見果てぬ宇宙(そら)の夢   作:亜空@UZUHA

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水平線

 

 その日、珍しくナナが一人で浜辺の家を訪れた。

 「アスランは?」と聞くと、わかりやすく思い切り目を逸らし、口ごもった。

 

「ちょっと……、ラクスと話したいことがあって……」

 

 ナナらしくなく、歯切れが悪い。

 スピーチの内容やオーブの理念について、考えがまとまらないときに相談されることはよくあった。

 が、今回はどうやら違うようだ。

 ラクスには当てがあった。

 

 

 ラクスはナナをテラスへ誘った。

 キラは気を効かせて子供たちと部屋に行った。

 

「どうぞ」

 

 ハーブティーを勧めると、ナナはひと口飲んでため息をついた。

 が、何も言わない。

 今回は相当まいっているようだ。

 無理もない……、そう思い、ラクスが先に口を開いた。

 

「アスランのことですか?」

 

 ナナは驚いた顔をしたが、すぐにばつが悪そうにうつむいた。

 

「やっぱ、ラクスはお見通しなの?」

「先日、アスランも同じように思い詰めた顔でこちらにいらっしゃいましたから」

「ああ……、あの時か……」

 

 三日前、アスランもひとりでここへやって来た。

 言いにくそうに話したのは「ナナの護衛を外された」ということ。そして、「ナナに避けられているような気がする」とこぼしていた。

 

「アスラン、何て……?」

 

 帰ってから二人で話さなかったのだろうか。

 ナナはそう尋ねた。

 胸騒ぎがしたが、ラクスはできるだけ軽い口調でアスランとのやり取りを話した。

 

「そっか……」

 

 ナナはうつむいた。

 しばし、波の音だけが二人の間を流れた。

 

 ラクスの胸騒ぎは大きくなった。

 あの時の、アスランの横顔を思い出す。

 キラと二人で彼の考えを否定した。

 ナナはカガリが心配なだけだ……と。アスランとの信頼が深まったからこそ、離れていても平気なのかもしれない……と。

 本当にそう思っていた。キラもそうだ。

 あの、ひとりでなんでもやり遂げるナナが唯一頼る相手……。弱みを見せられる相手。 必要とする相手。

 それがアスランであると、二人とも心から信じていた。

 が、ナナがそのことでここへ来たのなら……、その暗い表情の裏には何かあるということなのだろうか。

 自分たちが思っていたのと違う、何かが。

 

「アスランとケンカでもしたのですか?」

 

 敢えて冗談めかして言った。ナナが得意なやり口だ。

 が、ナナは寂れた笑みを零した。

 初めて見る顔だ。

 

「ナナ……?」

 

 こちらの表情も崩れた。

 何か絶対的なものが土台から崩れる……そんな不安に襲われた。

 

「あのさ……、私……」

 

 じれったい……。

 こんな気分は初めてだった。

 

「どうしていいかわかんなくて……」

 

 ナナのものとは思えない台詞だ。

 

「ナナ、アスランと何かあったのですか?」

 

 嫌な感覚が焦りを産んだ。

 ラクスにとって産まれて初めてのことだった。

 が……。

 

「な、なにか……っていうか……」

 

 ナナはまた表情を変えた。

 海を見つめ、雲を見上げ、あさっての方を見て、うつむいた。

 

「ナナ……?」

 

 ラクスの感情が凪いだ。

 ナナの頬がかすかに赤く染まっていたのだ。

 

「アスランと……っていうか……」

 

 当初の想定通り、他愛もないことなのかもしれない……。

 そう思えた。

 ナナはもうひと口、ハーブティーを喉に通すと、意を決した様に言った。

 

「私、ちょっと浮かれてたったいうか……! アスラン、優しいし、頼りがいあるし、いつも側にいてくれるし……。それで私、なんていうか、すっごく安心しちゃってて、そういうことに満足しちゃってて、それで……、周りが見えなくなってたと思うの……」

 

 なんだか不思議だった。

 アスラン本人やこちらの懸念とは反対に、アスランとの関係が良好であると、ナナは自らきっぱりと言ったのだ。ものすごく恥ずかしそうに頬を赤くして。

 世界平和大使という肩書を背負った少女ではなく、少し勝気などこにでもいる少女の顔をしている。

 

「ナナ、周りのことは気にしなくてよいのではないですか?」

 

 だから、冷静な意見を返せた。

 周りの目、周りの声、それは気にすることではない。

 いわば世界情勢の最先端で戦うナナにとって、心許せる者の存在は重要である。

 その中に自分やキラを入れてくれてはいるが、やはり、いつも側で彼女を包んであげられるのはアスランなのだ。

 

「それじゃあダメなの。ダメだったの……!」

 

 が、ナナは頭を抱えた。

 そして意味の分からぬ後悔をする。

 

「私はなんにもわかってなかった……!」

 

 急に、ナナの顔が暗くなった。

 

「ナナ……?」

 

 その顔は見覚えがあった。

 “彼女”のことで悩みを打ち明ける時、ナナはこう言う顔をしていた。

 

「カガリがさ……」

 

 案の定、ナナは彼女の名をつぶやいた。

 それから少し、間を置いて、

 

「……言ったんだ……、私に……」

 

 ぽつり、ぽつり……と、まるで何かの言い訳をするように話し始めた。

 

「あのコがそんなふうに思ってるなんて……、私、知らなくて……。ていうか、全然、考えようとしたこともなくて……。ずっと、あのコのこと考えてたつもりで、私は……、なんにもわかってなかった……」

 

 ラクスはなだめる様に促した。

 

「カガリさんは、あなたに何と言ったのですか?」

 

 ナナは躊躇っている。

 が、ここへ来る時に決心はついているはずだ。

 だから……。

 

「ナナ」

 

 ナナが逃げないことを知っている。

 

「あのさ……」

 

 ナナは言った。

 

 

「『世界や国民からの支持も、議員からの信頼も、“アスラン”も持ってて……、ずるい』って……」

 

 

 恐らくナナが受けたほどの衝撃ではなかった。

 だが、ラクスも同じ種類のそれを受けた。

 

「カガリさんが……?」

「そ、それがどういう意味か、さすがの私もわかってる……!」

 

 ラクスにも意味はわかった。

 カガリが密やかにアスランに想いを寄せていたこと……。

 

「私さ……」

 

 だが何と返せばよいか考えあぐねるうち、ナナは後悔を口にした。

 

「カガリが何を考えてるか、カガリには何が必要か、わかってるつもりだったんだ……。だから偉そうに色々言ってたけど、でも自分自身はアスランに甘えて、支えてもらってて……。そんな私を……、私たちを見て、カガリが毎日何を感じてたのかなんて全然わかってなかった……」

 

 ラクスもカガリの心情を察してみた。そして、共感した。

 国を背負う立場でいながら、支えて欲しい人間が側にいないのは苦しくて辛い。

 ラクスにもよくわかる。

 もし、キラが側にいなかったら……。

 もしそうなら、あの時も戦えていなかったとはっきり言える。

 が、やっぱりナナが後悔する必要は無いと思った。

 

「私……、カガリだけは絶対に守りたかったのに、自分で傷つけてた……」

 

 ナナの瞳から、雫が一粒こぼれ落ちた。

 

「ナナ……」

 

 この強くて優しい友に、あげられるものはわずかだった。

 だが、ナナは行く道を行き止まり、引き返してここに来てくれたのだ。

 

「それで……、アスランを護衛のお役目から外したのですか?」

 

 気休めの言葉は不要だ。今は、彼女の心の重みを少しでも取り去ることが重要だ。

 そのためには、まず彼女の複雑な心を整理しなくてはならない。

 

「うん……、そう。べつに……、当てつけとかじゃないんだけど……」

「わかっています」

「カガリがね、そういうこと言うなんて、本当に限界だったと思うの……。だから私は、ものすごく不安で……。カガリを支えたかったけど、私はずっと側にいられるわけじゃないから……、だから……」

「それで、アスランをカガリさんの護衛に?」

「うん。なんか話してて思ったけど、私、めちゃくちゃなことしてるよね……?」

 

 ナナは自覚して自嘲した。

 そして。

 

「アスランのことまで傷つけて……」

 

 もう一粒の涙をこぼした。

 

「アスランは優しいからさ、私はつい甘えちゃって……。自分の不安を解消するために、役目を押し付けて……。結局、アスランも不安にさせちゃってたなんて……」

 

 だが、ナナは言えないだろう。

 アスランに理由を言うことは、カガリの想いを暴くことになる。カガリを大切にするナナに、それはできないだろう。

 

「カガリが心配だからついててあげて……って、まぁそれは本心なんだけど、それでアスランは納得してくれてたと思ってた。でも、そうじゃなかったよね……」

 

 ナナはそれ以上こぼれ出るものを抑え込むかのように、ぎゅっと目をつぶった。

 

「私は、大切な二人を傷つけてる……!」

 

 吐き出された後悔は、潮風に流せるものだとラクスは思う。

 三人とも、他の二人が大切だからこそ苦しんでいるのだ。

 カガリだって、想いを明かすつもりはなかっただろう。

 だが叫ばざるを得ないほど、ナナは完璧で、自分との間に分厚い壁があるのを感じてしまったのだ。

 その気持ちは痛いほどわかる。

 ナナと親しいからこそ感じる絶望感……、それは自分もキラもアスランも、同じように持っている。

 アスランは、ナナを命がけで護ろうとしている。恐らく生涯を懸けて……。

 自分が何をすればナナのためになるか、それが自身の行動の根源になっている。

 これからもそういう生き方をするのだろう。

 だから、ナナの願いは聞き入れようとしているのだ。

 ナナが今、カガリを心配し、心を痛めているからこそ、ナナが自分に望むことをやり遂げようとしている。

 ナナを案じる気持ちを抑え込んで、ナナの願いを優先している。

 ナナは……。

 

「ナナ、あなたは……」

 

 少し迷った。

 が、ナナの心の整理をするのなら、全てを言わせなければならない気がしていた。

 

「アスランと離れていても、平気なのですか?」

 

 意地悪な問いに、ナナは……。

 

「無理! それは絶対に無理!」

 

 ナナは即答した。

 

「情けないんだけどさ、私……、アスランに頼りっぱなしで……。側にいてくれたら安心っていうか……」

 

 また頬を赤らめながら、ナナは早口で言う。

 

「黙って愚痴を聞いてくれるし、ぐちゃぐちゃした気持ちを整理するのも手伝ってくれるし、私が悪い時は怒ってくれるし、意見を聞かせて欲しい時は一生懸命考えて答えてくれるし……、って、なんかこれ“依存”ってやつ?」

「いいえ」

「頼り過ぎなのかな……?」

「いいえ」

「なんか利用してるみたいでずるくない?」

「いいえ」

 

 ナナは徐々に混乱し始めた。

 それがおかしくて、ラクスは笑った。

 

「私、こういうの初めてでっ……、どうしていいかわからない……。ねぇラクス、客観的に説明してくれない?」

 

 いかにも理系らしく、ナナは明確な回答を求めた。

 ラクスは逆に、冷静になれた。

 

「ナナとアスランは、お互いを深く思いやっているのですわ……」

「思いやる……」

「ええ、愛し合っているのです」

「あ、あい……!」

 

 ナナは恥ずかしそうに顔を逸らし、指をもじもじと動かしたが、否定はしなかった。

 ナナも本当はわかっているのだ。

 

「切っても切れない絆がお二人の間にあるのが、わたくしには見えますわ」

 

 それを促すように言うと、ナナは横目でこちらを見ながらつぶやいた。

 

「ラクスと、キラみたいな……?」

 

 ラクスはうなずいた。

 自分自身、こんなふうに言葉にしたことなどなかった。

 が、偽りではない。

 キラとの関係は今、ナナとアスランのことを語った通りだと思っている。

 

「ねぇラクス……。ラクスはさ、どうしてそんな神様みたいなことわかるの?」

 

 ナナは少女のような目で、不思議そうに言う。

 

「神様……ですか……?」

「うん。なんでもお見通しみたいな……」

「わたくしも、“恋愛”のことに詳しいわけではありませんわ」

「れ、恋愛っ……」

 

 ナナはまたも過敏に反応した。少女を通り越して、小さな子供のようだ。

 それよりも、ナナの口からは絶対に出ないであろうと思われた『神様』という単語が出たのがおかしかった。

 

「私とアスランも……、ラクスとキラみたいになれる……?」

「人と人が作る形は様々なのですから、誰かのようになる必要はないのですよ、ナナ」

「……また神様みたいなこと言ってる……」

 

 二人で少し笑った。

 紫色に変わった水平線がとても綺麗だった。

 

「私は、どうしたらいいのかな……」

 

 それを眺めながら、ナナはつぶやいた。

 

「ナナはどうすれば良いと思うのですか?」

 

 その横顔が美しかったので、ラクスは問いを返した。

 彼女に答えは要らない。いつだって、彼女は自身で答えを導き出す。

 

「やっぱり……、カガリとは話さないとだめだよね」

 

 いつもより弱気だが、それでもちゃんと答えは形どられている。

 

「わかってるんだけどさ、このままじゃ駄目なことは。でも私、やっぱりカガリのことになると臆病になっちゃって……」

 

 ナナが求めているのは、心を整理するための“耳”と、少しだけ背中を押す“手”だ。

 

「ナナ、大切な相手だからこそ、傷つけたくないのは当たり前のことです。ですが、大切だからこそ、心をさらけ出して話さなければならないこともあるのだと、わたくしは思います」

 

 前ばかり向いているようで、ナナにはちゃんと声を聞く“耳”がある。

 

「うん……。そうだよね」

 

 ナナの顔が穏やかになった。

 

「ちゃんとカガリに話す……! 私が、ええと……、アスランを……、ええと……」

「アスランを必要としているか、ですわね」

「う……、そ、そう……、それ……」

 

 こんなに照れくさそうにしていて大丈夫かと心配に思うが、ちゃんと伝わるという確信はあった。

 それに、カガリだってわかっているのだ。

 

「カガリさんもきっとわかっているのですわ」

「うん……、私もそう思う……」

「けれど、ナナが言葉にしてちゃんと伝えることで、きっとお互いがまた一歩、前に進めると思います」

「うん……。そうだよね……!」

 

 薄闇の中、ナナの瞳が輝いた。

 

「アスランとも話さなきゃね」

「ええ」

「ええと……、アスランに……」

「ちゃんと、必要としていると」

「う、うん……」

「側にいて欲しいと」

「うん、そ、それね……!」

 

 ナナは誤魔化すようにあははと笑って、すっかり冷たくなったハーブティーを勢いよく飲みほした。

 

「はぁ……、でも怖いな、カガリと話すの……」

 

 いつになく弱気なナナは、伸びをしながら弱音を吐いた。

 

「わかってくれてるってわかってるのに、なんか……」

 

 世界中の注目を集めて話す人が、最も親しい人間と話すことを恐れるのは不思議な感じだ。

 が、大切なこととはそういうものだとラクスは思った。

 それに。

 

「あなたが恐れているのは、ご自身の心をさらけ出すことになるからですわね」

「……あぁ、そうか……」

 

 ナナは“不慣れな感情”を言葉にすることに、まだ戸惑いがあるのだろう。

 

「今日ここで、わたくしに話してくださったようにお話しすれば、きっと伝わりますわ」

 

 自分が受け止めたナナの想いを、カガリが受け止めきれないわけはない。

 

「あなたとカガリさんにも、強い絆があるでしょう?」

 

 ナナは“姉の顔”で、嬉しそうにうなずいた。

 

「よし! じゃあプラントから戻ったら、まずはカガリと話してみる!!」

 

 そして、元気よく言った。

 

「あ~、でも話す前にラクスにメールするかも……。いい? いいよね?」

「ええ、いつでもどうぞ」

「よかった……!」

 

 怖れは拭えていなかった。

 それでも、自身でナナはやるべきことを明確にした。

 

「あ! ねぇ、キラには言わないでね!」

「はい、お約束しますわ」

「でもラクスとキラだもんなぁ……、ラクスとキラ……、うーん……」

「ナナ……?」

「やっぱり、ほとぼりが冷めてから話して。カガリが落ち着いたら……!」

「ナナ、わたくしたちのことは気になさらないでください」

「そういうとことだよね……、そういうところ……」

「ナナ……?」

 

 ナナは最後までカガリの心情を気づかってから、うんうんと納得した様にうなずいた。

 そして、来た時とは違う表情で帰って行った。

 

「とにかく、ご無事でお戻りくださいな」

「うん! じゃあまたね!」

 

 それが、ナナとの最期の会話だった。

 

 

 

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