ナナは無事に、最初の会合から戻って来た。
皆がほっと胸をなでおろしたのも束の間、それからのナナは息つく暇もなく動き回った。
まさに獅子奮迅の働きを涼しい顔でやってのける様は、見ていて爽快で頼もしくもあり、だがとても危うかった。
あの戦場から帰って、一度もまともに休んでいないというのに、ナナは少しも疲れた様子を見せなかった。
あの細い身体のどこにそれほどの体力があるのか……。
いや、今は体力だとかバイタリティだとかいうことを考えるのは無意味だった。
今、この時こそ……一分一秒も無駄にできないのだ。
特に、難しい立場にあるオーブには。
ザフトとの会合、プラントとの会合、そして地球軍との会合。両軍合わせての会合。
その全てに、ナナは立ち会った。
クサナギの大型シャトルがその議場に選ばれることもあった。
どちらかの戦艦に赴かなくてはならないこともあった。
その全てが、ナナの身の安全を保障するものではなかった。
まだ、戦火はくすぶったままである。
あれほどの大火が、簡単に鎮火するはずもない。
だが、ナナがそれを恐れるはずもなく、むしろ先方が身構えるくらい無防備な振る舞い方をした。
そしてナナは、辛抱強く、ときにおおらかに構えて、“その時”を待った。
その合間に、オーブはもちろん、アークエンジェルやエターナルの扱いについての交渉も熱心に行っていた。
全員が、ザフトからも地球軍からも罪状を突き付けられることが無いよう、再び争いが起きぬよう、慎重に……かつ正しく権利を主張した。
話が進むたび、ひょうひょうとした態度で各艦に報告をいれるのだが、それが命懸けで成されていることを誰もがわかっていた。
ナナの皆を護りたいという意志は、周囲へ向けて強烈に放たれなくとも明確だった。
そんな様子で、ナナは食事をとることもままならない状態だったので、ラクスがキラとともにクサナギを訪れることが多かった。
時にはマリューやバルトフェルトも交えて、クサナギで今後の話し合いを行う。
その時も、ナナは決して疲れた表情を見せなかった。
そんな日々が何日も続いて……ナナが久しぶりに食堂で食事をとれることになった。
ちょうどラクスとキラも来ていたので、皆でテーブルを囲む。
ナナ、カガリ、ラクス、キラ、アスラン……こうやって5人がそろって顔を合わせるのは、実に停戦後初めてのことだった。
「そうそう、あとでザフトの輸送船が来るから」
少し急いだペースで食事をしながら、ナナは唐突に言った。
「輸送船?」
皆、何のことかと顔をそれぞれ見合わせる。
「ほら、この宙域に留まって二週間以上経つでしょ? そろそろアークエンジェルもエターナルもクサナギも、補給が必要だと思って」
ナナはドリンクを飲みながら説明をするのだが、誰も理解はできなかた。
「補給って……どういうことですの?」
ラクスまでもが、不思議そうにナナを見る。
と、ナナは事も無げに言った。
「プラントが支援してくれるって」
もう一度、皆は顔を見合わせた。
何故プラントがわざわざ支援をしてくれるのか……納得というより、全く理解ができないのだ。
「どうしてプラントが?」
「そろそろこっちの物資が足りなくなりそうなんですけどって言ったら、じゃあうちが支援しますねって言ってくれたから」
「向こうからそう言ったのか?」
「うん、そう」
「プラントが
「そうそう、言ってみるもんだよね。得しちゃった」
ナナは笑う。
会合で先方と会っている当事者としては、そのくらいの話ができて当然なのだろうか……。
いや、まだ協定は締結へ至っていないし、今しがたナナが話した自分たちの処遇についても、話はまとまってはいないとのことだった。
「クサナギに運んでもらうから、あとでアークエンジェルとエターナルにも分配するね」
ナナはスプーンをトレーに置くと、ラクスに言った。
「ありがとうございます」
礼を言うラクスに対し、ナナは。
「お礼なら寛大な措置をとってくれたプラントの議員さんたちに言ってよ」
肩をすくめながら笑う。
アスランは、キラと目を合わせた。
キラも、ナナの大胆な行動に呆れつつも、その手腕に驚きを隠せないといった顔をしていた。
「よし、それじゃあ私、次のユーラシアのお偉いさんたちとの会議に使う資料まとめちゃうから……先に行くね」
ナナはにこりと笑って、立ち上がる。
慌ただしい食事は、10分にも満たなかった。
「次の会議は8時間後ですわね……」
ナナが去って、ラクスは食堂の時計に目をやる。
「けっこう時間が空くな」
「そりゃあ、向こうの人たちだって休みたいだろうからね」
「そうだよな。宇宙にいると時間の感覚がなくなるよな、まったく……」
カガリとキラが言った。
アスランは小さくため息をついた。誰にも気づかれない程度に。
8時間後、ナナはまたこのクサナギから飛び立つのだ……。
「アスラン」
不意に、キラの視線が向けられた。
「アスラン」
同様に、ラクスも。
二人とも、神妙な面持ちでいる。
「どうしたんだ? 二人とも……」
何かを察知したカガリが二人の顔を交互に見た。
と……キラが言った。
「君がやらなきゃ」
食堂を出て、アスランはナナの部屋へと向かった。
キラとラクスに言われたのだ。
ナナを休ませてほしい……と。
もちろん、アスランも同じことを願っていた。
だが、それを何度も言ったのだが本人は受け入れない。
いつも笑って、『大丈夫』『今が勝負だから』と繰り返すのみだ。
それにはカガリも同意した。
彼女も何度もナナに休むよう言ったが、笑って交わされるだけだという。
が、二人はそれをわかっていて、改めて自分に言った。
『今はナナを何がなんでも休ませるべきだよ。それを、君がやらなくちゃ』
その“使命”をつきつけられ、アスランは正直戸惑った。
自分より、キラの言葉のほうがナナは聞き入れるような気がした。
『アスラン、あなたがナナを“説得”してくださいな』
ラクスも同じことを言う。
いわば同士のように見える二人なら、話しやすいのではないかと思った。
なのに、どうして自分が……?
が、キラとラクスは頑なに同じ言葉を重ねた。
『君じゃなくちゃダメなんだ』
『あなたじゃなければダメなのです』
本当にそうだろうか……?
アスランには自信がなかった。
それほど自分の言葉は……存在は……ナナにとって大きなものなのだろうか。
『うん……そうだな! アスラン、ナナをよろしく頼む!』
カガリでさえも同意して、まっすぐにこちらを見つめて来る。
三人の視線に背中を押されて、一歩踏み出さない訳にはいかなかった。
だから……まるで重大な任務を負わされたかのような決意を持って、アスランはナナの部屋を訪れた。
が……インターホンのモニターが示すのはナナの『不在』である。
「またドックにでも行ってるんだろうか……」
先ほど、ナナがザフトから物資が届くと言っていた。
恐らく、その搬入の準備を指示するため、わざわざ自らドックへ行ったのだろうと思った。
アスランは、部屋の前で待つ……いや、待ち構えることにした。
その物資搬入がいつなのか詳しいことを聞きそびれたが、次の会議までには何としてでもナナを休ませなければならなかった。
やがて……。
「アスラン?」
ナナは通路を曲がるなり、床を蹴って彼の元へやって来た。
「どうしたの?」
その手にはやはり、電源が入ったままのタブレットが収まっている。
「お前に話がある」
うまい具合に言えなくて、少しかしこまってしまった。
「話?」
ナナは少しだけ不思議そうな顔をしたが、すぐに部屋の扉を開けた。
「入って」
「ああ」
「ちょうど良かった。ザフトから補給物資が届いたら、ドックで仕分け作業を手伝ってもらえるか、アスランにもお願いしようと思ってたとこなの」
「もちろんやる……」
「良かった。でも疲れてたら無理しないでね。アークエンジェルやエターナルのクルーも呼ぶし」
ナナはデスクのモニターを作動させながらそう言った。
一瞬、アスランはナナがどういうつもりでそう言っているのかを探った。
明らかに疲れているのはナナの方なのに、何故こちらに気を回すのか……と。
だが彼は、小さくため息をつく。
ナナは本気なのだと、すぐにわかったからだ。
「搬入スペースは確保してもらえることになったから……あとは仕分けリストか……」
腕時計をみやりながら、ナナはぶつぶつとつぶやいた。
「ナナ」
「あ、ごめん。話って何?」
ナナがちゃんと自分に向き合ってくれたことで、またため息をついた。
「アスラン?」
「いや……」
アスランは、ナナの手からタブレットを奪い取った。
「ナナ、少し休め」
そして、少し強い口調で言う。
今まで何度も、繰り返した台詞を。
「え?」
「仕分けリストくらいオレたちがやっておく」
「でも……」
「次の会議まで数時間あるんだ。今のうちに少し休んでおいた方が良い」
今回は、強い決意を持ってこの言葉を言った。
「私は大丈夫だよ、アスラン」
「駄目だ」
いつもどおりのナナの台詞も、今回ばかりは撥ね付ける。
「全然疲れてないし……」
「そんなはずはない」
「ちょっとは休めてるし……」
「ほとんど寝ていないことはわかってるんだ」
「うーん、でも仕事が……」
「他の者に任せられるものは回せばいい。ナナ、お前に倒れられては、それこそみんなが困るんだ。お前自身も、それはよくわかってるだろう?」
「わかってるけど……」
「だったら今日くらいは……」
「アスラン」
が、ナナの牙城はなかなか崩すには至らない。
「ねぇ、ザフトのMSパイロットの戦闘訓練って、搭乗時間は日にどのくらい?」
ナナは強気なまなざしのまま、唐突にそんな質問を投げかけて来る。
「規定では、1日最大3時間以内だが……」
その意図がわからないまま正直に答えると、ナナは胸を張った。
「私はね、テストパイロット時代に1日8時間乗ってたこともあるの」
口元に不敵な笑みを浮かべたナナは、さらに続ける。
「だから、体力には自信があるの。あなたたち、正規の訓練を受けた兵士よりもね」
アスランはナナの瞳の中を探った。
そこに何ら揺らぐ影は無い。
今、ナナは強がりを言っているのではなかった。
「ナナ……」
「だからそんなに心配しないで! ちゃんと休憩はとってるから」
本当の強さ……。
体力だけじゃなく、やらねばならぬことをできてしまう強さを、アスランは目の当たりにしていた。
だが。
「ナナ」
彼はナナの肩に手を置いた。
初めて、ナナは驚いた顔をする。
「どうしたの?」
今ので話は終わったと思ったのだろうか。
ナナは『どうしたのか』と問う。
が、今日のアスランには強い決意と、友との約束があった。
「それでも、今日は休んでくれ」
どんな理由をつけてでも、ナナを休ませたかった。
例えばそう……ナナの弱い部分を突くような言葉をかざしてでも。
「みんな心配しているんだ」
今度はナナのほうが、アスランの目の奥を覗き込む。
強い意志を示すような気持ちで、それを見つめ返した。
と……。
「心配かけてごめんね」
ナナはそう言って笑った。
それは今までの強気な笑みではなく、普通の少女のような柔い笑みだった。
「わかってるんだけど……」
そして彼女は、目を伏せる。
「みんなが心配してることも……アスランが優しくしてくれてることも……」
「ナナ……」
「客観的に自分を見てみても、オーバーワークだってわかってる。ほんとに身体は辛くないんだけど、それは……たぶん脳が活発に活動してるからだとか……」
その静かな声に、触れているナナの肩が急に縮むような感覚を覚えた。
「ナナ……」
手のひらに熱を込め、ナナの言葉の続きを待つ。
「でも……、でもね……」
ゆっくりと視線を上げ、ナナはため息を吐くように言った。
「休んじゃったら、“今までのこと”を色々思い出して、考えちゃいそうで……」
ナナの、停戦後に初めて見せる疲れた顔に、アスランは密かに戸惑った。
その表情をさらけ出してくれることを、望んでいたのに……である。
「良くわかる、ナナ……」
だが、戸惑いを引っ込めて、アスランはできるだけ落ち着いた声で言った。
「オレもそうだ。今まで撃って来た人たち、護れなかった人たちのことが……目に浮かんできてしまう」
ナナはそっと視線を上げた。
「後悔も懺悔もしている……が」
今こそ自分にできることを……。
その思いを共感する者として、その思いを打ち明けられた者として、アスランは精一杯語った。
「今はまだ、振り返っている場合じゃない。とにかく前に進まなくちゃならない時だ……オレはそう思っている」
ナナがほんの少しでも、心の奥底に抱えた“それ”を萎ませてくれるように……。
が、ナナの視線はまた、伏せられた。
「ちがうの……」
そして、静かに首を振る。
再び、アスランは戸惑った。
「違う?」
「うん……」
ナナの肩に置いた手が、思わず離れそうになる。
が、懸命に心を落ち着かせた。
目の前にある深い心の色を、見極めねばと思った。
「私……まだ……」
ナナは決心した様に……というより、観念した様にそれを表し始めた。
「後悔とか、自分がしてきたことへの懺悔とか……そういうところまで考えられなくて……」
普段のナナとは違う、歯切れの悪い言葉。
それをひとつも漏らさぬよう、アスランは身体の芯に力を入れて耳をかたむけた。
「戦いが終わった実感が……あんまりないっていうか……」
他の誰よりも停戦に向けて動き回っているナナが、そう言うのは不思議だった。
次に必要な行動を、一番初めにとったのもナナだったはずだった。
が、口をつぐんだ。
責任や意志の盾をとっぱらったナナの心の声が聞こえている気がしていた。
「だからね……ただ、“怖い”の……」
「怖い……?」
「うん……」
ナナは一瞬だけアスランの目を見て、またうつむいた。
その仕草は、少し恥ずかしげだった。
「なんていうか……『もしあの時、核がひとつでもプラントに落ちていたら……』とか……」
きっと自分でも、終わったことに対して怖れを抱いていることを、とても子供じみていると感じているのだろう。
だがアスランには、胸にすっと風が吹いたようだった。
「『もし、ジェネシスの破壊があと少し遅かったら……』とか……」
ナナは、例えば九死に一生を得た者が、『もしあの時こうしていなければ……』と、生き延びた後で振り返るような……そんな身の毛もよだつような感覚でいるのだ。
今さら、ようやくナナの心の状態がわかったところで、アスランは何か安心させるような台詞を探した。
少しでも、ありきたりでも……『終わった』『無事だった』という単語は、きっとナナの心には効果があるはずと思って。
だが……ふと、ナナは今まで見たこともないような表情をした。
その顔が意味するものは……と考え始めた時、ナナはつぶやいた。
「『もしあの時、アスランを死なせてたら……』とか……」
怒ったような、怯えたような、照れくさそうな……泣きそうな顔。
「ナナ……」
「そんなことばっかり頭の中に浮かんじゃうから、今は立ち止まりたくないの……」
アスランはふと、あの離島でのことを思い出した。
突然の出会いの中で、大いに戸惑いを覚えながらも沸き起こったある感情……。
それの名前を未だわからぬまま、再び同じものを抱いた。
「ナナ、大丈夫だ……」
あの時は、戸惑いに押し流されただけだったが、今は違った。
アスランは、その感情を抱いたままナナを抱きしめる。
「アスラン……?」
戸惑うのは、今回はナナの方だった。
「大丈夫だ、ナナ」
ナナの肩はこんなに細かっただろうか……。
そう思いながら、アスランは自然と言葉を零した。
今の自分が、言うべき言葉を。
「オレが側に居る」
ナナはそれを、すぐには飲み込まなかった。
これまで、常に誰よりも一歩先の考えを持って行動していたナナが、こんなふうに突っ立っているのはいくぶんおかしかった。
だから、アスランは笑って言った。
「“怖い”ものを見ても、オレが側に居るから……、だから休んでくれ、ナナ」
こんなもので、ナナが心から安心するとは思わない。
そんな力はまだ無いと思っている。
が、今のナナに必要な言葉と確信もしていた。
「アスラン……」
ナナは唇を噛んだ。
その心が震えているのがわかる。
だから、もう一度……。
「大丈夫だ、ナナ。オレが側に居る」
ゆっくりと、ナナはうなずいた。
そして、幼い子供のように笑った。
「ありがとう、アスラン」
少しだけ、その肩から力が抜けたのが見えた気がした。
「じゃあ……シャワー浴びて少しだけ寝ることにする!」
そしていつも通りのナナに戻った。
「ナナ、物資搬入のスケジュールやリストを教えておいてくれないか? オレができるところまでやっておく」
今度は、ナナはすぐにタブレットに必要なデータを出した。
「じゃあ、お願いね。こっちに、三艦のクルーのリストもあるから」
「ああ、わかった」
ナナはタブレットをアスランに託すと、じっとアスランの目を見上げた。
まだ少しだけ、不安を感じているようだった。
アスランはできるだけ強く、ナナの目を見つめ返す。
「それじゃあ、よろしく、アスラン」
「ああ」
やっと割り切ったような顔をして、ナナはバスルームへ向かった。