目を覚ますと同時に、思考がどっと押し寄せた。
アークエンジェルは大丈夫だろうか。キラは大丈夫だろうか。オーブは大丈夫だろうか。カガリは大丈夫だろうか。シンは大丈夫だろうか。ミネルバはどうなっただろうか。セアはまだ目を覚まさないだろうか……。
ひどい眩暈がした。
だが、アスランは無理矢理身体を起こした。
全身が痺れている。あちこちの傷が痛む。頭がくらくらする。
それでも、渦巻く疑問のひとつでもいいから、早く解決したかった。
身体を支えようとした腕が、肘からカクンと折れた。
うまく力が伝わらない。というより、痛みで力が入らない。
が、正直、痛みはどうでもよかった。
気がせいて、なんとかブリッジにコンタクトを……と、手だけを壁のパネルに伸ばした。
その時。
「アスラン……?!」
扉が開いて、懐かしい声がした。
“懐かしい”……と、反射的に感じたのだ。
「セア!?」
車いすに乗ったセアが、目を丸くしてこちらを見ていた。
「ア、 アスラン……!」
彼女の車いすがスッと側に寄った。
「大丈夫なのか?!」
「大丈夫ですか?」
二人、同時に叫ぶように言った。
セアはびっくりしたように、ますます目を見開く。
その隙に、素早くセアの状態を確認した。
車いすには乗っているが、そう顔色は悪くないようだ。が、腕に巻かれた包帯が痛々しい。
「怪我は? 具合はどうなんだ?」
キラたちからセアの怪我について詳しく聞いていた。
が、やはり心配だった。
自分のせいで負わせた怪我だから……。
「わ、私は大丈夫です……! それよりアスランが……」
セアは手を伸ばし、腕に触れた。
「ちゃ、ちゃんと横になってください……!」
「いや、大丈夫だ」
「駄目です……! 怪我が治ってないのに、MSで戦ったって聞きました……!」
誰かに聞いたのか、先の戦闘のことをセアは知っていた。
とすれば……、戦った相手がミネルバ……、シンたちだったことも知っているのだろうか。
目覚めたばかりだというのに急激に脳が疲れ、アスランは壁にもたれかかった。
改めてセアを見る。
いや、目を逸らす……。
「セア……、すまなかった……」
視界の隅で、セアの手が握り合わされるのがわかった。
「君を巻き込んでしまって、本当に……」
「違います……!」
それを強く握ってセアは言った。
「わ、私が自分で決めたことです……!」
「だが、オレが君に『一緒に来てほしい』なんて言ったから……」
「さ、最初はそんなこと無理だと思いましたけ……ど。でも、後悔してないって言ったじゃないですか……!」
もう一度、セアを見た。
それが強がりなのか、やせ我慢なのか、後悔が含まれていないか……、知らねばならなかった。
「それより……」
セアは眉根を寄せた。
だが、視線はちゃんとこちらを見ていた。
「私のほうこそ……。私を守ったせいで、アスランが酷い怪我を……」
「それは違う!」
すぐさま余計な憂慮を否定した。
声が体内で響いて、骨が軋む。
「オレは……、君を……!」
「アスラン! や、やっぱり横になったほうが……」
「いや……、大丈夫だ。それより、君が……」
息を切らしたせいで、不安を膨らませてしまった。
「お、お水! お水、飲んでください!」
セアは車いすから飛び降り、サイドボードから水を取って差し出した。
これ以上心配されても困るので、黙って受け取る。
幸い手は問題なく動いた。
咳き込んで不安がらせないよう、慎重にひと口、ふた口、温い水を飲み込んだ。
「わ、私、ドクターを呼んで来ます……!」
が、セアはそう言ってインターホンへ向かおうとする。
「セア、本当に大丈夫だ!」
「でも……」
「それより、話を……」
話なんて思い浮かばなかった。
が、ドクターを呼ばれたくもなければ、セアに行って欲しくもなかった。
「ほ、本当にドクターを呼ばなくていいんですか?」
「ああ、大丈夫だ」
「でも……」
セアは車いすに座り直すとうつむいた。
「怪我をしてるのに、MSで出撃するなんて……」
何故だか居心地悪そうに腰かけている。
「オーブと、この艦を護りたかった……」
少しだけ、正直な言葉が出た。
「君が、背中を押してくれたからだ……」
あの時、セアが導いてくれなければ、護れなかったかもしれない。
何を……と問われても答えられはしないが、力のひとつにはなれたと思いたかった。
なにより、迷いを捨て、いじけた心を振り払って、その力を手に取れたのはセアのおかげだった。
が、セアは大きく瞬いた。
「わ、私ですか……?」
驚いている。
「覚えていないのか?」
「あ、あの……」
「さっき、君は少しだけ目を覚まして、オレに『思うように進め』と言ってくれたんだ」
セアは視線を彷徨わせる。
あまり意識がはっきりしていない状態だったから、覚えていないのも無理はない。
が、アスランにとっては大切な瞬間だった。
「すみません、よく覚えていなくて……。アスランと話したような気もするし、夢だったような気も……」
「そうか……。でも、君がそう言ってくれたのは事実なんだ」
そう、事実だからきっぱりと言い切れた。
セアはかすかに頬を赤らめた。
「す、すみません……。なんだか偉そうなこと……」
「いや」
一度、深呼吸をした。
少しの間に、セアは顔を上げる。
「ありがとう、セア」
セアの目は、何かを探した。
さらけ出すように、アスランは瞳を逸らさなかった。
「お、お礼を言うのは……私のほうです……」
しばし見つめ合って、セアはまたうつむいてそう言った。
「あなたは……、私を助けてくれました……」
話がまた振り出しに戻る。
「助けてくれたのは君だろう。オレは君を巻き込み、こんな怪我までさせてしまった……」
が。
「違うんです。あの……、撃墜された時のことじゃなくて……」
セアは言葉を選びながら、ゆっくりと言った。
「あなたは、私を……、“あの場所”から連れ出してくれました……」
“あの場所”……、彼女が元いた場所、それは“ザフト”に他ならない。
彼女の居場所だったところだ。おそらく、唯一の。
そこから「連れ出してくれた」とセアは言う。
まるで、ずっとあそこから出て行きたかったかのように。
「セア……、君は……」
「私……、デュランダル議長には、返しきれない恩があります」
セアはアスランの声を遮って語った。
「“あの事故”で……、士官学校も休学になってしまったのに、退院後は特別チームを作って訓練を受けさせていただいて……。飛びぬけた才能なんてないのに、ザフトレッドにまでしてくださいました……」
『お前は議長が何のために“プロジェクト・ハバローグ”を立ち上げたか知っているのか?』
レイが叫んでいたのを思い出す。
「それから、新造艦ミネルバのクルーに任命していただいただけじゃなく、レジーナという新型MSも与えてくださって……。私はエース級パイロットでもなんでもないのに……」
「セア……」
「議長のお考えは、私にもわかっていたんです」
「わかっていた?」
「“あの事故”で……、ナナ様を失って、世界中が悲しんだと思います。あなた方や、地球の人たちはもちろん、プラントの人々も……。私は、正直あまりよく覚えてはいないのですが……」
「そうか……」
「ザフトの人たちも、多くの軍関係者を亡くして、とても士気が下がったのだと聞いています。それで、議長は『プロジェクト・ハバローグ』を宣言し、復興を推進されました」
「その一部が、君を新型MSのパイロットとして復活させることだったのか?」
ここで初めて、セアはかすかに笑った。
「レイが言ってたとおりです。議長は私を、“復興の象徴”にしたかったのだと思います」
『施設や士官学校の再建などはただの口実……。“プロジェクト・ハバローグ”はひとえにお前を“再生”させるためだけに議長が計画したものだ!』
あの時沸き起こった疑問が蘇る。
「それこそが、プロジェクトの……、議長の目的だったのか?」
セアは小さくうなずいた。
「“あの事故”を生き延びた私が最前線で戦い、戦果を挙げることが、ザフトにとっての真の復興……、『再生』だと……、議長はそうお考えになっていたんだと思います」
ようやく、レイが言っていたことの意味を理解した。
あの犠牲、怒り、悲哀……、それらの感情を議長はセアに背負わせていたのだ。そうして、その渦巻く感情を、消えない痛みを、セアが自身の力で振り払うことを期待していた。その姿こそが、“復興の象徴”となるように、
だが……。
「『復活の女神』と……」
セアは乾いた声でつぶやいた。
「……そう、議長の周りの方々に言われていたことは知っています」
その言葉を聞いたのも、あの時だった。
「私は、シンみたいな操縦技術はないし、ルナマリアみたいに判断力もないし、レイみたいに知識もないし……、取り立てて優れたパイロットではないんです。それなのに、『復活の女神』なんて言われて、復興の象徴と期待されて……。ミネルバに配属されてからもずっと、私なんか議長やプラントのみんなの期待に応えられない……って、そう思ってたんです」
アスランは、ミネルバの艦内で出会った頃のことを思い出した。
遠慮がちというより、むしろ怯えたような態度には、そんな“恐れ”も含まれていたのだろう。
セアはあの頃も戦っていたのだ。背負わされた期待に押しつぶされそうになるのを懸命に堪えていた。
きっと、シンたちについて行こうと必死で努力を重ねていたのだろう。
ただ、気弱で人見知りな性格だっただけじゃない。事故のトラウマで精神的に弱っていただけじゃない。そんな“恐れ”とも戦っていたのだ。
が。
「だけど……、私はその“期待”の意味がわからなくなりました」
セアは久しぶりにこちらをじっと見つめて言った。
「戦争が始まってから、『復活の女神』の意味も、議長たちの“期待”の意味も、わからなくなったんです」
「どういうことだ……?」
期待に応えようと必死に努力するセア。期待の大きさに押しつぶされそうになるセア。議長の支援に恐縮するセア。くじけそうな心と戦うセア。
そんな姿を思い浮かべただけに、今のセアの言葉をわかってやれなかった。
「だって……」
セアはしっかりとした口調で言った。
「私が『復活の女神』になるってことは、『戦争で活躍』するってことですよね?」
それを聞いた瞬間に、背中に冷たいものが伝った。
「つまり、たくさん“敵”を倒すってことですよね?」
問われても、答えはなかった。
「議長は、私にそれを“期待”していたんですよね?」
重ねて問われ、機械のようにうなずくしかできない。
「議長は、戦場での活躍を期待されていたんです。シンのような活躍を……」
セアは苦しげだった。
アスランも苦しかった。
議長の思うように操られているシンの姿を、セアはとっくに見抜いていた。
「でも、議長は間違っていません。私は軍人なので、戦果を挙げるのは当然の義務ですから……」
それでも、セアはきっぱりと言う。
「私も軍人の家系で育ったので、それはよくわかっています」
セアは意図的に肩から力を抜いた。
「だけど……」
そして、大人びた顔でつぶやく。
「私が、変わっちゃったんだと思います……」
「変わった……?」
「はい……」
わずかな沈黙を挟んで、セアは言った。
「ナナ様のお言葉を聞いてから、『何とどう戦わなければならないのか』……それを考えなければならないと思うようになりました」
その言葉を、アスランは聞いたことがあった。
あれはベルリン市街戦の後だ。ミネルバのデッキで、夕日と潮風を浴びながら、セアの想いを聞いたのだ。
『平和を願う心があれば、ザフトとか地球軍とか、オーブとか……ナチュラルとかコーディネーターとか、そんな枠組みなんて関係ない』
『これからは、自分たちで未来を切り開こう。そのために一生懸命、正しく力を使う方法を考えよう』
『願う未来が同じなら……きっとできるはずだ』
あの最期の日……、ナナが遺した言葉を諳んじて、セアは言っていた。
『アスハ大使のお言葉のおかげで、私は変われたんです』
そして。
『だから……アスハ大使のお言葉のとおり、私なりに何とどう戦わなければならないのか、考えながらレジーナに乗ってきたつもりですけど……、今は、答えがわからなくて……』
あの時すでに、彼女は知っていたのだ。ナナが示す道を。世界がそこに向かっていないことも。
そして、フリーダムが討たれ、アークエンジェルも沈んだ後も、セアはナナの言葉を伝えてくれた。
『目指す未来に立ちはだかる者が現れたら、それとは戦わなければならない……。そのためにはどうしても力が必要で、残念ながら今はそれを手放すわけにはいかない……』
『だけど、その力は絶対に正しく使わなければならない。正しく使うということは、今、願っている未来のために使うこと。憎しみや欲望のためだけじゃなくて、願いのために使うこと……』
『そうすれば、その力は“武器”ではなく“翼”になる……。誰かを殺すための“武器”じゃなく、未来へはばたくための“翼”になる……』
『だからみなさんも、プラントの“武器”でなく、人々の“翼”であってください』
全世界に放送された公式の演説の後、セアたち士官候補生に向けて送った言葉だという。
あの時からすでに、ナナの意思はセアの中に植えられていたのだ。
ナナが撒いた種の存在を、セアの中に確かに見たはずなのに……。あの時、それに気づいたはずなのに……。アスランは自分から線を引いていた。
「あの……、だから、私……」
自然と首を垂れた。
セアが慌てて言葉を繋げる。
心配してくれているのだ。ナナの話をしたときは、いつもこうだ。
「こ、このままだと、私はただの“プラントの武器”になっちゃうと思って……」
セアの瞳には、かすかに光が浮かんでいた。
「軍人だから“当然”だってことはわかってます。それが普通で、それが務めだってこと……。でも……」
だが、まっすぐだった。
「私は、ナナ様の示した道に進みたかった」
胸が痛い。
「ナナ様が願ったような、人々の“翼”になりたかったんです……」
どうして、わからなかったのだろう。本当に、自分が嫌になる。
セアはずっとそうだった。何度も自分に伝えてくれていた。こうやって、はっきりと。
最初からそうだったのだ。
自分とセアは……。
「同じ……ですよね?」
声は、セアが発した。
「アスランも……、同じ……、ですよね……?」
セアが先にそう言った。
同じ葛藤、同じ迷い、同じ苦しみ……。セアはそれに気づいていた。だから、自分を助けてくれたのだ。
そして、一緒に来る道を自分の意思で選んだ。
自分は何もわかってやれなかった。自分のことに精一杯で、気遣ってやれなかった。彼女の中にナナの言葉が芽吹いていることを知っていたのに、自分から線を引いていた。「セアはナナじゃない」「セアはナナのようになれない」と。
「だから……、私、あなたについて来たんです……」
愚かなことだと思った。
ナナの意思を継ぐ者が一人でも増えることを願っていたはずなのに、自分もそうしていきたいと思っていたはずなのに、何も見えていなかった。
「勝手なのはわかってます……。ルナたちを傷つけて、議長に迷惑をかけていることも……。でも……」
ため息が出た。
自分自身に、だ。
「ロゴスを倒せば平和になる……っていう、議長のお言葉が、どうしても信じられなくて……」
セアは話し終えると、小さく「すみません」とつぶやいた。
目を伏せ、唇を引き結び、身体を縮める姿は、情けなくも哀れでもなかった。とても強い人のように見えた。
「こ、こんなこと言われても困りますよね……! 私、めちゃくちゃなこと言って……、ただのわがままなのに、あの……すみませ……」
「すまない、セア」
情けなくて憐れなのは自分だ。それを実感しながら、懸命にセアの言葉を遮る。
「もっと早く……」
ましな台詞は思いつかない。ただ、正直な想いを言葉にするしかできない。
「もっと早く、こうやって話せばよかったな……」
もちろん、こんな話をしたところで、二人にできることなどなかったのかもしれない。 セアを巻き込んで脱走して、シンに討たれて……、その現実は変わらなかったのかもしれない。
が、あと一歩……、あと一歩だけでも進めていたかもしれない。二人で、進むべき道について考えることによって。
「い、いろんなことが、急に起こり過ぎて……」
セアはそう言ってくれるが、言い訳にはならない。
この少女を少しでも導いてやればよかったと、後悔が押し寄せる。
「君が……」
だが、今こうしてここにいることは、後悔をしていない。
オーブを護る戦いができた。何のために力を使うか、また選ぶことができた。
「君が、ここにいてくれて、嬉しいよ……」
何の足しにもならない感想を。だが心の底から思うことを言った。
「は、はい……!」
セアは綺麗に笑った。
「私も、アークエンジェルに来られて嬉しいです……!」
そう。彼女も後悔などしていないのだ。あのグフのコックピットで、すでにそう言っていた。
彼女の足先は、視線は、想いは……、前を向いているのだ。
「ここはナナ様の“翼”ですもんね……!」
ほんのわずかに、救われた気がした。
初めて、セアとの出逢いが、ナナがくれた贈りもののように思えた。