「セア……本当にごめん……」
グフを起動させながら、そう言うことしかできなかった。
セアは後ろからシートを力いっぱい掴んで、何度も首を横に振る。彼女もまた、声を出すことができないようだった。
雷鳴が轟いていた。眼下の海も大しけだ。
が、逃亡するにはこの嵐は都合が良かった。
「つかまっていてくれ、セア」
セアはまだ、ひと言も話さない。
全身を罪悪感に覆われたが、引き返すわけにはいかなかった。
「セア、オレは……」
だが、セアの震えを放っておくこともできず、せめて何かひとつでも安心できるような言葉はないかと探した。
気の利いた言葉は思い浮かばなかった。全部が言い訳になってしまうようで、声は途切れた。
が。
「わ、私……」
情けない言葉を遮るかのように、セアが口を開いた。
「し、してないです……!」
精一杯、絞り出すように言った。
「後悔……、してないです……!」
耳元で揺れる彼女の息づかいに、思わず手を止めそうになる。
「セア……」
「今……、何度も確かめていました……」
セアは震える声で、だがはっきりと言った。
「私、後悔してないです……!」
この状況で何故そう言えるのか……。
アスランにはわからなかった。
が、振り仰いだ彼女の目は、まっすぐ前を見つめていた。
「私……、本当は、あなたに『一緒に来ないか』って言われた時……」
暗雲を見すえながら、彼女は言う。
「きっと、嬉しかったんだと思います……」
「嬉しかった……?」
「最初に言われた時から、嬉しかったんだと思います……」
曖昧だが、はっきりとした想いだった。
「本当は私も……、あなたのように、自分の思う道を行きたかった……。でも、議長に恩があるのに裏切るとか、脱走兵になるとか……、全然勇気がなくて、怖くて……」
萎みそうになる声を、セアは必死に紡ぎ出す。
「だ、だから、今……、こうやってあなたと行くことになって……、後悔は、していません……!」
かすかに涙が滲む瞳が、アスランを見た。
「セア……」
言葉を失った。
返す言葉などあるはずもないのだ。
これはまぎれもなく、彼女の意志だ。彼女自身の強さだ。
誘ったのは自分だが、そそのかしたわけじゃない。彼女が流されたわけでもない。
「きっと」などと曖昧な台詞を言いながら、彼女はまっすぐだった。
「君の……」
言わずにはいられなかった。
「その強さは、ナナによく似ているよ……」
それがこの場に相応しくなくとも。セアが自分で言っていたように、惨めな気持ちになろうとも。
本気でそう思った。
「そ、そんな……! 私は……!」
青ざめていたセアの頬に、赤みがさした。
「わ、私なんて……」
セアは困ったように、視線を彷徨わせた。
嬉しかった。
その姿を見て、そう思った。
だから、自然とその言葉が口をついた。
「ありがとう」
深い意味は……、たくさんある。数え切れないほど。
セアは目をいっぱいに見開いて、アスランを見た。
視線を合わせたまま、少しの沈黙……。
「で……、でも……!」
セアはしどろもどろになりながら話題を変えた。
「こ、これからどうするんですか……?」
「ありがとう」の感覚を残したまま、前方を向く。
セアがこれ以上不安がらないよう、なるべくきっぱりと答えた。
「アークエンジェルを探す」
「え? で、でも、あの艦は……」
「沈んじゃいない……。きっと、キラも……」
「ナナ様の……、翼が……?」
この根拠のない確信に対して、セアが異議を唱えることはなかった。
むしろ、アークエンジェルが沈んでいないことの可能性に、彼女も希望を抱いたようだった。
「ほ、本当ですか?!」
「少なくとも、アークエンジェル撃沈の報告はミネルバには入っていなかった。それに……、キラがあんなところで死ぬはずはない……!」
恰好つけて言ってみても、自分に言い聞かせているようだった。
が、セアは初めて明るい顔を見せた。
「ナナ様の翼……」
嬉しそうに、そうつぶやいている。
少しだけ安堵した。孤独ではないということが、こんなにも安心できるものだと、本当に久しぶりに実感した。
……が、そんな感傷に浸ることは許されなかった。
すぐに追手が迫った。
あの新型MS……、デスティニーとレジェンドだ。
「シンと……、レイか?!」
デスティニーがシンだとして、レジェンドに搭乗しているのはレイであると考えられた。
二人の腕はよく知っている。命がけの攻防になることは予想できた。
「しっかりつかまっていてくれ、セア……!」
「は、はい……!」
戦闘の準備を手伝う彼女にそう言うなり、レジェンドからビームが撃たれた。
避けはしたが、ビームが海面に当たった衝撃で機体が大きく揺れる。なんとか体勢を立て直すと、今度はデスティニーからも攻撃を受けた。
「シン、やめろ!!」
わずかに反撃しつつ、そう叫ぶ。
「お前は操られている……!」
議長にエースパイロットとして推され、戦績を称えられ、新たな力を与えられた。
それらは全て、議長が仕向けたことだ。
今ならわかる。
シンは議長の忠実な兵士としての“役割”を担わされているのだ。
≪見苦しいですよ、アスラン! そんな姑息な手を使うなんて!≫
が、レイはアスランの言葉を横から切り捨てる。
彼はどうだろうか……。
シンとは違うと感じていた。レイが議長を崇拝する姿はまるで……、議長の駒というより、議長そのものを体現した存在であるかのように思えた。
≪降伏しろ! 基地へ戻れ!!≫
だがそんなことを考えている暇はない。
シンが激しく撃って来た。まるで、この状況に対する戸惑いに苛立っているように。
「オレはこのまま殺されるつもりはない!」
グフには最低限の戦闘装備ができていた。セアがセットアップを手伝ってくれたおかげだ。
が、そもそも数で負けているし、なにより新型MSとの力の差は否めなかった。
「聞け、シン!」
それでも、わずかな隙を作ってシンに語りかける。
「議長やレイの言うことは、確かに正しく聞こえるかもしれない。だが彼らの言葉は、やがて世界の全てを殺す……!」
不思議と、淀みはなかった。
時おりレイの横槍が入っても、整理された感情をシンに向けて言葉にすることができる。
「オレはそれを……!」
≪シン、聞くな!≫
シンからかすかな惑いが滲んだとき、レイが叫んだ。
≪アスランは錯乱している!≫
レジェンドのビームサーベルを、どうにかやり過ごす。
が、推力の違いは明らかだ。
≪惑わされるな、シン!≫
雷鳴が轟く。
その中で、シンの“戸惑い”だけが頼みの綱に思えた。
だから、こう言った。
「シン! どうしても撃つというなら、セアだけでも降ろさせろ! 彼女は……!」
シンは本当は優しい少年だ。十分にわかっている。
オーブに、カガリに憎しみを抱くのも、家族のため。戦いを憎むのも、あのエクステンデッドの少女のため。
何度も衝突し合ったが、それだけはわかっていた。
だから、彼に救いを求めた。セアだけでも助けて欲しいとすがった。
が。
≪彼女はすでにあなたと同罪だ≫
レイが冷酷に告げる。
≪議長から正式に、『セア・アナスタシスも含めて撃破』の許可が下りている≫
一瞬、操縦桿を握る指がひきつった。
「レイ! 何故だ! 君はセアを……、いつも気にかけていたはずじゃ……!」
思わず出た言葉は、真実のはずだった。
セアはいつもレイの影に隠れ、レイも背中で彼女を守っていた。そう見えた。
それが、ここまで冷酷に割り切れるとは考えられなかった。
≪シン、セアは人質ではない。自らすすんで逃亡を図った。二人とも我々の敵なんだ!≫
レイはシンにそう言った。シンに迷いを捨てさせるよう促している。
「シン……!」
「シン、聞いて……!」
再びシンに向けて口を開いたとき、傍らで震えていたはずのセアが声を上げた。
「駄目だ、セア……!」
それをアスランは押し留める。
ほんのわずかにでもシンに訴えかけ、セアだけでも無事に降ろす可能性があるのなら、セアには“人質”でいて欲しかった。
が、セアは止めなかった。
「シン、お願い、このまま行かせて!」
精一杯、想いを振り絞って、彼女は言う。
「シン、あなたが誰より戦争の無い平和な世界を望んでること、私は知ってる……。私も同じなの。ただ……、道が違うと思っただけ……」
シンの息づかいがスピーカーから聞こえる。
「目指す場所は同じでも、歩く道は違うと……、私はそう思った。私……、私は……」
セアの息づかいも、耳元で聞こえる。
「ナナ様が歩こうとした道を行きたい……!」
彼女の決意は、アスランの胸に響いた。
「お願い、シン……!」
≪セア……≫
デスティニーのライフルを持つ腕が下がった。
「レイも……、お願い! 議長が示されたやり方とは違うけど……、私もきっと平和な世界のために力を尽くすから……!」
≪セア≫
が、レジェンドの剣は振りかざされた。
≪そんな我がままが通ると思っているのか?!≫
「くそっ……!」
急いで機体を傾ける。
セアが身体のどこかをぶつけたのがわかった。
「わ、わかってるけど、でも……!」
≪お前は議長が何のために『プロジェクト・ハバローグ』を立ち上げたか知っているのか?≫
「そ、それは『再生』の……!」
≪ただ“お前のため”だ、セア・アナスタシス……!!≫
「え……?」
セアの爪が、シートに食い込んだ。
≪施設や士官学校の再建などはただの口実……。『プロジェクト・ハバローグ』はひとえにお前を『再生』させるためだけに議長が計画したものだ!≫
たった一人のために……?
アスランも疑問を持った。
が、考えるより先に手を、足を動かさねば、レイの怒りの刃に切り裂かれてしまう。
≪その恩を忘れ、役目を忘れ、お前は議長を裏切って行くというのか!?≫
また、雷鳴が近くで轟いた。
「わ、わかってる……」
セアは言葉を噛みしめた。
だがすぐに、己の意志を吐き出した。
「だけど……! 私は……!」
それは、アスランの心を打ち震わすほど強いものだった。
「私は、ロゴスを倒すために『復活の女神』なんかにはなれない!!」
一瞬の沈黙が流れた。
それは、レイの怒りが頂点に達した瞬間でもあった。
≪アスランに何を吹き込まれたかは知らないが……≫
彼は押し殺すようにそう言い、次の瞬間には高らかに叫んだ。
≪議長の『復活の女神』でないお前など、何の価値もない!!≫
≪レイ……?!≫
動揺したのはシンも同じだった。
仲間……、だったんじゃないのか? レイはセアを何だと思っていたのか?
湧き上がるその疑問に戸惑っている。
≪お前が『復活の女神』でないのなら、議長にとって危険な存在でしかない! オレがここで排除する……!≫
激しい憎悪だった。
アスランに向けられるそれとは明らかに違っている。
セアは言葉を失った。
≪レイ! な、何言ってんだよ!≫
シンでさえも、レイの憤怒から取り残されている。
≪議長を裏切り、我らを裏切り、その思いを踏みにじろうとする……! それを許すのか?! シン!!≫
だがレイは、シンにそう問いかけることで彼を引き上げた。
≪お前は言ったろう。どんな敵とでも戦うと≫
「どんな敵とでも」……そんな危うい単語を、レイはシンに投げつける。
「シン!!」
アスランはシンに再びうったえた。
自分たちは敵ではないと。目指すものは同じだと。
が、シンには届かなかった。いや、もう聞こえてはいなかった。
≪くそーーーっ!!!≫
シンはそう叫ぶと、デスティニーのソードを抜いた。
闇に包まれた海上が、いっきに明るくなる。
≪あんたが悪いんだ……! あんたが裏切るから!!≫
もう、デスティニーの動きに迷いは微塵も無かった。
それは一直線にこちらへ向かって来て、わずかな反撃も簡単に薙ぎ払う。
逆に、レジェンドは遠ざかった。
遮るもののない空間で、デスティニーはグフの盾を切り捨て、腕を断ち切り、そして……。
≪オレは……、オレはもう絶対に……!!≫
その剣はコックピット目掛けて突き刺さった。
「セア……!」
「アスラン……!」
光に包まれながら、セアを抱きしめた。
セアだけは護りたかった。
こんなふうに撒き込んでしまって、本当に勝手だが……、セアだけは生きて欲しいと……。
そんな想いは……、二度目……だった。
ジェネシスが爆発した時……、必死の思いでナナを抱きしめていたのを……、思い出していた……。