マリューは机上に肘をつき、組んだ手に額を乗せた。
ズキンズキンと、頭の内側が痛むのだ。
「ラミアス艦長……」
ドクター・シュルスが心配そうに腰を浮かすが、ため息が漏れるだけだった。
たった今、彼から聞かされた報告に気分が悪くなっていた。
彼が報告したのは、オーブのラボから送られてきた『連合のエクステンデット』についての情報だった。
先般のザフト軍による『ロドニア研究所』制圧によって、エクステンデットを“製造”する卑劣な研究所の存在が明るみになった。
当然、連合側もプラント側も、研究所に関する情報統制は厳しく敷かれていたが、その内部情報はオーブにも流れて来たらしい。
それだけ、『ロドニア研究所』の規模が大きかったということだろう。
が、その報告の大半は今さら驚異を覚えるほどではなかった。
何故なら、実際にマリューたちはエクステンデットと交戦している。その力も、異常性も、まさに肌で感じているのだ。
だから、彼らがどういう目的でどんなふうにされたのか……それはすでに知っていた。
問題は、ドクター・シュルスが遠慮がちに、まるで最後に付け足すかのように言った言葉である。
『エクステンデットの中には、記憶を操作されながら“使われる”者がいるらしい』
と……。
「記憶」という言葉には過敏になっていた。
彼……、ムウに似た男が実際にムウだったと知った瞬間から、24時間つきまとうのだ。
彼の記憶はどこへ行ったのか……。
彼の記憶は完全に消えてしまったのか……。
彼の記憶はもう二度と、蘇らないのか……。
今、エクステンデットの「記憶」に関することを聞かされて、いよいよその単語は脳を埋め尽くした。
「先生……」
抱えきれないから、吐き出した。
「彼も……、ムウも……、その技術で記憶を消されている可能性があると……、そういう可能性があると思います……?」
人の好いドクター・シュルスを困らせたくなかった。
が、どうしようもなかった。
「フラガ大佐の場合は……、先の戦争で追った怪我により記憶喪失になった可能性も考えられます。ただ……」
彼は言いにくそうに続けた。
「『ネオ・ロアノーク』という人物の完全な記憶があるので……、記憶の“上書き”をされたということも……」
「上書き……」
自然と、ドクターの言葉を繰り返した。
「あるいは、“人格”を変えるような何かを……」
記憶の上書き、別人格……。
どちらにせよ、現時点で“治療法”が不明なことは明らかだった。
だから、その先を聞くことを諦めた。
可能性の話は今のマリューにとって意味がない。とても楽観的には考えられない。
毎日、ムウだけどムウじゃない男を見て、声を聞いて、話しをして……、どんどん迷宮の奥に入り込んでいくような感覚なのだ。
「ラミアス艦長……」
「いいんです。わかりました……」
結論の出ない議論をする気はなかった。
ドクターは何時間でも付き合ってくれるだろうが、だからこそ少しも先の話をしないでおきたかった。
「報告ありがとうございます。“あちら”で確実に“何か”が起きていたことがわかって良かったです」
強がりを見抜かれているのは承知だった。
が、ドクターを見送るため立ち上がった。
「では、私はこれで……」
全てを察した様に、ドクターもまた腰を上げた。
その椅子が軋む音とインターホンが鳴るのは、まったく同時だった。
<艦長……、ミリアリアです。よろしいでしょうか……>
この士官室を、ミリアリアが訪れるのは初めてのことだった。
「ええ、どうぞ」
歪な動揺を押し殺し、そう答える。
入って来たミリアリアは、酷い顔色をしていた。
「ミリアリアさん、気分が悪いの?!」
「すぐにメディカルルームへ……!」
ドクターと同時に、そんな言葉が口をついて出るほどに。
「え、いえ、ええ……、あの……」
ひどく歯切れが悪い。勝ち気でしっかり者で快活な彼女にしては異常だ。
「違うんです……、少し……お話が……!」
だが、彼女はうつむいたままそう言った。
声は弱々しいが、どこか有無を言わさぬ様子に見えた。
「では、私は失礼します……」
ただならぬ何かを察したのか、ドクターは立ち去ろうとする。
が。
「いえ! あの、ええと……。できればドクターも、お話を……」
思わずドクター・シュルスと顔を見合わせた。
この三人の共通の話題が思いつかないのだ。
「わかりました。さぁ、ミリアリアさん、かけて」
座るように言うと、彼女は深呼吸してから腰かけた。
何か重大な決意を抱えているように見えた。
「どうしたの? 何かあった?」
それでもなかなか話そうとしない彼女を、できるだけやんわりと促す。
すると。
「今、あのコの……、“セア”ってコの様子を……、見に行っていたんです……」
ミリアリアはそう言った。
それで合点がいった。
彼女は激しく動揺しているのだ。
それは、この艦に“セア”という少女を迎え入れた瞬間から……、そう、“ムウに似た男”を収容した瞬間と同じように……、胸を渦巻く混乱なのだ。
だから少し安心した。
自分の時は“確信”の割合が大きかった。とてつもなく“似ていた”からだ。
が、今回は違う。
確かに面影は濃いが、はっきり“否定”すべき点がいくつか存在する。
髪の色は違っていて、染めたようでもない。アスランとともにザフトから飛び出して来たのは間違いない。
なにより、彼女に会ったことのあるカガリが証明しているのだ。
“全くの別人”だと。
彼女が言うのだから間違いなかった。
ナナが愛した妹なのだから……。
「ミリアリアさん、確かにあのコは“似ている”けど……」
「ナナに」とは口に出せなかった。
が、彼女の動揺を静めるためには、はっきり言ってやるべきだと思った。
「違うんです……!」
しかし、続く言葉を遮って、ミリアリアは悲鳴のように言った。
「違うって……?」
一瞬、「ナナに似ている少女と遭遇して動揺している」のが違うのか、「ナナに似ていると思っている」こと自体が違うのか、わからなくなった。
だが、ミリアリアはまるで違うことを言った。
「あのコ……、ナナ……です……!」
ミリアリアは、椅子から崩れ落ちそうになりながら絞り出した。
「ミリアリアさん……!」
彼女の身体をドクターと二人で支えた。そうしなければ、彼女の身体は床に転がってしまいそうだった。
「ミリアリアさん、あのコは確かに“似ている”けど……」
が、逆にこちらの心は落ち着いた。
ミリアリアが、あまりに似すぎる少女を見て混乱しているのだとわかったからだ。
「でも、カガリさんが言ったでしょう? 全然違う人だって。そうでなければアスラン君は……」
「違うんです……!」
思いのほか整然と並べられた言葉を、ミリアリアは切り捨てた。
「だって……! だって、言ったんです……!」
もう一度、ドクターと顔を見合わせた。
彼も不可解な表情を隠さない。
「一瞬だけ目を覚まして……、私を見て、言ったんです……!」
だが、次のミリアリアの悲鳴のような叫びに二人とも凍り付いた。
「『久しぶり、ミリ』って!!」
言われた彼女じゃなくてもわかる。
それがどれほど不自然で不可解なことか。
「き、聞き間違いじゃ……」
それに怖れをいだいたかのように、ドクターが言った。
「だって! おかしいでしょう? ザフトの……、ザフトのコが私の顔や名前を知ってるはずないし……、『ミリ』だなんて……! そんな……」
ミリアリアは激しく揺れる心を吐き出した。
「そんなっ、ナナみたいな呼び方……!!」
彼女が嘘をついているとは思わない。聞き間違いの可能性は否めない。願望が妄想となった可能性も……。
が、ミリアリアの心は弱くないことを、マリューは知っている。
大きな悲しみを乗り越えて、恐怖に打ち勝って、勇気をもって、信念を貫いて……、あの戦争を戦い抜いたのだ。意図せず巻き込まれたにもかかわらず、彼女は最後まで戦った。
マリュー自身も、若い彼女の強さに支えられたのだ。
彼女のさっぱりとした性格も相性が良かった。
だから……。
「ミリアリアさん……それは……」
「何かの間違いでしょう?」はもちろん、「本当なの?」とすら聞き返せなかった。
「お願いです、先生……!」
ミリアリアは歯を食いしばりながら決意した。
「あのコの……、DNAを、ナナのデータと照合してください……!!」
それは恐ろしく勇気のいる決意だった。
「ミリアリア……」
ドクターも気圧されている。
「お願いします、艦長!」
マリューも即答ができなかった。
もしミリアリアの言う通りなら……、それが頭をよぎるのだ。
きっと、喜びとともに怒りが湧くのがわかっている。祝福と憎悪が同じ勢いで押し寄せることがわかっている。
それに……、アスランとカガリのことを思うと、簡単に決心がつかなかった。
彼らが受ける衝撃を、自分は理解できる自信がある……。
「あれは……、あのコは……!」
とうとう、ミリアリアは嗚咽を漏らした。
彼女にもわかっているのだ。
真実を突き止めた先に何が待っているのか。
ミリアリアの体験が何かの“偶然”で片付くのなら、彼女も自分も、再び絶望に堕ちるだろう。
もうナナはいないのだと、同じ絶望を二度味わうことになる。
そしてもしミリアリアの言う通りなら……、近しいものたちは喜びと同時に怒りを感じ、心が割れんばかりに痛むだろう。
そして世界が混乱し……、予測のつかない事態になることも。
彼女は全部わかっているのだ。
わかったうえで、迷い、決心し、ここへ来た……。
「あのコ……、『ミリ』って……、私を……!」
「ミリアリアさん……!」
彼女の背をさすった。
その動きに合わせ、己の心を静める。
簡単なことではなかったが、ムウの件でもう十分に混乱していたので、最低限の平常心はすぐに取り戻せた。
「わかりました、DNA検査をしてもらいましょう」
「艦長……!」
まだ決心のつかないドクターが泣きそうな顔をした。
彼もまた、ナナを深く慕っていた人間である。
「先生、こうなった以上、私たちは真実を突き留めなければ……」
敢えて、曖昧な言い方をした。
検査をすれば真実がわかる。
結果がどちらに転んでも、誰もが正常な精神を失うことになるだろう。
が、検査をしなくてもミリアリアの動揺は収まらない。
聞いてしまった自分たちも、ずっと頭の片隅にある可能性を感じながら過ごさなければならないのだ。
どちらに転んでも……。
「お願い……します……!」
ミリアリアはそう懇願しつつも、声にはかすかに迷いを含んでいた。
決心したとはいえ、彼女も割り切れたわけではないのだ。迷いも怖れもある。
「先生……」
ドクター・シュルスも、迷い、怖れと戦っていた。
「検査をしましょう……」
そして自分も。
誰もが目を背けたいのだ……。
「わ、わかりました……」
三人の間に漂う空気に、それを感じたのだろう。
ドクターは乾いた声で同意した。
「すぐに検査を……!」
そして、俊敏な動きで立ち去った。
「うっ……」
自分が進めてしまった駒……、それをまるで後悔するかのように、ミリアリアは顔を覆った。
「ミリアリアさん、大丈夫よ……」
戦友とも呼べる彼女を抱きしめた。
大丈夫……。“先輩”として対処法は考えておくから……。
口に出さない代わりに、彼女を強く、抱きしめた。