「じゃあ、ナナは……」
喉が干からびたようにカラカラだった。
「あなたへの想いに変わりはありませんでした……」
ラクスが語ったナナは、本物のようでも幻想のようでもあった。
「誰も悪くないのです。想いをぶつけたカガリさんも、それに混乱したナナも、知らずに戸惑ったあなたも……」
押し寄せる後悔の波を押し留めるように、ラクスはそう言ってくれた。
「悪いのはわたくしです、アスラン。ナナの想いを、ずっと……あなたに伝えることができませんでした」
ラクスが初めて、涙を見せた。
「あなたとカガリさんが寄り添うように生きているのを見て、わたくしは……」
そのとおりだと思った。
ラクスが話してくれていれば、モヤモヤした不快な感情を取り払うことができたはずだ。
が……、その代わりに何が残るだろう。
ナナに愛されていたという真実は、心に開いた穴を塞いでくれはしなかった。逆にその穴を、虚しい風が吹き抜けるだけだっただろう。
「いいんだ……、ラクス……」
聞いたとして、信じられたかもわからない。単なるラクスの優しさだと受け取っていたかもしれない。
ナナがいないという絶望が深すぎて、全ての感情や感覚が麻痺していた。
『ナナの願いを叶える』という目的だけで生きていたのは事実なのだ。
だから彼女を恨む気はなかった。
ただ……。
「オレは、これからも……」
ナナの側にいていいのだろうか……。
「いてください、ナナの隣に」
声にならないうち、ラクスがきっぱりと言った。
「セアであっても……、あなたが側にいてください」
迷いは消えなかった。何百日、何千時間と付きまとっていた感情は、そう簡単に振り払えない。
だが。
「ナナを待ち続けてください……!」
自分の中の想いが消えないことも、思い知った。
“ナナ”を見た。今度はまっすぐに。
そして、願った。
目を覚ますのがナナであってほしい……と。もう一度、ナナの声で名を呼んでほしい……と。
「ラクス、ありがとう……」
酷く疲れた。
が、頭と心にかかる霞は消えていた。
再び腰を下ろす。
「アスラン……!」
「大丈夫……、ナナを……、信じてみるよ……」
不思議なことに、今はラクスのほうが少し取り乱している。
「大丈夫だ、オレは……。どうすれば良いのか、わかった気がするから……」
祈るように両手を組んで、額につけた。
隣でラクスが、秘かに息を整えた。そして、肩に手を置いて……静かに出て行った。
“ナナ”と二人きりになって、もう一度願った。
目覚めるのがナナでありますように。ナナがもう一度、自分の名を呼んでくれますように。
そして、もしセアのままでも……、いつかナナが戻って来てくれますように。
神でなく、ナナに……そう願った。
―――――――――――――――
どのくらいの時間が経ったのか……。ラクスが去ってから、部屋を訪れるものは無かった。
あれからずっと、アスランはひとり、ナナの傍らに座り続けていた。
ひとつひとつ、思い出していた。
最初の出会いから、あの島でのこと、戦いの日々、そして温かい時間……。
セアのことも、初めから思い出した。
彼女が言った言葉も、彼女が語るナナも、自分に向ける視線も……。
気づけば、あの石を握りしめていた。
今、ナナは何を思っているのだろう。どこにいるのだろう。この石を見て、あの島での奇跡を思い出して、今は……。
ナナは……、自分に逢いたいと思ってくれているだろうか……。
やっと今さら、ナナとの再会を望めたくせにそう思った。
まだ迷いは消えていなかった。だが、怖れてはいなかった。
それでも……。
「ん…………」
“彼女”がかすかに身じろいだ瞬間、全身の血流が止まった気がした。
「う……」
彼女の細い指がぴくりと動く。まつ毛がそっと揺れる。
声が出かかった。が、喉で止まった。
何と呼べばいいのかわからなかった。
彼女が覚醒するまで、とても長く感じた。うながすことができなかったから仕方がない。
だがついに、彼女の視線はアスランを捉えた。
ぼんやりと、だが、まっすぐにこちらを見る目……。
「あ……」
まだ、声が出ない。名前が出ない……。
情けない。
が、指の一本も動かない……。
と……。
「アスラン……」
彼女は掠れた声でささやいた。
そして。
「ただいま……」
そう言って……、笑った。
「ナナ!!」
確かめる必要など無かった。
ただ、呼びたかった名前を叫ぶだけで良かった。
「ナナ、ナナ……!」
弱々しく伸ばされた手に、しがみつく。
「アスラン……」
「ナナ……!」
名前以外の言葉は出てこなかった。
「ごめんね……」
「ナナ……!」
ナナの手が、アスランの手を握り返す。力は弱くとも、迷いはなかった。
「アスラン、ずっと……、側にいてくれて、ありがとう……」
まだおぼろげだった。
が、ナナは起き上がろうとした。
「ナナ……! ま、まだ身体が……!」
情けないほどに感情が溢れだし、うまく話すことができない。
「大丈夫、大丈夫……!」
ナナは笑って、アスランの手に支えられて起き上がった。
そして。
「ねぇ、アスラン」
両手を広げて、アスランへと差し出した。
「いい? “あれ”……」
“あれ”が何を指すのか、アスランにはわかった。
一瞬だけ躊躇った。
が、ナナの目を見て心を決めた。いや、心のままに動いた。
「ナナ……」
静かに、そっと、ナナを抱きしめる。
すぐに、ナナの両腕が背中にまわった。
二人同時に、ほっと息をつく。
そして、アスランはできるだけゆっくりとささやいた。
「大丈夫だ……、ナナ……。オレが側に居る……」
これまで幾度か、ナナに求められた安息の“儀式”。
それをまた求めてくれたことが嬉しくて……、それ以上は何も言えなかった。
「アスラン……」
が、ナナは腕に力を込めてささやいた。
「私を……、許してくれる……?」
声が震えていた。
「勝手に死んで、遺言なんかでアナタを縛って、“セア”として蘇って、記憶を無くしてるくせにアナタの側にいて……、そんな、私を……、許してくれるの……?」
指先も震えていた。
「アスラン……」
ナナが不安げに身をよじった。
が、答える気がなかった。
まだこうして、ただただ愛おしい存在を抱きしめていたかった。
それに、許すとか許さないとかは考えたことがなかった。
考えていたのは、ひたすら自分がまたナナの側にいて良いのだろうかと……そればかり。
「ナナ……」
ため息が出た。
こうして言葉でちゃんとした答えを得ようとするのが“ナナらしい”と、改めて思ったのだ。
「アスラン、私ね……。死ぬときに後悔したんだ……」
黙っていると、ナナはくぐもった声で続けた。
「アスランに、側にいて欲しかった……」
少し慌てながら、懸命に言葉を紡いでいる。
「本当にそうだったら、アスランも一緒に死んじゃってたから、結果としてはアスランが地球に残って良かったんだけど……! でも……、ちゃんと言ってないことがあったから……、伝えてないことがあったから……、すごく後悔して……、後悔しながら死んだの……」
ナナはいっきに話して、息を切らした。
「私……、私……、アナタを傷つけて
確かめたかったことは、急にどうでも良くなっていた。
ラクスの話を聞いたからじゃない。この温もりが全てなのだ。
「ナナ……」
身体を離し、ナナの顔を見つめた。
泣いている。わかっている。自分も泣いている。
「ナナ……」
「アスラン……」
二人同時に、互いの涙を拭った。触れたところが温かかった。
「…………」
ナナの唇が動いた。
が、すぐに唇を噛む。「ごめん」と言おうとして止めたのだ。
「ナナ……」
うつ向けた彼女の髪を撫ぜた。
色も、質も、前とは違う。ナナはそれに気づいたのか、瞳を逸らした。
「ナナ、こっちを向いてくれ」
だが、そんなことはもう重要ではなくなっていた。
目の前にいるのはまぎれもなくナナであると、心が証明している。
「オレは、お前に必要とされていないんじゃないかと……、そう思っていたんだ……」
頑なに目を逸らすナナに、アスランは想いを話した。
驚くほど綺麗に整列した言葉を、ひとつひとつ。
「お前がいなくなってから、確かめることもできなくて……、ずっと、そう思っていた」
ナナの瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「だが、もういいんだ、ナナ」
そっと、彼女を上向かせた。
「お前の想いはわかっているから……。だから、オレは、ずっとお前の側にいる」
強がりではないから、じっと彼女の目を見つめられた。
「ラクスが……、話した……?」
ナナは恐る恐る尋ねた。
「ああ……。それに、カガリにも聞いた」
「カガリが……? 話した……の……?!」
「ああ……」
ナナは動揺した。
が、自身を納得させるようにうなずいた。
「……そ、そうなんだ……」
「オレは馬鹿だから気づけなかった。だが二人が話してくれたから、理解できたんだ。お前が何を抱えたままいなくなったのか」
「アスラン……」
「だから……、今はまだ、過去のことは考えなくて良いんだ、ナナ」
「でも……」
大切なのはこれからだ。
未来を二人で歩んでいくこと……。それを互いに望むことが大事なのだ。
「大丈夫だ……、ナナ……。オレが側に居る……」
アスランはもう一度、“儀式”を繰り返した。
ナナはやがて、“いつも”のように肩の力を抜いた。
安堵した。
が。
「アスラン……あのね……」
ナナはやっぱり、ちゃんと言葉に表した。
「私……、あの、ジェネシスの中で言ったこと、変わってないから、ずっと……」
アスランの服にしがみつき、ナナは言う。
「『アナタがいないと戦えない』って……、ずっと思ってる……!」
かすかに横隔膜をけいれんさせながら、しっかりと。
「髪も目も、姿はちょっと変わっちゃったけど……、想いは少しも変ってないの……!」
胸が熱かった。
「だから、もし、“こんな”私を許してくれるなら……」
自然と、互いの目を見た。
「これからもずっと、側にいて欲しい」
ナナはまるで何かの覚悟を決めたかのように、瞳に強い光をたたえてそう言った。今はまだ言わなくて良いと言ったのに、ナナは言ってくれた。
だから。
「ナナ、オレは……」
アスランもちゃんと言うことにした。
「お前を愛している」
少しの時間を経て、また想いが繋がった気がした。
いや……、ずっと繋がっていたのだ。きっと。
「アスラン……!」
ナナは笑った。前と同じように。
「好きだよ、アスラン……!」
ナナがそう言った瞬間、きつく抱きしめた。
二人はいままでで一番強く、抱き合った。