動と行動に、安堵と困惑が入り乱れた。
きっと……、普通のザフトの兵士なら、シンを称えるか、あるいはやり過ぎだと呆れるところだろう。
それに、当然フリーダムは“敵”として排除するはずだった。
セアはあの時からアスランの考える“普通”とは違っていた。
そして彼女は、「アークエンジェルは敵と思えない」と言った。
命令でも、本当は討ちたくなかったと……。
あれは「ナナの翼」だと言った。ナナを尊敬していると。ナナに憧れていると。ナナの示した未来を歩きたいのだ……と。
だから、こうして自分を助けてくれている。
『あなたは、ナナ様が示した道を、ちゃんと歩いて行けると思います』
そんな言葉までくれて……。
きっと、セアがナナに似ていなくても……、今のように特別な存在となっただろう。
そう確信した。
彼女の中に、ナナのような強さと優しさを見たから。彼女の細い身体の中に、一本の強い芯が在ったから。
彼女が……、ナナが撒いた種を芽吹かせようとしているから。
それをもう一度、実感したかった。
こんな時に……。
だが、もう彼女とはお別れだ。今、確かめるしかないのだ。
「セア……」
頭上でグフの駆動音がした時に、アスランは口を開いた。
「はい……?」
その声が場違いにのろく聞こえたのか、マヌケに響いたのか……、セアは少し驚いた顔で振り向いた。
最後の問いを、アスランは投げかけた。
「君は、以前医務室で、議長の言葉について何と答えようとしていたんだ……?」
それは最後にして欲深い問いだった。
だが、その言葉がきっと、これから進む道を照らしてくれる気がした。
「あ……、私は……」
無垢で無慈悲なセアは、あの時途切れた言葉をちゃんと紡いでくれた。
「議長のことは、尊敬していますし、私を取り立ててくださったことは感謝しています。だから、議長のあのお言葉も、とても素晴らしいと思いました……」
ひと言ひと言、自身のなかで噛みしめるように、彼女はきちんと語ってくれた。
「戦いのない平和な世界を造るためにロゴスを倒す……って、私にも“正しく”聞こえました……」
少し伏せたまつ毛を、アスランは食い入るように見つめた。
「だけど……」
それが二度、三度と揺れ……、彼女の視線はまたこちらを向いた。
「違うんです……」
「違う……?」
セアは一度息をついて、こう言った。
「ナナ様のお言葉とは、なんだか違って聞こえるんです……」
ナナの言葉……、それがセアにどう聞こえているのかなんてわからない。
だが、彼女の言うことに確かに共感している。
「ナナ様なら……、きっと『ロゴスと倒す』なんておっしゃらない……。私には、そう思えて仕方ないんです……」
彼女の視線が鋭くなった。
「違いますか……?」
きっと、初めからそうだったのだ。
シンのように、議長の言葉を「正しい」と思えない理由。レイのように、議長を信じられない理由。その理由をずっと探していたのに、セアが教えてくれたそれは、とても単純なことだった。
議長の言葉は、『ナナの言葉のように響かない』……。
そんな独善的な理由でも、今、とてもしっくりきていた。
「きっと……、オレも……」
唇が重かった。
が、彼女に答えた。
「最初から……、そうだったんだ……」
独りよがりで子供じみた理由……。
だが、それこそが葛藤の正体だったのだ。
本当は、そんなこと初めからわかっていたのかもしれない。
が、愚鈍な自分は、セアのように素直に認められなかったのだろう。
ナナならそうは言わない……とか、ナナなら違う道を示す……とか。きっと、そんなふうに考えたくなかったからだ。
虚しいだけだから。現実に絶望するだけだから……。
「アスラン……?」
セアは怪訝な顔をした。
アスランの呟きに、納得などしていないのだ。
が、アスランの身体は軽くなった。
議長の言葉がどんなに正しく聞こえても……、共感できない訳が明確になったから。
セアがその答えをくれたから。単純な答えが真実だったから。
そして、思った。
セアが言ってくれたあの言葉。
『あなたは……、“ここ”にいないほうが良いと思うからです……』
「セ、セットアップが完了しました……!」
じっと見つめられて困ったのか、セアが居心地悪そうに目を逸らした。
「シャ、シャッター……、開けます……!」
モーターの音が響いた。
シャッターのその先にあるのは自由か、それとも……。
緊張感を持ってそう考えるのが当然の場面だった。
が、アスランはセアを見つめたまま、言った。
「セア、君も一緒に行こう……!」
一度、断られている。
自分も最初は本気で言った訳じゃなかった。
セアにはこの場所で、ナナの遺志を継ぐ道を探して欲しいと思った。それが彼女には相応しいと思った。
だが今は、心から思う。
セアもまた、“ここ”にいるべき人ではない……と。
「え……?!」
バイオレットの瞳がキラリと光った。
「オレも思う。君も“ここ”にいるべきじゃない……!」
セアは当惑した。目も、逸らせないほどに。
「わ、私は……」
その瞳には、迷いが浮かんでいた。はっきりと拒絶もしない。
が、アスランは説得を試みるつもりはなかった。
時間もないが、それ以上に、セアには想いが伝わるような気がしたのだ。
だから、少しだけ……。
「君はオレに『ナナの道を歩くことができる』と言ってくれたが、オレは君もそうすることができると思う」
ほんの少しの言葉だけ。
「一緒に……、その道を歩いてくれないか?」
セアはふらりと後ずさった。
「だ、だめですっ……! わ、私は……!」
拒絶の言葉は、彼女の喉に引っかかっている。
「セア……」
手を差し伸べた。
ミーアが掴まなかった手……、セアはそれを凝視した。
だが、手と手を取り合うことはできなかった。次の言葉をどちらかが発することも許されなかった。
上昇するシャッターの向こうから、凄まじい殺気を感じたのだ。
「セア……!」
反射的に身体が動いてくれた。そうでなければ、撃たれていた……。
頭の上で、金属が割れる音がする。
セアを抱えて操作盤の影に隠れるが、なおも弾丸が二人を襲う。
「……っ……!」
腕の中で、セアが声にならない悲鳴を上げた。
一瞬、銃声が止んだ隙に、上体だけ起こしてシャッターの方を見る。
容赦なく銃弾を浴びせて来るのは、レイだった。
「やっぱり逃げるんですか! あなたは!!」
「レイ……!」
「オレは許しませんよ! ギルを裏切るなんて!!」
互いの姿を確認し合った。
それでもまた、レイは銃を向けてくる。
シャッターの向こうに止まった車のヘッドライトが、レイから発せられる殺気のようだった。
「やめろ、レイ! セアが……!!」
彼は撃ち続けた。操作盤にいくつもの穴が開き、モニターが次々に割れた。
跳弾が二人を襲う。
このままでは、セアに怪我を負わせてしまう……。
「くそっ……」
こんな形で撃ちたくはなかった。これでも、彼を仲間だと思っていたのだ。
が、今は撃ち返すしかなかった。
アスランは兵士から奪い取っていた銃を構えた。
「ま、待って……!」
震える声がした。
「アスラン、わ、私が盾になります……!」
セアが小声で叫んだ。
「その隙に……、行ってください……!」
「な、何を言ってる……!」
「私は……、大丈夫です……!」
怯む身体に懸命に力を通わせて、彼女は立ち上がった。
そして、アスランの前に立ち、両手を広げた。
「レイ、お願い……! アスランを行かせてあげて……!」
レイの視線が、セアを向いた。
「アスランは……、ザフトじゃなくなっても“敵”じゃない。だから……」
だが、アスランの足は動かなかった。
本当に、セアを残して行っていいのか……。
それとも、セアがくれたチャンスを活かすべきか……。
「セア・アナスタシス……」
が、足は動かなくて正解だった。
レイはセアの名をつぶやいた後、躊躇いもなく引き金を引いたのだ。
「セア!!」
もう一度、セアを抱き抱えて操作盤の影に逃げ込んだ。
「レイ! 何故、セアを……!?」
セアの歯が、カチカチと震えているのがわかる。
「セア・アナスタシス……」
レイは驚くほど静かに言った。
「ギルの許可は得ていないが、お前はオレがここで“排除”する」
「なんだって……?!」
「お前はギルにとって危険な存在とみなした」
機械のようにそう言って、レイは再び銃を発射した。
「レイ……!」
彼にセアすら「排除」する理由を問うことも、説得することもできはしなかった。
レイは冷静なようでいて、かつて見たことはないほどに憤っている。
議長のことを憚らず「ギル」と呼び、なにより弾道に正確性はなく、怒りにまかせてめちゃくちゃに撃っているようだった。
「セア……」
うつむくセアの頬に触れた。
冷たい雫がつたっている。
雨粒じゃない。恐怖でもない。失望だった。
「レイ、待ってくれ! セアはオレが脅して無理やり協力させたんだ。だからセアは傷つけないでくれ……!」
必死の嘆願をした。
が、聞き入れられなかった。
「セアがここにいるのが自分の意思だろうとなかろうと、オレは“排除”の対象と判断する」
「何故“排除”なんて……!」
「ドクター・リューグナーの報告書も読んだので」
跳弾が耳をかすめた。
憤りも疑問も押し込めて、震える身体を強く抱く。
「セア……」
アスランは心底、偶然とはいえ彼女の部屋の扉を開けてしまったことを後悔した。
そして……、今現在、彼女がどう思おうと、絶対に守ろうと心に決めた。
「レイ!」
アスランは、とうとうレイに向けて銃を撃った。
もちろん、当てはしない。機体に乗り込むまでのけん制になれば……。
三発目が、レイの銃身に命中した。
彼の手から、銃が弾かれる。
彼は別の武器を取りに、すぐさまシャッターの向こうへ走り去った。
「セア……!」
もう一度タラップに乗る。
そして、めいっぱい手を差し伸べる。
唇は真っ青だった。涙の筋が光っていた。懸命に歯を食いしばっていた。
それでも、瞳の中に強い輝きがあった。
セアは呼吸すら噛み殺して、アスランの手をとった。
すぐにレイの銃撃が再開した。
が、タラップが弾を全て弾き返す間に、セアを抱きかかえてグフのコックピットに滑り込んだ。