はたしてどちらの結果が良かったのか……。
何度己に問いかけても、マリューは答えを出せなかった。
もちろん、ナナに会いたい……。
それは一点の曇りもない想いである。それはきっぱりと言い切れるのだ。
だが。
もし“そうだった場合”に付きまとう感情を、自分は知ってしまっている……。
手が届くところにあるものを、掴めないもどかしさ。呼びかけても、振り向いてもらえない虚しさ。風を斬るような虚無感。希望を失いそうな閉塞感。
そして……。
やはりアスランのことを思うと胸が潰れる思いだった。
本当に『セア』が『ナナ』なら……、側にいたであろう彼はその時間を何と思うのだろう。
そして、これからは……。
宣告は翌日だった。
それを、士官室でミリアリアと待っていた。
入って来たドクター・シュルスの顔つきで、答えを確信した。
「セアという少女と……、ナナ様のフィジカルデータが、一致しました……」
彼は奥歯を震わしながらそう言った。
やはり……、喜びと悲しみと憤りが同じ分だけ産まれて、胸の中で激しく暴れた。
「そんなっ……!」
ミリアリアも同じようだった。
どうしていいかわからないといった顔で、首を左右に何度も振った。
「じゃあ、あのコは……、ナナなんですね?!」
彼女はうわずった声で聞き返し、
「あ……、あのコは……、あの方はナナ様だ……」
答えたドクターは泣き出した。
彼も……、喜びと戸惑いで混乱している。
「ナナが……、生きてた……」
ミリアリアは真実をつぶやき、
「でも……、なんでっ……!」
三人の心を喜びで満たせない訳を叫んだ。
「なんで、なんでザフトに!? なんで『セア』って名前……! 姿もっ……!」
堰を切ったように溢れる疑問で、彼女は呼吸を乱した。
「落ち着いて、ミリアリアさん……!」
そう声をかけた自分が、思いのほか落ち着いていると気がついた。
「だって……! ナナが……、ナナが……!」
ミリアリアの戸惑いの中に、怒りが生まれていた。
ナナを“失った”悲しみが、ナナを“奪われた”怒りへと変わっているのだ。
「ミリアリアさん……」
それを分析できるほど、自分は冷静だと感じた。
「それで、先生……」
混乱の中に身を置く二人を置き去りにするように、マリューは問いかけた。
あまり知りたくはないが、絶対に知っておかねばならぬことだ。
「どうしてナナは記憶を……? 事故の後遺症でしょうか……」
「そ、それは……」
問いかけておいて、答えを待つ気は無かった。
ドクターが言いよどむ時点で答えは出ている。
「連合のエクステンデットと同じく……、『記憶の上書き』をされた可能性もあるということですよね……?」
この部屋に神妙な面持ちのドクターが入って来た瞬間から、わかっている。
「ムウと同じように……」
「えっ?!」
ミリアリアが空気を切り裂くような声を上げた。
「き、記憶の上書きって……、どういうことですか?!」
マリューは彼女に説明した。
“可能性”の話だから、より冷静でいられた。
「そんなっ……、な、なんで……、なんのために……!」
二人のうちどちらのためか……、あるいは二人とものためか、ミリアリアは憤った。
「“なんのため”……かはわからないけれど、単に記憶を喪失しているのではなく、別の記憶を持っている以上、誰かが意図的にそうしたと考えるのが自然でしょうね」
自分の声が、他人事のように聞こえていた。
二人は否定も肯定もしなかった。二人もムウとすでに再会していて、理解してしまう部分があるのだ。
「でも……!」
そこに抵抗するかのように、ミリアリアは言った。
「か、髪の色が違う……! 眼の色も違うってカガリさんが言ってたし……。そんなことまでして、ナナをどうしようとしたっていうの……?!」
ドクターがそれに答えた。
「そ、それが……、検査の結果、身体の特定の部位を細胞レベルで変えるという“操作”をされておりました……」
ひどく不快な言葉で。
「細胞レベル?!」
「そ、操作って……」
これにはマリューも聞き返さざるをえなかった。
「“彼女”は11錠の薬を持っていました。それをラボで分析したところ……、頭髪や眼球の細胞に作用するような特殊な成分が入っており……」
「そ、それって……」
「え、ええ……。コーディネーターを誕生させる技術の応用かと……」
言葉が喉につかえた。
もっと詳しく聞かねばならぬと思う一方、それが出てこない。
ドクターも、それ以上話そうとはしなかった。
ナナが生きていた……。ナナが戻って来た……。
その喜びが、すでに他の感情に押し流されそうだった。
「“何でこんなことに”……なんて……」
大げさにため息をついだ。
感情を吐き出しきれればよかったが、そうはできなかった。
だから、少しの強がりでしゃべる……。
「今、考えても仕方がないわね……」
二人の目が、マリューを向く。
どちらの視線も哀れなほどに揺れている。
「それで、“あのコ”の容体はどうなんですか?」
“あのコ”と呼んだのは、やはり強がりにも限界があるからだ。
「意識が戻ったら……?」
最後まで言いきれないのも情けない。
ドクターは首を振りながら答えた。
「わ、わかりません……」
それだけ。
だから、ミリアリアが上ずった声で問いを重ねる。
「意識が戻ったら……、ナナの記憶を取り戻してるって可能性はあるんですか?!」
マリューの中にも期待はあった。
様々な感情を差し置いて、ナナと“再会”できることを期待している。
だが、今さらそんなに都合の良いことも起こらないだろうとも思っている。
「わ、わかりません……」
ドクターも同じ動作を繰り返した。
「これから……、記憶を取り戻す可能性は?!」
「それも、なんとも……」
二人のやり取りは続いた。
「意識は戻るんですよね? 怪我は大したことないっておっしゃってましたよね?」
「あ、ああ、軽傷ではある……。だが、あのくらいの傷であれば、もう意識が戻っても良いのだが……」
二人とも、必死で言葉を吐き出しているのがわかる。
「じゃ、じゃあ……、やっぱり“いろいろされた”から……!?」
「そ、それは……、あの薬の分析をもう少し進めてみないと、はっきりしたことはわからない……」
「そもそもその薬って、投薬し続けて大丈夫なんですか?! その薬が……、その薬のせいで……」
酸素が切れたかのように、ミリアリアは言葉を詰まらせた。
マリューは小さく息をついて、後を継いだ。
「その薬が本来の細胞を何らかの作用で変化させるか、副作用がみとめられるものなら……、投薬しないほうが良い可能性もあるということですよね?」
ドクターは目を伏せた。
医学や薬学のことはわからないのだから、彼の判断に任せるしかないのだ。
「もう少し……あの薬の分析を進めてから、投薬の是非を決定すべきかと……」
彼はそう答えた。
「わかりました」
マリューは言った。できるだけきっぱりと。
「“彼女”の容態については、ドクターにお任せします」
二人は彷徨う視線をこちらに向けた。
それを受け止め、マリューは決意を口にした。
「“彼女”がナナだという真実は、しばらく伏せておきましょう」
二人とも、驚きと納得が同時に押し寄せたような顔をした。
「もちろん、この艦のクルーだけでも知らせた方が良いことはわかっています」
だが、マリューの想いはブレなかった。
「でも、この件は残念ながら世界の情勢に大きく関わる重要なことであり、ただ一個人のことではないのよ……」
「残念ながら」という言葉は、本心だった。
“ナナ”は公人だった。
それだけではない。死してもずっと、平和の象徴的存在だった。世界は彼女に影響を受け続けていた。
だから……。
「この真実が公になることで、オーブは完全にプラントと対立することになるかもしれない。いくら国の理念を掲げていても、オーブ国民にとって“ナナ”という存在は未だ絶大な影響力を持っているわ。皆の心の支えだった彼女が、実はプラントに“奪われ、利用されていた”のだと知れば、国民が蜂起することになる可能性も大いにあるでしょう。そして、連合はそれを期に勢力を増すことになる。プラントは総力で対抗するでしょうし、プラント内も分裂するかもしれない」
この歪み続ける世界は、さらに形を変えるだろう。ナナの存在によって、世界はナナが望まなかった景色と化すことになる。
何より、オーブがバラバラになってしまうことに心を痛めるだろう。
しかし……。
「それに……、それにね。本当に辛いのよ……」
一番に思うのは、そんなたいそうな決意や想いではない。
ただただ、今の心にくっきりとついている新しい傷が怖いのだ。
「目の前に本人がいるのに、
どちらからも、異は唱えられなかった。
「“彼女”が目を覚ました時、ナナじゃなかったら……」
ミリアリアは思い切り頭を垂れた。ドクターも額の皺をいっそう濃くする。
「
今、二人が感じている痛み。
それを、アスランやカガリが抱えるのは酷でしかなかった。
「身内に伝えないのは不誠実だと思うけど……、でも、もう少し……。この件は、私に預からせてくれないかしら」
不誠実……。
口にして、その重みを全身に感じる。
「もし、目覚めたのが“ナナ”だったら……?」
ミリアリアが希望なのか怖れなのかわからないような声で問う。
「その時は、真実をみんなで共有しましょう」
むしろそれが一番良い未来だった。
そう……、ナナに
自分の身に起きたこと、されたこと、現実……それを知ってナナ本人がどうするか。
示されるであろうナナの意志。
それについて行けばよいのだから、自分たちが悩むことはない。
なんて卑怯な希望だろう。
だが、今はそれにすがるしかなかった。
「じゃあ、もしナナじゃなかったら……」
「その時は、“セア”として接しましょう」
覚えたての名を口にするのは覚悟の証だ。
後者の確率が高ければ高いほど、その覚悟を強固なものにしておかなければならないのだ。
「私が責任を取ります」
二人が不安や迷いを口にする前に言った。
「この艦でのことは私に責任がありますから」
それと、罪悪感を持つ前に。
「でも……」
「大丈夫、ラクスさんにはちゃんと話して……相談しておくわ」
「ラクスに……?」
最も信頼のおける名前を強く押し出してでも……。
とにかく今は、前を向いていなければならない。世界が再び引き裂かれようとしているのだから。
「お願いします……!」
二人に向かって頭を下げた。
自分のためじゃない。世界のためじゃない。ナナのためでもない。
カガリやアスラン……自分たち、ナナと親しかった者のために。
「わ、わかりました……!」
二人はほぼ同時に言った。
「艦長、わかりましたから……!」
二人の目に、慈悲の色が浮かんでいた。
情けなくうろたえる自分の心を、きっとわかってくれているのだ。
「ありがとう……」
その心に、礼を言った。
それがなければ、ただのエゴで不誠実な礼だった。