「アスラン……」
気づけば、部屋の照明は少しだけ落とされて、ラクス以外誰もいなくなっていた。
「アスラン、話してください」
彼女は言った。
「今、あなたが何を想うのか……。抱えているものを言葉にして、吐き出してください」
隣に腰かけ、肩に手を置き、優しく言った。
「そうでなければ、“希望”が曇ってしまいます」
独特の言い回しは何を意味するのか理解できなかった。
が、そのせいか、視線は自然と彼女を向いた。
「アスラン、今、何を考えているのですか?」
話したくなどなかった。できればひとりにしておいてほしい。
その訳は、何も整理がつかないからだ。頭も、心も。
なんだかよくわからない感情が、胸に渦巻いている。脳には、あぶくのように何かが浮かんでは消えている。
「ひとつずつで良いのですよ」
そう……。ラクスは知っているのだ。この状況を。体内の、とんでもない環境を。
それを知って、吐き出せと言っている。
自分で整理をしなくても良いのだろうか……。
「オレは……」
すがるような気になったとたん、声が漏れ出た。
「喜んで……いいのか……? わからないんだ……。嬉しいはずなのに……何かが……邪魔をして……」
彼女は、ひとつひとつに答える気はないようだった。
「もう一度会いたいと……、何度も、何度も……願っていたはずなのに……」
かすかに笑みをたたえたまま、じっと聞いている。
「何かが、邪魔をして……」
頭を抱えた。
邪魔をするのは何なのか、わからない。
「もし、次に目覚めたのが“ナナ”じゃなく、“セア”だったら……」
頭が痛い。
「……“セア”じゃなく、“ナナ”だったら……」
胸が苦しい。
「オレは……、何て言えばいいんだ……!?」
“二人とも”にかける言葉が見つからないことに気づいたとき、何かが小さく弾けた気がした。
「アスラン」
それが見えていたかのように、ラクスの手が肩を撫ぜた。
「もし目覚めた時“セア”だったら……、なんと声をかけますか?」
そして、問いを放り返した。
こちらが答えを求めているのに、それを言わせようとするなんてずるい……。
そう思った。
が、不思議と、誘われるように言葉を発してしまう。
「わからない……、オレは……。オレは……、『君は、本当はナナだ』なんて……、『思い出してくれ』なんて……、彼女には言えない……!」
答えなのか何なのか、良くわからないものだ。
「そうですわね」
ラクスはそれを、綺麗に包んでくれた。
「あの方はとても純粋な方ですから、それを伝えれば望まぬ何かに染まってしまうかもしれませんね」
肯定されたのだろうか。
わからなかった。
「待てば……いいのか? ナナだと知っていて……、セアがナナに戻るまで、ずっと……、知らないふりをして待ち続ければいいのか……?」
もどかしさに、何かを掻きむしりたかった。
だが、そんな気力もなかった。
「それは辛いことですわね……」
ラクスもため息をついた。
そして。
「でも、わたくしは“セアも”大好きです。ですからわたくしは、セアともっと仲良くなりたいと思っています」
「それは……!」
「それでも、いつかきっと……、ナナが戻って来ると信じています」
「それは、どういうことだ……、ラクス……。セアの中にナナを探し続けろってことか……?」
「ええ」
「それではセアが……!」
ナナを求めるということはセアを否定することだ。
そのくらい、今のアタマでもわかっている。
そしてセアを失う悲しみも……。
「わかっています、アスラン。私はセアも大好きなのです」
ラクスの瞳が、初めてかすかに震えた。
「けれど……、セアはナナです。ナナなのです……!」
「ラクス……」
「そして、私たちが求めるのもナナなのです……!」
確かに、彼女の中に苦悩を見た。
そうだ……。
彼女はとっくに真実を知っていた。
それでも、彼女は“セア”と友達になった。以前からの友のように親しげではあったが、ナナに接するようではなかった。
「君は……、もうずいぶん前から、決めていたのか……?」
情けなく、声が掠れた。
「はい」
ラクスの声音のほうがよっぽど強かった。
「わたくしも、マリューさんからお聞きした時からしばらくの間考えました。今のあなたと同じです、アスラン。過剰にナナを……、セアの中のナナを求めてしまわないかと……。そして、セアを傷つけてしまわないかと……」
だが、彼女も悩んだのだという。
その末に見つけた答えを今、示してくれているのだ。
「けれど……」
彼女はもったいぶらずに教えてくれた。
「わたくしは、セアを“もうひとりのナナ”として接することにしながら、セアの中に眠るナナを探しました。そして、ナナが戻って来てくださることを願っていました」
「セアの中に……眠る、ナナ……」
「はい」
「戻って来ることを……、願って……?」
「はい」
セアの中にナナを見ていたと、探していたと、ラクスは言う。
それでも良いのだろうか……。
まだ結論が出ずにいると、ラクスは続けた。
「あなたからセアの話を聞いて、そして実際にセアにお会いして……、それはずいぶんとナナとは違いましたけれど、でもあの方の芯の部分はナナであると、私は確信したのです」
ブリッジで震えながらもしっかりと己の意志を吐き出したセアと、それを強く抱きしめるラクスと思い出した。
あの時のラクスの涙は歓喜だった。
それは、ナナが撒いた種を咲かす少女に会えた喜びだと思っていた。
が、違ったのだ。
はっきりと“ナナ”を見たからこその感涙だったのだ。
「ですからやはり……、わたくしたちにはナナが必要だと、改めて感じました」
ナナの言葉を継いだ少女でなく、ナナ本人を……ラクスは求めた。
「じゃあ……、目覚めて欲しいのは……」
臆病な問いをつぶやいた。
ラクスは迷わず答えた。
「ナナですわ」
胸が萎むような感じがして、思わずうつむいた。
「アスランは、違うのですか?」
彼女はその部分を突くように、急に意地悪く言った。
「オレは……」
何故、答えられないのだろう。何が“邪魔”をしているのだろう……。
「『セアであってほしい』という想いもあるから、お答えになれないのですか?」
なんて残酷なんだ……。
ラクスは優しい声で、鋭い刃を突き刺して来た。
「…………」
答えようもなかった。答えたくもなかった。
ナナとの再会を……、願いを、希望を邪魔するものはそんなものではない。
それを噛みしめる。
セアを失うのは悲しい。たしかにそうだ。心の底から彼女を護りたいと思った。彼女と出逢えて嬉しいと思った。
が、ラクスの言う通りだ。
求めているのは……ナナなのだ。
「アスラン」
それを言葉にすることを促すように、ラクスが呼んだ。
「オレは……」
“彼女”の横顔を見た。
今は静かに眠っている。
もう一度会いたい、話したい、触れたい……。
そう願い続けてきたのに、彼女が目を覚ますのを“恐れている”のか……。
いや、怖れなのか躊躇いなのか、よくわからない。
そんなものだったのだろうか。何だったのか、ナナへの想いは……。
「オレにとって……」
なんだか情けなくなった。
「ナナは……、ナナは、かけがえのない存在だった……」
だから、こんな気恥ずかしい台詞も素直に呟けた。
「本当に大切で……、自分の命なんかよりも……」
そう……、大切だったのに……。
「それなのに……、オレは、この手でナナを護れなかった……!」
情けなさに怒りが一粒加わった。
「ずっと側にいると約束したのに……、オレは……!」
ずっと蓋をして来た感情が溢れ返った。
「オレはきっと……!」
『カガリを護る』というナナへの約束が、蓋を抑える重石になっていたのに、それはもう、無い。
「ナナには必要とされていなかった……!」
吐き出した瞬間、自分の中の芯が消えるのを感じた。
何も無い。
そう……、ナナに必要とされなかった事実は、自分の存在自体を消し去るものなのだ。
だから、それを考えないようにしていた。
ナナの人生の中に置いて、最も重要な瞬間に側にいられなかった。
少し前から遠ざけられていた。
ただ『カガリを護って欲しい』という願いにすがっていた。
その願いを受け入れることで存在意義を感じていた。ナナに望まれているのだと思うことにしていた。
そんな状態の自分を置いて、ナナは逝ってしまった。
ナナにとっての自分の存在の意味を問いただす機会は、永遠に失われた。
だから、生きるためには約束を守り続けるしかなかった。ナナの願いを叶えることでしか、存在できなかった。
そんな自分を、考えないようにしていた……。『カガリを護る』という願いで蓋をして……。
「アスラン……」
気づけば目の前は真っ暗だ。
哀れにも、反射的にうずくまっているのだ。そう、自分が哀れだ。
「そのお気持ちをずっと……、抱えてこられたのですね……」
ラクスは優しかった。
こんな自分にはそんな価値などないのに、優しくささやいてくれた。
それから、自分とキラがちゃんとそういう話を聞かなかったことを、すまないだとか、心配だったとか、話してくれた。
よく聞こえなかった。自分の中の叫びだけで、他になにも聞こえなかった。
「だから、オレは……!」
永遠に付きまとうはずだった呪いを振り払うように……。いや、振り払えないとわかりつつ、叫んだ。
「ナナが目覚めても……、何を言っていいのかわからないんだ……!」
どんどん、自身を哀れの淵に落として行くのがわかる。
「今ここにいるべきなのはオレじゃない……! カガリか君か……、キラなんじゃないかと……!」
そうするほうが楽だった。そうすることでしか息が吸えなかった。
「オレはただ、ナナに願いを託された人間のフリをして……、そういう皮を被って、ナナが居ない世界で息をしていただけなんだ……!」
こんな台詞ならいくらでも流れでる。
ずっと蓋をして仕舞っていただけで、ずっと増え続けて来たものだから。
「その願いですら、オレは叶えることができなかった……! カガリを傷つけて……!オレは……!」
支えとなっていたナナの笑みは、幻想でしかなかった。
「わかっている……! オレは、ナナに会う資格なんてないんだ……!」
『ごめん、アスラン』
最後の夜、唐突に突き返されたナナの言葉。
戻ったら二人で話そうと言っただけなのに、返って来たのはそんな言葉だった。
あれこそが全てだった。
忘れたフリをしていた。忘れたかった瞬間だ。
「オレは……!」
あの時、遠ざかるナナをただ見送るしかなかった。
暗闇に溶ける背中を思い出す。
瞬間、言葉が詰まった。
「アスラン……!」
出て行こう……。そう思った。
自分で言った通り、ここにいるべきなのは自分じゃない。親友だったラクスだ。
目覚めるのがセアだったとしても……、彼女なら安心だろう。
が、身体に力が入らなかった。
深すぎる後悔のせいで、脳からの命令が伝わらないのだろうか。
「アスラン!」
ラクスは強く肩を掴んだ。
だが、もう十分だと思った。
話を聞いてくれた。偽りの自分をさらけ出させてくれた。今まで抱えてきた黒い感情を、吐き出させてくれた。
もう十分だった。
だが……。
「ナナの想いを、そんなに軽いものだと考えないでください……!」
ラクスはまるで叱責するように言った。
「君に何がわかる?」……そんな言葉が反射的に出かかったのに、首が締まったようでやはり言葉は出なかった。
だからラクスは続けた。
「ナナはあなたを大切にしていました! とても、とても必要としていました!」
だからそれはもう十分なのだ……。
懸命に力を入れ、立ち上がろうと試みた。
「けれど、ナナはカガリさんのことも大切に想っていました……! ですから、深く悩んだのですわ……!」
「君に何がわかる?」と、言わないでいて正解だった。
ラクスは知っているのだ……。
「聞いていたのか……、君も……」
床を這いずるような声が出た。
「はい」
ラクスはきっぱりと言う。
その続きを言う前に、アスランもきっぱりと言った。
「だからオレは、“そういう存在”だったってことだ」
カガリに話を聞いたとき、「わからないことがわかった」なんて、愚かな結論を出した。
ナナの想いなどもう……永遠にわからないと。
だが、本当はちゃんと結論が出ていたのだ。
自分は“そういう存在”……、その程度の存在でしかなかったという結論だ。
ナナのためにカガリを護る存在。
今の自分は、それを叶えられなかった。
ほら、答えが出た……。
妙にすっきりした瞬間、立ち上がることができた。
床を踏みしめている感覚はない。が、立っている。
視界に“彼女”をとらえないよう、扉を向いた。
頭がクラクラする。
きっと“彼女”がセアだったとしても……、もうまっすぐ目を見られないだろう……。
ここから立ち去ろう。
そう思って、足を動かした。
その時。
「ナナは泣いていました……!」
ラクスが言った。
「混乱して、戸惑って、苦しんでいました……!」
ナナが、泣いていた……?
ナナと涙は不釣り合いだった。
いや、その涙を何度か受け止めたことがある。
その奇跡のような瞬間を、ラクスも知っているのだろうか。
「アスラン」
思わず振り返ると、ラクスは悲しげな目をして言った。
「それは、ナナがあなたを愛していたからですわ」